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不真面目な騎士  作者: 青石めい
番外編 婚前狂詩曲(ルーシア視点)
17/25

第九話

 

 結局数時間経ち、宴がお開きになる時間になってもアレクス殿下は戻ってこなかった。今や招待客のほとんどが、すでに会場を後にしている。


 「……姫様、私達もお部屋に戻りましょう」

 「……でも、約束したわ。一緒にダンスを踊って下さると。お願いルーシア、……もう少し、待っていたいの」

 

 泣きそうな声で言われると、強くは説得出来ない。私も困惑して、どうしたものか口を引き結ぶ。……本当に、アレクス王子、一体どこで何をしているのかしら?守れない約束をするような方ではないはずなんだけど……。


 「ねぇ、エリック、少し周囲に様子を見に行ってもらえる?ここで待っていても、会場が閉じられてしまったらどうしようもないわ」

 「わかった」


 私が同じようにエメセシル様の警護で控えていたエリックに助けを求めると、エリックは一度考えたものの、間をおかず返事をした。

 素早い動きで会場を出て行くエリックを見送りながら、私はエメセシル様に視線を改めて向ける。その様子は心細そうで、その長い睫毛はずっと伏せられたままだ。


 ……それにしても、最近あまり自分の意志を貫く、といったことが減っていたエメセシル様にしては今日は驚くほどに頑なだ。どれほどアレクス殿下とダンスが出来ることを楽しみにしていたのか窺い知れる。


 その時―――。


 「ああ、いやね。すごい雨。雨で渡り廊下が滑りやすくなるから、特に夜に降るのは困るわ」

 「本当ね、あれだけ降ってたら視界も悪くなるし、何より屋根があっても横風で濡れてしまうし。たまに足を滑らせて大怪我をする人もいるじゃない?」


 早くも会場を片付け始めているらしい侍女の会話が聞こえて来た。エメセシル様がその会話にハッと顔を上げた。


 「まさか……アレクス様、足を滑らせて、お怪我なんてされてないかしら」

 「姫様……さすがにアレクス殿下に限って、そんな不注意はされませんよ」


 そんなことはありえない、と私が笑い飛ばしても、恋は盲目というのか、姫様はいてもたってもいられない、といった様子で心配そうにそわそわしだした。さっきから、首に掛けたネックレスのペンダントトップに手をやって、何とか気持ちを落ち着かせようとしているように見える。


 見ると、使用人達がついに装飾の撤去まで始めていた。楽団も既に姿を消してしまっていて、例え今アレクス殿下が戻って来てもダンスをすることは出来ない。


 「……姫様、やはり会場も閉められてしまうようですし、部屋に戻りながらアレクス殿下がどこにいらっしゃるのか聞いてみましょう?」

 「ルーシア……ええ……そうね、そうしましょう」


 自分で探しに行きたい、という気持ちが勝ったのか姫様はようやく重い腰を上げられた。部屋に戻る途中で、執事の一人にでも話が聞けたら、会えないまでも伝言くらいは頼めるかもしれないしね。


 私がエメセシル様を誘導しながら会場を出て廊下を歩いていると、今度はまた別の声が聞こえて来た。何か慌てたような様子で数人の騎士が、会場からすぐ出た廊下やその先の回廊を行き来している。


 「……おい、見つかったか?」

 「……いや、まだだ」

 「王太子妃殿下付きの侍女も知らない内に姿を消されたようだ」

 「化粧室に行かれたにしても、長すぎるぞ」

 

 その緊迫した様子に私もエメセシル様も思わず立ち止まる。

 

 会話の様子から、王太子妃殿下、つまりメルヴィナ様を探しているようだ。しかも騎士達の会話から読み取れるに、メルヴィナ様の姿が見えないのは数十分とかいう話ではないらしい。


 「……何かしら」

 「……分かりませんが、メルヴィナ様を探しているようですね。不審者でもいたのか、それとも事故でもあったのか」


 小さく呟いた姫様に私は迂闊な返事をしてしまったことを、すぐに後悔した。事故と耳にして、姫様はアレクス殿下への心配を深められたのか、急に早足になり私から離れるのも構わずに一人で歩いて行ってしまう。どうやら、騎士達が向かった先に姫様も後をつけようとされているようだ。


 「姫様!何が起こっているのかは分かりませんが、ひとまず部屋に戻りましょう。この王宮内で起こっていることはセイクリッドに仕えている者の領分であり、外国人である私達が関われることではありません!」


 姫様を押し止めるように、私はその行く先を塞ぐ。しかし、姫様は構わずに私の横を通り抜ける。


 「姫様!?」

 「お願い、部屋でじっとしているなんて、出来ないわ。せめて一目アレクス様のお顔を見なければ眠れないもの」

 

 そう震える声で叫んだ姫様は、再び足早に回廊を進んだ。片側が屋外に面しているその回廊では、雨粒が風にあおられ僅かに中にも入って来て柱や床を湿らせる。外を見ると、すっかり陽が落ちた月明かりもない闇の中、屋内から漏れる明かりに浮かび上がった木々が激しい雨風に煽られていた。


 華奢な背中が揺れるたびに、黄金の巻き髪も跳ねる。綺麗に整えられた髪も、衣装も、今の姫様にはどうでも良いのだろう。


 自分のドレスの裾が雨に濡れるのも構わず、姫様はひたすら進んで行く。その必死な様子に私も強く制止することは出来ず、その後を追って行くしか出来ない。


 「どうやら、離れの塔にいらっしゃるらしいぞ!何かアクシデントがあって閉じ込められているらしい!」

 「槌を持って来い、扉を壊した方が早いぞ!」


 再び、また別の騎士達の声が聞こえ、姫様はそちらに目を向ける。そしてその騎士達が示しているらしい、離れの塔へ続く階段をためらわずに駆け上がり始めた。


 「姫様!」


 私が叫んで後に続こうとした時―――、


 「ルーシア!?」


 エリックの驚いた声が聞こえた。思いがけない自分を呼ぶ声に、私も驚いて一瞬立ち止まってしまう。


 「エリック!?……マ、マティアス殿下!?」


 振り返ると、エリックの横には何故か王太子殿下の姿もあった。


 「アレクス殿下の行方を探して回っているうちに、お会いしたんだ。どうやら、メルヴィナ様も行方知れずのようで、マティアス殿下も心配して探されていたらしい」

 「エメセシル王女が、この先に昇って行かれたようだが……?」

 「……あ!そうなんです、姫様もアレクス殿下の姿が見えないことに居ても立っても居られないようで、ご自分で探しに……さっき騎士達がこの先の塔でお二人の内どちらかが見つかったような会話をされていて……」


 マティアス殿下の言葉に私も姫様が先に行かれたことを思い出し、慌てて説明をする。


 「何だって!?ルーシア、姫様をどうして止めなかったんだ!」

 「止めたわよ!でも、姫様いつになく頑なにアレクス殿下を探されて……」

 「この先は建付けが悪くなっていて、最近閉鎖された場所だ。……行こう。二人がいるかは分からないが、エメセシル王女が足を踏み入れるには危険だ」


 マティアス殿下の言葉に私達は青くなって、大急ぎで姫様を追った。


 ……姫様、どうか、冷静になって、怪我なんてされないことを一心に祈りながら私も階段を駆け上がる。


 その小さい塔は、気象観測のために使われていたようで、塔のてっぺんに小さな部屋があり、天気読みの職の者が交代で寝泊まりをしつつ観測する場所だったらしい。


 それほどの高さもないので、階段を駆け上がるとすぐに最上階に辿り着き、開けた空間の先に小さめの木の扉があった。その扉の前で数名の騎士がその扉をこじ開けようと試みているようだった。

 私達が追い付いたのと、姫様が最上階に辿り着いたのがほぼ同時だったのだろう。その騎士達は姫様の登場にも気づいていなかったようで、必死に剣を隙間に差し入れてこの原理でこじ開けようとしている。


 「俺達も手伝おう!」

 

 と、エリックがわずかに開いた扉の隙間に手をかける。私も加勢しようとして、その前に扉に駆け寄った人間がいた。


 「お、王太子殿下!?」


 そこで私達の出現に気付いた騎士達が、驚きの声を上げた。それにも構わず、マティアス殿下はエリックと同じように、隙間に手をかけ、二人で力一杯引いた。


 すると、だいぶ先の騎士達の努力で脆くなっていたのだろうか、その厚い木の扉が大きくひしゃげ、割れた。その扉の先には―――。


 「アレクス殿下!メルヴィナ様!」


 騎士達が歓声を上げた。


 しかし―――そこには、ご自分の上着を細い体を守るようにメルヴィナ様に巻き付け、その華奢な身体を抱きかかえ蹲っているアレクス殿下の姿があった。アレクス殿下の胸に頭を埋めるように、小さくなっているメルヴィナ様の表情は窺い知れない。


 「……アレクス様」

 「……メルヴィナ」


 エメセシル様と、マティアス殿下の小さく息を呑む音が重なった。


 エメセシル様がわずかに後ずさり、その小さな背中が頼りなく震えた。それはきっと、この空間の寒さのせいではないだろう。


 私も混乱していた。どうして、こんなに狭い部屋で、二人だけで抱き合うような形で閉じ込められていたの?


 「……どうやら助けが来たようだな。扉の鍵が勝手に締まっていたようでな、閉じ込められて困っていた」


 周囲の視線にも動じていないのか、いつもの口調でアレクス殿下は不機嫌に告げた。その腕の中で、弱々しく頭を起こしたメルヴィナ様が細かく震えていた。顔色も土気色に近い程悪く、唇も紫色になっている。


 「アレクス殿下……ここで、一体何をされていたのです?」


 その異常な状況に私が思わず、強い口調で問い質した。私の声は、狭い塔内に思った以上に反響した。


 「何をと言われても、ただ話をしていただけだ。お互いに何者かに呼び出されたようだが、その相手は待てど暮らせど来ず途方にくれていたら、雨風で体が冷えて敵わなかったからお互いを暖房代わりにしていたという訳だ」

 

 アレクス殿下は悪びれる様子もなく、事もなげに答えた。


 確かに、室内の窓が一部壊れていて、吹き曝しの箇所から雨風が容赦なく入り込んできており、部屋は異常に冷え込んでいる。だが、問題はそこじゃない。

 

 アレクス殿下の言葉に、エメセシル様への気遣いなどかけらもないことは、私をひどく失望させた。一体どれだけ姫様を振り回せば気が済むの?


 「アレクス殿下……宴は終わってしまったのですよ。姫様はずっと、殿下のお帰りを待っておられたのです」

 「ルーシア」


 私は感じる苛立ちのまま、なおもアレクス殿下に言い募る。エリックの制止の声も聞こえない。ふつふつと湧き上がって来る感情を、抑えておくことなど出来ない。


 「だから、閉じ込められていたと言っただろう」


 アレクス殿下は煩げに吐き捨て、メルヴィナ様と立ち上がると、その体をマティアス殿下に押し付けるように預けた。そして私の横で呆然と立っていたエメセシル様に向き直り、手を差し伸べながら歩み寄った。


 「……だが、ルーシアの言うことも一理ある。エメセシル、約束を反故にしてすまな……」

 「……触らないで!」


 パシンっという小気味のよい音が響いた。


 その音に、その場の全員が息を呑んだ。


 エメセシル様が、アレクス殿下から体を遠ざけるようにさらに後ずさり、その手を払ったのだ。後にも先にも、姫様が自分で手を上げられるところを見たのはこの一回きりだ。


 エメセシル様は、怯えたようなまるで壊れそうな危うい表情でアレクス殿下を見つめた。その唇が細かく震えている。


 「触らないで……!他の女性を触れた手で」

 「エメセシル……」

 

 エメセシル様は弱々しい声で、もう一度と繰り返した。その顔は蒼白で今にも泣き出しそうだった。アレクス殿下はその様子に、ハッとしたように表情を強張らせた。何かを言いかけて、しかし言葉にならない。その代わり、引っ込めた手をぐっと握りしめた。視線を落とした青い瞳が、濡れて汚れている姫様のドレスの裾に注がれ、眉がひそめられた。


 そうよ……姫様はあなたを心配して、雨に濡れた廊下を走って来たのよ。美しく結われていた髪だって振り乱して、一生懸命あなたを探していたのよ。


 そんな気持ちを踏みにじるようなアレクス殿下の言動に、腸が煮えくり返るような思いだった。


 「エメセシル様、違うのよ……!アレクスと私はそんなんじゃ……!」

 

 エメセシル様の興奮した様子に驚いた様子で、メルヴィナ様はご自身も顔色が優れないのに必死で何かを訴えようとしていた。しかし、耐えきれなくなったのか、姫様は体を大きく竦ませ首を振り、逃げるように階段を降りて行ってしまう。


 「姫様!!」

 

 私は泣きながら駆け出した姫様を、驚いて追った。


 「エメセシル!」


 私と同じように追おうとしたアレクス殿下に、怒りの頂点に達していた私は、カッとなって振り返り、思わず言ってしまった。


 「分からないんですか!?今の姫様はあなたの顔も見たくないんです!姫様のことは私が守りますから!アレクス殿下はどうぞ、お好きな方とお好きなようにお話しなさっていては!?」


 言うだけ言って、私はまた勢いよく姫様を追いかけた。私の言葉に固まったアレクス殿下を放置して。


 もう身分とか、礼儀とかどうでも良い、この物わかりの悪い大馬鹿者の異国の王子を蹴り飛ばしたいような心境だったけど、それよりも第一は姫様の身の安全だ。


 普段走ったりすることのない姫様なのに、もうその姿は見えなくなっていた。私は慌てて、今頃扉を壊すための槌を持ってやって来ていた騎士を見つけ、詰め寄る。

 

 「ごめんなさい、うちの姫様を見なかった!?」

 「お、王女殿下でしたら、この方向に走って行かれました、この先は別棟に続く渡り廊下があるだけで、今は雨に濡れて滑りやすくなっており、危険だとお止めしたのですが……」

 「ありがとう!」


 私はその騎士らの言葉が終わらない内に再び駆け出した。彼らが言った通り騎士達が指し示した渡り廊下の方に続く道は、奥に向かってより床が濡れており、足場が悪くなっている。


 怪我などされる前に何としても追いつかなければ!


 「姫様!」


 渡り廊下の前で行く手を遮る土砂降りの雨に途方に暮れ立ち尽くしていた姫様を見つけ、私はほっとしつつもさらに足早に駆け寄る。


 私の声に驚いた姫様は、一度私を見て、雨の中渡り廊下に出てしまう。危ない、雨で滑りやすくなっていると言うのに!


 「姫様!?」

 「……一人にして!……お願いよ、一人で、頭を冷やしたいの……」


 数歩、渡り廊下に踏み出した姫様を、風に煽られた雨が濡らしていく。でも、その頬を濡らしているのは、雨粒だけではなかった。私は躊躇わずに姫様の側に歩み寄る。雨が私の体をも濡らしていく。


 「一人になんてしません……!私がいつも側にいます。私は、姫様の騎士ですから」

 「……ル、ルーシア……うっ、うう……」


 姫様が驚いたように、そのエメラルドグリーンの瞳を見開いた。大粒の涙は今も次々と溢れて来ている。


 私が姫様の細い体をしっかり抱きしめると、姫様は私にしがみつくように体を縮こまらせた。小さな子供のように、姫様は声を上げて泣いた。私は子供をあやすように、その背中をさすった。


 「ルーシア……アルカディアに帰りたい……」


 か細い声で、エメセシル様はぽつりと呟いた。


 私は姫様が落ち着くまで、背中をさすりながら大切な姫様を傷つけたアレクス殿下へのさらなる怒りを募らせていた。






 ―――黄金の髪を、丹念に乾いた柔らかい布で乾かして差し上げる。


 あの後、少し落ち着かれたエメセシル様を部屋にお連れして、セイクリッドの侍女らが用意してくれた風呂に姫様に入って頂いた。私も姫様が入浴中に一度部屋に戻り、濡れた服を着替え身支度を整えた。そして、湯から上がり室内着に着替えられた姫様の御髪を整えて差し上げているところだ。


 エメセシル様は黙ったまま大人しく、椅子に座って鏡台の鏡を眺められていた。まだその目元はやや赤く腫れている。


 「……ルーシアまで、雨に濡れさせてしまったわね、ごめんなさい」


 ぽつり、と呟き済まなさそうに姫様は肩を落とした。私は驚いて、鏡越しに姫様を見つめた。 


 「そんなこと、気になさらなくて良いのですよ」


 当然、私がすぐにそう言うと、姫様は僅かに瞳を細めた。


 「ルーシアがいてくれて、本当にどんなに心強いか、言い表すことが出来ないわ。いつも私のわがままを聞いてくれてありがとう」

 「……まぁ、私と姫様の仲じゃありませんか、水臭いこと仰らないで下さい」

 「……そうね、ルーシアは私にとって本当のお姉様のようなものだわ。いつでも、どんな時でも、私の味方でいてくれる」

 「もちろんです」


 ふふ、と小さく笑った姫様が再びエメラルドグリーンの瞳を少し、思案するように揺らした。あらかたの水分をふき取り終わり、私は香油を姫様の髪に丹念になじませていく。


 「……やっぱり、私、もうアルカディアに戻ろうと思うの」


 私の作業を鏡越しにじっと見守っていた姫様が、唐突に切り出した。その瞳は前を見据えているが、焦点は結ばれていないようにどこを見つめているのか分からない。

 

 「……え?」


 戸惑い、目を瞬かせた私を気にもせずに、姫様は感情の籠らない声で続けた。


 「セイクリッドの国王陛下にもお会いできそうにないし、あんまりアルカディアを空けてもおけないわ。お父様のお手伝いもしなくてはならないし」


 まるで、自分で確認しているかのように、淡々と理由を述べた姫様にきっと何かお考えがあるに違いないと、私は動揺を隠しつつも、作業をする手を止めなかった。


 「……では、アレクス殿下にはどう伝えられますか?」

 

 御髪を櫛で梳かしつつ、私は探るように尋ねた。

 

 「アレクス様には、このままセイクリッドに残って頂けば良いと思うの。今後のことはいずれ話し合う必要があるのかもしれないけれど、あの方はこの国に必要な方だもの、無理にアルカディアに婿に来て頂く必要はないと考えているわ」

 「……姫様!?それは、アレクス殿下と婚約を解消されようと思われているということですか……?」


 無表情を保ったまま、告げた姫様の言葉に今度こそ私は驚き、思わず手を止めた。


 「ルーシアも感じたでしょう?セイクリッドに来た最初の日に、アレクス殿下がどれだけご自分の国を誇りに思われているか、そして国民に臣下に愛されているか。そんなアレクス様にアルカディアでこの先一生を過ごして下さいなんて、とても言えないわ」

 「でも、アレクス殿下ご自身がすでに納得され、決断されていることです!!」


 つい、声を張り上げた私に、エメセシル様はやや俯き加減に視線を巡らせた。


 エメセシル様がどういう判断から、この結論を導き出されたのか分からず、私の方が混乱してしまう。先程の、アレクス殿下の裏切りともとれる無神経な振る舞いに腹を立てられているなら、まだ理解出来た。でも姫様の様子はあくまで落ち着いていて、まるで無機質な人形のような様相さえ見て取れた。


 「……それは、お兄様が遺言で私の事を託されたからだわ。今まで、アレクス殿下とお兄様の友情にどれだけ甘えていたのかと思うと、自分が恥ずかしいわ。王位継承にしても、先日のクーデターのことにしても、全てアルカディア国内の問題なのだもの、自分達の力で解決しなくてはいけなかったのに」

 「姫様……、アレクス殿下は、決してそんなことお気になさらないと思います。誰かに助けを求めることは、決して悪いことではないのですよ?」


 私の言葉に、そこで初めて、エメセシル様は表情を歪め、揺れ動く感情の片鱗を垣間見せた。


 「……いいえ、そんな頼りない指導者では、国民が可哀そうよ。……そもそも、女は夫に支えられなければ王位に就けない、なんてアルカディアの法が間違いなのよ。アルカディアに戻って、私が単独でも王位を継承出来るよう、法改正を提案するつもりよ」

 「それには異議はありませんが……でも、姫様、アレクス殿下とのことをうやむやにしたままで、アルカディアに戻るおつもりですか!?」


 突然アルカディアの法の矛盾について言及した姫様に、私はさらに混乱する。確かに、男性王位継承者がいない状態で止むを得ず女性王族が王位継承する場合にさらに条件を課すアルカディアの法律に、私も疑問を感じてはいたけれど、男性優位の根強いアルカディアで法改正をしようとなると、アルカディア議会も大荒れになるだろうし1年やそこらで改正できるような内容でもない。そのこととアレクス殿下との関係を同じテーブルに上げるのはどう考えても無理がある。


 それに、何よりも大事なのは姫様の気持ちのはずだ。私の問いかけに黙ったままの姫様の前に移動した私は床に膝を着き、その顔を正面から覗き込んだ。


 「……だって、姫様、アレクス殿下のことが、お好きなんでしょう?」


 率直に問うと、その表情は苦し気に陰る。しばし口を引き結んだ姫様は押し黙る。


 「……そう、だと思うわ……でも、だからこそ、この気持ちをもうこれ以上育ててはいけないのよ……」

 「……!何故です!?せっかくこれまでアレクス殿下と築いてきた信頼を、捨ててしまうんですか?」


 声を抑えて呟いた姫様の手を私は掴み、声を張り上げた。姫様は、私から顔を背けるように、体をそらした。


 「だって、あの方をこれ以上好きになってしまったら、私はただの女になってしまって、あの方以外を夫として受け入れるなんて出来なくなってしまう。今日の私の醜態をルーシアも見たでしょう?冷静さを失って、回りの声も聞こえずあの方の姿を探してしまった」

 「醜態なんて、思いません!恋をすれば、だれでもそうなります!私だって……」

 「ルーシア、私は将来の女王なのよ。お兄様も生前常々言われていたでしょう、王族は恋愛感情で結婚は出来ないのよ。私に必要なのは、アルカディアを正しく導く力と、それを助けてくれるパートナーよ。アレクス様は有能な方だけど、彼でないといけない理由はないわ。セイクリッドの王位継承が不安定な今、アレクス様を私の配偶者としてみなすわけにはいかないもの」

 「姫様……」


 一人の女性としてより、将来の女王としての価値観を優先させるエメセシル様に、私はそれ以上どう言っていいのか分からなかった。


 「明日、アルカディアに帰るわ……そして、お父様にも相談して、私達の婚約を凍結して頂く。そしてアルカディア議会に、女性王族の単独の継承権を提唱するわ」

 「……姫様は、それで良いのですか?」


 私が、確認するように問いかけると、エメセシル様は一度押し黙る。エメラルドグリーンの瞳が、悲し気に揺れた。


 「……いいのよ、私は、アルカディアに人生を捧げると決めているのだもの」


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