反証可能性
それが科学的であるかどうか。
どうやれば判断できるでしょうか。つまり、荒唐無稽な妄想を広げたとしても、それが科学的であれば、割と違和感もなく受け入れられやすいから、ということなのですが。
科学が科学であるために必要なこと、としてよく言及されるのが、「反証可能であること」です。
聞いたことがある人も多いかもしれませんが、ここはひとつ我慢してお聞きください。あるいは、ぺラッとページをめくってしまってもいいですが。
そもそも、反証って何でしょうか。
字面どおりに解釈するなら「反対の証明をすること」ですね。
実にそのとおりのことです。ある学説があり、その学説を否定する事実を証明できたら、それは、反証した、ということになります。
でも、反証することと反証可能であることには天と地ほどの隔たりがあります。
説明する前に、練習問題。
次の二つの言及について、より「科学的である」のはどちらでしょうか。
「宇宙人は存在しない」
「宇宙人は存在する」
ここで、宇宙人とは地球以外のところで進化し知性と文明を持った生物っぽいもののこととしておきます。
問題のポイントは、「より正しい言及」ではなく「より科学的な言及」を問うていること。つまり、科学的な言及の必須要素とされる「反証可能性」がここで登場します。
反証が可能かどうか、というのは、その言及に接した人が考えること……ではありません。説を唱えた人自身が反証の方法を提示しなければならないのです。これ、とても重要なことです。すなわち、「○○は××であるという説を唱えたいと思います。ただし、××という事実が証明されたならこの説は取り下げます」。
先ほどの練習問題でこれをやってみましょう。
「宇宙人は存在しないという説を唱えます。ただし、望遠鏡なり探査機なりで宇宙人が一人でも見つかったらこの説は取り下げます」
「宇宙人は存在するという説を唱えます。ただし、宇宙中を探し回って宇宙人が一人も見つからなかったらこの説は取り下げます」
宇宙中ってなんやねん。ツッコミが入ります。
宇宙中だと思って太陽系全部を探査してみたら、「いやいや銀河全部見てくださいよ」……銀河中見てみたら「いやいやまだ銀河たくさんあるでしょ」……見える範囲の全部の銀河見てみたら「いやいや、見えないところにもいっぱいあるから」……ついに後退速度が光速を超える宇宙の事象の地平線まで調べつくしても「地平線の向こうにも宇宙広がってるって、素敵やん?」とか言い出されたら、もうほんと、困る。
前者のほうは、どんどん探査技術が高まっていって、いつ宇宙人が発見されるかとドキドキしながらもおっかなびっくり説として生き続ける。宇宙人が見つかった、という報告を誰かが上げるまでの限られた命と知りながらも、それまでは精一杯、説としての人生(その説に基づいた様々な仮説の展開)を全うし続けるわけです。
つまり、そもそも科学的な説というのは、「反証が見つかるまでの暫定的なもの」ということ。科学的な説は自分自身の賞味期限をちゃんと規定しているんです。賞味期限を決めてなかったり、解釈次第で無限の賞味期限になるような説というのは、ちょっと科学的ではありません。
そんなわけで、練習問題の答えは「宇宙人は存在しない」のほうがより科学的ということになります。もちろん直感的には、宇宙人は存在しそうな気がします。だからこそ、存在しそうなのに未だに見つからない=存在しないという説を前提にその反証を探すほうが、科学的には健全な行動なのです。
たとえば「スマッシュ細胞はありまぁす!」なんていう言葉、これは一ミリも科学的ではありませんね。「スマッシュ細胞はあります。ただし本実験で示された×××というデータに対し同条件で××%以上の乖離のあるデータが報告されればその限りではありません」というのが正しい態度です。間違っても「他の人にはやり方が分からないから再現できないだけだ」なんてことをしゃぁしゃあと言うような人は、科学者ではありません。
ポイントを整理しましょう。
☆科学的な言及(説)は反証可能でなければならない。
☆反証の方法は説を唱えた人自身が示さなければならない。
本当の科学者は、どんなに自信があり強固に見える説であろうとも、それさえも粉々に打ち砕く力を秘めた鉄槌を相手に差し出して、どうぞお試しください、と相手にターンを回すのです。
「俺のターン! 伏せカードオープン! 宇宙人がいる説を唱え、さらに手札から無限宇宙の縦深防御を発動! すべての追究を宇宙の懐に飲み込み防御する! ターンエンドだ!」←ダメです(笑)。