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第7章 中原綾子について


第7章 中原綾子について


「どういうことだ!?」

 電話の向こうで典子が声を荒らして怒っている。

「彼女が遺書に書いている通りです」

「「私にはもう生きる意味がありません。ユラさんの後を追います。後はよろしくお願い致します。」だって?」

「その通りです。彼女は私に捜査の依頼をして、そして自殺したようです」

「何をのんきなことを!彼女の自殺願望をあなたが見抜けなかったのか?その直前まで一緒に居たはずの貴方が」

「分かりましたよ。だから、斉藤に、見届けさせました」

「その斉藤が止められなかったって?」

「止に入りませんでした。私の指示に従って。典子様、冷静な気持ちで死を望む人間の自殺を止める方法はありません。

加藤英司さんのために「烏の国」を描いた由良姫のように、私たちも、自分のできることをするしかありません」

「しかし、その加藤が死ななかったのに、伽椰子が死んだではないか?私には分からない。だって、昼間はまだあんなに

元気だったのに?」

「いいえ。あなたになら分かりますよ。死んだのは上野伽椰子のみではありません。野口守弘も死にました。そして同じ

ことを言いました。私にはもう生きる意味がないと。つまり、私の役割が終わった、と。典子様、3年前に現れた上野伽

椰子と野口守弘は役割を終えて、退場したのです」

「どういう、意味?」

「まぁ、直にお話しましょう」


 とても外に出る気になれない典子の気分に配慮して、敏光は再び典子の自宅に訪れた。一日ぶりに合う典子は敏光の予

想通りにまるで別人のようにやつれて、薬物のために体が震えている。幸いにして、言葉は出るようである。

「つまりは、彼と彼女はグルだったと、私は思います。野口守弘と、上野伽椰子の2人が」

 典子はもう相槌を打たない。視線で続けろと意思表示をした。

「あの2人は3年前から由良姫のそばに待機していました。そして今回の状況の変化に応じて、1人は由良姫を殺して、

1人はその後始末をしました。つまり、私たちへの説明です。そしましたら、貴女の疑問点も解かれます。由良姫は最初

から、信用したのが上野伽椰子のみでした。野口守弘を家に入れたのは、伽椰子だと思ったからです。野口守弘が由良姫

の家の情報を知っているのも、もちろん上野伽椰子からです。本人は住所すらも教えていないかもしれない。由良姫が人

に警戒心を持っていないのは、上野伽椰子の一方的な主張でした」

「そんな、あの時あなたも同調したではないか?」

「あの時点では、彼女の証言を疑う理由がなかったからです」

「で?死んだから疑うと言うの?」

「違います。彼女の話を聞いてから、確信しました。彼女は野口守弘と同じであると、しかも野口ほどよくできてはいま

せん」

「何が、目的?」

「金銭、あるいは義理、ではないかと」

「金銭?死んだら使えないのだろう?」

「もう使い果たしたかもしれません。2人共、彼らの人生を普通に生きていたら、手に入らなかったはずの大金を手に入

れ、そして使いました。その償いとして、使われたのかもしれません。しかしここで違うのは、野口守弘はいくら洗って

も真っ白でした。資金の入手ルートは、貴女の言ったように、複数の社会的な地位を持っている人間からです。彼らには

共通点がないし、私たちは彼らがグルだと想像する理由はありません。つまり、野口守弘こそが切り札だったと、私は思

います。貴女が納得していたら、上野伽椰子という予備札を切ることもありませんでした。上野伽椰子は父の会社の収入

を合理的に説明することができませんでした。ここが彼らの限界だと思われます。探って行けば、源に到達します」

「強引だ。そのルートの調査はして置くが、それでは感情的な説明がまったく付かない」

「感情的な要素を信用すれば、私たちはもう負けです。特に伽椰子は、自殺してもおかしくないキャラクターでした。彼

女は自分の自殺する理由を、長い時間を使って私に説明しました」

「何と言った?」

「録音をお聞きください」

 敏光は伽椰子の供述を録音したデータを典子に聞かせた。

「大まかな筋妻は合っているな」

「はい。感情面では野口守弘よりもよく出来ているかもしれません」

「あなたの理屈だと、全ての面で白だと証明できなければ黒になる。それは強引ではないか?普通は絶対に白だと思える

一面を持つ者を外すものだろう」

「絶対に黒が居なければならないと設定したのが貴女です。典子様」

「だからと言って、それを死人に押し付けば済むわけ?あなたの言っている彼らの行動原理が理屈に合わない。大金を入

手する以前の彼と彼女も、まっとうな人間でした。そして握られそうな弱みもない。そんな人間が、2、3年のあいだ自

由自在に金を使えるために死んだりはしない」

「ですから、義理のための可能性が高いと思われます」

「その義理を具体的に説明できるの?」

「残念ながら、今のところは」

「それじゃ話にならないじゃないか?そして?肝心の黒幕は?誰だと言うの?」

「首謀者については、最初から典子様の方がよく考えていらっしゃるじゃありませんか?貴女はもう、意見を持っておら

れるはずです」

 典子は考える。確かに、もし敏光の仮説のようにあの2人が暗殺者だとしたら、当然雇い主の情報を残すはずもない。

その場合は、ユラの死に誰が得をするという振り出し戻らなければならない。そしてそれは自分の仕事である。その手の

情報は彼よりも自分の方がよく知っているからである。しかし、前提がなっていない。時代劇ではあるまいし。あの2人

がただの忍者であった。と説明することにあまりにもリアリティが欠けている。そして客観的に見て、目の前のこの男が

何をしたと言うんだ?彼は、伽椰子を追い詰めて、死なせたのにすぎない。そしてその過失について詭弁している。そう

だ。伽椰子を殺したのが、彼だ。そして、彼はなんと言った?いや、待って...

「あなた、斉藤に伽椰子を尾行させたと言った?」

「その通りです」

「して、あなたの見たいその展開が、得られた?」

「いいえ。伽椰子は完璧に、自殺しました」

「もうたくさんだ。洗いざらい話してもらおう。あなたは伽椰子は嵌めたのだろう?何かを見るために。しかし失敗した。

捉えられなかった。死なせた。あなたの予想は外れた。そうだろう?あなたは、何が見たかった?」

「もちろん、伽椰子が何物かに襲われる場面や、伽椰子が誰かと取引する場面と言った現実敵な想像もありました。しか

し、私が一番心配したのは、伽椰子の死体から、何かが抜け出すということ、ですね。まぁ、あなたの指摘した通りに、

2人もの人間の命を駒として振るうことがあまり考えられませんからね。しかし、これでオシマイです。何も出て来ませ

んでした。つまり、敵にはもう駒がないと思われます。2人共死にました。しかも無駄遣いです。あなたはまだ納得して

いません」

 私は本当に何を考えて、何をしようとしているのだろうか?たとえ伽椰子が本当に事件に絡んで居たとしても、彼女が

ちゃん感情を持って生きた、やさしい女性だと言うことを、私はこの目で見て来たではありませんか?その人を、敏光が、

いや、私の意思に従って、追い詰めた。いいや、まだそうと決まったわけではない。というより、全ての事実は、彼女も

野口の自分の意思で死を選んだことを語っている。私のしたこととはなんの関係もない。野口は死んだ。伽椰子も死んだ。

加藤も死んだようなものだ。なのに私は、未だにありもしないかもしれない幻を追い続けている。私だけが、感情の分か

らない機器だから、か?ユラの後を追って死ぬ。それが、なんと言うのだ。私にできないとでも言うのか?いや、いや、

あなた達が不自然なことを残したから、私がこんな立場に負われているのではないか。でも、不自然な点はもう全部、説

明されたではないか?私のこの釈然としない気持ちは、ただの我侭だろうか。

「2つ確認したいことがある。あなたの意見を述べてみるがよい」

「お聞かせください」

「まず、私たちが求めている人類の敵の首、それが上野伽椰子のだった。そう、あなたは思うのか」

「全く違います。彼女は敵の捨て駒です。あなたの受け入れやすいように言えば、被害者の1人と言ってもいい」

「しかし、彼女が我々に追い詰められたのが事実ではないか」

「まず、彼女はそう言っていない。由良姫の後を負いたいだけだと遺書に書いた。そして、貴女も録音を聴いた通り、私

は彼女が犯罪者であると指摘しなかったし、有力の証拠になるものも見せなかった。ただ、確かに私はゆすりをした。私

は知っている。私は調べる。調べれば分かる。というようにね。これが彼女に追い詰めたのだとしたら、彼女自身に負い

目があることになる。私に知ったら、もはや生きては行けない何かを、彼女は持っていたと解釈した方が自然でしょう。

ところがね、実は、私にはもう一つの気になる点があります。つまり、彼女が自殺しに行く前に、私に見せた顔は決して

恐怖や懺悔ではなかった。あれはまるで、勝利を確信した笑顔のようだった。そこが今の私の一番の引っかかるところで

すね。しかし、進行はまだ暫く続けられます。いつか何処かで、彼女がその死亡を予言したような微笑が実らないこと祈

らんばかりですね」

「ほほ、彼女は笑ったのか、野口守弘のように」

「いや、むしろとても慎ましくて可憐な笑い方でしたよ。しかし、場違いでした。つまり貴女の想像した通りに、意味は

おそらく、野口守弘のように、笑って、勝ち誇ったのです。」

「なるほど、しかしそうだな、野口のことを私も今までこの点にていて考えなかった。彼れは何を笑ったのか?表面上で

は、彼の犯行を成就させた我々への追い打ちだ。しかし、同時に私はこうも感じた。彼は洗っても洗ってもきれいな経歴

と、大衆が読んだら納得するが、私のみが違うと分かっている感情論の犯罪動機のを残した。つまりあれは私への挑戦状

だった。と私は思った。ところが伽椰子の方がどうだろう。彼女は犯罪もしていないし、説明もあなたも行った通りに、

感情的に理解できる内容だった。そして、そこであなたは追い打ちをして、私は「貴女がこの事件の核心に絡んでいるこ

とを知っている」とほのめかした。そして「人類の首」は必ず取ると言った。そこで彼女が笑ったか。上城、私はあなた

が彼女にしたようなこの尋問は決して感心しませんし、彼女の自殺を知っていて止めないことにもモラル的な批判をする。

しかしいいか?今は、あなたに弁明をさせる時間ではない。彼女の笑いの意味、私は今に分かった、野口守弘と同じなは

ずがない。それは、負け惜しみだ。つまり、天秤がこちらに傾いてきたということが。さぁ、具体的に話すがよい。あな

たどういう緒を使ったんだ?」

 典子はタバコをとりあげ、ひと口吸いた。気分はみるみる内に回復している様子である。こここそが潮時だと敏光は思

えた。

「はず、お聞かせしたあの伽椰子の録音ですが、あれはやはり不自然な点があると思います」

「それを何故最初から言わなかった?」

「典子様の、気分が回復されるタイミングを伺っておりました。確かに、私たちは幾つかのヒントを掴んでいるし、状況

が絶望的ではありません。しかしながら、仰るように、感情的な面では、私たちは反省すべき点もありました。なので、

もし次のステップに進むと仰るなら、まずはその感情的の整理を一度に精算した方がよろしいかと存じます」

「もういい。説明を続けろ。感情の整理にしても相手次第じゃないか」

「上野伽椰子の供述の不自然なところはやはり、彼女は上手く由良姫に興味を惹かれた理由について説明できなかったと

ころでしょう。彼女は由良姫とよく写真の話をしたと言ってる割に、見せれる彼女の写真もないし、十分な知識が備わっ

ているようにも思えませんでした。それでは、由良姫が納得しますまい。しかし、彼女が由良姫と3年間親密に付き合っ

たのは事実でしょう?」

「私にはそのように思えたし、ユラもある時期を過ぎてから、私に合う時に必ず上野さんが同行していた。」

「そうしましたら、ユラさんが、伽椰子と主に何をして遊んだからについて、お話しませんでしたか?いいえ、典子様の

性格ならきっとお聞きになったのでしょう。はぐらかされたのですか?」

「いいえ。ユラははぐらかすようなことをしないよ?聞かれた質問はだいたい理由がはっきりしていれば答えます。そう

ですね。伽椰子について、私も気になりました。ユラが言う人は、確かに伽椰子がそう言ったように、伽椰子から誘われ

て、映画に行ったり、カラオケ行ったり、コンサート行ったり、お人形で遊んだり...」

「人形?由良姫は人形に結構こだわっていたんですか?」

「ユラにしては数多くの分野の一つにすぎないと程度の雰囲気だったね。しかし伽椰子とは良く人形のことを話していた

ような気がする。伽椰子の方が詳しいかもしれないね」

「お嬢様。それは出来したぞ!」

「なんですって?」

「上野伽椰子は人形のことについて頑なに語ろうとしませんでした。由良姫とよく話す話題が何かという質問ついて、自

然な答え方ができませんでした。写真とは言ったが、信ぴょう性は不十分です。では、なぜ写真が良くて、人形じゃだめ

だったのでしょうか?」

「あなたが男性だから、人形のことよりも、写真の話の方が理解されやすいと思ったかもしれないよ?」

「そうでしょうか?ところで、今一度、現場に行って見ませんか。案内役の居ない、二日目の訪問は、もしかしたら違う

発見ができるかもしれません」

「つまり、あなたは、一回目のときに、伽椰子が意図に私たちのイメージを誘導したとでも言うの?」

「そればからではありません。部屋に入ってから、私は自分の調査のみに集中して、彼女を監視することを怠りました。

私たち2人は少なくとも1人が、それをするべきでした。だって、由良姫のアトリエの電源が故障したのも、警察のせい

ではないかもしれませんよ?その他も、きっと、たくさん細工しました。私たちがまた来る時に備えてましてね。」

「そんな、だって、伽椰子に会いたいと言ったのが、あなたではないか?」

「私は会いたいと言ったが、決して現場に連れて行こうと言ったわけではありません。そして、どうでしょう。あの日、

あそこで偶然に会ったから、それなら一緒に行こうではないか、という流れになりました。それが偶然だったと、今でも

貴女は思いますか?」

「なるほど、振り回されていた、と?しかしやはり分からないのは、もし本当にあなたの言うように、伽椰子が敵の駒な

ら、敵があのタイミングで彼女を切ることに何の意味があるのだろうか?彼女が居たら、相変らず立場は安全だし、私た

ちの邪魔が好きなだけできる。今ならどうだ、向こうにはもう動く駒がない。そは棄権に同義ではないか?」

「典子様、これが斉藤を尾行させた意味です。伽椰子が自分はもう不利な立場に居ると思えたのは、もちろん私の演技だ

からです。しかし本当に追い詰めるだけの根拠が揃ったわけではありません。敵になら分かるはずです。しかし、伽椰子

自身はどうでしょう。彼女は敵と連絡を取らなければ、判断力が限られています。そして、彼女が如何なる方法で誰かと

連絡を取るにしても、尾行している斉藤にはバレます。だから、彼女は焦りました。分かっているのはたった一つ、私た

ちの注意を、あの人に向けてはならないということでした。ですので、私は、こうも思います。つまり、その人は、私た

ちの知っている人物です。しかも、伽椰子があのタイミングで連絡したら、絶対に不自然と思われる人物です。そして、

正体を表したら、伽椰子を貴女から庇うだけの力がありません。だから、彼女は絶望したのではありませんか?」

 やはりこの人が伽椰子を殺した。彼はもうそう認めている。あんなかわいそうな女性を苛めることは決して褒められる

べき行動ではない。が、一歩間違えたら、私たちが負けるところだったのかもしれない。そう思えば、典子は厳しく敏光

の目を見つめた。その視線には、非難と了承の意味が伴っていた。この結果は敏光の予想通りである。伽椰子はなんと言

っても典子にも好かれていた。失わせば、自分の評価が決して上がらない。

「まだ、用心した方がよいと思いますよ?まだ駒が切れたとは、限りません」

「ほー、誰がそうだと?」

「例えば、この私とか?典子様、貴女が生きている限り、敵は危険に晒されています。そして不利になりつつあります。

いくら貴女をやったらただでは済まないとは言え、焦った敵の行動は予測が困難です。ルールは、破られるかもしれませ

ん」

 典子はしばらく吟味した。敏光が伽椰子を取った一歩も上品とは言えなかった、それをやり返されても文句は言えない。

しかしどうも、そういうことをする人間は、自分が感じている敵の印象といささか食い違っている気がしてならない。

「あなたは、我々の追っている敵が、そのような下品なセンスの持ち主だと思っているのか?」

「少なくても、伽椰子が命を払っても守ろうとした、その相手は、そんな脆い存在だったように思われます」

 敏光の言いたいことがだいたい理解して来た典子であった。

「なるほど。了解した。では、現場に向かおう」

 再び入った和ノ宮ユラの自宅は、昨日とは何も違わなかった。しかし敏光の指摘した通りに、状況が何もかも違った。

今度はアトリエの電力システムを修復する業者も連れて来た。今から思えば、昨日は確かに可笑しかった。少なくても、

典子自身は伽椰子に遠慮していた。彼女の前では、何故か相変らず、ユラに敬意を払う姿勢を保ってしまった。ここが、

彼女の家でもあるように思えたからかもしれない。しかし今はもう違う。ユラも伽椰子も死んだ。典子は改めて気を引き

締めて、由良姫の家の隅々を調査しに動き回った。そして人形部屋に入った途端に、緊張感がにわかに一層高まって来た。

ここに問題があるかもしれない。伽椰子が我々の注意をここから逸したかった。しかし、この部屋は他の物置部屋とは違

わず、ただ整然としている。スタンドを殺人現場で使われた、等身大の人間の骨格模型のみが、調和性を乱して部屋の片

隅に横たわっている。本物の骨と見違うほど生々しく細部の質感までが再現されているその模型でが、触れてみたら、素

材はレジンのようだ。そしてヘッドの髑髏を外して見たら、裏側にはメーカーの名前が刷ってあった。大阪にある、某医

療用模型の生産業者のようだ。この骨格模型に問題があるとは思えなかった。

「どうだ。違和感を感じるところがあって?」

 敏光も他の人形のヘッドを外したり、服を脱いだりして、丹念に調べていた。

「中原綾子の人形がここにありましたら、面白いと思いましてね」

「なるほど、野口守弘との繋がりか。して、それがあった?」

「いいえ、お恥ずかしいところですが、人形についての知識が皆無で、作者の判別の方法が分かりません。ただ、そうで

すね。ネットに上がっている、中原さんの有名の作品と比較したら、ここにある物は何と申しますか、そうですね。素人

の私には、中原綾子の名作の方が、興味を惹かれます」

 敏光がタブレット端末に表示させた画像をチェックしたら、典子もなんとなく彼のコメントに共感を覚えた。客観的に、

中原の人形の方がより凝っているように見えた。そして、素人の興味をも引いてしまうような、アート性が感じられた。

なんと言うか、こういう人形の方こそがユラに相応しいと思えたのは、無責任なこじつけだったのだろうか

「ほほー、ユラにしては珍しいが、人形にはそこまで求めていなかったのかもしれないね。伽椰子も言ったように、ユラ

は可能な限り電子機器の性能を求めたが、何度もかんでも最高級品を使いたがるわけではなかった」

「それが伽椰子の主張だから、余計に慎重に再検討すべきなのではありませんか?」

「それはそうだが、理屈には適っている。さもなければ、この人形たちの目がぜんぶ宝石でできて居ても可笑しくは無か

ろう。いや?そうではない。上城、私には一つ、分かったぞ!」

 とても爽快な気分であった。目の前の男に一歩リードできたことが、典子にはそう感じた。

「ほほー、と、申しますと?」

「ついて来たまえ」

 2人は順を追って、機材部屋、モデル部屋、衣服部屋、その他の物置部屋を再チェックした。

「わからないかい?」

「いいえ?私には、なんとも」

「上城、あなたの目は今回に限っては節穴だったな。良いかい?質の問題ではないのだよ。確かに、ユラの集めた服も、

モデルも最高級ではなかったのかもしれない。それは目で見て分かる。でもね、やはり人形部屋とは違った。人形部屋の

方は、やはりおかしいのだ。だって、そうだろう?数だよ、人形部屋の密度が圧倒的に足りていなかった。私たちが自由

自在に動き回れるぐらい、疎らに設置されてあった。確かに整然としていたが、物理的な資源、つまり場所という物を最

大限に利用するユラの性格とは合わない。あんなはずがなかったのよ、上城。あの部屋はユラが居なくなったあとに、再

整列されている。人形が、盗まれたのだ!」

「なんとまぁ、上出来です。お嬢様。貴女は、ご自身の力で勝ってしまったようですね。この私にも、敵にも、です」

「そこまで言うのはまだ大げさだろう。盗まれたからと言って、それがなんの目的で、どうやってまでは分からない。だ

いたい、監視カメラの映像を信用するかぎり、野口守弘が持ち出した荷物には、人形が入るだけの隙間はない。その後も、

この部屋から物が持ち出された物がなかったのだ。やはり、私の勘違いだったのだろうか」

「しかし、その前の週に、確かにこの部屋から大型の荷物が運送業者によって持ち出された。由良姫が通販を頼りに生き

て来たから、不要な物を処分するのも当然なことであって、我々は何の疑問も感じませんでした」

「その荷物の中に、問題の人形があったと?」

「サイズ的に、可能でした」

「しかし、それは、ユラが自分から送り出したものだったのだろう?」

「お嬢様、こうは考えられませんか。その人形の数が少なくなった理由が、もし、盗まれたのではなくて、由良姫の亡く

なった後に、捜査に入る我々の目を、ある人物から逸らすためにだとしたら?そうしましたら、簡単ではありませんか?

人形の作者本人が、メンテナンスをするために、一度全部送り返して欲しい、と言えばよかったはずです。そうしました

ら、いかがでしょうか、由良姫本人と上野伽椰子しか知らなかった、由良姫とその人の繋がりが、両者が口を閉ざすこと

によって完全に隠蔽されるのです。貴女が、人形の数が少ないとさえ言い出さなかったら、全てが上手く運びました」

「なるほど、そしたら、荷物の送り先を調べれば相手が出て来るわけね?」

「そう簡単には参りますまい。おそらく局留めなどの方法を使って、受取人が判明できない方法を取ったのでしょう。敵

の慎重さを考えれば。しかし、だからこそ、絞られるのです。上野伽椰子の件から、私が導き出した結論のように、敵が

正体を気付かれたら、弁明の効かない人物です。そうしました、もうあの人しか居ないのでしょう?証拠なんてそもそも

要りませんよ?話を聞いて見れば、分かることですから」

「これで、チェックメイトか」

「そうは参りません。例えその人物がたしかに由良姫と繋がりがあったと証明できたところで、まだまだ分からないとこ

ろがたくさんあります。何のために?どうやって?など、たくさんの議題がですね。それらを全て解消しない限り、正攻

法で勝つことはできません。もちろん、強引な手段もあるにはありますが、典子様は、それを望まれないのでしょう」

「もちろんだ。ここまで来たのだから、逃げられはしない」

「その通りです。地道に参ろうではありませんか」

 翌日、案の定、中原綾子はなんの抵抗もなく、2人が自宅を訪問することを了承した。敏光は思わず一つの事実に感嘆

した。この事件に関わる人物全員の年齢層がよく似ているところが。それはともかくとして、電話で話した時に受けた印

象よりもずっと、中原綾子本人は若々しくて、チャーミングな外観と服飾のセンスの持ち主であった。しかし、上野伽椰

子ほど、見た目だけで他人に好印象を残してしまうような、力強さを感じなかった。もっとも、彼女の魅力は他にあるか

らだろう。

「中原さん。まずはご協力に感謝をさせて頂きます」

「いいえ。貴方達は、ユラさんの事件の調査をされていらっしゃいますね?」

 典子は思わず内心で勝ち誇るように笑った。そう来たか。さて、好きなだけ、物語を語らせてもらおうではないから、

雌狐め。

「その通りです。彼女は、貴女と交流があったようですね」

「はい。なんとも恐ろしいことに、まさか彼女が、あんなことに遭ってしまうなんて... こちらの上城さんとは、前にも

電話でお話しましたね。私の、私見は変わりませんよ?野口守弘という人間は、そういうことを仕出かしても不思議には

思わない質の人間なんです。それしにてもなんともお気の毒なことに、伽椰子さんまでが...」

「はい。事態がますますシビアになって来ました。既にご存知のように、上野伽椰子までが、お亡くなりになりました」

「自殺、されたようですね。とても信じがたい状況です。世の中の全体が、キチガイの病棟のように感じるのです。ほん

の少し前に、あの2人と3人でお遊びさせて頂いた身として」

 この人はあの小説を読んだことがあると、典子はにわかに分かった。まさにあの例えの通りだ。私も、貴女も狂ってい

るよ。正常な人物なんていやしない。しかし、それはともかくとして、勝負は勝負だ。あの方の読者同士で、正々堂々と

ゲームを終わらせようではないか。

「本当は、私から謝罪しなければなりません。その、私は、怠慢しました。まさか伽椰子さんがそこまで思い詰めるとは

思いませんでした。けれども、改めて考えて見たら、分からなくもないんです。私と伽椰子さんとでは、ユラさんの事件

について、抱いている印象が違ったのです。だから、たどり着いた結果も違ったのでしょう。私は、野口守弘の質の悪さ

を知っているのです。そのために、ユラさんのことで悲しむよりも先に、彼のことが、憎たらしくてならないのです。感

情の向かう標的があったからこそ、私はとりあえず平然を保つことができたのでしょう。それを、伽椰子さんにも分けて

あげるべきでした。彼女は、野口のことをあまり知りませんでした。それで途方に暮れて、あんなことになったのでしょ

う。私は、後悔でなりません。野口のことを、世間に向かって厳しく批評しなかったことが。彼のような外道は、絶対に

社会的な意味で殺して置くべきでした。けれども私は、客商売をしている身ですから、その、つい争い事から身を引いた

のです。そのせいで、悪魔を見逃してしまいました」

 中原綾子の如何にもナチュラルで筋の通った説明を聞いて、典子は思わずこう思った。この人と本気で語り合ってみた

い。この機会を逃したら、もう次はないだろう。だから、とりあえず、彼女の提示している物語の前提を認めた上で、語

って見てもよいのではないか?野口守弘が殺した。上野伽椰子は絶望のあまりに自殺した。その悲しき故人らの話をする

ために、私はこうして、彼女に会いに来た。それでも不都合はないと、典子は思えた。

「それを言ったら、私の方こそ大愚か者でした。野口守弘とは3年も付き合ったのに、彼の本性を見抜くことができませ

んでした」

 事件の関係者として、こう言った素直な気持ちがあるから、分かる相手に語りたいのだ。上城敏光では、その役割に適

わない。

「左様、でしたか。それにしても、私には分かりません。彼のような、浅はかな者を、ユラさんのような聡明な方が見抜

けないとは思えませんでした。なので、きっと、ユラさんも内心では嫌々で、彼のことを我慢していると思っておりまし

た。私から、敢えて何かを言うまでもなかった、と思いましてね」

「なるほど、どうも、野口守弘についての印象は、私たちと中原さんとでは随分違うようですね。彼とは、前に上城に話

したことより深く、付き合いがあったのですか?」

「そういうわけでもないと思います。しかし、彼は、その、コレクションの趣味を無くしたら、何もないような人間だっ

たから、分かりやすかったのです」

「なるほど、貴女の意見では、野口守弘という人間は、根っからのまったく悪党だということですね。私は、理性の持っ

ている人間だと思っておりました。その、彼の行ったことは決して許されませんが、理解は、できたのです。憤怒は時と

して人間の自我を失わせます。私にもそう言った経験があります。解決してしまえば、そこまで怒ることもなかったと思

えることが意外と多かったです。だから、彼は、思い詰めたからあんなことをしたのではないか、と思ったときがありま

した」

「貴女は、彼のために、弁明をなさるのですか?」

 中原綾子はとても驚いた様子で、この瞬間ばかりは演技と思えなかった。典子にも理解しているからだ。自分の言って

いることが、どれだけ可笑しいだと言うことが。

「私もね、もちろん、一時的に貴女と同じように、怒りの全て彼に向けたができたのです。しかしどうやらね、その考え

方が私には向いていませんでした。だって、この世には悪魔なんて居ませんよ?人間ばかりではありませんか?人間のす

ることは、理解できなければなりません。だから私は、彼の気持ちを紐解くことに試みたのです。そうでもしなければ、

やはりすっきりしません。そうしましたらね、彼の説明を受け入れることができたのです。しかし、納得はしませんでし

た。何故なら、私の知っている彼の説明ではなかったからです。私の知っている彼は、実在しました。だから、その彼に、

正直な答えを聞くまで、私は納得できません」

「なるほど、だから貴女は、こうして私に語りかけているのですか?」

「筋違いだということは、分かっています」

「いいえ、いいえ。そのようなことはありません。私も、彼を知っている数少ない人間の1人ですからね。そうですね。

確かに彼は、私に怒られなければならないことを、実際にしました。しかし、その事実を聞いた瞬間に、私も驚いたとい

う覚えはあります。つまり、彼は、人の気持ちに気を遣わない愚か者でしたが、素直に私に謝りに来た正直な人間でもあ

りました。その彼が、私の信用をすべて裏切って、踏みにじった時には、やはり驚きましたね。何が、彼をそこまでさせ

たのでしょうかって、不思議に思う瞬間もありました。しかし時が経てば、その疑問自体が下らないように思えてくるの

です。やはり、彼はただの悪党でした。というように、私は物事を単純な方に考えたのです」

 典子は考える。なるほど、これは嘘だ。しかし、隙はなかった。頭の回転はさすがに素早い。罠を設けてはめられる相

手ではない。真正面から聞きたい情報を聞くしかないようである。

「中原さんの作品を転売して、設けたことが、ですね」

「その通りです。彼は、私がどんなにその事に嫌な思いをするかを知っていました。今度ばかりは、確信犯なんです。し

かも、彼が本当に金銭に困ったからではありません。由良姫の作品を買うだけではありませんか。私の、全ての信用を、

裏切ってまで」

「なるほど、そのことで、貴女は由良姫に敵意を抱かれたのですか?」

「敵意ではありませんが、興味は、確かにあの頃からありました。私は、自分の怒りを実際に知っているから、他人をこ

こまで怒らせて、欲しいと思うような物は、一体なんなんでしょう、と。少なくても、私は、自分の芸術に対して、ここ

までの意欲を示した人間を今まで見たことがありません。それが当然、だと考えておりました。だって、いくら思い入れ

があるからって、たかが何ヶ月で作れるものじゃありませんか?業者としての自分は、それぐらいしか、芸術の価値を認

めなかったのです。その観念を、由良姫の件で覆されたのです。やはり私には、芸術の頂点に届かなかったと思えたし、

由良姫に劣等感も、もちろん抱きました。しかしそれも、彼女を知るまでのことでした。ええ、彼女が私の人形を買って、

本人と現実でも会えたことが本当に驚きでした。そしましたら、私は、知りました。由良姫だって似たような物だったと

いうことが。やはり、彼、野口が不道徳なことをしたのに過ぎないだと、思えたのです」

 典子は考える。これは面白い見解を聞いた。ユラは、自分の作品を大したことないと思っていたのだろうか。不可能と

は言い切れない。同じレベルの芸術家の中原綾子だからこそ、聞くことができた心情なのだろうか。だとしたら、自分は

知人としても、ファンとしても失格だ。

「それは、具体的に何時のことでしたか?野暮ったいのですが、興味があるのです。貴女と、由良姫の付き合いに」

「いいえ。とんでもありません。お話しましょう。由良姫がはじめて私の人形を買ったのは、一昨年の11月のことでし

た。ハロウィン仕様の作品でしたから、よく覚えております。その後すぐに、ネットでのコミニュケーションを始めまし

た。さき言ったように、私は前から由良姫に興味がありましたし、彼女と知り合うことは、決してやぶさかではありませ

ん。そうしましたら、もう一人の、由良姫の知人、上野伽椰子さんをも紹介して頂きました。どうやら、伽椰子は前から

私の作品に興味があったらしく、高価だったから、手がでなかったようです。その伽椰子さんが、経済的に余裕のある由

良姫に、私のことを紹介したという経緯であったようです。伽椰子さんも、とても感じの良い方でしたから、直ぐに仲良

くなることができました。そして、私は、野口守弘の件で前から由良姫を知っていたことを伏せました。その、より気持

ち良い関係を築いて行くために、余計な情報、だと思ったからです。その判断がどんなに愚かだったことか、今は後悔で

仕方がありません」

「いいえ。貴女の考えがモラルに反しているとは思いません。たとえ後で由良姫に知られたとしても、世界は意外と狭か

った、の一言で済むと思います」

「ええ、私も、そう考えておりました。しかしそれは、野口が所詮、人の気持を考えずに傷つけてしまう、小心者だった

場合です。実際の彼は、とんだ悪党ではありませんか。私にはもちろん、想像もできませんでした。そして、由良姫と付

き合って行く内に、何時しか彼のことなんかもすっかり忘れてしまいました。結局彼は私にとって、由良姫が気になり始

めたきっかけに過ぎなかったのです。その本人と知り合うことができたのだから、彼はもう、私の記憶の中に留まる立場

がありません。それから、由良姫と、伽椰子さんの3人で、たくさんのことをしましたね。全てが、まるで昨日のようで

す。ええ、具体的にですか?映画も観ました。写真も撮りました。買い物にも一緒に行きました。素材の買い出しから、

日常的な買い物まで。由良姫が完全の通販派だったから、意外と現実のお店の情報をあまり知りませんでした。そうして、

情報をシェアしつつ、友人として付き合いつつ、芸術を目指す物同士としても、高め合って来たと思います。伽椰子も、

ああ見えてデザイナーだったのですね。正直、彼女はモデルに向いていると思う時がありました」

 そう語った中原綾子は、まさに亡き友人を偲ぶ人間らしく、懐かしそうに微笑みを浮かべた。

「ところで、私も、由良姫の知人でありましてね...」

「ええ、そのように伺いましたが?」

「その、意外なことに、私は一度も彼女から貴女のことについて、伺いませんでした。伽椰子は知っていましたが」

「ええ、私も由良姫さんからは、現実の知人のことについてあまり聞かされませんでした。彼女はそういった主義なので

はないでしょうか。その、必要ではないことを語りません」

 確かに、この説明は納得ができなくもない。彼女の話にいくら嘘が混じっていたとしても、ユラと知り合っていたこと

が事実なのだろう。そのことをユラから聞いていない理由は、本人の性格としか思えない。

「なるほど、非常に有意義なお話を聞きました。改めてご協力に感謝致します。中原さん。今後もよろしくお願いします」

「ところで、貴女たちは、私から、昔話が聞きたかっただけだったのですか?その、こちらの方は、探偵だと伺いました

が。ということは、この事件に、まだ何か不明瞭なところがあるのですか?」

 なるほど、守備的なだけではないということか。と典子は思ったところ、敏光がやっと話が挟めたようである。

「貴女は、それに興味があるのですか?」

 と、敏光

「ええ、もちろんですよ。悪夢がまだ終わっていない、と思ったら夜も眠れないではありませんか。ぜひ、私にも分かる

ように説明して頂きたいのです」

 理屈には適っている。さて、どうするものかと典子が当惑したところ、ここから自分に任せて良いと、敏光が合図して

来た。

「ええ。仰る通りです。中原さん。私からご説明しましょう。仰るように、野口守弘はただの悪党だったのでしょう。彼

にモラルの欠片もあってたまりましょうか。しかしどうやらね、彼を動かしている、もっと大きな純粋悪があったように、

私たちの掴んだ根拠が物語っているのですよ。貴女の抱かれた疑問、即ち、彼はどうしてそこまでして、由良姫の作品が

欲しかったのかということですが、それは単純明快に、ただの小心者で悪党の彼が、何者かにそう唆されたと、私は解釈

しております。いかがでしょうか、彼が貴女を裏切って、由良姫に媚びったのは、所詮表面上の現象に過ぎません。その

裏には、もっと深い理由があると、私は思われます。その方が余程きもち良く説明できると思われませんか?」

「なるほど。その理由が、なんだと仰るのですか?」

「力に怯えていたのではありませんか?悪党にしか知らない世界の裏面が例えばあったとして、何かしらの偶然で、それ

を覗いてしまった彼は、そうでもしなかったら、簡単に握りつぶされていたのかもしれません」

 敏光の意図がにわかに理解できた典子である。彼は、中原綾子に、理由を聞いているのだ。そして応じ易いように、答

えまで用意した。一応、YESかNOかを、選ばせようとしている。しかしこんなところで詰まる中原綾子では断じてありま

せん。無駄だ。この女はもう後には引けない。

「なるほど... しかし、そんな恐ろしい世界が存在するなんて、私には、到底考えられません。しかし、そうですね。や

んごとなき方の世界では、ないと断言するだけの根拠はありません。しかし、私はこうも考えます。人間には、やはり尊

厳があります。恐怖だけで人間は動きますが、そう機能良く、動く物でしょうか、ってね」

 なんだと?典子にはにわかに信じられない展開である。かんたんに回避できた仕掛けに、中原綾子が、乗って来た?そ

して、これは、典子の本当に聞きたい言葉でもあった。

「貴女が下らないと蔑んだ野口守弘にも、その、尊厳とやらがあります、と?」

「ええ、主張に一貫性がなくて申し訳ありませんが、そうですね... 今一度考えたことですから、上手くは説明できない

のかもしれません。しかし、強いて申せば、つまり、こうです。彼がひどい人間だと思われたのは、私を裏切ったからで

す。その痛みを、誰よりも知っているからです。しかし、やはり私は、彼を観察して来た人間なんです。どちらかと言え

ば、尊厳を持っている人間だと、思われるんです。そうではありませんか?典子さん」

「その通りです。だから本当は私も、自分たちの仮説に完全に納得しておりません。一体なんなんですか?と、彼本人に、

直接聞きたいのです。だが、もはやそれは叶えられません。横たわっている屍たちを根拠に、私たちは分析して行くしか

ありません。そして、生きる人間としての義務があります。彼に如何なる理由があったにせよ、決して許されないことを

しました。その彼を操っている人類の敵の、息の根を止めなければなりません」

「その人類の敵が存在する、と思われる根拠を、分かるように説明して頂けますか?」

「上野伽椰子が、無意義な死に方をしました。まるで、何かを隠して、守るために。それだけの価値のある大物の首は、

もはや、人類の敵だと称しても構わないと思われませんか?」

「私には、ちんぷんかんぷんです。伽椰子が、自殺ではなかったと仰るのですか?」

「では、逆に聞きますが、貴女は本当に、納得できるのですか?由良姫の後を追うという自殺の動機が。そして、貴女は

そうしたい、と思いますか?」

「いいえ、それは、伽椰子とは状況が違うとさきも申しましたし...」

「由良姫を昔からよく知っていたことは、ここの水戸典子さんも違いません。そして、彼女は自殺しようとしなかったし、

貴女もしていません。貴女たちは、由良姫を知っても居ましたし、愛しても居たでしょう。しかし、彼女が居なくなった

というだけの理由で、死にはしませんよ」

「伽椰子さんがその、こう申すのはなんですが、ユラさんに依存したのかもしれません。それは、愛とも解釈できますが、

つまり、度が過ぎて居たのでしょう」

「いいえ、いいえ。もっと慎重に考えて頂きましょうか?由良姫が、本当に依存の相手になれる人間だと思われるんです

か?」

「依存の相手になれない人間、とは?」

「彼女は、確かにチャーミングではありましたが、ほんの少しも優しくありません。その彼女の気まぐれを、優しさだと

解釈した人間も居ました。加藤英司という方ですが、しかし、彼こそ状況が違いました。恐れ多いのですが、率直に申し

まして、彼は自己欺瞞でしか生きられない弱い人間でした。彼が縋っているのは、彼自身による幻想です。そして、貴女

も、典子さんも、伽椰子さんも、彼とは違います。貴方達は、本当の由良姫が見えていました。特に、中原さん、貴女は

そうではありませんか?由良姫に、自分の全てを委ねたいと思うのですか?いいえ、相手が違う、と即得するのでしょう?

それは、伽椰子にしても同じです。伽椰子が依存してしまうほどの、何かを由良姫がしたのですか?いいえ、由良姫の性

格では、決してしません。だから、これはとんでもない馬鹿げた嘘なのです。伽椰子のような、追い詰められた愚かな人

間しかしない、嘘なんです。そして、伽椰子が依存してしまうほどの、死しても守りたいと思うほどの、やさしいことを

した悪魔が居たのかもしれません。ただし、その人が断じ、由良姫ではありません。そうではありませんか?」

「私は、依存したことがありませんから、ユラさんのような魅力的な人間なら、とうぜん依存されても可笑しくはないと

思ったのですが、言われてみれば、確かに、とんでもない幻想癖の持ち主でもなければ、普通は、やさしくしてくれる人

間に依存するものでしょうか。けれども、ユラさんは...」

「とんだ現実主義者だった。そんなことはしません」

「なるほど、それは、思考の盲点でした」

「ところでもうひとつ、由良姫の自宅の人形部屋を拝見させて頂きました。貴女の作品が置いていなかったようです。そ

れで、盗まれたら大変だと思いました、こうして貴女と連絡したとい理由はもありました」

「それでしたら、少し前に、私からユラさんに申出して、人形を全てこちらに送り返して、メンテナンスをしたいという

ことでした。人形というのは絵と違って、厳重に管理したら面白くなくなるから、定期的なメンテナンスが必要だったの

です。だからかも知れませんが、買い主さんと合う機会も多いのです。そういえば、困りましたね。メンテナンスは終わ

ったのに、どちらに送ったらよかったのでしょうね」

「でしたら、私が承って、暫く管理してもよろしいでしょうか。由良姫の持ち物も、彼女の性格を導き出すヒントになる

ことがありますので。捜査が終わるまでの間に、私が責任を持って管理しますので、ご安心ください」

「かしこまりました。では、典子さんのおところ宛に、送らせて頂きますね。びっくりされるかも知れませんが、けっこ

うの数がありました。では、長々と失礼致しました。その、しつこく質問して申し訳ありません。私も、不安だったので

す。今のご説明で、納得というほどではありませんが、違和感があるということは分かりました。では、是非、その人類

の敵とやらを退治してください。ユラさんのためにも」

 中原綾子と別れたあと、典子はさっそくも敏光に言った。

「あなたは、咄嗟にとんでもないことを言い出すんだな。ユラが依存の相手になりえない、そんな責め方があるとはな... 

私からは、出てこない台詞だった」

「それはそうでしょう。貴女は実際に由良姫に依存していらしたと、私は思います」

私たちがユラに依存していたかどうかって?少なともそれは今直ぐ答えが出るような議題ではないな。いろいろな定義

の再確認が必要だからだ。と、典子はつまらなそうに敏光の不適切な発言を一蹴した。

「ええ?それじゃ...」

「もちろん、中原綾子を精神的に追い詰めるための嘘に過ぎませんよ?彼女は本当に由良姫のことが分かっていると思う

のですか?いいえ、貴女の半分ほども分かったりはしません。そして当然だが、彼女のような強い人間が由良姫に依存し

ないし、そこを指摘されたら流されるわけです。そして、上野伽椰子が本当に依存しているのは貴女だった、という意味

もありました。それが、彼女の聞きたがっていることだったのでしょう。まぁ、彼女には分かりませんよ?由良姫が優し

かったかどうかなんて、された人間にしか分からないことなんですから。加藤さんが感じたことが、まったく非現実的な

ことだとも思いません。そして、中原綾子が由良姫に優しくされたとは思えませんでした。それこそ、相手が違うからで

す。最も、私たちの把握していない間に、由良姫がその一面を見せたのかもしれません。なので、彼女がそこで反論する

ことも予測の範囲内でしたし、こちらが困ることにはなりません。たまたま、私の試みが当たったというだけのことです」

 典子は改めて考える。そもそもこの会話は、中原綾子がユラと繋がりを持っていることを認めた時点で終わった。伽椰

子が彼女のことを一切口にしなかったことと、彼女の人形がちょうど事件発生の直前に、呼び戻されたことにも、合理的

な説明ができません。つまり、彼女は確実に黒である。その後の会話はしょせん余興にすぎなかったのだが、敏光は一応

僅かな功績を稼ぐことができた。問題はこれからだ。勝ち筋がすでに見えているのに、相変らず嫌な予感がする。だって、

綾子に隙はなかった。彼女の経歴を調べたところで、本当に望む通りのボロが出るのだろうか。

 そして一週間後、調べた人物から調書が届いた。

「これによりますと、中原綾子は九州の出身で、もともとの名前が如月アヤ子だったそうです。今はもう正式にも改名し

ているので、当面は中原と称して大丈夫でしょう。中原は、2年制の女子短大を卒業したら、暫くは福岡地元の整形病院

で働いたそうです。つまり、彼女の大学で学んだ専門は、看護師だったのです。そこで五年働いたら、東京に引っ越して

来て、今の自宅兼アトリエで人形の製作活動をしはじめたようです。看護師を辞めた経緯に関しても、自分から暮らし方

を変えたかったのではなくて、単純に金田整形病院が閉院になり、金田先生にはもう十分の貯金が溜まったらしく、その

後は海外に移して、老後の生活を始めたそうです。そこで綾子は、他の病院へ推薦されることを断って、これを良い機会、

自分の可能性を試してみたいと思ったから、上京して来たそうです」

「なるほど、それで、中原綾子が看護師だったからと言って、今回の事件に何の繋がりがあると言うの?」

「むしろ、彼女の立場に有利にしたではでしょうか。なんの変哲もない看護師、野口守弘と上野伽椰子の2人を使役する

のには、とても力が足りません。もっとも、彼女の作品がさいきん相場が上がって来たので、そこそこの経済的な余裕が

あるようになりました。とは言っても、2人の駒、しかもそこそこに有能な駒を養って、3年に渡って広大な計画を図る

にしては、彼女の財力にも、社会的な影響力にしても、十分とは思えませんね」

 この人は、さきからなに平然な顔をして、聞くのにも耐え難い、とんでもなく最悪なことを語っているのだろうと。典

子はつい堪忍袋の緒が切った感じがした。

「愚か者!それでは、詰まるじゃありませんか?言って置くが、中原綾子は別に怪しくはなかったのよ?看護婦だったか

らって、何だよ。彼女があの日話した内容の録音を公開しても、法廷で彼女が嘘を付いていると思う審査委員なんて1人

も居ないよ?むしろ、我々の主張の方がただの妄想に聞こえる」

「ええ、今のところまだ彼女を不利の方に追い込めるだけの根拠は確かです。つまり、相変らず、彼女の優勢は変わりま

せん。けれども、彼女は、確かに黒なんです。貴女は、そう思われるのでしょう?」

「それはそうだ。私の覚悟は変わらないさ。しかし、あなたが自分の立場の仕事をちゃんとしたらどうだ?」

「私の仕事とは、調査と想像と敵に仕掛けることなんです。ところが、典子様はまだ調査の結果を聞いた段階で怒ります。

それがいささか早計ではありませんか?」

 中原綾子の出現により、明確に燃え上がった感情がこの頃典子をうかうかさせている。そんな生半可な緊張感で勝てる

戦ではないことが分かっているから、反省する。だが、彼も実際に、調査の結果が思わしくないと認めたではないか。私

たちは二人共、ここで気を引き締めないと行けない。綾子だけでも決して一筋縄では行けない。それに... まぁそのこと

はまた後で考えることにしよう

「よろしい。では続いて、あなたの想像の成果を聞かせたまえ」

「承知いたしました」


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