3 我が兄、出入り
このエレストリア大森林ではエルフのほかにも、多くの生き物が生息している。
エルフが信奉する精霊はもちろん、熊、ウサギ、狐、鹿。地球でもなじみ深い動物はもちろん、スライム、ヒポグリフ、ユニコーン、ワイバーンなどの幻生物と呼ばれるファンタジー生物も多数いた。
けれど、そんな中、マナと呼ばれる元素を過剰に浴びたせいで変質してしまう生物もいるのだ。
マナ自体は魔法と呼ばれる技術を扱うために必要な元素で、空気中にも普通に存在するものなのだが、一度に多くを浴びてしまうと、浴びた者の性質をゆがめ、魔獣に変じる。
一度変質してしまえば、二度と元に戻れず、本能のままに暴れ回って周囲に被害をもたらす災害になるのだった。
今回の魔猪は最たるもので、マナによって身体能力をえげつなく強化されている上、素早く、その毛はエルフの弓を持ってしても矢は通らない。
さらに傷をつけても、マナがつきない限り治ってしまう化け物だった。
そして奴の一番恐ろしいところは、その食欲と、雑食であること。
木の実も草も獣も、エルフでさえも食べる悪食さは、一度狙ったものを逃がさず、村なんてあっというまに食い尽くされる。
つまり、一度目をつけられれば、なすすべがない天災が魔獣であり、魔猪なのだった。
「先日、頼みの綱であった精霊使いも魔猪によって重傷を負ってしまいました。ですが、鼻の良い魔猪は確実にこの村を見つけることでしょう。動き出すのも時間の問題。せめて女子供だけでも逃がしてやりたいのです」
お葬式ムードの理由がわかった私だったが、長老の若干の開き直ったような表情に疑問を持つ。
魔猪から逃げてくる獣がいる中、この村の女子供を連れて無事にほかの村へたどり着けるか。
そもそも魔猪が逃げる女子供を狙わないという保証もない。
なのにその部分に対する不安が、一切感じられないように思えたのだ。
「どこの村に身を寄せるつもりでしょうか。たしかこの村から一番近いシズィーラ村へは2日はかかるはずですが」
「実はこの村に滞在している人間が、人間の村へ案内することを申し出てくださいまして。平原の方にあるので、途中から馬車が使えるため隣村へゆくよりも早く安全にたどり着けるだろうと」
「人間?」
思わず聞き返した私に、長老さんをはじめとする顔役の人々は表情を明るくした。
なんでも、馬車を持つ行商人の一行で、旅をしている最中に森に迷い、怪我をしていたところを保護したのだという。
治療魔法や支援魔法はエルフの大得意分野だから、怪我はたちまち治り、感謝をした行商人らは、時折人間の国の物資を格安で行商しに着てくるようになったのだそうだ。
そういえば、この室内にもエルフらしい木工の調度品やタピストリーのほかに、違和のある調度品が並んでいる。
おそらく、行商人からもらったか、購入したものだろう。
そして、今ちょうどその行商人一行が村に滞在していて、助けてくれた恩を返すために提案してくれたと、そういうわけだった。
長老達の顔色は明るく、浮かぶのは感謝の色ばかりで、完全に信頼しているのがよくわかる。
「私どもに護衛を願うからには、まだ出発はしていないのですね」
「行商人達は、なるべく早いほうがいいと申して、すでに半分の女と子供が村へ行っております。残りは本日出発だったのです」
村の中を通る間に、子供の声を聞かなかったのはそのせいもあるのか。
エルフの出生率は低いとはいえ、女性と子供の姿が少ないのも気になっていたのだ。
「今日この日にあなたがたどり着いたのも精霊のお導きでしょう。我らが総出でかかれば魔猪を仕留められるやも知れません。そのときに我らが残っているかはわかりませんが……女子供が無事であれば村は何とでもなるでしょう」
長老さんの表情には、どこかあきらめのようなものがにじんでいた。
それも当然。
エルフは治癒や支援魔法は大得意だけれど、攻撃魔法が壊滅的にへたくそだ。
気まぐれな精霊の力を借りることで攻撃魔法なんてめじゃない現象を引き起こすけど、それができる精霊使いは、すでに魔猪に挑んだ結果、惨敗して重傷だ。
なのに筋力は人間と同等かそれ以下だし、ついでに言えば和を尊ぶせいで、闘争心なんかとも無縁だから、戦うこと自体を不得手としていた。
そんな中、破壊の権化とも言うべき魔獣に立ち向かうなんて自殺行為でしかない。
よりいっそうお葬式ムードの中、私にのっそりと大きな影が覆い被さった。
間髪入れず、ヤスのすべてを消し飛ばしそうなきれいな顔がにゅっと近づいてくる。
「おう、キヨ。どういうこった」
普通の女子なら顔を真っ赤にするところだが、あいにく私は全くときめかないので、わかりやすいように説明した。
「やたら堅くて強くてめんどくさいイノシシの化け物がもうすぐこの村にやってくるから、女子供だけ先に逃がす算段をしてるの」
「……そうか」
どうする?という言葉は、ヤスの顔を見た瞬間しぼんだ。
「なら、そのイノシシの命ァ盗ればいいな」
「は……?」
にたりと薄い唇の端をあげ、たいそう愉快げに笑ったヤスは、惚けた長老さんに言った。
「レイシュ村はこの村に恩義があるってえ、親父殿が言ってた。仁義に則って助太刀にはいってやらぁ」
親父殿というのは、文字通り私たちの父親殿であり、レイシュ村の長老だった。
虚を突かれた長老さんの返事を聞かずに、ヤスは黄金の髪をなびかせてきびすを返す。
「キヨ、出入りだ。火打ち石をならせ」
「はいはい」
すっと、表情を引き締めたヤスに、私はポケットから取り出した火打ち石をたたき合わせた。
火花が散る中、ついでに精霊達にヤスの無事を願っておく。
こういう顔をしたヤスは何言っても聞かないからね。
「相手はあの魔猪ですぞ!? 一人で行くのは……!」
息を吹き返した長老さんの声は、外から鳴り響くけたたましい鐘の音にかき消された。
同時に伝令役らしいエルフが室内へ飛び込んでくる。
「大変ですっ長老! 村の近くに魔猪がっ! 逃げてきた獣たちも多数っわあ!?」
「むこうからカチコミかけてくるたあいい度胸だ! 袋叩きにしてやらあっ!」
ヤスは、伝令役を押しのけると、野生の虎のような俊敏な動きで、部屋を出てすぐにあった窓から飛び出していった。
闘争心丸出しの、めちゃくちゃぎらついた顔で。
前世の火事や、喧嘩などの鉄火場にいの一番に飛び込んでいく血気盛んな気性は、今世でも相変わらずだった。
あっちゃあと思いつつも、ヤスが行ったんなら大丈夫だろう。
「こうなってしまえば、仕方ありません。魔猪を倒しますので、守りやすいよう村人達の避難をお願いいたします。では」
私も早く追いつかねばと思いつつも、真っ青になって固まっている長老に頭を下げる。
と、きびすを返して扉へ向かったら、新たな人物が飛び込んできてぶつかりかけた。
寸前でよけて、視線をあげれば、そこにいたのは人の良さそうな顔をしたおっさんだった。
4,50代くらいで、エルフだったらあり得ない平々凡々の顔立ちは前世だったらどこにでもいそうで、さらに言えばその耳は丸い。
どうやらこいつが、クランサ村を救おうとしている行商人のようだと悟った。
行商人は私をまじまじと見ていたが、すぐさま長老へ向き直った。
「長老殿、魔猪が出てきたらしいではありませんか。救援に応じてくれる同胞など待っている場合ではありません! 早く彼女たちを逃がしましょう!」
「おおゴース殿。よいところに。それが、同胞達がたった今到着いたしましてな、その一人が今、魔猪を足止めに向かってくださいました」
「足止めではありません。兄は倒しに行ったのです」
ちょっとむっとした私が、固い声をあげれば、長老も伝令役もゴースというらしい、行商人も驚きに目を見開いた。
すると行商人がつかみかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
「お嬢さん、君のお兄さんは精霊使いなのかね!?」
「いえ、彼は精霊に力を借りるどころか、見ることもできません」
なのに、一方的に好かれてるんだけどね。
「な、ならば、魔道士で、魔法を自在に使えるのか?」
「無理ですね。いつも情報伝達は私がしているくらいですので」
魔道士が使うファンタジー技術、魔法は、膨大な知識とたゆまぬ修練によって初めて使える学問であり、技術だ。
ヤスは根っからの勉強嫌いだし、男気をあげることにつながるもの以外は全力でスルーしてるから、使えるようになるのはこれ以降もあり得ないだろう。
ヤスが使えない分、私がそれなりにやるようになったけどね。
事実なのであっさりと伝えれば、長老さんは真っ青になった。
「なら、自殺行為ではありませんか!? 早く連れ戻さねば」
「そうだとも、こんなところにいては危険だ! さあ、君も早く逃げ」
「ですが魔猪を倒せます」
遮るように言葉を重ねつつ、私は行商人が伸ばしてきた手をよけた。
正直、エルフのこう言うところは好きじゃない。
エルフは、和を尊ぶ。
生き残るんなら全員でだし、立ち向かうのも逃げるのも長老と顔役の意見が一致しなければできない。
仲間が危険にさらされれば全力で助けに行くから、一概に悪いとはいえないけれど、緊急事態の今ですら迅速に動こうとしないのにはちょっといらいらした。
「このようなことを申すよりも、村人の誘導に迎撃の準備にやることは山ほどあります。村から逃げる必要はありませんが、私たちが魔猪を倒す間に、村人の安全を確保してください、いいですね」
「は、はい」
長老に向かって念を押せば、彼はこくこくと頷いた。
「では精霊の加護があらんことを」
それに満足をした私は、長老達に一礼すると全力でヤスのあとを追ったのだった。