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不真面目な騎士  作者: 青石めい
本編
2/25

第一話 私の婚約者

 ―――はぁ、と私は小さくため息を吐いて、近くで別の貴族子息と歓談する婚約者殿を密かに睨み付けた。


 数か月ぶりに騎士の礼装ではなく、貴族令嬢としてのドレスを纏って祝賀会に参加しているのに、あの男はただの一言でさえ私に投げかけてくれることはない。別に、すごい甘い台詞を期待しているわけではないけれども、一応婚約者なわけだし、普段と恰好が違うということだけでも認識して欲しいだけなのだけれど。


 武人とは思えぬ柔和な顔立ちに、少し垂れ気味の青みがかった灰色の瞳、柔らかな金茶色の髪の毛、特別大柄ではないけれどよく鍛えられ均整の取れた体躯を品の良い青の礼装で包む彼は、いつにも増して凛々しく素敵に見える。その視線はほとんど常に、特定の人物にのみ注がれているけれど。


 あ、ほら、今も。


 歓談相手との会話の合間合間に、彼の意識はこちらに向かう。正確には、私の隣にいる人、エメセシル王女に。


 「ルーシア、今日のお衣装とても素敵ね。その深い緑色のドレスにあなたの艶のある栗色の髪と琥珀のような瞳がよく合っているわ。会場中の貴公子方だけでなく、令嬢方まであなたに熱い視線を注いでいるわよ」


 作り物かと見紛う程、完璧な美しさを纏う麗人がゆったりと私に微笑みかけた。物語の妖精のように儚げで、女神のような艶やかさを持つその少女こそ私の婚約者の関心を攫う王女その人である。長年側近くに仕えている同性の私でさえ、うっとり魅了されてしまうほどだ。


 「姫様、からかわないで下さい。姫様の美しさに叶う人間なんて、この場におりませんよ」


 努めて事務的に私は返事を返した。


 「まぁ、またそんなことを言って。私も含めて、あなたに憧れる人間は後を絶たないのに。先程から、何度も殿方からのダンスの誘いを断っているのを見たわよ」


 扇で口元を隠しつつも、いたずらっぽい瞳が彼女の好奇心を如実に表している。近寄りがたいほどの美貌の持ち主のくせに、中身は年相応の恋愛ごとやお洒落に興味深々の普通の女の子なのだ。

 とはいえ、彼女の相手に慣れている私にはどうということはない。


 「当然です。任務中ですから」

 「もぅ、真面目ねぇ」


 私のつれない返事に、エメセシル様は少しむくれたように眉をひそめた。

 でも、事実だから致し方ない。


 今日の祝賀会は、建国100年を祝うひときわ大がかりなものだった。国内外から有力貴族や王族を招いており、警備も厳重に敷いている。しかし、諸外国の来賓の手前あからさまに物々しい空気を出すわけにもいかず、会場である大広間内で警備を担う近衛兵は皆騎士装ではなく、正式な貴族の礼装に帯剣をしているのだ。かくいう私も、このドレスの下に剣を帯びている。


 2年前にエメセシル様の兄君様が急な病で身罷られてから喪に服していたため、ここまで大きな式典は久しぶりだ。また、エメセシル様が隣国の第二王子アレクス様と婚約されて、そのお披露目も兼ねている。


 「久しぶりにルーシアがドレスを着ているというのに、あなたの婚約者はダンスにも誘わないで何をしているのかしら」

 「彼も任務中です」

 「でもあなた、もう何ヶ月も彼と踊っていないんではなくて?若い男女がそれではいけないわ」


 そう言うやいなやエメセシル様はパシッと小気味よく扇を閉じたかと思うと、その扇の先をくいくい、と揺らし少し離れているところにいたエリックを呼びつける。思い立ったらすぐ行動、といった性格もまだ幼さの残る彼女らしい。


 絶え間なく意識を姫様に向けているエリックは当然即座に彼女の呼び出しに気付き、歓談相手に詫びてすぐさま駆け付ける。

 

 落ち着いた物腰で姫君に近付いた彼は、洗練された仕草で片手を胸に当て浅く礼をする。ハンサムな彼と美貌の姫君が隣り合って立つ姿は、まるで一幅の絵画のよう。


 ちくり、と胸を刺す痛みを私は奥深くに封印する。大丈夫、これくらいいつものことよ。


 「姫様、なにかご用命でしょうか」

 「ええ、エリック。あなたの大切な婚約者殿が退屈していてよ、女性を楽しませるのも騎士の技量の一つなんじゃなくて?」

 「っひ、姫様、私達はけして遊びで式典に参加しているわけでは・・・っ」


 エメセシル様の咎めるような口調に私はギョッとして、思わず声を上ずらせてしまう。しかし、そんな私の動揺をよそに当の本人は姫様の理不尽な非難にも動じず、落ち着き払って鷹揚に頷き恭しく礼をした。


 「―――ああ、姫様の仰る通りですね。丁度、彼女をダンスに誘おうと思っていたところです」

 「エリック!私達は任務中でしょう!」

 「かまわないだろう、今日は警備の数も増やしているし、何といってもアレクス殿下もいらっしゃる」

 「エリック!」


 焦る私に構う様子もなく、エリックは私に体ごと向き直ると手をとりその甲に口づけた。途端に私の頬に熱が集まって、鼓動が早まって来る。


 「―――ルーシア嬢、私と一曲踊って頂けませんか?」

 「・・・っ」


 気付けば、姫様以外にも周囲の貴族の注目を集めていることに気付く。好奇の視線が突き刺さり、とても断れる状況にはない。


 この男は狡い。いつもは私の事をちっとも貴族の令嬢として扱わないのに、姫様に言われた時だけ婚約者の振りをするのだ。


「・・・喜んでお受け致します」


 降参した私は、淑女の礼で返した。

 動揺が思い切り表情に現れている私とは対照的に、こういう時彼はいつだって涼しい顔をしている。穏やかで冷静沈着な彼が感情的に乱れるところは幼馴染である私もめったに見ることはない。彼はいつだって余裕なのだ。そして、致命的に鈍感でもある。


 おそらく私の様子を見ていれば、10人中9人は私の彼への恋心に気付くだろうに、当の本人は私にはとんと無関心なのだ。だから、繋いだ手越しに私の早鐘が伝わったとしてもその原因が何かなんて気付きもしない。


 「ルーシア、怒っているのか?君がお役目第一なのは俺も理解しているよ、でも主君の期待に応えるのも騎士としての・・・」

 「もう、そんなんじゃないわよ。久しぶりのダンスだから、ちょっと焦っただけよ」

 「そうだったのか。心配いらないさ、君はダンスが得意じゃないか」


 的外れな彼の気遣いにも慣れっこだ。彼は私を模範的な騎士だと信じ込んでいるんだから。


 ホールの中央まで歩み出た私達は一度向き直り、改めて正式な礼をする。そして互いに組み合わせた手を伸ばし、ダンスの型を取る。やがて宮廷楽団の奏でる調べに乗せて私達は踊り始めた。


 なんだかんだ言って、内心私は嬉しさを禁じ得なかった。数か月ぶりのダンスもそうだが、婚約者らしい扱いを受けること自体随分久しぶりなのだ。同じ近衛隊に勤務し、ほぼ毎日のように顔を合わせてはいる私達だけれど、それは甘さとは程遠い。あくまで事務的で、仕事仲間としてのやり取りばかりだ。


 ―――ねぇ、何も言ってくれないけれど、このドレス今日のために新調したのよ?

 背が高くて筋肉質な私の体でも、少しは女性らしいラインに見えるように形にも拘って、いつもは平らに潰している胸だってちゃんと丸く見えるようにコルセットも作り直して。


 化粧だって髪形だって、いつものシンプルなやつと違うのよ。侍女と時間をかけて丁寧に準備したんだから。


 すべては、あなたに少しでも意識してもらうように。


 あなたは騎士としての私しか見ていないけれど、ちゃんと貴族の令嬢らしく刺繍やダンスや歌唱だって習っているんだから。だってマナーも何も知らない妻なんて、結婚した後あなたに恥をかかす訳にいかないでしょ?

 外勤や鍛錬で荒れがちな肌も、毎日特別な香油で手入れして、髪の毛だって痛まないようにどれだけ慎重に伸ばしていることか。


 全部、あなたは爪の先程も気づきもしないんでしょうけど。


 くるりくるりと会場を回りながら、私は彼の端正な顔に目をやる。視線が合ったりはしない。彼の目線は進行方向と、別の誰かに向かっている。


 「―――ユリウス殿下のことなんだが」


 ふいに背中に回された彼の手がわずかに私を押し出し、私達の距離はさらに近くなる。一瞬その距離感に心臓が跳ねたが、普段より低くトーンを抑えた彼の声音から、彼が内密の話をしようとしているのだと気づく。周囲には、恋人同士が仲睦まじく囁き合っているように見えるかもしれないが、私達の会話の大半は業務に関わることだ。


 分かっていても少し落胆する気持ちを抑え、彼の言葉に耳を澄ます。


 ユリウス殿下とは、前王太子、つまり2年前に亡くなったエメセシル様の兄君のことだ。


 「やはり、不自然な点が多すぎる。あんなに丈夫な方が、数か月の内に急に衰弱されてあっという間に亡くなられるなんて」

 「・・・毒殺説のこと?それは当時も考えられて、料理人も毒見役も医師も身の回りの世話の侍女だって何回も入れ替えられていたじゃない。でも殿下の病の進行は止められなかった」

 「・・・ああ、そうだな。本当に原因不明の進行の早い病だったのかもしれない。だが、最近陛下の体調が優れないご様子なのも気になるんだ」

 「誰かが陛下までも害そうと考えてるって、エリックは言いたいの?でも、それで得する人物が今の王宮にいるとも思えないわ。外交上のトラブルがある国もないし・・・」


 2年前の当時の王太子殿下であるユリウス様の死は、不審な点が多かった。壮健でそれまで軽い風邪ですら滅多にひかなかった殿下が、ある時期を境に急激に体重を落とし痩せこけ、最後には一人で歩くこともままならない状態であっけなく亡くなってしまった。しかも、複数の医師の見立てでもついぞ病名も分からずじまいであった。

 当然真っ先に毒を盛られたことを疑い、殿下に出されていた料理から普段口にされる飲み水も徹底的に調べられ毒見役も複数立てられたが、毒は一切検出されなかった。


 国王陛下には殿下とエメセシル様以外にお子はなく、本来女系の王位継承は認められないこの国では継承争いは存在せず、対抗勢力による犯行という図式が成り立たない。では国外はどうかというと、何十年も諸外国と良好な関係を保っており突然内政干渉される理由が見当たらない。この国の法律では未婚女性は単独で王位継承権を持たないため、次にメリットを受けられると考えられるのはエメセシル様の配偶者だが、エメセシル様の婚約者であるアレクス殿下にしたって、ユリウス殿下を亡くなった後に、エメセシル様の継承権を満たすため国内外で共同統治者になりうる人材を探したところ、未婚で年の近い近隣王族がたまたまアレクス殿下だっただけである。


 結局、ユリウス殿下は原因不明の病死と結論付けられた。


 だがエリックは、ずっとそのことに疑問を抱いているようで、このところ体調を崩しがちな国王陛下のことにも気になることがあるらしい。


 「確かに、今この国をかき乱して得する人間がいるとも思えない。内乱状態になって難民を受け入れるのを近隣国が喜ぶとも思えないし、陛下もエメセシル様もいなくなったとしてこの国の統治権を得られるような勢力というものが、中にも外にもいないんだからな」

 「そうよ、一体何をエリックは心配しているの?」

 「いや・・・だが俺達の思いもよらないところで、陛下や姫様に害をなそうという輩がいないとも限らない。俺達は常に最悪の事態を想定して備えておくべきだろう」

 「・・・そうね?」

 「まぁ、つまり姫様付きの近衛騎士として、お互いに気を引き締めて行かなくちゃな、と思ってさ」


 ―――結局要は、彼の頭はエメセシル様を守るという使命感でいっぱいなのだ。


 音楽が終わり、私達もダンスを止め組んでいた手を離し、礼をする。一瞬指先がかすめたその熱に切なくなっているのは、きっと私だけなんだろう。

 そしてまた、当然のように自分の持ち場に戻るのだ。


 「どう、息抜きになったかしら?」


 私達の様子を見守っていたらしい、エメセシル様が戻って来た私に声をかける。


 「なんてことはありません。最近体がなまっていたので、良い運動不足解消でした」

 「またそんなこと言って・・・素直に楽しめば良いのに」

 「お互い勤務中にあんまり気が抜けても困りますから」


 また私はいつも通り、平静を装って事務的に答える。本当は内心、最後まで私の格好に何の反応もない婚約者殿に落胆していたとしても。


 お気づきの通り、私は決して模範的な騎士などではない。

 もちろん、今の自分が与えられている地位や使命を誇りに思っているし、周囲からの評価も有り難いと思ってはいる。


 私が女だてらに騎士装に身を包み、剣を振り回していることにも周囲の反応は思いがけなくおおむね好意的であった。当然中には、貴族のお嬢様がはしたないとか、野蛮だとかいう奇異の目が無かったこともないが、王国騎士団の一師団を率い今は将軍位にまで就いている有力貴族を父に持つ私に表立って批判できるような人間はいなかったし、国王直々に正式な騎士として叙勲された後は、圧倒的に褒め称えてくれる声が多かった。


 皮肉なものね。私自身は、ただ好きな男の傍にいたいだけの小娘でしかないのに。


 私と同時に姫様付きの近衛騎士に指名されたエリックは、それまではどちらかというと嫌々騎士としての訓練を受けていたように見えたのに、突然人が変わったように自己鍛錬に勤しむようになった。以前は丸っこく可愛らしい顔立ちで、甘ったれでいたずら好きないかにもお坊ちゃま然だった彼は、みるみるうちに丸みが取れ凛々しく引き締まった大人っぽい顔つきになって行った。原因は分かっている。


 初めて、エメセシル様に拝謁した時からだ。


 エメセシル様は、私達よりも年下でまだほんの子供だったのに、すでに匂い立つような色気と見る者を魅了してやまない儚げな美しさは確立されていて、初めてお会いした時エリックだけではなく、何を隠そう私自身も正式な挨拶を一瞬忘れてしまい、見とれてしまったくらいだ。


 なのに、姫様本人の性格は人懐っこく、好奇心旺盛な幼い子供そのままでそのギャップがまた、ともすれば敬遠してしまいそうな現実離れした美貌を良い意味で打ち消して、その人間性でも人を惹きつけている。


 だから、エリックが心を奪われてしまうのも至極当然の結果だと言えた。


 想い人を守る、という使命が彼を騎士としての自覚に目覚めさせたことも、歓迎すべきことなのだと思う。名門貴族の出であっても、到底王女の婿になれるほどの身分は、エリックにはない。だから王女付き近衛騎士という地位が、彼に許される姫様に最も近い立ち位置であり、結果彼は誰よりもひたむきにその役割に徹している。


 本当に、姫様付きの騎士の一人になった後の彼の成長ぶりは、幼馴染とか婚約者である欲目を抜きにしても眩しいほどだ。冷静沈着な性格から、隊のリーダー的な存在として、私達をまとめあげ、的確な指示を出す彼は本当に格好いいし、以前は私より明らかに後れを取っていた剣術もめきめき上達し、普段の軍事訓練の時にたまに見える逞しい体にも惚れ惚れしてしまう。


 私との婚約を甘んじて受け入れているのも、彼にとって私が気の置けない幼馴染であるということに加えて、自分の仕事に理解があり決して口出さないという点において私以上に都合のいい相手はいないからだろう。


 私はそんな彼が、私を姫を守護する同志と認めてくれている以上、その彼の期待を裏切るわけにはいかないから、真面目な騎士を演じている。彼に、少しでも―――それが異性としてという意味ではなくても―――特別に思っていて欲しくて。


 これで姫様も自分の近衛騎士に身分違いの恋に身を焦がしていたりしたら、メロドラマ過ぎて目も当てられないけれども、幸い、姫様の方はエリックを特別視している様子はない。

 年頃の少女であれば、常に傍で守ってくれる存在に憧れたり恋心を抱いても不思議ではないが、近衛騎士隊の誰かをそういう目で見ている気配は全くないし、将来の配偶者であるアレクス様との関係もおおむね良好であるようだ。


 自分でも分かっている。狡いのは私も同じだ。


 彼が身分違いの恋に、苦しんでいるのをただじっと横で見ている。そして、待っているのだ。彼の気持ちが折れて姫様を諦める時を。

 だって、私達の婚約は揺るがない。解消する理由がない。


 安全な立ち位置から、いつか彼が―――それが貴族としての義務感からでも―――私を正式な妻として迎え入れ、口づけて抱いてくれる日を待ち続けている。


 そう、あと半年待ちさえすれば、私は晴れて彼の妻になれるのだから。


 ねぇ、だから、私からは絶対に、自分から好きだなんて言わないわ。あなたの愛を、自分から乞うこともしない。自分がこんなに面倒くさい女だと知られて、あなたに厭われたくない。そうなるくらいなら、信頼できる仲間だと認識されている方がずっといいもの。

 

 あなたの幻想の中にある騎士としての私でいい、私をあなたの世界に常に置いていてね。


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