第四話 女騎士の覚悟
「・・・ルーシア、お前も脚の手当てを・・・」
かすれた声で、エリックが呟いた。
ひとしきり泣いて、マクシミリアンを葬った後のことだった。
私が返事をする前に、エリックは無理やり私の脚に包帯を巻き始めた。私はぼんやりそれを眺めながら、今までの出来事を反芻していた。
バレン公爵の狙いは姫様だ。姫様が、隣国の援助を得るつもりなのも、先に手配していた王国軍と合流しようとしていることも、敵には既に筒抜けだ。だから、こんな風に待ち伏せまでされていたんだ。つまり、まだ追手が来る可能性が十分にあるということ。
しかも、ハインツが戦線離脱し、マクシミリアンが死んで、私は脚を負傷している。姫様を守るのに圧倒的に戦力を欠いている。
その上悪いことに、先の戦闘での敵の矢が、馬車を引く馬までも殺め、無事なのはたった一頭だけだった。これではもう、馬車は引けない。
私は、腹を決めた。
「・・・エリック、姫様と先に行って・・・」
二人が鋭く息を呑んだのが分かった。
「・・・何を言っているの、ルーシア!?怪我をしているあなたを置いてなんていけないわ!!」
可哀そうなくらいに動揺し、悲鳴交じりに叫んだ姫様が私に縋りつく。
「・・・一頭の馬で3人も乗せれば、速度も落ちるし、馬もすぐにばててしまいます。今は何としても、姫を安全な場所にお連れすることが第一です。負傷している私では、姫をお守りすることはおろか、足手まといにしかなりません」
「それでもよ!私も、自分の身を自分で守るようにするから、馬が駄目なら、歩きだって構わないわ、だからお願いだからそんなこと言わないで、一緒に行きましょう!」
ああ、私の軍服の袖を一生懸命掴む姫様の手が、恐怖でブルブル震えている。きつく握られた手が、異常なほど青白い。
その様子は、ついさっき、マクシミリアンに生きてと懇願した自分の姿と重なる。なのに、自分の番になるとこれほどまでに冷静になるのか。
彼女の不安が痛いほど分かるのに、私の気持ちは不思議なくらい静まり返っていた。
「・・・いいえ、国王陛下の身柄がバレン公爵に支配されている今、この上あなたまで敵の手に落ちてしまえば公爵を止める術はありません。あなたには王族として、この混乱を鎮める使命がおありです。一介の騎士のために、個人的な感情でご自分の身をさらに危険にさらすことは許されません」
「・・・ルーシア!」
「そして私達騎士は、負傷者は戦場に置いていくように教えを受けています。私が怪我を負ったことは私自身の落ち度に他なりません。どうぞ、捨て置いて下さい」
「エリック、あなたからも何か言って・・・!ルーシアはあなたの婚約者でしょう、大切な人を置いてなんていけない、そうじゃないの!?」
私の決意が固いことを察した姫様は、エリックに必死に訴えかける。二人がかりで説得しようというのだろう。
姫様に言い募られ、迷いの色を浮かべた青灰の瞳が彷徨った。ふいに、私の目線と、彼の目線がぶつかり合う。
私は全身全霊で彼を見つめ続けた。
お互いの複雑な感情が絡み合い、爆発する一歩手前のような、刹那とも永遠とも思える攻防の末、
・・・やがて彼の目線が、私から逸らされた―――。
「・・・姫様、彼女の言う通りです。今私は、ルーシアより、あなたの身の安全を優先しなければなりません・・・!」
苦悶の表情を浮かべて、エリックは私の言葉を肯定した。
―――私は安堵した。それでこそ、私が愛した騎士。
「そんな・・・!」
言葉を失った姫様が、絶望に打ちひしがれ、さめざめと両手で顔を覆い頽れた。
「こうして会話している間にも、時間を消耗してしまいます。エリック、私のことはいいから、早く準備を」
「・・・分かった」
エリックは頷くと、速やかに一頭だけ残ったまだ元気な馬の装備を、二人乗り用の物に交換し始めた。
私は姫様を宥めるように、背中を優しくさすってあげる。
「姫様、大丈夫です。ここからなら、半日ほどでアレクス殿下の待つ砦に辿り着けますよ。ご不便かと思いますが、もう少しだけご辛抱下さい。エリックはあれでも優秀な私達のリーダーですから、彼に任せておけば、万事問題ありません」
「・・・どうして・・・」
血を吐くような声音が、この可憐な少女から発せられたのを私は初めて聞いた。
「どうして、そんなに冷静でいられるの!?どうして平気なの!?」
糾弾するような、体中から絞り出すように放たれた言葉は、私とエリックを真っ直ぐに射貫く。
散った透明な涙は、こんな時だというのにどこまでも清廉で美しいと思った。私は幸せだ、良い主君を持てた。
私は柔らかく微笑んだ。
「―――だって、私達はあなたの騎士ですから」
―――手早く準備を終えた、エリックは先にエメセシル様を馬上に乗せた。姫様ももはや、私達に抵抗することもなく、大人しく従った。
本当は、優しすぎるお心持と同じくらい、王族としての責任だって理解されているのだ。自分の役割を自覚され、これ以上私達を困らせても仕方ないと観念されたのだろう。胸は痛むが、どちらにしても彼女を旗頭にしなければ、王家に次ぐ権力を持つバレン公爵には対抗出来ない。
「・・・ルーシア!」
見送ろうと、近くにあった木を支えにして立っている私に、ふいにエリックが振り返った。その表情は依然として厳しい。双眸が静かな怒りを秘めているようにも見える。
「・・・言っておくが、俺はお前を諦めた訳じゃない。必ず救援に来るから、俺を信じて待っていろ」
「・・・エリック・・・!・・・ありがとう、でも今は姫様を守ることにだけ集中して欲しい」
「・・・っ!」
なるべく穏やかな声で答えたつもりだった。でも、それはどうやら逆効果だったみたい。大きく目を瞠ったエリックは、さらに険しい顔をしたと同時に私を乱暴に抱き寄せた。
「・・・馬鹿、野郎がっ・・・!!」
数分だったのか、ほんの数秒だったのか、息も出来ないほどきつく抱きしめられた。こんな抱擁は初めてだった。
「エリッ・・・」
戸惑った私が声を掛けるよりも早く、エリックが突き放すような荒い動作で私を解放すると、そのまま背を向け姫様の乗る馬へと歩き出した。
「・・・無事でいろよ・・・!!」
振り返ることもなく背中越しに吐き捨てるように言い残し、エリックは馬上の人になった。一連の様子に困惑し、言葉を挟むことの出来ない姫の視線が私達の間を行き来する。
最後一瞬だけまたエリックと視線が合う。でも、それ以上は何も言わず、手綱を手繰った。
次の瞬間には、彼らを乗せた馬は駆け出し、瞬きをする間に遠く見えなくなって行った。
―――本当は最後に抱きしめられて、嬉しかったのに。待ってるって、言えれば良かったのに。
彼らの去って行った方向を眺めたまま、私は自分の肩をかき抱いた。まだ彼の温もりが残って、心臓がドキドキしている。
でもそれと同時に、彼の前で最後まで騎士のままでいられて良かったとも思う。
例え、姫を狙う追手が私を見つけ、命を落とすことになったとしても、彼の中で私は永遠に誇り高き騎士のまま生き続けられるだろう。
何とも不思議な気持ちだ。もし、婚約者がエリックじゃなかったら、決して進んで選ばなかった道だった。きっと、剣を握ろうとさえしなかっただろう。例にもれず普通の伯爵令嬢として館の奥深くで慎ましやかに過ごしていたはずだ。刺繍をしたり、流行りのドレスに目を輝かせたり。ただの一人の平凡な女として。
でも、ほかの誰でもないあなたが婚約者に決まって、ただひたすら傍にいたくて。どんな形でも、あなたの唯一無二の存在になりたくて。
最初は不純な動機で選んだ道だったけれども、敬愛する主君、心許せる仲間にも出会えた自分は幸せ者だった。自分の選択は正しかったと、声を大にして自分を誉めてやりたい。
何より、愛するエリックが騎士の私を称えてくれるなら、これ以上の幸せはない―――例え、最後の抱擁にすら、特別な感情が込められていなかったとしても。
少しずつ茜に染まる空を眺めながら、私はしばらくの間立ち尽くしていた。
―――複数の蹄が地面を蹴る音が遠くに聞こえ、私は目を覚ました。
あの後、獣除けの火を焚いて私は残された馬車に身を隠していた。
脚を負傷している私は、遠くに移動することは出来ない。例え同じ場所に留まり続けることが危険だと分かっていても、体力を温存し雨風を凌ぐために私は馬車内で体を休めることを選んだ。
正直、エリックの言葉通りに救援を期待していたわけじゃない。そう考えられる程、状況は楽観的ではない。まず第一に、エリックが砦に着いてから救援部隊を編成し再びこの場所まで人員を寄越すのに2日は掛かるだろう。だが、一人の負傷した騎士を救出するよりも先に取り掛からねばならないことは山積みのはずだ。バレン公爵が王宮を占拠して、国王陛下を軟禁している今、一刻も早く王宮を奪還しなくてはならない。支配権を奪われた状態が続くと、王国中が混乱してこの機に乗じて不届きを働こうという輩が悪さをしかねない。国民も不安に駆られ、政治だけでなく商業や外交にも問題が飛び火して行くだろう。
冷静に状況を見極めれば、まともな指揮官なら私の事は捨て置くか、対応するにしても一番最後だ。
だから、複数の馬が近づいて来る音が聞こえた時に、私は確信していた。救援ではないと。
幸い、エリックの的確な応急処置と睡眠をたっぷりとったお陰で、多少は身動きが取れるようになっていた。
私は、音を立てないように馬車を出てその陰に身を潜めた。
「ふん・・・やっぱりたかだか寄せ集めの小隊如きでは、王女付き近衛騎士隊には敵わなかったか。返り討ちにあったと見える」
「隊長殿、ですが王女の馬車が残されているようです、この様子では敵の戦力を削ぐことは出来たのではないかと」
「だが姫と騎士共の姿は見えないじゃないか。とっくに逃げられているようだ」
声高に会話をする人間らを見て、私は息を呑んだ。見知った顔だったからだ。
男達は全部で6人ほど。その皆が、正騎士の騎士装に身を包んでいた。その内2人に至っては、トーナメントの上位入賞者でもあり、過去に対戦したこともある相手だった。
王国軍の一部もバレン公爵に加担しているだろうとは踏んでいたが、正騎士に叙されている名のある騎士まで、国賊に成り下がっていたのは衝撃だった。
平常時なら、彼らに後れを取ることはない。だが脚を負傷している私が、複数相手に戦える望みは薄い。
しかし、最早敵に気付かれぬように逃げることも出来はしない。せめて、陰に潜んでいる私に気付かないでくれればいいが、それこそあり得ない話だろう。
私はなるべく音を立てないように、そうっと剣の鞘を払い落とした。
「まぁ、こんな辺鄙なところまで来て何の収穫もなしじゃがっかりだが、王女の馬車だ。宝石なり、上等な衣装なり金になる物くらいは残っているだろう。本当は侍女でもいいから女を残してくれてたら良かったんだがなぁ」
「わはは、違いない」
「隊長、次の町までの辛抱ですよ」
男達の胸糞悪くなるような会話が続く。こんな下衆でも王国の正騎士だというのか。
腹の底から込み上げてくる嫌悪感と怒りをぐっと堪えた。
そして、男の一人が馬車の中を探ろうと扉を開け、内部に身を乗り出した時、私は表に飛び出した。
「正騎士の名汚しが!!恥を知りなさい!!」
敵の不意を突き、馬車の中身に気を取られていたらしい、列の最後尾にいた男の喉笛を瞬時に貫いた。
流れる動きで、その脇にいた騎士も反応される前に眉間を叩き切る。力の弱い私は実戦では確実に急所を仕留めるしかない。最小限の動きで敵を絶命させる。
しかし、さすがに3人目まで気付かれぬまま攻撃することは叶わなかった。
「なっ・・・!?女騎士!!」
「潜んでいたのか!!」
存在を認識され、私は一度体勢を整えるために後ろに下がる。ずきりと痛む脚が、いつも通りの動きを妨害する。
4人の騎士が剣を抜き、私と対峙する。この脚を抱えてどれだけ戦える?
嫌な汗が背中を伝う。
「一人か?」
「女一人、楽勝だな」
「まて、この女はトーナメント優勝経験があるほどの使い手だ、油断するな」
口々に好き勝手言いながら、じりじりと距離を詰めてくる。
「かかれっ」
隊長と呼ばれた男の号令と同時に男らは四方に散らばり次々に私に仕掛けてくる。
だが連携はあまり取れていないし、速さもそれほどでもない。
私は紙一重で避けながら、反撃をする。一人の男の背を斬りつけた、しかし相手も鎖帷子を着込んでいるんだろう金属音が響き、致命傷を負わすことは出来なかった。
「大人しくしろっ」
―――しまった、男の一人に後ろを取られる。剣を持つ手を抑え込まれる。
「まだよっ」
私は体をくねらせながら、左手を自分の腰後方に伸ばす。そして仕込んでいた予備の短剣を抜き、そのまま後ろの男に後ろ手のまま振り切る。
ザシュッという肉を斬る音がした。どうやら男の腹部を切り裂いたようだ。
「うっ、うわぁぁあああぁっ・・・」
痛みにのたうつ男が私の手を離した隙に、再び間合いを取る。あと3人。
だが残っている奴らが、運の悪いことにトーナメント入賞の経験のある手練れ達だ。
―――どうする、どうすればいい?
息を整えながら、私は男達の出方を窺う。
反応は三者三様といったところか。仲間を殺され逆上している者、未だ数の有利に不敵に笑みを浮かべる者、そして―――猟奇的な欲望を目に浮かべている者。
「ルーシア殿、私はあなたに会えて嬉しいですよ。実はかねてからずっと、あなたのファンでしてね」
絡みつくような目線を向けられ、さっきとは違う意味で背筋を嫌な感触が襲った。
本能的な恐怖が、私の勘を鈍らせたのだろうか、初めの男が襲って来たのにはまだ対処出来た。怒りに任せて勢い込んで来た男の攻撃を避け、横跳びをした時、何かに足を取られ無様に転んだ。
隊長と呼ばれていた、気持ち悪い目をしている男が、太い枯れ木を私の足元目掛けて投げつけて来たのだ。
地面に倒れ伏した私に、飛び掛かって来た男が止めを刺そうと剣を振りかざす。―――しかし、その男を件の男が横蹴りにして吹っ飛ばした。
「た、隊長?!」
「すぐに殺すのは惜しい。楽しませろ」
「おい、独り占めはよせよ」
吹っ飛ばされた男を横目に、あとの二人が私ににじり寄って来る。その欲望に染まっている顔を見て、私は今度こそ体を恐怖にすくませた。
「よ、寄らないで・・・」
こいつらは、私を嬲るつもりだ。騎士にあるまじき畜生にも悖る行いだ。
上体だけで、剣を振るい敵をけん制しようと試みる。だが、自由に身動き取れない状態で、肩を蹴られ私の手から離れた剣が横滑りしながら飛ばされてしまう。
「・・・っうあぅっ・・・!!」
グッと、怪我をしている脚を踏まれ痛みに体を仰け反らせた私を、抑え込みながら男が覆いかぶさって来た。全身にのしかかって来る重さに、肌が粟立つ。
ビィィッと私の軍服の前が力任せに引き裂かれる。下に着込んでいる鎖帷子のおかげで、素肌が晒されはしない。だが鎖帷子をも外そうとする男の手が、露わになっている首筋に触れるだけでも、とてつもない不快感、嫌悪感が込み上げる。
抵抗したくても、別の男が両足を抱え込んでいて、身動きが取れない。
―――触らないで、私の身体はただ一人のものよ!
脳裏に、愛しい幼馴染の姿が浮かぶ。
こんな男達に、触れさせるために、純潔を守って来た訳じゃない。湧き上がる怒りで全身が焼け付くようだった。
私はその衝動のままに、僅かに動かせる上半身をぶつけるように、目の前の男の首筋に全力で噛みついた。
「うわあぁっっ!!」
肉を食いちぎる勢いで歯を立てた。嫌な血の匂いが口いっぱいに広がるのも構わずに。
堪らず男が私を突き飛ばす。
背中から地面に叩きつけられても、痛みに構っている暇はなかった。自由になった手で、私は髪を留めている簪を一気に引き抜いた。解き放たれた栗色の髪がばさりと宙に舞う。
毎日欠かさず櫛で梳かして、半年後の結婚式のために丁寧に伸ばして来た自慢の髪だ。
それを留めていた、銀細工の簪。私が騎士に取り立てられた年に、父が贈ってくれたもの。簪の先は、まるで長針のように鋭く輝いている。
―――女が戦場に立った時、敗戦すればどんな事態が起こるか案じて、私の誇りを守るために渡してくれたものだ。
私は簪を握る手にぐっと力を込めた。
―――ごめんね、エリック。必ず助けに来てくれるって言ってくれて嬉しかったのに、最後まで素直になれなかった。
でも、最期まであなたの理想の騎士で居続けられたのよ。だから、私を誉めてくれる?
それからは、まるで時が止まったかのように、全ての動作がゆっくりと感じられた。
簪を掲げ持つ腕越しに見た空の、どこまでも澄んで青いこと―――まるで、幼い日に彼と遊んだ時に見た空と同じ。
走馬灯のように、様々な思い出が駆け巡り、自分を取り巻く環境がひどく遠くのものになったように、現実感がなくなっていく―――。