5 我が兄、めざとい
魔猪を倒したその夜、クランサ村はお祭り騒ぎになった。
なにせ、村を捨てるか全滅するかの瀬戸際だったのだから、当然だろう。
メインはその後狩人達が狩ってきた動物たちだ。
落ち込んでいたヤスも、途中から狩りに加わって村人全員へ十分に行き渡るほどの成果持って帰った。
エルフは質素だから、普段は粗食で済ませるのに、今回ばかりはお酒を引っ張りだして飲めや歌えやの大騒ぎで夜も更けていく。
ヤスは大勢の青年達に囲まれて、話しかけられていた。
丸太に無造作に腰掛けて、ヤスがつがれた酒を口にしながら語るたびに、無垢な青年達の緑や青の瞳が輝くのがなんとも不安をそそる。
だい、じょうぶ、だよね……?
「めでたいことです。では、村へ行っていた同胞達は私から戻ってくるよう伝えに参りましょう」
「おお、ゴース殿。何から何までお世話になりますな」
「ええ、では仲間達とその算段をつけますね」
長老と行商人もかがり火の隅でそんな風ににこやかに会話をしていたのだった。
宴もたけなわになり、品行方正なエルフ達もさすがに次々とその場に眠りつぶれる頃。
風で木々がそよぐ中に、ざっざと、不自然に草をかき分ける音がまじった。
人間の視界では、真夜中の森なんて明かりがあっても歩けたものではないだろうに、迷いなく歩いて行くのが不思議だったが、ともかく。
一流の狩人であるエルフが、気配を隠しもしない生き物を、森の中で見失うことなんてない。
というわけで、私が木の上から目の前に降り立てば、彼、行商人のゴースが飛びすさった。
すかさず腰の短剣を抜いて構えるところは、かなり手慣れた仕草に思える。
その目元はゴーグルのようなものでおおわれていて、それが暗視効果をもたらしているのだろうと想像がついた。
「どこへゆくのですか。ゴースさん」
その警戒をまるっと無視して問いかければ、彼は私だと気がついたようで、すぐさま短剣をしまうと柔和な笑みを顔に貼り付けた。
「おや、救援に来てくださった……そう、キヨルシュさんではありませんか。いえね。クランサ村の方々が避難させた方々を非常に心配していらっしゃるので、一刻も早く安全になったと知らせに行こうとしたのですよ」
「それでこのような真夜中に。クランサ村においていた荷物もすべてまとめられたようでしたが」
「それは、こんな夜更けに森を踏破するのですから、それなりの装備が必要ですので。ああですが、これも精霊のお導きでしょう。どうか私の護衛として共に来てくださいませんか。気高いエルフの狩人であるあなたと一緒であれば、安全にゆくことができましょう」
とうとうとまくし立てるゴースが、両手を広げて私に近づいてくる。
断られるとはみじんも思っていない信頼した表情に、私が応じようとした矢先。
ざあっと、風をひきつれるように現れた人影がゴースの片手をつかんだ。
「おう、じゃあその指の間に隠してあるもんは何だ?」
彼の背後に立ったヤスは腕を極めたらしく、驚いて反転しようとしたゴースの顔が苦悶にゆがんだ。
そのすきに手の中のものを盗ったヤスが、私に向かってそれを放ってくる。
受け取れば、それは指輪だったのだが、月明かりにかざしてみれば、指輪の内側になにやら魔法文字が刻まれていた。
その間にも、ゴースが哀れっぽい声音で痛がるそぶりを見せた。
「いたたたっ! 争いを好まず、和を尊ぶエルフであるあなたが、どんな意味があって私に危害を加えるのです、か!?」
ゴースのよく回る舌は、ヤスによって地面へ引き倒されたことで、強制的に閉ざされた。
「てめえが先にわしの妹に手を出そうとしたんだろうが!」
腕を捕まえたまま、地を這う声音で怒鳴りつけるヤスは悪鬼羅刹のごとくだった。
それだけでたいていの人間が気絶しそうな感じの気迫に、ゴースは震えるが、なおも口を開こうとする。
「そ、んなこと……」
「これ、巧妙に隠されていますが、昏睡の魔法がかけられてますよね。これで気絶させて一体何を……いえ、どこに連れて行くつもりでしたか」
私が淡々と問いかけた瞬間、哀れっぽい一般人だったゴースの表情がそぎ落ちた。
「……どこで」
ヤスを警戒しつつもゆっくり私の方を向いた行商人に、淡々と答えてやった。
「どこでわかったか、といえば視線です。だって初めて出会ったとき、私を品定めしていたでしょう」
正確に言えば、私のエルフにしては大きい胸を、やに下がった目で見ていたのだ。
女子の敵な感じで。
その時点ではまだ私の警戒は別の意味だったのだけれども、そのおかげでこの行商人の態度が奇妙なのに気づいたのだ。
ただ、確信に至ったのは、ヤスの悪に対する超能力並みの嗅覚だったけど、それはここで言う必要のないことだろう。
「長老達は、あなたの行動を英雄的だと賞賛していましたが、話を聞く限り、行動はひどく不自然です。あなたが村に滞在している真っ最中に起きた魔獣の出現は都合が良すぎるのですよ。そして調べたら、森の奥深くに魔獣を生み出す、禁術の痕跡がありました」
動物の死骸を贄に魔獣を生み出すことは絶対の禁忌。
だけど皮肉なことに、禁忌と指定されるくらいには原理も技術も解明、確立されているのだ。
魔獣の恐ろしさを肌身で知っているエルフは絶対にやらないが、人間はどうだかわからない。
冷えたまなざしで決定的な事実を突きつければ、行商人は見るからに哀れっぽい表情で私に訴えかけてきた。
「どうぞ、どうぞ命だけはお助けください! 私は命に逆らえずにこうせざるを終えなかったのです! エルフ達は村へ返しましょう! どうぞ森の貴族たるあなた様の慈悲深きお心でお許しっ!」
真に迫るその声音はヤスが行商人の襟首を捕まえて、地面にたたき付けたことで止まった。
ここは深い森の中だ。下生えがあるとはいえさぞ痛かろう。
「誰が勝手にしゃべっていいって言った」
ヤスの脅しに、ゴースの体が反射的に硬直した。
エルフ特有の五月の風のような涼やかな声は、脅す、という行為には不向きに思えるのだが、ヤスは低く迫力とすごみを持たせていた。
私はそうでもないが、さぞ恐ろしかろう。
怒鳴りつけられた行商人は、痛みとそれ以上の混乱を覚えているかのように目を見開いて硬直した。
よくわかったのだろう。何かがおかしいと。
彼の動揺に泳いでいるだろうゴーグル越しの目を見ながら、私は今、彼の胸中に渦巻く疑念に答えた。
「エルフは平和主義者。争いを好まず、穏便に済ませられるのならそちらを選ぶはずだ。と。そう思ったのでしょう」
全くその通りだとも言いたげな行商人に、私は努めて無表情に告げた。
「ですが、私たちは違います。思い出してください。今、あなたをつかんでいる兄の腕は、魔猪を倒した腕なのですよ」
行商人はすかさず、自由な方の腕をポケットに差し込んだが、その前にヤスが言った。
「おどれの仲間は、わしが全部ひねったからの。誰もこないぞ」
顔をこわばらせた行商人は、日中の柔和な表情とは打って変わったすさんだ顔つきになっていた。
私も前世でよく見知った、すねに傷を持つ人間特有のよどんだ気配が漂いだす。
とうとう本性を現したのだ。