第六話
初めて訪れるセイクリッド王宮はさすがに歴史の古いこの国に相応しく、威風堂々とした重みのある豪華さがあった。アレクス殿下の説明があったように、複数の民族が共同で国を興した背景からだろう、その装飾や建築様式はいくつもの文化が融合して生まれたような、どこか独特な魅力を放っていた。
ジークがセイクリッドの王国軍の一騎士団を連れて私達一行を迎えに来てくれたおかげで、あの後はトラブルに巻き込まれることなくスムーズに王宮まで案内してもらえた。もちろん、一度例の宿に戻り、服装は戻している。
アルカディアの王宮よりも随分と天井の高いドーム型の空間を進んでいると、これまた美しい装飾に飾られた柱と柱の奥に、鮮やかな緑の木々と噴水がそこかしこに設けられているのが見えた。
「ジーク、父上の容態はどうなんだ」
父親の見舞いよりも観光を優先しておきながら、ぬけぬけとアレクス殿下は自分達より先にセイクリッドに戻っていた護衛騎士に尋ねた。ジークは苦笑いを浮かべながら、横を歩くアレクス殿下に頷いた。
「……は、それが、私めも2日前に到着はしたものの、陛下へのお目通りは叶わず……王妃殿下のお指図により、現在は医師以外は王太子殿下、王太子妃殿下さえも面会を許されておりません」
「……何だと?……母上も一体、何を考えている……。まぁいい、直接行けば分かることだ」
アレクス殿下は訝しるように口元を歪めるも、後ろに控えていたエメセシル様にすぐに振り返った。
「エメセシル、王宮の案内は後回しで良いな?これから父上の私室に向かう」
「はい、アレクス様」
アレクス殿下の呼びかけに、エメセシル様は素直に首を縦に振った。アレクス殿下がエメセシル様の手をとり、誘導しながら再び回廊を進み始めた時―――。
「男の癖にうじうじと情けない!周囲の声に影響されてばっかりで、あなたには自分の意見というものがないの!?」
という、良く通る若い女性の声が聞こえて来た。この気が強そうな声、どこかで聞いたことあるわ……。
「……メルヴィナか?」
アレクス殿下が声のした方に呼びかけながら歩み寄って行くと、柱の陰で見えていなかった庭園の奥の広場のようなところに、まるで神話の世界からそのまま出て来たような美男美女がいた。
女性の方は、鮮やかな銀糸の巻き毛と、真紅の瞳透き通りそうな白い肌、月の女神を体現したかのような妖艶さ―――メルヴィナ様に間違いない。
そして、その彼女に向かい合わせで立っている、少し困惑したような表情を浮かべた男性がいた。―――その彫刻のようにどの角度から見ても非の打ちどころのない完璧な造形美、魔性を放つ金色の瞳に、緩くウェーブがかった背中まで伸びる漆黒の髪……中性的なその容貌は驚くほど現実離れした美しさを持っていた。翳りのある表情がまた、その白皙に凄みを加えている。
これほどに美しい、という形容詞が似合う男性を未だかつて私は見たことがない。思わず言葉を失い、魅入られてしまった。
ポーっと立ち尽くしてしまっていた私は、ふいに背中につんつん、という指先でつつかれる感触を覚え、ハッとして横に目を向けた。そこには、むすっとしたエリックの顔。
あ、やきもち焼いているな……。
「……アレクス、帰っていたのか」
「……兄上。……父の見舞いのためです、すぐにまたアルカディアに戻ります」
どうやらアレクス殿下は兄と呼んだその男性を苦手としているらしかった。兄ということは、つまりこの男性がセイクリッドの王太子であり、メルヴィナ様の夫君ということで間違いないだろう。
「そちらの方々は……」
「俺の婚約者、アルカディア王国王女エメセシルと、その近衛騎士の者達です」
アレクス殿下の背後にいた私達の存在に気付いた王太子殿下は、アレクス殿下に問いかけるとアレクス殿下がエメセシル様を自分の隣に呼び寄せた。
「お初お目にかかります、王太子殿下。私はアルカディアの王女、エメセシルと申します」
優雅な仕草でエメセシル様が挨拶をされると、王太子殿下は世にも珍しい金色の瞳で柔らかく微笑んだ。
「これは、遠路はるばる良くお越し下さいました、エメセシル王女。私はセイクリッドの王太子マティアスと申します」
そう言ってエメセシル様の手の甲に口づけたマティアス殿下の姿も、実に雅な光景だった、のだけど、見るとアレクス殿下もメルヴィナ様も何か酸っぱい物でも食べた時のような、複雑な表情をしている。
そういえば、さっきメルヴィナ様がマティアス殿下を責め立てるような言葉を発せられていたけれど……。
「アレクス、やっと来たのね。エメセシル様も、ちょうど良かったわ。ここにいるマティアスが、議会がアレクスを王太子にと望むなら自分は臣下として仕えても構わない、なんて言うのよ!本当に根性のないこと!あなた達からもなんとか言ってやって頂戴!!」
「メ、メルヴィナ……来たばかりの客人に、そんな話は……」
「あなたが情けないからでしょう!!」
マティアス殿下とエメセシル様の挨拶が終わるかどうか、というタイミングで早速空気を読まないメルヴィナ様の鋭い意見が飛んで来た。少し慌てた様子のマティアス殿下が、やんわりとたしなめようとするのだけれど、逆にピシャリと言い返されてしまう。
それにしても、今のメルヴィナ様の話だと、王太子殿下であるマティアス様ご自身が議会の追及に説得されかかっているということ?ちょ、ちょっと!万が一アレクス殿下がセイクリッドの王位を継ぐ、なんて話になったら将来のアルカディアの女王になられるエメセシル様と、アレクス殿下の婚約は白紙になってしまうのだけど!?
「……悪いが、兄上の覚悟の問題について俺に問われても困る。俺は間もなくアルカディアに婿に入る。今更セイクリッドの王位継承問題に巻き込まれるつもりはない」
水を向けられ機嫌を悪くしたらしいアレクス殿下は、話をさっさと切り上げ先を急ごうとエメセシル様に促す。しかし、そのアレクス殿下にマティアス殿下が足早に歩み寄った。
「アレクス……!しかし、お前も分かっているだろう、お前ほど愛されている王族はいない。国民も臣下もみなお前が王位を継いでくれるように望んでいる、それにメルヴィナのことも……」
「兄上。あなたが自信のない言い訳に、俺を使わないで頂きたい。足りないものがあると思うなら補う努力をされたらどうか」
アレクス殿下は冷たくマティアス殿下を一瞥し、にべもなく会話を打ち切った。
「先を急ぐので、失礼する」
そして今度こそ、エメセシル様の手を引いて再び歩き出してしまった。私達もマティアス殿下とメルヴィナ様の様子を気にしつつも、後に付き従う。
マティアス殿下はそのアレクス殿下の後姿を、苦し気な表情で見つめていた。
―――アレクス殿下は沈黙したまま、私達を引き連れセイクリッド王宮内を足早に進んで行く。私は5日間に渡る馬車旅のあと、セイクリッドに着いてからも休みなく移動しっぱなしのエメセシル様の疲労している様子が気にかかっていた。本当なら、国王陛下に面会を申し出る前にエメセシル様に休息をとらせてあげたいところなのだけれど、国王陛下の容態も不明な状態ではやはりアレクス殿下の判断に任せる他はない。
長い回廊を抜けて王宮の奥深くまで来たかというところで、離れのような空間に差し掛かった。庭園とはまた別の植木と優美なタイルで造られた囲いに、その内側に大理石と白いレンガで建てられた別棟がある。あれが、国王陛下の居室なのだろうか?
囲いの入り口で守りを固めている衛兵達が、アレクス殿下の登場に色めき立った。
「ア、アレクス王子!帰っていらっしゃったのですね!」
「お、王子、生憎ですが王妃殿下のご命令で、医師以外はお通しすることが出来ません!」
アレクス殿下をの前を塞ぐように立つ彼らに、アレクス殿下は舌打ちした。
「何を寝言言っている。息子が父を見舞うのに、なぜ許可など必要なのだ」
そのまま衛兵を力任せにどかそうとするアレクス殿下の勢いに、その場にいる一同が騒然となる。私もエリックと目を見合わせ、どうしたものか逡巡する。
「ア、アレクス様……どうか穏便に」
エメセシル様が見かねて、衛兵を突き飛ばしかねないアレクス殿下を嗜める。そのエメセシル様の言葉に、さしものアレクス殿下も若干勢いを削がれる。
「―――国王陛下に面会することはまかりなりませんよ、アレクス」
その時、非常に厳格な響きを持つ女性の声が、突然投げかけられた。
「……母上」
アレクス殿下の呟きに私達は驚いて声の主を見た。
そこには、40代前半と思われる厳しい空気を纏った女性が立っていた。細身ながら、背筋がピンと伸ばされた隙のない立ち姿、けして派手な装いはされていないのに上品で威厳のある雰囲気は、ただそれだけで見る者をひれ伏させるような凄みがある。色味こそ違うものの、そのアレクス殿下とそっくりな切れ長の瞳と表情に乏しい顔立ちは、間違いなく彼女がアレクス殿下の母でありセイクリッド王国、王妃殿下であることを知らしめた。
アレクス殿下の顔が苦虫を嚙み潰したような、苦渋に彩られる。マティアス殿下に会った時の比ではない、明らかにアレクス殿下が動揺しているのが分かった。実の母親なのに、苦手にしているらしい。
「母上、何を考えているんです。もし父上の容態が思わしくないと言うなら、せめて一目でも息子に会わせたいと思うのが母心ではないのですか?」
「まぁ、アレクス、あなたが家族愛などを語るようになったなんて母は驚いていますよ。前は王宮が窮屈だと、よく抜け出していたくせに」
まるで見る者の心を見透かすような目で、実の息子を冷たく見つめた王妃殿下は口元を扇で覆いながらにべもなく返した。
「それとこれとは話が別でしょう」
「どちらにしても、今あなたに国王陛下の寝所に入ることは許しませんよ。医師達が付きっきりで陛下を治療して下さっているのです、その邪魔はさせません」
食い下がったアレクス殿下に、王妃殿下は取り付く島もない。
「それより……」
王妃殿下はアレクス殿下からそらした視線を、その斜め後ろに向けた。
「あ……王妃様、私は……」
「アルカディアのエメセシル王女ですね。私はセイクリッドの王妃ダズリン、今回は内々の訪問でしょう、堅苦しい挨拶は結構ですよ」
正式な礼で挨拶をしようとしたエメセシル様を、王妃殿下は片手で持った扇で制してしまう。思いがけない反応に、エメセシル様は困惑するばかりだ。
何と言うか、この息子にしてこの母親あり、ね。強引で人の話を聞かないところがそっくりだわ。
「アレクス、エメセシル王女は見るからにお疲れではないの、こんなところで油を売ってないではやくお部屋にお連れしなさい」
父親の見舞いに来ている息子にこんなところで油を売っている、なんて……普通言わないわよね。父親の見舞いより婚約者に観光案内をした息子も息子だけど。やっぱりこの親子、独特の神経しているわ。
―――結局、アレクス王子も実の母親にだけは逆らえないのか、この日は国王陛下の見舞いは叶わず、私達は用意された部屋に案内された。