第五話
アレクス殿下は実に慣れた様子で、迷うことも無く広大なセイクリッドの王都の街並みを歩いて行く。アレクス殿下とエメセシル様の二人の後を、少し離れた距離で私達は付いて行っていた。
私もエリックもそれぞれの休暇や任務で、アルカディアの王都を歩いて回ったことは何度もある。アルカディアの王都もそれなりに商業の主要都市にはなっていて、多くの外国の商人が行き交う賑やかさはあるが、セイクリッドのそれはアルカディアの比ではない。さすが国の起源に商人が携わっていたこともあり、セイクリッドの王都の3分の1を占めるバザールは周辺国では最大規模と有名だ。
そしてもちろん、交易が盛んに行われていると言うことは、仕事を求めて国内外のあらゆる人々が集まって来ると言うことでもある。セイクリッドの国民以上に外国人が多いと言うのも、セイクリッドの王都の特徴でもあった。
「アレクス様じゃないですかー!おかえりなさい!」
「あら、いつ帰って来たんです?」
「まぁ、今日は随分可愛らしい人をお連れなんですね」
「アレクス様、うちの新作のお菓子試してみて下さい」
私達の目の前で、意外なほどアレクス殿下は街の人々に気軽に声をかけられている。
普段表情に乏しく何を考えているのかいまいち分からないアレクス殿下なのに、国民にはとても慕われているようだ。
アレクス殿下は「ああ」「そうだ」とか短いそっけない返事を返しているものの、周囲の声を決して無視することはなく一つ一つ、律義に対応していた。そのことは私達にアレクス殿下の今まで知らなかった一面を教えてくれる。
そして、そのアレクス殿下に手を引かれながら、エメセシル様がちら、ちらとそのアレクス殿下の深い青い瞳に視線を向けていることに私は気付いていた。そしてアレクス殿下と組んでいる方の腕に、はぐれないようにさらにもう一方の手を添えた時に、少しだけ照れたように睫毛を伏せて淡く微笑んだのも。
……姫様?もしかして……。
―――やがてある屋台に目を留めたアレクス殿下が、何やら店主と話して数枚の銀貨を渡した。へぇ、アレクス殿下、ご自分で買い物もされるのね。
すると店主が笑顔で、飴とキャラメルで棒状に固められた木の実を紙で包み、アレクス殿下に手渡す。アレクス殿下はそれをエメセシル様に差し出す。
「これはセイクリッドの伝統的な菓子だ。美味いぞ、試してみるがいい」
「……まぁ」
エメセシル様はエメラルドグリーンの瞳を丸く見開き、ぱちぱちとその棒状のお菓子を見た後、嬉しそうに両手で受け取った。エメセシル様がそれを齧ると、サクッという小気味良い音が鳴った。アレクス殿下はそれを満足そうに見た後、店主からもう一本受け取り自分も齧った。
「……ねぇ、なんか、お二人いい感じね?」
「……ああ、どう見ても恋人同士にしか見えないよな」
私とエリックは少し離れたところから様子を見て、こそこそと耳打ちし合う。
「エリックは、アレクス様はエメセシル様を好いてらっしゃると思う?」
「……確信はないが、たぶん」
お二人には聞こえないボリュームでエリックに問うと、エリックも真面目な顔で頷いた。
「私も、エメセシル様はアレクス様に惹かれてらっしゃるんじゃないかと思うのよ」
「……どちらにしても、俺達はむやみに口出しせず、見守るのがいいだろう」
「……そうね」
エリックはほんの少し思いを巡らすように、神妙な表情をしたが、前と同じ意見を繰り返した。私も素直に同意した。
そうして私達は屋外の大型市場バザールに足を踏み入れて、お二人のあとをつかず離れずの距離であとに従う。しばらくはお二人の楽しそうな様子にちゃんと目を向けていたのだけれど、私達も初めて見る大きなバザールについつい興味を引かれてしまう。
「すごいわね、見たことのないものがいっぱいだわ」
「……ああ、まさにここに無いものは無いという感じだな」
ガラス細工の水差し、真鍮の置物、異国のタペストリーに白磁の陶器……ありとあらゆる珍しい物に私達は一回一回感嘆の声を上げる。
こうやって二人で手を組んで歩いていると、長期休暇を頂いた最初の週にアルカディア王都の城下を二人で見て回ったことを思い出す。実のところ、従者も連れず王都内を二人きりで歩いたのもそれが初だった。成人する前から同じ近衛騎士隊に所属していた私達が同日の休みを取れることはほぼなく、結婚前までは私とエリックが二人だけで私用で出かける機会自体、滅多になかったのだ。
まぁ、思い出すと言ってもほんのつい数週間前のことだ。その時のくすぐったい気持ちと、むやみに舞い上がってしまった気持ちはまだ私の中で鮮明で、今もこうやって腕を組んで歩いているだけで、無性に楽しくなって来る。
ちらりと横を歩いているエリックの顔を盗み見ると、彼もご機嫌な様子だった。
きっと今回の任務を除けばまたエリックと二人でこのセイクリッドのバザールを見て回れる機会なんて、この先そうそうないだろう。そう考えると、記念に何か一つくらい買い求めてもいいかもしれない、なんて私が考えていた時―――。
「まずい、エメセシル様達を見失った!」
私と同様に周囲の屋台に一時意識を奪われていたらしいエリックの焦ったような声が聞こえ、ハッとなった。
「うそ、お二人はどっちにいったのかしら!?」
瞬時に自分の迂闊さに青ざめ、慌てて二人の姿を探す私達。なんてこと……二人して気を緩めてしまうなんて、近衛騎士失格だわ!
バザール内は商人、地元の買い物客、旅人で混雑を極めている。そもそも地元の人間でない私達はどの道がどう繋がっているかすら定かでない。こんな状況で二人を見失ったことは、致命的な失態だった。
「ルーシア、とにかく、俺達もはぐれてはさらに面倒なことになりかねない。お二人も人並みに逆らって動いてはないはずだ。このまま二人で周囲に気を配りながら進もう」
「ええ、わかったわ」
完全に慌ててしまっている私よりは幾分冷静に、エリックは周囲の人々の動きを見て判断したらしい。私達は手を握り直し、ごった返す人込みで分断されないように体をぴたりと寄せて歩いて行く。
「おそらく、さっきのお二人の歩調であれば、200メートルと離れていないはずだ」
意識を集中させて辺りを見回しているのだけれど、国際色豊かなこの街では、様々な人種の人々が色とりどりの衣装に身を包んでいるものだから、容易に見分けはつかない。しかもお忍びでの街歩きという目的のため、そもそもエメセシル様もアレクス殿下もいつもよりもだいぶ地味な装いをされている、なかなか見つけられず私達が焦りを感じ始めていた時―――。
「なんだてめぇ、偉そうに!言いがかりをつけるつもりか?!」
ひと際野太い声が人波の奥から聞こえて来て、反射的に私もエリックも意識を奪われる。
「言いがかりではない。貴様が確かに店の商品を懐に入れたのを俺は見たぞ」
間髪入れずに、まったく動じた様子もない涼しい声が同じ方向から聞こえて来た。
「ア、アレクス王子!?」
その声の持ち主に思い当って、私とエリックは目を見合わせ、すぐにそちらに進行方向を変えた。しかし、すでに周囲の人も往来の小競り合いに興味をそそられたのか足を止め人垣を作り始めており、思うように進めない。
「身に覚えがないなら、その上着を脱いで見せろ。何も出なければ謝罪してやる」
「誰がてめぇの命令なんかきくか!おい、俺は仲間と来てんだぞ、痛い目見てぇのか?」
だんだん耳に飛び込んで来るその人物達の会話が物騒なものになって来る。ちょっと、エメセシル様がいるのに何やってるのよ、アレクス王子!?
「……アレクス様!」
ついで、不安そうなか細いエメセシル様の声も聞こえて来た。やっぱりアレクス王子がこの騒動の中心にいるのは間違いない!私とエリックはますます色めき立って人垣を掻い潜って進む。
「……なんだ、てめぇ女連れじゃねぇか……おお?!すげぇ美人だぞ!?」
「おい、こいつ叩きのめして彼女と遊ぼうぜ」
「お嬢ちゃん、そんなひょろい奴じゃなく俺達が本当の男を教えてやるぜ」
男達の下卑た声に、私は頭に血が上るのを隠せない。下賤な男どもが大切な姫様に視線を送ることだって許せない。思わずエリックと繋いでいる手にも力が入る。とうとう私は辺りの人を突き飛ばすように強引に進む。
「エメセシル様!」
私が叫ぶのとほぼ同時だったろうか、何か固いものが激しく衝突する音が立て続けに響くのと「……ぐぉっ!!」「がっ!!」「ぇぐっ……」という低いくぐもったうめき声が聞こえたのは。
「ルーシア!エリック!」
「姫様、無事ですか!?」
私達がようやく人込みを抜け騒動の起こっている場所に辿り着いた時、そこには顔色一つ変えていないアレクス殿下とその目前に重なり合うようにのびている大柄な、人相の良くない男達が3人いた。倒された衝撃か、その男達の懐からいくつもの値札が付いたままのネックレスや髪留め、宝石のついた小箱などが転がり落ちている。どうやらアレクス殿下達の後方にある露天商は宝飾品を扱っている店らしく、男達はその商品を転売目的でくすねたらしかった。
アレクス殿下の後ろで小さく縮こまっている姫様に私は急いで駆け寄った。
「申し訳ありません、途中お二人を見失いまして!」
私とエリックがいない間に、アレクス王子とごろつきの衝突に巻き込まれ、怖い思いをしただろう姫様に、誠心誠意詫びる。
「私は平気よ……ちょっとびっくりしたのだけど」
エメセシル様は私に小さく頷くと、私のワンピースの袖を両手で掴んだ。
「殿下……この者達は?」
「ああ、エリック遅かったな。なに、心配はいらん。よくある流れ者が不届きを働いたのを、懲らしめてやっていただけだ」
アレクス殿下の口ぶりだと、こういったことは殿下が街にお忍びで出かけるたびに良く起こっているのだろう。何も王子本人が警邏隊のような真似事をしなくても……。でも私は予想以上に戦闘慣れしているアレクス王子に内心舌を巻いていた。エリックも同様に狐につままれたような表情をしている。
「喧嘩をしているのはどこのどいつだ!!」
「騒ぎを起こすなんてけしからん、ひっとらえろ!!」
すると、人込みの奥からまた別の団体の怒りに満ちた声が聞こえて来た。どうやら本物のセイクリッドの警邏隊のようだ。
「お前らか!!」」
「詰め所で話を聞かせてもらうぞ!!」
こともあろうに、顔を真っ赤にしたその警邏隊員たちは先に事情聴取を行うこともなく、のびている男達と私達を一緒くたに捉えようと足早に近寄って来た。
「ちょっと、誤解よ!不届きを働いたのはそこの男達だけだわ!」
「待て、俺達の話を聞いてくれ!」
私とエリックがお二人を庇うように立ち塞がり、何とか穏便に済ませようと交渉を試みるのだけど、すでに頭に血が上っているらしい警邏隊の男達は聞く耳をもたず動きを止めなかった。
「仕方ないな、話して分かる相手じゃなさそうだ」
「そうね。これ以上騒ぎを大きくしたくないけど……」
私とエリックは目くばせをして合図をすると、エリックが預かっていた私の愛剣を投げて寄越した。
私達も武器を持っていることに気付いた警邏隊員たちはサーベルを抜き、威嚇するように襲い掛かって来る。私とエリックは鞘のままの剣で難なく男達の攻撃を弾き返すと、そのまま流れる作業で急所を強打して男達をあっという間に地面に転がしていた。
「アレクス殿下、エメセシル様、宿に戻りましょう。こんな大騒ぎになった以上、観光を続けるのは無理です」
「え、ええ……そうね」
エリックが二人を誘導するように呼び掛ける。そうね、こうなったら一刻も早く宿に戻らなくちゃ!
エメセシル様とアレクス殿下を急かすように私とエリックとで脇を固めて歩き始めた時―――。
「おーい、道を開けろー騎士様達がお越しだぞー!!」
「軍隊が来たぞー!!」
と口々に人々が騒ぎ出しその奥から複数の蹄が地面を蹴る音が聞こえて来た。
ええ!?往来の小競り合いに軍隊まで出動するの!?と、私とエリックに動揺が走る。セイクリッド王国軍に変な言いがかりをつけられたら堪らない、とどう切り抜けるか頭を巡らせていたところ、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「……殿下、お迎えに馳せ参じてみれば、早速面倒ごとを起こされているようで」
その心底呆れ返っているような男性の声を聞いて、そう言えば、エリックが今回この旅に同行した経緯として、アレクス殿下が自分の部下を王太子妃メルヴィナ様の護衛につけて先に帰国させていたのだと、出発前にエリックが言っていたことを私は思い出した。
私達が振り向いた先には、張り付けた笑みを浮かべつつ、口の端を怒りでひくつかせているその人物、恐らく破天荒なアレクス殿下の言動に、過去にこれまで一番振り回されて来たであろう殿下の乳兄弟にして護衛騎士、ジークの姿があった。
このシリーズの世界観はなんちゃってな中世から近世あたりの西洋風、なのですが、色んな国のイメージをミックスさせているので、ちょっとごちゃごちゃになって来てしまいました……。アルカディアの方が由緒正しくお堅いイメージ、セイクリッドは雑多で活気のあるイメージです。