7 妹、たまにやる
そうして行商人を担いで夜の森を駆け、朝日の差し込む平原を突っ切って、くだんの街にたどり着いたのは夕方を少し越えたところだった。
さりげなくこっちに来てから初めての人間の街は、高くて厚い城壁に囲まれた都市国家みたいだった。
一応国の一都市だけれど、実際はここ一帯を領地とする貴族様が実権を握って治めているらしい。
ただ、もしかしたらそんなにいい領主様ではないのかもしれない
門の外にまで広がった街は、あまりいい雰囲気をしていなかった。
いわゆるスラムというやつだろう。
街の庇護を受けられない代わりに、何でも許される無法地帯。
だけど、エルフ達はそちらに本拠を構える奴隷商館に囚われているらしいので、門番の立っている門をくぐらなくてすむのは助かった。
途中から居場所がヤスの背中に変わったものの、ほぼ休みなしで揺られた行商人は街に入ったとたん目を回して気絶した。
私たちもさすがに強行軍だったので、適当な宿(行商人の財布から私が払った)を取って休憩する。
だけど、夜が更けたとたんヤスは問答無用で行商人をたたき起こし、奴隷を預かっているアジトへ案内させたのだった。
我が兄ながら容赦ない。
アジトはきっちりとレンガ造りの頑丈そうで大きな建物だった。
周辺のあばら屋とは雲泥の違いだ。
それだけ資金力があって、なおかつ儲かっている商売なのだろう。
公的に奴隷は認められていないらしいけど、守られてるとは言いがたいようだ。
だって、スラムのメインストリートから離れてないからね。
ヤスは夜が更けてもなお、煌々と明かりがともる建物の、見るからに分厚そうな扉を蹴り開けた。
すさまじい音をさせて文字通り吹っ飛んだドアに続いて、悠々と侵入をしたヤスは、その場で呆然とする人間達をゆっくりと見回し、唇の端をつり上げる。
「よう、殴り込みだ。死にたくねえやつはとっとと失せな」
エルフ特有の気品の溢れた美貌と、涼やかな声音は場違いなほど違和があるのに、紡がれたのはこの状況に最も似つかわしい、明快で端的な喧嘩の売り文句だった。
虚を突かれていた男達も、自分の理解できる内容にたちまちいきり立つ。
「てめぇ、ここがどこかわかってんのか!」
「ぶち殺してやる!」
そこからはヤスの独壇場だった。
もちろん、用心棒的な筋骨隆々の男達が手に武器を持って襲いかかってくる。
中にはかなりの手練れみたいな人もいたようだ。
だが、ヤスが拳をたたき付ければ、漫画かと思うくらいに三人まとめて吹っ飛び、蹴りを放てば壁を粉砕し、向こう側に潜んでいた人間を昏倒させる。
何十人かかってこようが、ヤスにとってはものの数ではなく。そりゃあ豪快で、冗談みたいな光景だった。
はじめこそ、罵詈雑言をわめき散らしながら襲いかかってきていたごろつき達だったが、あっという間に仲間たちがやられてたちまち悲鳴に変わって行く中、私はひっそりと建物の奥へと進んでいく。
ヤスが人目を引きつけている間に、捕まっているエルフ達を探すつもりだった。
だいたいの居場所はあの行商人に教えてもらってたからね。
行商人はヤスに解放されたとたんどっかへ逃げていったけど、気にする必要はないだろう。
ひょいひょいと歩いて行けば、厳重に鍵をかけられた部屋が並ぶ区画に、エルフ達が閉じ込められているのを見つけることができた。
窓とドアに据え付けられたのぞき窓に鉄格子がはまっているけど、扱いはそれほど劣悪ではなさそうだ。
まあ、その待遇は「高く売れる商品」だからなわけで、素直にはほっとできないのだけれども。
「だれ……」
「同胞よ、助けに来ました」
私は、そう声をかけながら目尻に涙の気配も色濃い金髪碧眼美女エルフに見えるよう、フードを外してのぞき窓に顔を見せた。
たちまち、一緒に入れられていたエルフの女性達に戸惑いと喜びが広がる、が。
「そこのエルフ! なぜ外に出ている!?」
荒々しい足音を響かせて廊下の角から現れたのは、少し身なりのいい男だった。
ただ、服の趣味はお世辞にもいいとはいえないが、ごろつきを引き連れていることからしてここ建物内でも権力を持った人間なのだろう。
「とらわれた同胞を返していただきに参りました」
とりあえず用向きを伝えてみれば、男は全く耳に入っていない様子で一方的に言葉を重ねる。
「まさか表で暴れているエルフの仲間か? ならば人質になるな。捕らえろ! 弓を持っていないエルフなど、ただの女だ!」
男に命じられたごろつき達が私に向かって向かってきた。
ごろつき達の動きがなぶるようにゆっくりとしているのは、優位性を確信しているからだろう。
エルフが非力なのは本当のことだし。
「私たちはいいから、逃げて……!」
ドアの向こうから女性の悲鳴のような声が響いたが、私はその場にとどまって、握っていた杖を構えた。
その姿にごろつき達は一様に嘲笑を浮かべた。
「知ってるぜえ? エルフは支援魔法しか使えねえんだろ? そこの女どもは殴られた傷を治すだけで、逃げられやしなかったからなあ!」
「その大仰な杖で俺たちに殴りかかってくるか? え? そっちの方がましな抵抗になるかも知れねえぞ」
げらげらと笑いながら手を伸ばしてくる彼らに向けて、私は淡々と杖の先を突きつけて、マナに干渉した。
『汝は魚群のつぶて。理は水流』
脳裏に描いていた魔法陣が杖の先に顕現すると、勢いよく水流があふれ出す。
それは紛れもない攻撃魔法だ。
「げええ!?」
ごろつき達は驚くまもなく、小魚の群れのような暴力的な激流に飲まれ、背後の男共々廊下の先の壁へ激突した。
悲鳴が聞こえることからして、廊下を伝って水があふれたっぽいけど。まあいいや。
どうせ敵しか居ないし、魔法で生み出した水だから少ししたら消える。
鍵を探すのが面倒だった私は、エルフ達の閉じ込められて居る扉の前に立った。
「脇に寄っていてくださいね。――『汝は衝撃、理は風』」
圧縮した空気によって粉々になった扉の破片を踏んで中を覗けば、驚愕に彩られたエルフ達達に見つめられた。
「なぜ、あなたは攻撃魔法を……?」
「自分でもよくわからないんですけどね。なぜかやたらと高い適性があったんです」
エルフは癒やしと支援魔法は大得意だが、攻撃魔法はからっきし。
それがエルフの常識だ。
私は、和を尊び、争いを好まないエルフの民族性から生まれた心理的障壁のせいじゃないかな、と考えている。
だって私には、他の子が攻撃魔法はやりにくいっていうのがわからなかったから。
私に何より適性があったのは攻撃魔法だった。
支援魔法も治癒魔法もほかのエルフ並みには使えるけれど、何かを破壊する、変質させるということにかけてはお師匠様ですら私には及ばないという。
なすすべもなく腹を刺されて死ぬしかなく、血まみれになったヤスを守れる力が欲しいと願った結果かもしれないなあと、勝手に思っていた。
ただ、私もエルフの中では異質な存在だ。
うちの村もこの世界の両親もやたらと寛容だったけど、ほかの村ではどうかわからないしあんまり近くには居て欲しくないかも知れない。
顔をこわばらせる彼女たちに、せめて安心してもらえるよう、表情筋に全力で命令してほのかに笑みのようなものを浮かべて見せた。
「私が居るのは怖いかも知れませんけど、ここはとりあえず安心ですから。よく、頑張りましたね」
「……っありがとう、ございますっ!」
エルフの女性の目尻にみるみる涙があふれ出した。
よくやったぞ、表情筋!
安堵に泣き始める彼女たちをそっとしておいて、私はほかの扉を開けようと部屋を出たのだった。
気絶した男たちを適当に服をはだけさせて袖を縛ることで拘束する。
このやり方は、ヤスの舎弟だったよっちゃんから教えてもらったのだ。
……こんな知識、役に立つとは思わなかったよ。
そうして適宜、ほかの扉もぶっ壊してゆけば、クランサ村から誘拐されたエルフだけでなく、人間をはじめ、獣の人など複数人がとらわれていた。
若い女性が多いものの、男も少なからずいる。
突然自由の身になった彼らは戸惑いに立ち尽くしてしまい、私もどう対処していいのかわからず途方に暮れた。
すると廊下の曲がり角から、悠々とヤスが現れた。
手の甲や白い頬には血がついていたが、けろっとした様子からヤスの血ではないのはわかるから完全スルーだ。
「おーうキヨ、こっちは終わったぞ。無事か? って。何でえおどれら」
「エルフ達と一緒にとらわれていた奴隷達」
案の定ヤスが彼らに気づいて不思議そうにするのに、彼らのことを話せば、ヤスはあっさり言った。
「この組はワシがつぶしたぞ。金目のものを持ってとっとととんずらしな」
「おかね? 金庫かなにかがあったの?」
「おう、あったぞ。紙束も入っていたな。後生大事にしまってあったしありゃあ契約書だろ」
束になった契約書といえば、間違いなく奴隷契約のためのものもあるだろう。
こちらの契約書はよくできたものもあって、魔法を込めたものだと破くか燃やすかしない限り、契約履行を強制されてしまう。
たちまち目の色を変える奴隷達の一人が、おそるおそる聞いてきた。
20代前半くらいの獣人の青年だ。
耳がウサギのような毛に覆われた長い耳が垂れている。尻尾は残念ながらわかんなかった。
獣人は成長が早いと聞いたことがあるから、実際はもうちょっと若いかもしれない。
「本当に、俺たちは自由なのか」
「んなもん知らん。だが、てめえの足は動くだろ。んならてめえの命はてめえで守るのが筋ってもんだ。自分のもんを背負わねえでどうするよ」
戸惑う彼らに、ヤスは腕を組んで言い放つ。
「ま、乗りかかった船だ。この街を出てえやつがいるんなら、途中まで面倒見てやらあ」
気負いもなく、衒いもなく当然のように宣言したヤスに、奴隷達の間に強い意志が宿る。
やがて、初めに話しかけてきたウサギ耳の青年が、一歩進み出てきて、頭を下げた。
「しばらく、お世話になります」
「おう、任せろや」
不安なんて一切感じさせずに男臭く笑うヤスは、悔しいことに私にもたいそう頼もしく見えたのだった。