第四話
セイクリッド王都までの道中をアルカディア王室所有の馬車で揺られながら、私達はアレクス王子にセイクリッド王室について前もって質問をすることにした。
今回は急遽決まった訪問ということであくまで非公式の旅行になる。馬車も傍目にはアルカディア王家のものとは分からない意匠のものだし、エメセシル様、アレクス王子に付き従っているのも馬車を引く御者を除けば、私達夫婦だけだ。
「……アレクス殿下、今回のセイクリッドの訪問は怪我療養されている国王陛下への見舞い以外にも、別の目的があると耳に致しましたが本当でしょうか?」
やにわにエリックが切り出した疑問に、私とエメセシル様に向かい合わせに座っているアレクス殿下が少し不機嫌な顔になった。
「……メルヴィナが言っていたことについては気にするな。セイクリッドの王位継承問題はとうに決着している」
「……しかし、セイクリッドの議員の間で意見が割れているとメルヴィナ様は仰っていましたけど?」
エリックを援護射撃するように私はつい、口を挟んでしまった。エメセシル様も言葉は発しないまでも、関心を向けられているのは間違いない。膝の腕で組まれている両手に力が入っているもの。
「……それはな、本来は俺が王太子候補として育てられていたからだ」
「……まぁ」
目を丸くした姫様が、小さく感嘆の声をあげる。アレクス殿下はエメセシル様の好奇心に彩られた視線を受け止めて、話をうやむやに流すことは出来ないと思ったのか、窓枠に肘をつき面倒そうに眉をしかめるものの、言葉を続けた。
「……俺と兄王太子マティアスは、数ヶ月しか歳が違わない。俺が正妃の子で、マティアスが妾腹の子だからだ」
「……!」
一同が息を呑む音が重なる。
「曲がりなりにも正妃との王子であった俺は、生まれた時から多くの忠臣に囲まれて何不自由なく育った。だが、マティアスの母である側妃はマティアスを産んで数年のうちに病で死んだ。元々身分の低い家の出で、父上からの愛情以外大した後ろ盾を持たなかった側妃の子供ということで、マティアスは父に王位継承者に指名されるまで、ほとんど存在を無視して育てられたのだ。俺も奴が王太子に指名されるまで、腹違いの兄がいることは知っていたが、王宮の外で暮らすマティアスとは顔を合わせたことはなかった」
アレクス殿下が淡々と語るセイクリッド王室の内情は、アルカディアで生まれ育った私達には想像しがたい内容だった。
一夫一婦制が原則であるアルカディアでは例え王族であっても、複数の妻を持つことは許されない。もちろん、非公式に愛人を抱える貴族もいなくはない、しかしそれは決して表に出すことはアルカディアでは許されない。その相手と子供を設けるなんてもってのほかだ。アルカディアでは上流貴族の多くが、そのモラルを固く守っているのだ。
「まぁ……それは、お可哀そうに。兄上様、お辛かったでしょうね」
「しかし……父王陛下までご自身のお子であるマティアス殿下を無碍にされていたわけではないんでしょう?」
エメセシル様とエリックの言葉に、アレクス殿下はさらに口元を歪めた。
「父上は、その側妃の死をあまりに嘆き悲しんでな、長年内に閉じ籠って政治をするのもままならない状態だったんだ。その忘れ形見である兄のこともほったらかしだ。その間に議員達は権力の拡大に走り、内政の乱れに見かねた俺の母である正妃が切れて父王を表舞台に再び引きずり出したんだ。その時に父王に王位継承者をはっきり決めさせたのも俺の母だな」
「……殿下の母上はすごい女傑なんですね」
何とも気っ風のいいセイクリッド正妃殿下の行動に、思わず素直な感想を漏らしてしまう。それに対して、いくら愛妻を失ったからってその妻との子供すら顧みない上に、自分の責務も放棄する父って……!!
「父王が正式に後継者に指名したおかげで、マティアスは王太子としてまともな扱いを得られるようになり、将来の王としての教育も受け始めた。元々将来の王妃として育てられて来たメルヴィナもすぐに正式にマティアスの婚約者となった。俺とユリウスが活発に意見交換をしていた頃だな。周囲から将来次代の王になることを嘱望されていた俺にとって、ほとんど交流のなかったマティアスの台頭は正直愉快な話ではなかったし、それまで俺が王になるために学んで来たことを否定されたような気がして、一時期はだいぶ荒れていた。だが、そんな俺にユリウスは改めて王族としての義務に気付かせてくれ、第二王子である俺なりの存在意義や価値を教えてくれたのだ」
「まぁ……そうだったんですの。確かに、お兄様がお亡くなりになる前、よくアレクス殿下と文のやり取りをされていることを嬉しそうにお話しされていたことは私も存じておりましたわ。同じ志を持てる友に出逢えたと、本当に喜ばれていましたわ」
アレクス殿下が今は亡きエメセシル様の兄君ユリウス殿下とのエピソードについて言及されたことに、エメセシル様もしみじみと昔を懐かしそうに呟いた。
「ですが、今の話ですとセイクリッドの国王陛下のご指名によって、マティアス殿下が後継者に名実ともに決まって、王位継承権問題は解決されていたように思えますが、何故今またそれが蒸し返されているんですか?」
「おそらく、一部の議員達は父王がこのまま亡くなれば指名をひっくり返すことが出来ると考えているようだ。奴らはマティアスが父上の子か疑っているからな」
「……え?」
アレクス殿下を除く私達3人の間に微妙な空気が流れた。出生を疑うなんて、よっぽどのことだ。
「マティアスは外見的に、父王とも、その側妃であった母親にも全く似ていない。側妃に対して良からぬ噂も当時あったようだ。そのことから側妃が父王の寵愛を求めるあまり、子供の出生を偽ったのではないかと考える者は今でも根強いのだ。しかし側妃自身は既に故人だ。死人相手に確かめようもない」
「……アレクス様ご自身はどう考えていらっしゃるんですの?」
「俺は……少なくとも父上は馬鹿ではないからな、父上が自分の子と認めているなら、間違いはないだろうと思っている」
エメセシル様の遠慮がちな質問にアレクス殿下は珍しく歯切れの悪く、抑えた声で答えた。
その話題は誰からともなく、そこで打ち切られた。
―――メルヴィナ様の登場以来、どことなく緊張感のあるエメセシル様とアレクス王子の関係を除けば、旅程は全くの順調だった。
何か思うところがあるのか、途中宿をとった町や、休憩箇所でアレクス王子がエメセシル様にいつも以上に気遣って話しかけているのが印象的だった。
そして5日の行程を終え、セイクリッド王国の王都に私達は無事辿り着いた。
当然、王城にそのまま直行するかと思われたのだが、何故かアレクス殿下は御者に自ら指示を出し、中規模の小綺麗な宿に馬車を泊めさせた。すると慣れた様子で中に入って行く。
私達が中に入ると、ふくよかな体形の店主の男性が、アレクス殿下の顔を見るなり明るい表情を見せた。
「うわ驚いた、アレクス様じゃないですか!どうしたんです、突然?アルカディアに滞在されているって聞いてましたぜ」
「ああ、野暮用があって一時的に帰国している。俺の友人達に王都を案内したい、例の部屋は使わせてもらえるか?」
自国の王子に対して、気安く話しかけて来る宿の主人、それに実に慣れた様子で答えるアレクス殿下、彼らが長く親しくしているだろうことは一目瞭然だった。アレクス王子は早口で、いくつか細かい指示を店主に出している。
「あ、あの……アレクス様?」
困惑して声をかけたエメセシル様に振り返ったアレクス殿下の瞳は、いつになくいたずらっぽく何かをたくらむ少年のようだった。
「エメセシル、俺の国を案内してやるぞ」
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―――アレクス殿下の指示通りに、男女で分かれた部屋に入り宿の従業員から渡された衣装に私も姫様も袖を通す。
それはまるで、少しだけ身なりの良い裕福な商家の娘が着るような簡素なドレスだった。
私はモスグリーンの装飾の少ない細身のワンピースに、一束の三つ編みにした髪を横に流したスタイル。姫様は薄い桜色の、腰のところで切り返されふわりとスカートが優しく広がったワンピース。可愛らしい印象だがこちらも装飾は少なく胸のところを細いリボンで絞っているくらいだ。姫様の豊かな黄金の髪は目立つので、私が編み込んでお団子を作る。
……着替えておいて何だけど、これってあれよね。お忍びの街観光をするってことよね。
絶対アレクス殿下常習犯だな、とか、そもそもお父上が大怪我を負われて見舞いに駆け付けているのにそれを後回しでいいのか、とか突っ込みどころはたくさんあるけど、心なしか姫様がウキウキされているご様子なので、ぐっと抑える。
「まぁ、こんな動きやすいお衣装初めてだわ!軽いし、暑苦しくないし」
「ふふ、姫様楽しそうですね」
嬉しそうにワンピースの裾をつまんでくるりと一回りしたエメセシル様の若い少女らしい可愛らしい動作に、私も思わず微笑む。
普段コルセットや、パニエで固定されたドレスを着用されているエメセシル様は町娘の格好がいたく気に入ったようだ。それでもその優雅な所作から、育ちの良さは隠せはしないけれど。
「それにしても、アレクス殿下はどういうおつもりなんでしょう。まずは父王陛下のお見舞いに行かれるのではないのかしら」
私が呟くと、エメセシル様も少し眉尻を下げて神妙な顔をする。
「ええ……そうね、でも、私少しわくわくしているの。ねぇ、ルーシア覚えている?昔あなたにこっそり城下に連れ出してもらったり、ウェスティンに保養に行った際に外に夜中に抜け出したこと」
「……ええ、覚えております」
私はエメセシル様の言葉に、かつての思い出が蘇り懐かしいような、ほろ苦いような気持になった。
実は、エリックに知られたら大目玉をくらってしまうと思うのだけれど、まだエメセシル様の兄上ユリウス殿下が亡くなる前、姫様が思春期に入ったばかりの頃、お願いされるまま二人でこっそり王宮を抜け出したことが何回かある。ここ最近はだいぶ鳴りを潜めてしまったのだけど、元々姫様は妖精のような儚げな見た目とは裏腹に、好奇心旺盛でお転婆な女の子だったのだ。
以前その彼女のお願いを聞いて保養に訪れていたウェスティン離宮を抜け出し、護衛の近衛騎士達の目を盗んで隣接した森に入り込んだ私と姫様が、狼に襲われるという大事件を引き起こしてエリックを怒らせてしまったことがあるにもかかわらず、私はそれ以降も数回、姫様の一生のお願い、を断わり切れず他の近衛騎士隊メンバーには内緒でお忍びを実行してしまったのだ。
たしかその内容は、城下で売られている珍しい砂糖菓子を食べてみたい、とか、流れ星の落ちる先を見てみたい、とかたわいもない冒険心からだったと思う。……そう言えば姫様はあの頃、星にこだわりがあって、よく星座や星の名前を私に教えて下さっていたな。陽が落ちてから二人で王宮を抜け出したこともあったし、結構大胆なことをしたものだ。
……今考えると、本当に自分でも近衛騎士として考えなしで浅はかな行動だったと思う。エリックや他のメンバーを欺いていたことも反省している。
ああ、でも親友であり可愛い妹のようなエメセシル様にもしまた一生のお願い、とか言われたらまたそのお願いを聞いてしまうんだろうな……私。
何はともあれ、今回はアレクス殿下が強引に進めていることだし、私とエリックが大騒動にならないように気を配っていれば良いはず。
「お待たせいたしました」
着替えを終えた私とエメセシル様は、アレクス殿下達に合流すべく宿のロビーに赴いた。そこには既に身支度を済ませたアレクス殿下とエリックがいた。二人の格好も、良家の子息とその執事、というようないでたちだ。
「来たな。我が国はその昔、遊牧民族と商売に長けた民族と農耕民族が協力して国を興したことから、世界有数の交易の主要起点となっている。王都のバザールは、世界中から珍しい交易品が集まり、圧巻だぞ」
心なしか、得意そうな顔でアレクス殿下はにやりと口の端を上げる。
そんなアレクス殿下の説明を興味深そうにエメセシル様は熱心に聞いている。
やがてアレクス殿下はエメセシル様に左手を差し出す。エメセシル様は少しだけ躊躇した後、やや恥じらったようにおずおずとその手を取った。その様子は若い恋人同士そのものの初々しさだ。私もエリックも顔を見合わせて、思わず微笑み合う。
「ルーシア、ほら」
すると、エリックも自分の左手を示しながら私に声をかける。私がきょとん、とすると一瞬呆れた顔をしてエリックは右手で私の右手を取り、自分の左手に組ませた。
あ、エスコートするって意味だったのね……。