6 我が兄、容赦なし
じっとりと行商人に睨みあげられたヤスだったが、ひるむどころか、大胆に唇の端をつり上げた。
美貌はそのままなのに、どう猛さと乱雑さに満ちた物騒な気配が濃厚になる。
「おうおう、懐かしいのう。どぶに肩までつかったクズの臭いがするわ」
「……ふん。エルフにも、少しは頭が回るやつもいたのか」
闇夜に包まれる中でも、顔色を悪くした行商人だったが、急にふてぶてしく笑ってみせた。
「馬鹿みてえに、平和と森の中でのほほんとしやがって。俺を信じ切ってあほかと思ったわ! 自分が商品になるとも知らずにな!」
「つまりあなたたちは、はじめからエルフを誘拐するつもりで、村に入り込んだのですね」
「当たり前だ、でなけりゃどうしてこんなへんぴなところに分け入るよ」
行商人は、地面に引き倒されているにもかかわらず、いっそ大胆なまでに開き直った態度になった。これが彼本来のしゃべり方、性質なのだろう。
まあ、私の状況証拠以外にしっかり誘拐という言質を取れたのは良かったが、なおも行商人は言葉を重ねた。
「お嬢さんはそう粋がって、どうするって、ええ? 俺しかあんた達の大事な同胞達の居場所は知らねえんだぜ。それがわかってるから、俺を残したんだろ? それなら取るべき態度ってもんがあるだろうが」
……たぶん私、このおっさんと実年齢はそう変わらないと思うんだけど。それは置いといて。
打算とけん制と威圧に満ちた態度で語られる言葉は、まさしく、私たちの思惑そのものだった。
それがわかっているんだろう。顔を引きつらせながらも行商人の顔には余裕が残っていた。
「こんな風に地面に引き倒されたら、口が重くなるってえもんだ。まずはその手をどけてもらおうか? ついでにそれなりの誠意ってものをみせてくれなきゃなあ」
続けつつ、行商人は私をなめ回すように眺める。
その視線はゴーグル越しでも嫌悪感を覚えるには十分すぎるもので、ひるんじゃいけないと思いつつも、つい一歩下がってしまう。
唇の端が緩んだ行商人が、視界から消えたのはそのときだった。
ヤスが片腕一本で、成人男性である行商人を軽々と引き上げると、近くの大木へたたき付けたのだ。
顔面はかろうじて打たなかったものの、完全に不意打ちのそれに、行商人がなすすべもなく息を詰まらせる。
ヤスはそんな無慈悲な暴力を行っているとは思えない気楽さで、口元は笑みすら浮かべていた。
「ワシはそれほど学がなくてな、おどれの言う誠意ってやつがわかんねぇんだ。ワシにわかるように教えてくれねえか」
息を求めてあえぎながらも、行商人は抗議の声を上げようとするが、ヤスを見たとたん言葉を飲み込んだ。
顔を引きつらせる行商人に、ヤスは拳を振りかぶった。
行商人が思わず目をつぶった瞬間、すさまじい音と衝撃が広がった。
体にあたると思っただろうが、拳が打ち込まれたのは行商人の頭のすぐ上で、えぐれた大木はきしむ音を立てて倒れていく。
どうっと、大地を揺らしながら地面に横たわった大木を、木くずにまみれながら呆然と見送った行商人は、こつりと、肩に当てられたヤスの拳に、激しく体を震わせた。
「まずは、ここだ。そん次はもう片方。それでもだめなら足をやる。腹は最後だ。加減ができなくてうっかりいらんとこまでつぶしそうだからの」
「そ、そんな、ことをしたら……」
「死んじまう? 別にワシらは困らねえ。唄う口は山ほどあるからな」
わからない表現でも本気だと、悟ったのだろう。
暗くとも、行商人の顔が青から白に変わるのが手に取るようにわかった。
実際、ヤスの言葉は本当だ。
無力化しただけで、行商人一行の仲間は捕まえてあるから、そっちに聞けば問題ない。
ただ、ものっすごく手慣れた脅迫の仕方に、ヤスが生きてきた人生を垣間見た気がして複雑だった。
ヤスが事前に殺さないと約束してくれていても、平静を保つのはけっこう大変だし。
顔面の表情筋がストライキ起こしていて今回ばかりはよかったよ。
だって、私から行商人にこちらが本気ではないと悟られたら話がこじれただろうから。
まあともかく、今回ばかりはありがたいが、目指せカタギ化が全力で遠のいているのは間違いなかった。
「んじゃま、勝手に唄え」
「まま待ってくれ! しゃべる! しゃべりますから……ひいっ!」
残酷なまでに気楽にヤスが拳を振りかぶるのに、行商人が悲鳴のような声をあげる。
ぴたっと、肩に当たる寸前で止めたヤスは、がたがたと震える行商人に、ヤスはにんまりと、人を食ったような笑みを浮かべた。
「おう、ようやくらしゅうなってきたな。おどれは自分の命の方が大事な口だろう? おとなしゅうしとけば悪いようにはせん」
その鷹揚な態度の裏にある、違えれば容赦なく再開するという無言の圧力に、私は行商人の心が完全に折れたことを知ったのだった。
行商人が語るところによると、避難を口実に連れ出したエルフ達十人は、すでに平野にある街へと移送したらしい。
森を出るまでに半日。その近くにはすでに移送用の馬車を用意してあり、一日ほどで街に着いてしまうのだという。
意外に近い距離に驚くのはあとだ。
出発した馬車は順調なら、すでに街へ着いてしまっているだろう。
ここはいったん戻って、村のエルフ達に戻って報告した方がいいかもしれない。
私がそう考えていたら、ヤスが動いた。
息も絶え絶えになっている行商人を無造作に担いだのだ。
「全部話しただろう!? 嘘じゃねえよ。もう解放してくれよ!」
「いんや、まだだ。街まで案内してもらわんとな」
じたばた暴れる行商人は
その言葉に私は目を見開いて驚いた。
「ヤス!? 今から行くの!?」
「村の女子供を救い出すまでが義理ってもんだろ? 戻るのもめんどくせえし、このままひとっぱしりする方が早ええだろう。ちょうどいい案内人もいるしな」
確かに、身体強化術を使って馬車並の速度で走れるヤスなら、半日ほどでたどり着くことができるだろう。
めんどくさい、というのはきっとエルフ達に事情を話して説得することが、だ。
奴隷として捕まったのだから、売られて方々へ引き離される前に救い出さなきゃいけない。
けれど、あれだけ信じ切っていた彼らのことだ、人の悪意を腑に落とした上で、人間の街にまで降りて助けに行くまでにかなりの時間を費やさなければならないのは、容易に想像がついた。
「キヨ、村のもんに説明は任せたぞ」
「や、やめてくれもう勘弁してくれよ!!」
「待って、私もついて行くから!」
もはや半泣き状態の行商人を俵担ぎにしたヤスがたちまち走り始めようとするのを私は引き留めた。
「連絡は精霊にお願いすればいいし、村の人たちを納得させるには捕まっていた村のヒトを連れてくるのが一番よ。それに……一人でおいて行かれるのは嫌」
私だって、ヤスほどではないものの、体内マナを利用した身体強化術で長距離を移動できる。
それに、前世で気楽に見送って、帰ってきたヤスは変わり果てた姿になっていた。
あの時のことはすでに納得しているとはいえ、やっぱり遠くに行くヤスを見送ることには抵抗がある。
一番の本心を口にすれば、少し戸惑った表情をしていたヤスは、青の瞳を和ませた。
「しょうがねえ。まあ、おめえがいた方が女子供の面倒が見れるわな。んじゃいっちょ二人でカチコミと行こうや」
行商人が真っ青になったのには、努めて見ないふりをした。