保存則やばい
ちょっとアカデミックな小説を書くとき必ず言ってみたい。
『ゆえに、エネルギー保存則は破られていないのだ』
この世のあらゆるところには、保存則が満ち溢れています。エネルギーも保存するし質量も保存する。電荷だのスピンだのも保存します。なんだかよくわからないホニャララ荷たらなんたらいう物理量が出てくると、それはたいてい保存します。
保存する、というのは、ある量が、何らかの出来事を経た後も、全体として変化してない、ということ。
もちろん代表選手は質量選手です。百年以上をエースストライカーとして活躍してきたスーパースターです。ゴール前でうっかりハンドしても誰も咎めません。
という感じで、質量保存則はこっそりと破れているわけですが、アシストの名手エネルギー選手がその穴を埋めています。おおよそ、質量とエネルギーが総体で保存されています、というと、たいていのことはうまくいきます。
そんな与太話はともかく。
何かが保存する、と言ったときは、「出来事」の「前」と「後」のことを指す、というのが一般的な考え方です。
でも、保存則というのは、もっと広く適用できるものなんです。物理学の一部では、保存則のことを「対称性」と呼びますが、なんだか字面が違いすぎてめまいがしますね。そのくらい、保存則・対称性というのは広範な概念なんです。
例えば、「ここ」と「あそこ」で同じ物理法則が適用できます、というのは、物理法則の空間対称性です。「物理法則」は「空間移動(という出来事)」に対して「保存」しているんです。
もっと行きます。
高校物理くらいになると、いわゆる「運動方程式」を習います。(マクロ的な)物体の運動を完全に記述できる無敵の方程式です。これは、三つの方程式(「=」で左辺と右辺が結ばれた式)から導かれます。一つ目の式は、【質量の増える程度】=0。質量保存則です。二つ目は【運動量の増える程度】=0。運動量保存則です。三つめは【エネルギーの増える程度】=0。エネルギー保存則です。実は、物理方程式とは保存則そのものなんです。
これは高校物理だけでなく、もっと高度なあらゆる物理法則に適用されます。電荷だのスピンだの色荷だのホニャララ荷だの結構な数の「保存量」が定義されていますが、じつは、こうした何らかの量を定義するたびにその保存則が一本の式として生まれ、これまで存在したすべての保存則クラブチームに新入団してチームとしての動きをがらりと変えてしまうのです。
そして、先ほど書いた通り、これらの保存則は「時間の変化」という出来事だけを対象にしているものではありません。むしろ、特に量子力学の世界などでは「時間を逆転する」という操作に対しても保存する量というのが結構たくさん提案されています。
では、新しい保存量が新入団してくるのは、どんな時でしょうか?
簡単に言うと、従来の保存則のどれかが破れていると気づいたときです。破れている部分を補うために、もっと大きな概念の保存量を探す、じつは、この繰り返しが物理学の進歩そのものです。
今、素粒子・標準モデルという世界で、「CP対称性の破れ」が話題です。話題と言っても、もう五十年以上も話題が続いています。その破れを補うためにはもっと大きなレベルでなにか保存則があるんじゃね? という考え方から、ヒッグス粒子だのなんだのという奇妙な粒子たちが予測され、さらには、超対称性粒子なる誰も見たことも聞いたこともない観測も(ほぼ)できない粒子群が考案されていたりします。将来的には、そうした粒子が見つかり、どでかい保存則の細部のパラメータが決まるのでしょうが、決めてみるとやっぱりちょっとだけ破れてる、じゃあ超々対称性なるものがあるんじゃね? ……こんな感じで、物理の保存則はより広く、より深淵に向かって突き進んでいくことになります。
要するに何が言いたいかというと、保存則やばい。何か新しい保存則を考えるなら、それが、既存の物理学のどの保存則の破れを補うものなのか、そんな視点で考えてみると、そこから少し話が広がりそうじゃないですか?