最後の毒薬(最終話)
「褒められてるのか何なのか…。」
そう呟くと。こちらを見ている瞳が、ゆっくりと瞬きをする。
「好きっていうのは、本当だよ?」
「あ、ありがとうございます。」
研修時期にしか、関わりが無かったのにこんなに気に掛けて貰えるのは素直に嬉しいと思った。
「うーん、竜也くんには、まだちゃんと伝わって無さそうだなあ。」
「え?」
少し上体を起こして、先輩は頬に口付けた。
この人といると、僕は混乱するばかりだ。
「こういう意味での、好きだからね?」
「え、あ、はい。」
まだどこか混乱したまま、返事をした。
少し困った様な顔をして、先輩は笑う。
「まだ、よく分かっていないね?」
「ちょっと混乱してて…。」
素直にそう答えた。嘘を吐くことは、すこぶる下手くそなのだ。
「良いよ、今はそれで。」
掌が頬に触れて顔を包み込まれる。温かい掌に包まれると、どこか安心した。
「今日はもうお休み。」
「はい…。」
背に回された腕は、ぽんぽんと拍子を取って優しく触れる。
「僕は、先輩のこと…。」
徐々に瞼が重たくなっていく。先程迄は、会話をしていたのに、だ。
意識が睡魔に絡め取られていく。瞬きを繰り返しても、睡魔は変わらない。
「おやすみ。」
先輩の声が近くで聞こえる。そうして、僕は睡魔に抗うことなく目を閉じた。
*
「…やっと寝てくれたか。」
繋いでいる手をそのままにして、ふうっと一息。
規則正しく聞こえてくる寝息にほっとする。
寝顔は幼く見えて、可愛らしく感じた。男性に使う言葉としては、適当ではないかもしれないが。
「ああ、でも朝起きたら忘れてるかもしれないなあ。」
今日は2人して、飲み過ぎてしまった。
それ故に記憶が曖昧になる事もあるだろう。
忘れてしまっていても、良い。
それなら、今迄通りの先輩と後輩という関係を続けるまでだ。
「この事を覚えていたら、どうしたものかね。」
どうしたもこうしたも、無いのだが。
竜也の気持ち次第である。
「僕等はどうなるんだろうね?」
そう独り言を呟いて、翔も眠りに着いた。
*
すっかり日が昇った頃に竜也は目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋を照らしていた。
もぞり、と動いたところで翔に抱きすくめられたまま寝ていた事に気が付いた。
昨日は遅くまで話に付き合わせてしまったので、起こさない様にそのままじっとして翔が目覚めるのを待った。
竜也は昨日のことを、ぼんやりと思い出し始めていた。
『翔先輩、好きって言ったよな…。』
『あの好きは、恋愛感情でって意味だよなあ…。僕は、どうなんだろう。』
竜也は自分の感情をどう位置付けるか、まだ決めかねていた。
確かに翔を慕っているし、好いている。
だが、それが恋愛感情なのかどうかと問われたら、首を捻る。
『同性を好きになったことが、これまで無いから分からない…。』
そっと翔の手を握り返す。
温かな掌に落ち着くのは、何故だろう。
繋いだ手を解いても良い筈なのに、それが出来なかった。
この心地よい温度を手放すのが、惜しく感じるのだ。
『こういう風に思うのは、好きということなのかな…。』
暫くそうして腕の中で、考えていると翔が目覚めたようだ。
「おはよう。竜也くん。」
「あ、おはよう…ございます。」
何事も無かったように挨拶をする翔に、こちらの方が緊張をしてしまう程だ。
瞬きをしている、ガラス玉の様な瞳に竜也は、釘付けになる。
この人は瞳がとても澄んでいて綺麗な人だ。
「翔先輩。」
「ん?」
「僕、翔先輩のこと、好きなんだと思います。でも、それが恋愛感情だってハッキリ言いきれなくて…。」
「そうだよね。ゆっくり好きになってくれたら嬉しいな。」
「なんか、すみません。こんな答えしか出せなくて。」
中途半端な答えしか出せない自分が、竜也は情けなかった。
しかし、それでも翔は責めるようなことは言わなかった。
「大丈夫だよ。僕等はどうなるんだろうねえ。」
「えっと、一応お付き合いする形になるんですかね…?」
「いいのかい?期待しちゃうよ?」
冗談めいてそう言うと翔は、竜也の頭を撫でた。
「翔先輩と、こういう風にしているの嫌いじゃないですし。」
「またそうやって殺し文句を…!」
翔は困ったように頭を抱えて見せた。
竜也は自分の言葉を反芻して、恥ずかしくなって何も言えなかった。
「僕をからかうの好きですよねえ、翔先輩。」
「ほら、好きな子には、意地悪したくなるだろう?」
「好きな子って…。」
二人で目を合わせると、何故だか笑ってしまった。
「まさか、僕のこと言ってます?」
「そりゃあ、そうだよ!」
「翔先輩も、充分殺し文句言ってるじゃないですか…!」
「天然で言える、竜也くんには遠く及ばないよ!」
翔は、演技かかった口調でそう言う。
それに思わず笑ってしまった。
竜也は、翔の手を握り直した。
「これから、よろしくお願いしますね。翔先輩。」
「こちらこそ、ね。」
竜也の額に口付けて、翔は優しく頬を片手で包んだ。