神、そこに在すなり、われは神の木偶人形なりしかば、(私の宗教哲学)
そもそも宗教とは
すべてに神を見る、神の遍在を見る。ということでしょう。
もし?神がいない?という前提からだったら、宗教哲学もへったくれもありませんものね。
ただ多くの人には神はいつだって見えないし、神がそんなところにいようなんて思いもしない。
だが神はそんなところにも居る。それが宗教の不思議な大前提でしょう。
添いて神とは取り見直さず、、
実は、「あなたは神だ」ということでもあるのです。
厳しい修行をすればいつか「あなたも神のようになれる」ではなくって今速攻であなたが神そのものだという奥義です。
だが誰もそんなたわごとは信じようとしないだろう。
神はあなたという被造物を通して神の差配を演じようとしている、
つまりあなたは「神の申し子」なのだ。
無いものから有るものが生まれるということはあり得ない。
それは過去にもあったし現在もあるし未来永劫にわたって在り続ける。
でもおんなじ形(存在形態)ではない、それはどんどん形を変える、
だから、それが消えた?と誤解する人が多いのだ。でも形を変えながらそれは存在し続ける。
それは決して死なない、不老不死なんですよあなたはすでにね。でも気が付かないという根本的な誤謬。
あなたはすでに神ですから、
あなたは実はなんでもすでに知り尽くしている、だがあなたは何も知らないという。
「生まれてはじめての経験です」なんて平然と?いう。それは嘘だ、あなたは何度も転生を繰り返して今ここにいるのだから実はなんでも知り尽くしているのだ。だから本当は何もしなくってもいいんだ。でも?魂は再び実体験(追体験?)したがっている、で、知らないことにしている?だけなんだよ、
そうして一見何も知らぬげに人生という再びの実体験に挑むというわけさ。
ところでその人生を生きるこの世界なのですが。
どんな奇想天外なSF小説よりも、、、
どんな破天荒なファンタジー小説よりも
不思議な事がある。
それはこのあなたが今生きてるこの現実世界なんだよ。
だってこんな不思議な世界ってあるか?
不思議で、不可解で、謎だらけ、理屈が通らない世界、
この現実世界は不思議の大三千世界、不思議の総合商社そのものだ。
だって、この世界って考えれば考えるほど、不思議で謎ばっかりでしょう?
例えばこの地球が球体だなんて。ふざけすぎでしょう?
そんなとんでもない世界はいったいどうしてできたと思う?」
こんなふざけていてとんでもないようなこの世界は
私は、、神がつくったとしかおもえないんだけどさあ。
でももっとも不思議なのが人間だろうね。
つまりあなたであり私である人間だよ、
人が誰に教えられたのでもないのに、
「愛」「善」「慈悲」「忍耐」「許し」などという意識を持っているのはどうしてだと思う?
不思議だよね?
それはあなたが神の作った、神の申し子だからではないのか?
そうとしか考えられないじゃないか、
でも
人生に迷う?としばしば人は言う。そもそもじゃあ神の子が迷ったりするのか?
だが本当は人生に迷いなんてありえないのさ、
だってあなたは神の申し子だよ、
あなたは必ずゴールに到達するんだよ、ただし、人によっては迂回コースをたどったり、
迷いの森コースをたどったりはするんだろうけどね。
それもありていに申し上げれば実は深いところでは、わかっててそうしてるだけなんだよ、
そういうコースで学ぶべきことがあなたにはある(あった)からさ。誰もゴールは決まってるしほんとはゴール何か(どこか)をわかってるんだよ、
人生に正しいコースもなければ間違ったコースもない、人はその学ぶべき課題によってそれぞれに適合したコースをたどるってことなのだ。
極端なことを言えば、、誤解を恐れずに言えば、
あなたが連続殺人鬼でうら若い女性を30人も殺すという人生かもしれない、
それはしかし、それが(それしか)あなたが人生を学ぶ方法がなかった、、という一見恐ろしい事実なだけなんだよ。この世界は極楽ではない、この世にはそういう連続殺人鬼もいれば、みなしご1000人、救済するような聖人もいる。こういう「混とん」さ、というものがこの世の正体なのさ、
あなたがどっちになるのか?其れは神のみぞ知る、、ということでしょう。
結局はあなたがこの世界に何を見るか(見出すか)ということに尽きるのでしょう。
神とはいわばとんでもないような巨大な?パラドックスです。
神とは究極の不条理なのです。これ以上はないような不条理、それが神です。
だから、、
例えば、、
無残に殺されて散らばる兵士の死骸にも、神を見ることだってできうるのです。
難病や障害に苦しむ患者ののたうち回る姿にだって神を見ることができるのです。
何の罪もないような幼児が無残に殺されたその死骸にだって神を見ることができうるのです。
もし、あなたがそこに「神、いますなり」と深く信じるなら。
人生というものの究竟の奥義とは
あなたがこれから努力したり、猛勉強したりして「何か」になる、、ということなんかじゃやあないということです。あなたはもうなってるんです。あなたはそれなんです。でもあなたは気づかないだけなんです。あなたがもうそれになっていることをただ気づけばいいだけのことなんです。
「あなたはいったいなにものですか?」
気づきなさい、そしてそのようにふるまいなさい。
祈るのはやめなさい。「神様、どうかあれこれこうこうして下さいまし」とお涙頂戴に、泣き言を神に祈るのはやめなさい。
永遠という観点から(永遠の相のもとに)世界を、人生を、をあなた自身を、見るってことが必要だろうね。そうすればあなた自身の今生での使命が、つまりあなたがなぜここにいるのかが見えてくるだろうから。
「でも神さま?私の人生は不幸で不運でしいたげられて、挙句、もう野垂れ死にしそうですよ」とおっしゃるあなた。
大変厳しい言い方になるが、「それがあなたの求めたものだった」ということなのです。
神は求めたことしか与えません・あなたがそういう人生を実は?求めていた。なぜかはわかりませんが。あなたは今生でそういう経験を、実体験したかった。という恐るべき真実なのです。
そこにはおそらく吾らのような被造物でしかない「肉の子」の知りえない深い真理が隠されているのでしょう。としか、私にも言えませんが、、、。
いわゆる成功者で、勲章もいただき、名声も極め、人望も厚く、そういう「何事」かを成し遂げた人物が、さて死ぬとき、「そんなもの(事)一体何だったのだろうか?」
とたぶん思うでしょう。そんなこと実はつまらないことなんですよ。
そうではなくてあなたが人生で生きていって、その間に巻き起こる事態に対して「どう思った」か
「どうあったか」それだけが重要なことなんですよ。
神を、、、
神の差配を
神の配慮を
神の思いを
肉の子にすぎない人間があれこれと忖度したり、当て推量したりしてはいけない。
お前なんかに神の深いお心がわかるわけないじゃないか。そうだろう?
でなかったら、、2歳で突然死した私の兄の人生って何だったのか、、ということが
納得できないだろう。
神には神の深い思いがある、そう思うしかないのだ、
それが人間の分際をわきまえるということだろう。
だからあなたも私も決して自分を責めたり、なじったり、する必要はない、
ただ素直に自分を見つめて、そうでない方向に舵を切ればいいだけの話だ。
何か災難が起こったとき、その災難によって
「神は私の中の何を試そうとしているのか、私の中の何を引き出そうとしているのか」
そう考えなさい、。
決して神が「私のことをいわれなく苦しめた」、、などと思わないように。
どんな状況でもどんな災難でも、
見方や考え方次第でどうにでもなるという真理を会得するのです。
というのは人生とはただの「私がそして、あなたが見てる夢にすぎない」からです。
神が見させてくれた夢と言い換えてもいいでしょう。
真剣に生きるのは良いですが、あまりにも深刻になりすぎてはいけません。
人生とは、、いずれ終わる夢にすぎませんからね。
もちろん夢だからと言って手抜きをしたり、いい加減に生きてはだめですよ。
夢芝居にだって真剣な役作りや真剣な演技が求められていることは言うまでもないからです。
要諦は「夢と知りつつ、手を抜かず」ですよ。
「いやあ人生に迷っちゃってね」
いいえあなたは迷ったりしていません。あなたはすでに知っているのです、それに気づきなさい。
そしてその知ってることを実践すればいいだけのことです。
もしも私が神の深い知恵と差配を知りえたなら、この不満だらけの人生の姿は一変するだろう、
そこには、もはや喜びと愛と感謝と、恩寵しかありえないだろうから。
まあそこまではいかなくても、例えば、、この人生でですよ。
幸運だらけ、大金持ちで、健康で、友人もいい人だらけ、不幸が皆無?だったらどうでしょうか?
それで人生の本当の味わいがわかりますかね?
時に涙もあり時に楽しみもあり時に苦痛もあり、勝ったり負けたり、浮き沈みもある、、それが、、人生でしょう?そうして、やがてだれもみんなある日死んでゆく。それが人生というものでしょう。
逃げ廻る人生?というのもアリですが。でもそのツケは必ず来ます。逃げ回るのではなく、今、敢然と引き受けなさい。誤解を恐れずに言い切るならば
「この世で起こるすべては起こるべくして起こっている」ということなのです。起こるべくして起こるという意味において「すべては正しい」ということなのです。そこを読み違うと「人生は悲惨と不幸のオンパレードでしかない」という悲観主義になってしまうのです。そんな悲惨な出来事の向こうには神の聖なる差配があるということです。吾らには理解しがたいことではありますが、、。
つまり人間の物差しでの「正邪」と神の視点での「正邪」は全く違うということなのです。
例えば人間の視点では人類が遠い未来に絶滅するっていうことは重大な案件ですよね、でも宇宙的視点ではそんなことよくある話でしかないのです。あんなに5億年も栄えた恐竜も絶滅しました、人間なんてまだわずかたった、200万年ですよ。生物の絶滅なんて地球では当たり前のことでしかかないのです。
人間だけ特別なんてありえないのです。
宇宙とはたぶん神の見ている夢なんだと私は思うのです。
神だけが存在していて神は様々な夢?を見る、
宇宙の夢とか、人間という夢とか、一切は神が見てる夢だと思う、だからあなたの中に神が顕現している、
悪も善も神がこの夢幻劇を面白くするために?キャスティングしたということ、そうしてこの劇の
趣旨は、神の大団円だということなのだと、私は思う。
劇が終われば悪人役の人も、にっこりして「実はそういう役だったんですよ」と言って善人に戻るみたいな、、。
そういう意味でこの世界は包括的には大善、大慈悲の世界である。なぜなら世界は神が作られたのだから。
いずれにしましても、あなたも私も「かりそめ」のカゲロウのような神の夢見た架空存在でしかないのです。
今のあなたの状況にしても、一瞬にして変わる可能性があるということです。
というか常に激変しているというのが人生絵図その真相です。
流れに乗りなさい、
俺の人生なんて変わりっこないやなんてあきらめていけません。
人生なんてどうにでもなるものなんですから。
良きにつけ悪しきにつけ人生なんてコロコロ変わってゆくものなんです。
ですから過度に心配しすぎたり
その反対に、安心しすぎてもダメですよ・
要は流れに乗ることです。
ある意味人生とは「それだけ」なんですからね。
神に任せなさい。
つまり神の声を聴きなさい、
聞こえないって?
よく耳を澄ますのです。、神はすでに答えを出していますよ。
そうしてあなたの人生はまるでカゲロウのように、あっという間に過ぎ去るのだが、
それであなたは再び神の、夢に、希釈されるのだ。
あなたの、私の人生とはつまり神が、「相対的な被造物の世界ではどう体験できるだろうか」という
試みを実践しているという、まあ試行錯誤?みたいなものだと考えたらよいのです。
まあ言ってみれば神の「社会実験」みたいなもの、
それが吾ら人間であり、被造物の存在理由です。
だから我々は神そのものの分身でありますが。その存在は有限の被造物であり、不自由な有限存在でもあるということです。
まあたとえてみれば神の息を吹き込まれた「木偶人形」ということです。
この木偶人形には、有限ではあるけども、それなりの能力は与えられている、
その能力を自由に使って人間は限られた範囲で、社会実験する、。
何を?、神のレベルは果たして有限世界ではどこまで反映できるかという実験だ。
だから当然、チャンスもあるし、再チャレンジもある。どのレベルにまで到達しえたのか。
神はみずからの、有限の分身である人間でそれを試している。
神はいろんなことを実験している、
だから百人百用のその人なりの人生目標があるのである。
あなたな目標は何ですか?
行動し、チャレンジしてそれを成し遂げるのです。
とりもなおさずそれがあなたの、人生の使命です。
あなたはそれを成し遂げようとする、
あるいは挫折してだめかもしれない、あるいは栄光の頂点に立つかもしれない、
いずれにしてもあなたの人生はやがて終わる、そのとき達成しようが達成しなかったろうが
もうどうでもいいのだ。
すべてはチャラになる、リセットされるのだ。
神の夢幻劇は終わりましたよ、
「みんな役を外れて、素に(本来の姿)もどって下さい。」
そういわれるまでは、この劇を降りることはできない。
なぜならあなたは神の木偶人形だから。
もしこう言い切ったら誤解を招くかもしれないが、、
あなたは30人の女性を殺した連続殺人鬼だった?。
それも神の計らい(実験)だった
あなたは1000人の孤児を救った聖女と言われた?
それも神の実験だった。
あなたは神の遣わした実験装置だった?
あなたは神のそういう実験をさせられただけだった?
あなたは神の木偶人形。
というかあなたはそういう、いやな?あるいはありがたい?実験のための、神の分身だった?ということです。
つまりある意味あなたは神そのものなのです。
すべては神の計画通りということです。
神の計画は、終わりも、ゴールも、目的地は当然初めからわかっている、
ただ。。人間には知らされていないことのほうが多い。
でも知らされていなくても、
必ずあなたはそこに到着する、
それは確かだ。、
そこに達するということは、もちろんあなたが悪い?のでもないし、
あなたが努力して良い子?だったからでもない。
そうなるべくしてなっただけの話しである。
だからそこには罪とか罰とかは本来はない、
神の配意がそうであったというだけのこと、
だから神を信じてどんどん好きにすればいいだけのことです。
恐れるのもバカですし、
深刻ぶるのもアホです。
実際問題あなたが人生でどうなるかは、あなたの自己責任というか自己判断によるところが大きいでしょう。確かに、
神は人間に自由意志も与えていますからね。
とはいえ吾らはいたるところに神の遍在を見るしかないということです。
神そこにいますなり、
すべては神からの放射であり遍照金剛です。
そうして結局は
大局的には
「あなたは神から発して、様々な夢の実験をさせられて、そうして再び神のもとへ帰る」
、
人生とはそういう大循環の回帰現象だという、そういうことなのです。
終わり