第二話
私は扉の奥で硬直して立ち尽くしていた夫につかつかと靴音も高らかに近付き襟元をむんずと掴むと、有無を言わさず来賓室に引っ張り込む。室内に入ったエリックは泡を食ったように、私とエメセシル様の顔を見比べる。やや情けない顔を浮かべている彼に、私はためらうことなく告げた。
「エリック、私は今日は王宮の自分の部屋に泊まるから、一人で帰るかあなたも右宮の宿舎に泊まるなりして頂戴」
先ほどセイクリッドの麗人にだらしのない顔で心を奪われていた彼に、つい無意識に口調が鋭くなってしまう。
「……そんな!い、一体何があったんだ?俺には何が何やら」
混乱した様子のエリックに、相変わらず私は冷たい視線を投げかけている。……まったく、人の気も知らないで呑気なものね。
「ルーシア、良いのよ。私の事は心配いらないわ、気にせず自宅に戻って頂戴。エリックも、休暇中なのに巻き込んでごめんなさいね」
何一つ落ち度のない優しいエメセシル様が、困った様子で私とエリックの仲裁に入る。私は勢いよく姫様に向き直った。
「いいえ、姫様、私は姫様とどんな時も共にあります。エリックなんて、その辺に転がしておけばいいんだわ!」
「だから、何があったんだよ!?どうして俺がそんな理不尽な扱いを受けなければならないんだ!!」
たまりかねたように、エリックが叫ぶ。この人ったら、さっきまで浮気心を覗かせていたくせに、ぬけぬけと!
「アレクス殿下の派手な女性関係が明らかになったのよ!!男なんて最低だわ!!」
「そ、そうなのか!?っておい、だからと言ってそれで俺まで一緒くたに見るのはやめてくれ!」
「さっきメルヴィナ様を鼻の下を伸ばして見ていたくせに!!」
「メ、メルヴィナ様??」
「セイクリッドの王太子妃殿下よ!!」
目を白黒させているエリックに私は畳みかける。途端にエリックは心当たりはあるのか、なんともばつの悪そうな顔になる。ああ、もう本当に頭にくる!!
「それよりも姫様!!私もセイクリッドに同行しますからね!!」
「ル、ルーシア!?」
もう情けない夫は脇に置いておいて、私は本題を話そうとエメセシル様に再び顔を向ける。エメセシル様も驚いた様子で、美しいエメラルドグリーンの瞳を瞬かせる。
「将来のご夫君のお父上がお命の危機とあらば、姫様もアレクス殿下と共にセイクリッドに向かわれるのでしょう?私は姫様の近衛騎士筆頭として、いついかなる時もどんな状況であっても姫様をお支えする所存です!!ご心配なく、今はまだアルカディア国王陛下もご健勝であらせられますし、姫様が少しの期間アルカディアを離れられても何ら問題ありませんよ!!」
「お、おい!?ルーシア!?何勝手に決め……!」
「エリックは黙ってて!!」
私は慌てふためく夫をぴしゃりと黙らせ、敬愛する主君の手をしっかりと両手で握る。
「ご安心下さい、姫様。私がいつでも側におりますから……」
「……ルーシア」
エメセシル様はその私の言動に仰天し、まじまじと大きな瞳で私を見つめていたが、緊張の糸が切れたのか次第にその美しい碧玉が潤み始め、珠を結び頬を伝って零れ落ちた。
ああ、やっぱり無理をされていたのだ。姫様は4年前に最愛の兄君であったユリウス殿下が亡くなられて以降、どこか感情を抑え無理に平気なように振舞われる傾向にあるのを、私は以前から知っていた。今日のことだって、将来のご自分の夫の女癖の悪さを目の当たりにして、平静でいられたはずはない。
「……ルーシア、……ごめんなさい、あなたにばかり頼ってしまって……でも、あなたが側にいてくれるなら、心強いわ……」
……お可哀そうに。ぽろぽろと涙を零しながら済まなさそうに言う姫様の弱々しい様子に、胸が締め付けられる。謝る必要なんて何もない、私には何でも頼って下さって良いのに。
エメセシル様ご自身、アレクス殿下のお父上であるセイクリッド国王陛下が重傷で殿下が帰国しなければならないと聞いた時、万が一のことを考えれば、殿下の婚約者として国王陛下へ挨拶も兼ねた見舞いに行かなければならないことは承知されていたのだろう。だがあんな事が発覚した直後に、アレクス殿下と狭い馬車内で何日も行動を共にすることを思うと、さぞや気が重いことだったに違いない。
私は細い肩を震わせて俯く健気な姫様が、あまりにもおいたわしくて思わずその体を抱きしめた。
複雑な顔でこちらを見ている夫の存在はもちろん、黙殺した。
―――それからすぐに平静を取り戻した姫様は、メルヴィナ様を見送って戻って来られたアレクス殿下と共にアルカディア国王陛下に旅立ちの許可を得るため、陛下の私室へと向かわれた。
アレクス殿下に、泣いていたことを悟られまいと普段通り振舞うエメセシル様がお可哀そうで、姫様を傷つけた憎きアレクス殿下を私は睨み付ける。さすがのアレクス殿下も居心地の悪そうな表情をされていた。ざまぁみなさい。
お二人を見送った後、私は早速準備を整えようと奥宮内の私室へと向かおうとして、ふいに腕を強い力で引っ張られた。
「―――ルーシア!!」
私を強引に引き寄せたエリックは、身動きを封じるように私の背と腰に手を回しがっちりと両腕で捉えている。思いがけないその力強さに、不覚にも一瞬怒りを忘れてときめいてしまう。い、いけない、今は絆されている場合じゃないのよ。
「ちょっと、エリック、私は急いでいるのよ、放して!」
「いやいやいや、ルーシア、落ち着け!!何をムキになっているのか知らないが、変なことに首を突っ込むなよ!!」
「変なことって何よ!私は姫様の近衛騎士よ、主君が行くところにはどこへだって同行するわ!」
「だから!俺達が今休暇中だってことを忘れたのか!?姫様の旅行に近衛騎士が同行しないといけないのは、もちろん俺だって分かる。でも近衛騎士はお前一人じゃないんだし、今の担当者に任せておけばいいだろ!!」
「大事な姫様を他の人に任せてなんておけないわ!!」
さっきから彼の拘束を何とか逃れようとしているのだけど、常にない力で押さえられているから簡単には振りほどけない。中央宮の廊下で、使用人達も遠巻きに見ているのに私達は二人して訳の分からない格闘を繰り広げている。もう、恥ずかしいし、いい加減手を放して欲しい。
……それに、さっきのことだってまだ私は怒っているのだし。
「婚約者の昔の恋人が現れて不安に思っているに違いない姫様を、親友の私が支えて差し上げなくてどうするのよ!!男のエリックには、繊細な乙女心なんて分からないんだわ!!」
「いやだから、なんで王太子妃がアレクス殿下の昔の恋人になるんだよ!?」
「アレクス殿下ご自身が認めたのよ!!」
「そ、そうなのか!?……い、いや、それにしてもだ!このことは、アレクス殿下とエメセシル様の個人的なことであって、外野のお前がそんなに熱くなって引っ掻き回すのはどうかと思うぞ!?エメセシル様が落ち着いておられるのに、どうしてお前の方が怒り狂っているんだよ!?」
ああ、もうこの人と話していても埒が明かないわ。
私は間近で私を見つめる青灰の瞳をキッと睨み付けた。途端にエリックが怯んだように、口をへの字に曲げる。
「何よ、じゃあエリックは私が仮にあなたの昔の恋人に何か言われても、大人しく笑っていろとでもいう訳!?」
苛立ちの頂点に達した私が、八つ当たり気味に彼に食って掛かると、エリックは鳩が豆鉄砲を食ったようなギョッとした顔をした。しばらく口をパクパクと動かした後、
「え……!……そもそも、お前以外を好きになったことがないから……そんなことある訳ない……」
と不満そうに呟いた。
そのひどく真面目な顔で馬鹿正直に返して来た彼の言葉に、最初は頭に意味が浸透せず、私はきょとんとしてしまう。しかし次第にその告白を理解するにつれ、耳まで熱が集まって来るのが分かった。
ちょ、ちょっと、公衆の面前で何を言い出すのよ!?!?
「か、仮にって言ってるでしょ!!本気に受け取らないでよ……!」
私も自分の発言のあまりの幼稚さに我に返り、ごにょごにょと不明瞭に苦し紛れの言い訳を言いながら、結局彼の腕の中で縮こまってしまう。もう、自分でも一体何をやっているんだろうと頭を抱える。しゅ、周囲の視線が痛い……。
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ややあって、私より先に冷静さを取り戻したらしいエリックが、一つため息を吐き居住まいを正した。
「……とにかく、落ち着こう、ルーシア。君の気持ちは、俺も理解したから。俺もアレクス殿下に呼ばれているから、あとで問題を整理しよう、いいな?」
そして私の体を放し、私の肩に両手を置き直すと、まるで小さい子供に言い聞かせるような口調で私に話しかけた。そのいつになく強い光を宿す青灰の瞳に見つめられ、思わずぽうっとなってしまう。
普段は私の意見を優先してくれがちな彼だけど、それは決して彼が流されやすいと言う訳じゃない。彼は本来物事をよく見極める能力に優れているし、その洞察力やいざという時の決断は決して馬鹿には出来ないのだ。
結局その瞳の力強さと低く響いた心地の良い声に説得されてしまい、私は大人しく頷いた。まだ頬から熱が引いてくれない。何でこうも容易くエリックは私の気持をほぐしてしまうのだろう。
彼はいつでも私のどんな我がままも、無鉄砲さも最後にはくるりとその懐で包み込んでしまうのだ。
「……分かったわ。でも、エリック、姫様は大切な主君であり、私の親友なのよ」
「……分かってる。まずは俺も、アレクス殿下に話を聞いてみるよ」
そう言うと、エリックは青灰の瞳に優しい光を宿し微笑んだかと思うと、私の頭をくしゃっと撫でた。
分かりにくいですが、事故で重傷を負ったのはアレクスの父であるセイクリッド国王で、エメセシルの父アルカディア国王はぴんぴんしてます。殿下とか、陛下とか、敬称がつくキャラが増えて、私自身混乱します。




