第2章 野口守弘について
第2章 野口守弘について
「よろしいですか、お嬢様。まず、貴方の一つ目の疑問についてですが。私はこうコメントしなければなりません。即ち、
貴方は1人の人間が持てる力を過大評価しておられるのですと。我々、
誰しもが、無防備なんです。それこそ、本当に殺意を向けられたら、しかもその人間は犯行がバレても構いまわないと覚
悟しているのなら、ひとたまりもありませんよ」
「それはそうだろう。しかし、全ての人間がそうというわけではありません。辣腕の政治家や、軍隊の指揮官など、いく
らでも敵が居ます。にも関わらず、彼らは簡単に殺されはしないよ?とある旧ソ連軍の大尉は、「暗殺は十分の警戒を持
って防げる。恐れに足らず」と言い切ったぐらいではないか」
「ところが、その大尉にしても、もし奥さんに狙われたら、十分に安全とは言えないじゃありませんか」
「そうだ。しかし、大尉のような人物は見方をとしか結婚しない。つまり、野口守弘はある程度信用されていた。これは
認めざるをえない。私にしても、ユラにしても。しかし、それが完全に警戒を解いたかと言うと、それ程でもなかった。
少なくとも、私は彼を観察していたし、彼の置かれている心理状態についてもある程度推測をした。そして無論、あの事
件の起こる直前まで、つまり「アーシャ夫人」の件のあとに至っても、彼はまさに彼自身が遺書に書いたような状態で、
ただでさえあまり感じなかった気迫を完全に失ってしまったようだが、それがユラに対する殺意に結び付くような発想は、
一瞬たりとも思えなかった。ユラにしても、私と同じ、いや、私以上に、彼の状態を把握して居たのに違いない。貴方は、
私の疑問は2つと言ったが、1つだと私は思います。つまり、ユラのような人間が本当に殺さることが可能だろうかと言う
と、もちろん、可能だ。実際にも、死んだ。貴方の言う通り、全ての人間には無防備な一面がある。不死の魔王は誰一人
として存在しない。過半数の人間に死を望まれたら、生きて居られる人間は居ない。歴史の中にも、現在にも存在しない
し、未来にも現れるとは思わない。所詮、権力というのは他人に与えられた仮初の支配権にすぎない。皇帝にしても、大
財閥の当主にしても、神の名を語る宗教の預言者にしても、魔王の持っているような、決して反抗のできないほど圧倒的
な暴力はないのだ。当然、ユラにもそれがないわけだ。良いのかい?私は愚か者ではないのだぞ?ユラは死んだ。死ねる。
それは当たり前だ。ところが、その2つ目の疑問は確かにその通りだ。つまり、彼、野口守弘にユラを欺けるだけの能力
があるとは、思わないわけだ。彼はあんなに、つまらない人間だったのよ?町中の掃除婦1人は殺せたのかしれないが、
あのユラをね?」
「ところで、遺書は確かに彼の筆跡で、彼の口調で書かれたことは間違いありませんね?」
「そうだ。そこに疑う価値がないと私は考えている」
「ほほー、貴女の主張したいことはだんだん理解して来ました。つまり、貴女は同じ部隊に所属していた和ノ宮ユラ氏の、
暗殺された、という過失を認めたくないのですね?それがもし事実であったとしたら、貴方もまた殺されたかもしれない
という局面に置かれていました。間抜けにも、敵のスパイに完全に振り回されたことになります。それが貴方のプライド
をも傷つけます。だから、被害者であるはずの和ノ宮ユラ氏の弁護を行います。しかも、その内容は、彼女が油断をする
はずがなかったために、貴方は現時点で我々が持っている、限りなく事実に近い、すべての状況証拠とそれらに基づいて
いる結論を、一度ひっくり返したい、のでございますね?」
典子はしばし、彼の来訪のためにこの部屋に持って来られた客人用の椅子に座っている話し相手のことを観察し、考え
直した。そうせずに居られない気分にさせられた。黒ずくめのスーツを着ているこの男性は30代後半で、顔にこれと言っ
たような特徴はないものの、シミの一つ無いクリアな肌であった。側において、その造形の不出来さに、妥協の気持ちを
強いられることはないから、社交場に通じる外観である。そして、典子は、それが相手の真価ではないと理解していつつ
も、主に彼に求めている価値は、このコミニュケーションの上手さである。敏光は、おそらく感情と言うものを、人間と
して自然な形で持っていないものの、理性でそれらを理解しているのに違いないと、典子は考えている。なので、敏光と
感情について語れないということはない。ところが、彼は典子がいわゆる感情的な人間ではないと把握しているがために、
典子と語る時はいつも、感情という物を低い優先度にして、他の可能性が排除されてから語り出すようにしていた。その、
典子がいつも快く感じていた、敏光の自分に対するあしらい方が、今日に限って、不愉快に思えたのである。それに抗鬱
剤の効果が重なり、典子はひどく疲れている。「このままでは、拉致があかない。いや、そうではない。私の意図を理解
してもらうまで、体力が持たない。直球は、打たなければ...」と彼女は考え、突如に話の角度を変えた。
「ちがう。プライドなどではない。ユラが亡くなって、私は、私は、よいかい?私は、悲しいのだ。この事実を素直に受
け止めることができないほどに、悲しかった」
その後に続く「ユラの敵は撃つ」という言葉を飲み込んで、典子は話を続けた
「もっとも、貴方に気配りをして欲しいというわけではない。我々同士で推し量り合うことは一興だが、今にそのような
余裕がないことを貴方にも理解していよう。いや、早くしないと真犯人が逃れるとかそういう意味ではない。ただ、あま
りにも複雑な事象を相手にしているから、回り道をし過ぎるとどんどん出口が見えなくなると思うでね」
「その通りです。貴方の把握している情報の要点はもちろんのことですが、受けている印象にもたいへん興味があります。
そのために貴方の気持ちについて再確認したが、申し訳ないことをしたことに謝罪しましょう。それはさておき、つまり、
貴方はこう言われたいのですね?ユラほど抜け目のない人物が実際に殺されたわけだから、これは即ち、陰謀であります
と。野口守弘のような小物1人で、彼が遺書で書いた動機というだけの理由で、成し遂げるようなことではありませんと。
皇帝も政治家も士官も死にます。殺されもします。しかし、その場合、たいていは後ろに黒幕がいます。時に、その主謀
者が歴史の表舞台に出ることなく、そのまま捨て駒にされた小物に全ての罪をなすりつけることもありましょう。して、
貴方は、今回の事件も、これに当たりますと?」
典子はとうとう、すっかり戸惑った。敏光の出した結論は至極当然であった。つまりはそういうことだ。リンカーンや
ケネディが殺されたら、付き合った情婦の逆恨みなど考えるまでもないことである。暗殺ではなく一般的な殺人事件にど
う見せかけようと、そんなはずはないと、世の中の誰もが知っている。典子自身も真っ先にこの結論に到達しなければな
らないはずだった。にも関わらず、彼女はその直行通路を通らずに、回り道をしたのである。理由はもちろん、立場があ
るからだ。こういう世界だから、人が死んだというとんでもないことが現に起きている時にさえ、不謹慎な想像は決して
軽々しく触れるわけには行かないのである。そして、自分にとっての重さはともかくとして、ユラはリンカーンやケネデ
ィほど重要な人物でもなければ、人望もそれ程ない。なので、すぐに明るみに出て、大衆を見方につけることは難しい。
有利に立ち回れるだけの根拠と、十分の事前準備がまず必要である。
「待て、待ち給え。私はそうは言っていない」
声を潜めて、やっとのことで、典子は次の言葉を口に出すことができた。
「良いのかい?いつか、私たちはこの結論に再び戻ることがあるかもしれない。その時が来たら、私は怯まない。そう、
何があったにせよ、明らかにしようではないか。しかし今はまだその時ではない。まずは、他の可能性を排除してからだ」
典子の真意が伝わらないほど敏光は愚鈍な男ではない。むしろ典子の件に関わろうとした時点で覚悟したのである。上
流社会で起こる事件は正義が悪を裁くような単純な構図ではない場合が多い。ときとして、力と力による戦争である。そ
して、敵が未だに正体を現していない。そもそも典子に勝つ見込みがない場合、最初から負け戦になることが決まってい
る。そうなった暁に、典子と連帯責任で滅びるか、あるいは、捨て駒として典子の責任を負って処理されるか、そのどち
らかになることしか敏光は考えられない。それでも、これが分の悪い賭けではないと思えるだけの根拠を敏光は持ってい
る。
「なるほど。承知しました。ところで、先ほどのお言葉ですが、糸口が見つからなくなる心配はないかと思われます。犯
罪事件というのは、いちど強く興味を持たれたら、真相がバレルのと同然であると私は考えておりますよ」
「ほほー。大した自信ね。とても心強いのだが、その自信の出処を説明してもらいたいところだね」
「自信というわけではありませんよ。一般論にすぎません。つまり、私ではなく他の誰かに興味を持たれることも、犯罪
者にとってはとても不利になることに違いはありません。現実世界はバタフライ・エフェクトによって出来ているから、
一つの事実へ至るには数多なルートが存在します。最も近い道を犯人が黙秘することによって封じることは可能ですが、
すべては不可能です。よくいる守備的な駒の進め方をする人間は、自分が認めさえしなければ証明はできないと勘違いし
て、「答える必要がない」と言ってしまいます。これは非常に賢くない行動と言わざるをえませんよ。嘘をついたら誤魔
化せたかもしれないところで、リスクを恐れて自ら可能性を手放すことになります。例え知られたあと、嘘をついたのよ
り責任が軽いことがあるとしても、隠したい事実を知られたら結局意味が無い場合が多いです。とくに殺人事件にもなれ
ば。私はこう考えます。話してもいいところを、敢えて話さないことに、必ずや話したくない気持ちが働いています。つ
まり、それは‘隠した’ということになります。その隠す理由が、たいへん興味深い事実につながることが多いです。今
回の場合、この野口守弘、遺書は冒頭から、自らの出で立ちを隠しましたね。もし何があると仰るなら、まずここが胡散
臭いですね。もっとも、このような想像をするのは、彼が嘘を付く動機が考えられる場合のみです。つまり、彼が嘘を付
くことによって何かしらの目的を果たすことができ、それによって他人の利益が害されることが分かっている場合です。
そこをまず説明して頂かなければなりません。貴方はどうお考えですか?彼がもし、この遺書にでたらめを書いた場合、
何か確かな目的を果たすことができるのですか?それが考えられなければ、ただの見栄っ張りと説明した方が合理的では
ないでしょうか」
「彼が来歴を隠したと言うのか?それは違うだろう。彼はもちろんのこと、私がこの遺書を読むことを見込んでいたから
書かなかったのではないか?私は、ある程度知っているから。して、貴方はその私が知っている彼の出で立ちについて聞
きたいのか?」
「それももちろん聞きますが、それよりも、私はやはり、彼が貴女以外の人間に、あるいは、貴女にもう一度、彼の来歴
について注目して欲しくないという意思を感じます。それはまだ良い方です。と申すのは、これは分かりやすい嘘だった
からです。隠したことも、隠したい理由も、容易に推測できます。しかしもしかしたら、この遺書には、もっと巧妙に成
された、とある目的を実現するための意思操作が、他にも数多く存在するかもしれません。それらを一つ漏れることなく
文面から掘り出すことはもちろんいつかは致しますが、それよりもまず、私はですね、先ほども申したように、その目的
が知りたいのですよ。つまり、彼が、貴女宛にこんな物を書いて、一体何がしたいと言うのですか?もし、貴女の睨んだ
通りに、ただの、自らの犯した罪への弁明ではないのだとしたら」
「彼が、死してもなお、この世に実現したい願いか。なるほど、私もそれについてよく考えたことがなかった」
「考え方としては2つありますね。彼が生きていた頃に抱いた願望の中から、特別に、例え死後になっても叶えたいと思
われることを絞りだすか。あるいは、人間が遺言を書く際によく考えそうなことを、1つずつ彼に当てはめるか。という
ところですね」
「彼、野口守弘がなんとしても叶えたい願い。それは今のところ思い当たらないな。彼と知り合ったのは3年前、貴方よ
りも1年長い付き合いになるね。にも関わらず、彼の夢については聞いた覚えがない。おっと、間抜けと思わないで欲し
い。あたりまえなことではないか。貴方と後1年相手したところで、本心を語ってくれるとは思わない。そうだな。言っ
てくれたことはないが、彼が考えそうなことがまったく想像できないというわけでもない。その印象を貴方が聞きたいの
だろう?」
「その通りです。どうぞ続けてください」
「私が思うに、彼はとにかく注目の的になりたくないタイプの人間だった。彼は他人にどう評価されようと、決して快い
を反応を示さなかった。もっとも、彼は人並みに礼儀正しい人間ではあった。私が言うのは、私が分かる限りの、推測で
きる限りの、彼の本心のことだ。彼は褒められると、それを世辞だと考え、恐縮してしまうのだ。そして、間違いを指摘
されることをとにかく恐れていた感じだった。つまり、他人からの評価を気にするタイプだが、本当に求めたいのは、構
わないでくれることなんじゃないだろうか。だが、彼は決して他人に、「ほっといてくれ」と言わなかった。あくまでも
自らの正当性を主張して、必要とならば、他人と議論する時間も惜しまなかった。彼が議論その物が好きとは思わない。
勝利したいという感じでもない。そうだな、小心者だから、負けることがこわい、というところなんじゃないだろうか」
「なるほど、なるほど。つまり、安全で居られるために、ある程度の自己主張はする。という意味ですかね?」
「そうだ。小心者だが、もっぱらの愚か者でもなかた。黙っていれば不利になることを知っているから、弁明をする。そ
れも必要最低限ではなく、可能な限り、である。時に程度を間違えて、饒舌と思われることもあるだろう」
「なるほど、非常に慎重で、合理性も欠かせない世渡り方ですね」
「それはどうだろう。結果的、彼の評判はそれほど芳しくなかったし、彼の望む通りに、風当たりから逃れることもなか
った。感情というものを理性で処理する人間が必ず上手く行くとは限らないのよ?しかし、そこが悪いと思っているわけ
ではない。結局のところ、結果に影響を及ぼすのは、本人のセンスもあるし、運もあると思う」
「そうですね。慎重が過ぎるために、ネガティブに動き、全体的に見れば非効率的であると評価せざるを得ない人間はい
くらでも居ます。それが貴方の仰る、センスが悪い、というところですね。しかし、根本を辿って行けば、慎重にならざ
るを得なかった理由が、大抵の場合あります。例えば、そうですね。隠さなければならない秘密がありますとか。貴方の
あまり好きではない、片思いとか。あるいは、犯罪、ですね」
「おい、私はロマンチックアーセクシャリティだよ?恋愛感情その物は否定していない」
「なるほど、恐れいります。しかし、それは要点ではありません。いま肝心なのは、彼が、どういう人物ということでは
ありませんか。それこそ、貴方がご存知ならば、ジェンダー・アイデンティティについても構いませんよ?」
「ふむふむ、貴方ならほぼあらゆる話について行けることは知っている。だが残念ながら、私が知っている限り、彼はノ
ーマルだった。と言っても、根拠はない。つまり、マイノリティだと聞いたことがないから、デフォルト的にそう思われ
たにすぎない」
「ほほー、貴方の口から、ノーマルがデフォルトだと聞かされるとは少々意外ですな」
「それはどういう意味だ?コホン!つまり、彼のジェンダー嗜好について私は知らなし、思い当たる節もないということ
だ。さて、他に知りたいことは?」
典子は自分の性癖を隠したいわけではなかったが、話がややこしくなることだけは避けたかったのである。ここのとこ
ろは典子と敏光の性格の決定的な違いである。敏光は、議論において、話題がいくら逸れても一向に構わないタイプであ
る。雑談が好きというわけではないが、何処まで話題が外れても、彼は本筋に戻す自信を持っているからである。そして、
その回り道に必ず意義があると彼は考えている。それだけならまだしも、彼が自分の持つ無限大に近い圧倒的な瞬時的記
憶域(パソコンで例えるならメモリ)を他人にも強いるところを、典子は時々苦手に感じる。つまり、敏光は彼がさき言
ったように、「隠すことに理由がある」という考え方で、誰相手に対しても、何事に対しても勘ぐる癖がある。彼はめん
どくさいということを知らない。他人がそう感じることがある事実も、本当の意味で理解できていない。それがいつもの
意見が別れるところだと典子はよく知っている。諦めてもいる。ところが、とある哲学者がこう語ったこともある。「論
議が一つの到達点に居たらずに終わってしまう場合、必ず参加者の一方が不誠実である」と。その不誠実な方は自分であ
ることを典子は理解しているから、敏光に不服を言うことはなかった。それはそうとして、彼がそれなりの能力を持って
いるにも関わらず出世しないことの理由がここにあるのではないか、典子は考えている。そしてだからこそ、この世間に
見放された強力にして扱いにくい駒を、自分が辛抱強く使いこなすしかないのであると。
「そうですね。彼の隠したこと、たとえば、その出で立ちなどについて?」
「彼は別段隠したわけではないと思うのだがね。私はある程度知っていた。私の納得できるまでの範囲ね。彼は、そうだ
ね。先も言ったように、聞かれる以上の情報を語るような性格ではないのだよ。彼はサンフランシスコで生まれ、19世
頃に渡米した日本系アメリカ人の家庭ですえの息子として生まれた。上には兄1人、姉2人が居て、実家はアメリカで言
うと中産階級というところだろうか。使用人は1人や2人使っていたようだが、株の配当金だけでどうにかなるような状
況ではなかった。親は長男を上流階級に送り出すつもりだったが、彼に関しては期待もせず、制限もあまりしなかったそ
うだ。して、幼いころから日本本国の文化に興味を持っていたからは大学卒業後、1人で帰国子女として日本に帰って来
た。日本の法律では、日本系の血統を持つ外国籍移住者は、本人の希望があればすぐ日本国籍に帰化できるようになって
いる。して、彼は帰化をして、東京で家を置き、しばらく出版社で英文翻訳の仕事をしていたようだ。ここまで聞いて、
貴方はさぞかし一つの大きいな疑問を持ったのであろう。一介の中産階級出身の翻訳家が、どこから得た金で、ユラの高
額な絵を買ったのだろうと。それはそうだ。私も間抜けではないから、きちんと説明してもらえなかったら、彼のこと認
めることはなかったのであろう。彼が大金を手に入れたのは、趣味で集めた中原綾子という人形作家の作品の相場が、急
騰したからだ。そして五年前に、人形趣味に興味を失せた彼がそれらを売捌いた。返ってきた資金の半分ぐらいを株にし
て、生活に困らないほど配当金を貰うことができたから、仕事をやめた。それから2年ほどの遊び人生活を送ったら、ユ
ラの絵に出会えたわけだ。どうだ。にわかに信じ難い話であろう。しかしながら、ここには意外と糸口がないのだよ。警
察は調べ尽くしたのだ。私が知っている情報は、全て裏付けがとれたのである。彼が売捌いた人間の飼い主はすべてある
程度の社会地位を持つコレクターで、信用の置ける人物ばかりだった。その資金源に怪しまれるところはないのだよ。そ
して、彼がその莫大の資金を使い切ったら、ユラと無理心中を図る局面に追い込まれたわけでもない。彼が自殺した時点
でも、二億円に相当するほどの株を所持していた。ところで、むしろここが一つの注目すべきポイントかもしれない。彼
は遺産の分配についての遺言を一切残さなかった。あんなくだらない遺書を書いたにも関わらずだ。従って、彼の遺産は
法定相続人、つまりサンフランシスコに居る彼の家族に継がれるわけだ。この場合、具体的に誰にどのぐらい分配される
かについては、アメリカの法律に従うことになる。こちらの国は関与しないし、徴税もしないそうだ。なにせいきなりの
出来事だから、向こうもいま混乱していて、話が決まるまで、まだだいぶ時間が掛かるようだ」
「これはまた驚愕な事実ですな。莫大とは言わないが、1人の人間が一生遊んで暮らせるほどの遺産の、行方について、
彼はとくに興味がなかったわけですか。ところで、では、彼の所持している由良姫の絵も、相続人の家族のところへ行く
わけですな?」
このこともまた、話さなければ話が進まないだろうな。そして、決して彼に隠し通せるようなことではない。と、典子
はいまさら覚悟を決め、白状する。
「絵は、すべて私が一時的に保管している。遺産の話が落ち着いて来たら、向こうへ行って、彼の家族と交渉するつもり
だ。なに、悪い条件は決して出さない。それこそ、ユラの生きていた頃の相場の何倍を要求されても、相手の態度次第で、
受けるつもりだ。わかるだろう?これはたかが株の話とは違うのだ。ユラの絵は、もはや新しく描かれることのないユラ
の絵は、決して絵がわからない人間の手に渡すわけには行かないのだよ。ふふふ、さては、貴方はこう言いたいのだろう?
私にも、殺人の動機があるのだと。そうだ、結果的に、彼の持っていた、私もが欲しかった絵が私の手に入るわけだ。し
かし、この私が、そんなことで、ユラを殺すとでも考えるのかね?それこそ、ユラが生きてさえいたら、これからいくら
でも描くではあるまいか?」
「ところが、野口守弘の遺書を読む限り、彼はそうではないと主張しているのですよ?由良姫は婚約発表をきっかけに、
「火の中の女」を最後作品として、引退するつもりだそうではありませんか」
「ユラにその考えがあろうことを、私も否定しないよ。しかし、それにしても結論が短絡的ではないか?良いかね?人間
の気持ちは変わる。ユラがユラである限り、その頭脳がちゃんと動いている限り、絵はかける。加藤英司とだって、長く
続くとは思わない、私は。それこそが重要ではありませんか?彼、野口守弘にも、こんなかんたんな話すら分からないと
は、到底私には思えないのだよ。だから彼がなんと言いようと、あの遺書は出鱈目の他の何者でもない」
「そうですね。では、ではやはり話を本筋に戻しましょう。依然として、彼が、あの遺書を書いた目的が判明していませ
ん。しかし、今までの話はもちろん意味がありました。幾つかの可能性が考えられるようになりました。たとえば、彼が
にわかに生きることへの意欲を失い、家族に遺産を残したくなった、というのも考えられますし。あるいは、こう申すの
はなんですが、彼がもし自分の死んだ後、貴方が必ず彼の持っている絵を手に入れると予測したのなら...」
「あははは、これは面白い見解だ。この私に、絵を残したかったのだと?」
「感情論を度外視した、純粋に存在した可能性としてですが」
「バカバカしい!良いかい?私はこれでもミステリー作家の端くれだ。オッカムのかみそりを提唱するほど思考に柔軟性
が欠けているわけではない。しかしそれでも、いちいち、感情論を度外視した可能性から、一つずつ消去法を当てて行く
ことに意味があるとは思わない。もちろん、最終的にそれもやむを得ないかもしれませんよ?しかし、まずは、感情的に
考えられるところから行く方が筋ではないか?」
「もちろんその通りでございます。お嬢様。けれども、私はあまりにもこの人物の抱ける感情について推し量る材料を持
っておりません。現時点で分かることはせいぜい、彼の過去に別段怪しいところはなかった。この事実は、彼が死んだ後、
警察の調査によって裏付けがとれている。というところですね?」
「その通りだ」
「では、貴女の印象は?よろしいですか?彼は出で立ちについて嘘を付いていないことを、我々は今になって分かりまし
た。しかし、彼の生きていた頃は?彼の話が胡散臭いと思われたことはありませんか?あまりにも、できすぎているので
あると。それに加えて、その慎重がすぎるほどの姿勢に、何か感じたことはありませんか?よろしいですか?私が問いて
おりますのは、過去にあった、貴女の感情でございます」
「難しいことを聞くな、貴方は。人間の脳は事実を記憶するように出来ていると私は思う。そこで、貴方は私に、どう感
じたかを聞く」
「おや、そうとも一概に言えまいことだと思いますよ?例えば十年前の知り合いについて、ムカツヤツだった、と覚えて
いても、具体的にその人間がどのようにヘマを犯したかを全く覚えていない依頼人を、私はたくさん見て参りました。特
に女性は人間を印象的に覚えることが得意ようです。そこのところはいかがですか?典子様、貴方は、女性です。この事
実をどうかお信じください」
「ふーん、なるほど、女としての私が彼をどう見ていたかが、貴方は聞きたいわけね。私はなるべくそう言った風に考え
ないように、他人と接して来た。自分自身にそう求めて来た。むろん、貴方も知っていよう。ところが、いま貴方が聞い
ているのはその部分ではなくて、つまり、私の意思が望もうと望むまいと、必ずや発生する女性としての深層心理で感じ
取ったことについて、だね?」
「その通りです」
「時間をください。私は一度も自分の中でまとめたことのないことをいきなり他人の前に話さない。ソクラテスは書物を
否定して、即興的な会話こそが真のコミニュケーションであると考えたが、彼の弟子プラトン師の意思を継がずに本を書
いた。そして同じく本を書く立場として、私もソクラテスの考え方には賛成しない。よく整えられた、構成がしっかりし
ている話をしてこそ、が自分と他人の時間を無駄にしないと思う。他人の本心を抉じ開けることを仕事にして来た貴方は
違う意見かもしれないが、良いのかい、我々は見方だ。少なくともこの非常時に於いては、そう考えてもらいたい。貴方
には、見方との話しをより効率よく進める方法について考えてもらない。そして明日出直してくると良い。その通りに話
そう」
「了解しました。では、これにてお暇しさせて頂きましょうか」
敏光が立ち上がろうとした時に、典子はにわかにとてつもない不安の感情に襲われた。理由も典子はちゃんと分かって
いる。今日の成果があまりにも悪かったからである。これでは何一つ分かっていないにも同然である。先が思いやられる。
「いや、待たまえ」
「はて、まだ何か?」
「私一人の印象なんかを聞いて、どうするつもりだ?それを根拠にして考えを進めるのは、あまりに短絡的ではあるまい
か?」
「いいえ、決して貴女ひとりではありませんよ?お分かりになりませんか?野口守弘をいろいろな側面から見てきた人間
は貴女ひとりではありません。彼が遺書で指名するほどの信頼できる相手は貴女しか居なかったかもしれません。しかし
他の人たちも、貴女のご存知でない、様々な彼を知っているわけです。例えば、彼のサンフランシスコの実家に居る家族
たちとか、貴女の仰る、彼が人形を売りつけた、信頼の置ける方々とか。そして、中原綾子もまだ生きているではありま
せんか?」
改めて抜け目ない相棒を確認して、典子は頷いた。敏光が帰ってから、典子は少し眠剤を飲んで、昼寝をした。そして
目が覚めたのは午後10時頃。メイドに体を起こされ、典子はすっかり開いたフランス窓から吹き吹き込んでくる夜の外
気を思い切り吸い込み、全身に染み渡らせた。午後の出来事がまるで昨日のように、全快して蘇った典子は改めて思わさ
れる。
夜には神秘が潜んでいるとしか思わない。酸素の濃度が昼と違うからだろうか。しかし昼間に酸素ボンベを使っても望
む効果が得られるとは思わない。そう、人間というめんどうな機器は体質だけではなく、気持ちとう不確定性極まりない
モノもあるからね。さて、センチメンタルな気分に耽る場合ではないことは考えるまでもない。一方も全身しなかったこ
の状況を、私がなんとかしなければならないのだから。野口守弘の印象か、それも感情的な方面。改めて、私という人間
が、さらに人間そのものが、他者という存在にどういう風な感情を抱くについて考えてみないと、首尾よくまとめられる
とは思わない。
しばらく思考を巡らせたのち、だいたいこのような結論に至った。人間、少なくとも自分という人間が、他者に持つ感
情の中のプラス的な物は、右記の三種類ある。
即ち、信用、愛、理解の3つにである。愛には崇拝、好奇心などもが含まれる。この3つがお互いに対して完全独立し
ていている。最も難しいのは、「理解」である。自分は本当の意味で他人を理解したことがないし、されたこともあると
は思えない。プラトンの著作「饗宴」では、ソクラテスは、最上級の愛というものは即ち、知的好奇心であると断言した。
プラトンの言う知的好奇心の対象は真・実在・美の頂点、後にイデアと定義される物である。現実に存在する人間に対し
て起こる感情を言っているわけではなかった。しかし、その求める感情の形態は、人間が他者に抱くいわゆる恋愛感情に
似ていなくもない。即ち、如何にして求める物に到達するかと言うと、ソクラテス、そしてプラトンは「知る」ことだと
考えた。その対象がもしリアルに存在する人間である場合、「理解」と解釈しても良いのではないだろうか。従って、恋
愛は我々が他人を理解することへの過程と解釈しても良い気がする。そしてそうなると、理解という極上な終着点に至っ
たら、恋が覚めるということでもある。もっとも、恋愛至上主義とはかけ離れている自分に言わせれば、この結論は至っ
てナチュラルなことであり、感傷的に思う必要がない。
そして、「饗宴」に登場したもう一人の論客アリストパネスの主張もまた目を引くところがあった。彼は、人間がもと
もと、首を2つにして、手と足が4つとあり、体が球体の、完全な生き物であったと仮説した。そして女神の嫉妬により、
男と女の両方に引き裂かれたのであると。ゆえに、人間は失われた自らの半身を求める。それが愛であると解釈した。こ
の人の論調はあくまでも異性愛のみを認め、当時のギリシアでとても流行っていた少年愛嗜好を否定したことに意義があ
るとされているが、今から聞いてもロマンを感じる話である。そう思われてしまう理由は、恋愛が赤い糸によって前世か
ら決められているという運命論に近いからである。しかしよくよく考えたら、運命の赤い糸よりも合理的に思える要素が
ある。つまり、赤い糸やら前世やらの架空の存在がなくても、人間は自らの欠けている素質を持つ存在に興味を惹かれる。
確かに、それがよくある恋愛感情の一種である。その恋愛の実態を、完全になるために欠けている半身を追い求めること
に例えたアリストパネスは、いかにも素晴らしいと言えないだろうか。
ところで、人間の持つ恋愛感情が、他者を理解する過程にしても、失われた半身を取り戻そうとする要望にしても、と
きとして独占欲が絡んでくるのである。そして、ここで肝心なのは、全ての場合がそうというわけではないことである。
であるからして、恋愛感情に独占欲が伴うかどうかの違いが何処にあるかを考えたところ、対象の性質によって決まると
思えた。つまり、我々自身の性格によって独占欲が生じるわけではない。誰しもが、独占したいモノと、そうは思えない
けれども好きなモノがある。例えば、宝石も天の川も美しい。それを見た瞬間に覚える感動はおそらく同レベルな物で、
どちらが勝るということはあるまい。しかし、殆どの人間が宝石を自分の物にしたいと思えるのに対して、天の川はそう
思えない。その独占ができるかどうかということは、どんなに愚かな人間でも、おそらく動物ですらも、直感で分かる。
無謀な相手に対しては独占欲が発生しないものの、すきになることに変わりはない。
そして、人間の中にも、宝石と思えるタイプと、天の川に思えるタイプが存在するわけである。最も、宝石と天の川の
どちらがより素晴らしいということはないように、この二種類の人間はどちらも極めて魅力的な存在に違いはない。和ノ
宮ユラという存在の性質は、天の川に近い。この感じ方は私のみならず、他のファンから、そして、肝心な野口守弘から
も確認したことがある。英司さんがなぜユラと婚約したかはこの際ともかくとして、いや、極めて重要なところではある
が、今夜のテーマではない。
そう、いま私が考えなければならないことは野口守弘のことであり、ユラのことではない。しかしなんと言っても、ユ
ラの話を抜きにして野口守弘を語るのが難しいのもまた事実である。彼はユラを愛していたのだ。我々皆がそうであった
ように。故に、この事実はむしろ重要ではない。重要ではないことの理由を確かめるために、今までの、ユラの性質につ
いて考えたわけである。
さて、「理解」と「愛」についてざっとさらって来た、残る「信用」こそが野口守弘という人間を紐解く要点ではない
だろうか。
とある先生が、孤独の価値ついて語る本では、人間が孤独から逃れるために、他人に「愛」される方法をいろいろ模索
すると言っている。例えば、それが自らのスキル磨け、「すごい子」になろうとし、ユラのような人間を目指すとか。そ
れができる人間はもちろんこの目的を果たす。ユラが人々に、少なくとも一分の人間に愛されていたように。そして、そ
れが無謀だと分かってくる人間は、他人の希望に合わせるという方法を選ぶ。即ち、「良い子」になることが。
プラトンのソクラテスは、愛される方法論について何一つ語らなかった。それは、人間がいかに愛する、何を愛するこ
とを考えれば良いわけで、その逆は議論の価値がないと判断したからではないか。いな、それは貴族・男性中心の社会に
於いて、貴族にして男性の人間たちが考えることではないからだと思う人もいるだろう。ところがどうでしょう。先ほど
言っていた、如何にして愛さる先生もまた現代人であり、男性である。ここで注目すべきなのは、この先生の考えはプラ
トンたちの主張と矛盾していないことである。つまり、この先生は人間たちがよく取る行動を纏めただけで、別にそれが
正しいとか、成果に結ぶとは一言も言わなかった。むしろ我々は相変らず孤独で、相変らず愛されることなく、けっきょ
くは孤独の価値を改めて評価せざるを得ないということこそがこの先生の言いたいことだった。従って、プラトンが言っ
たのは愛することに意味がことで、この先生が言ったのは愛されようとする行動に意味が無いということで、全くもって
合致しているのである。
ところで、この先生の思考は、「孤独を楽しめば良い」というところで終わる。確かに他人に愛されようとする努力は
虚しいことである。こういう暴論をその先生は語らなかったが、愛されるかどうかは素質で決まるとすら、私は断言した
いところである。「すごい子」になろうとすることも無謀で、「良い子」で居ても仕方がないのは確かである。だが、だ
からと言って、殆どの人間はここで諦めて、孤独を愛でる余生を楽しむという結論に至るのだろうか。
つまり私たち殆どの人間は、「孤独の先」を考えなければならない。確かに、その先生の言う通りに、精神的に孤独で
居れば良いわけだが、それが、社会的に孤立しても良い、というわけでは決してないのである。相変らず我々は世間体を
維持しなければならい。例え、誰にも愛されていないと分かっていようと、孤独を楽しめば良い、という話では済まない。
気が抜いたら、孤独が孤立につながる。そして、孤立した人間は、他人の手を貸すしかない場面に追い込まれた時に、屈
辱を味わうことになる。そればかりか、情報収集の手段を失うことで、人間は本来の発揮できる機能を殆ど失ってしまう
のである。孤立した人間は、キチガイのように、目に見えない病棟の檻にと囚われることになる。それでは、孤独を楽し
むどころの話ではあるまい。であるからして、私が考えたところ、愛されることはない、しかしながら地道に生きていく
人間は、孤独をいかに楽しむよりも先に、まずは、孤立をいかに避けることを考える必要があったのである。
メイドが持って来てくれた紅茶を1口吸い込み、糖分が脳に染み渡った。典子は改めて、自分たちがこの電子機器によ
る自動制御システムが完全化されていない人類社会では、孤立してはいけない事実を確認した。たとえば自分の場合、タ
バコやクスリを体に入れるのに、他人の助けを要らず、自分一人で楽にできる。食事にしても、今や自分のような栄養剤
で済ます人間が圧倒的に多い。しかしこの紅茶ばかりはそういうわけには行かない。機器の作る紅茶と十分の教養をされ
た人間の入れる紅茶は味が違う。そして美味しくない方の紅茶は飲んだ人間に何一つ良い効果をもたらさない。ところで、
メイドが自分のために働いているくれることに、私から良い給料をもらっているだけがためだろうか。十分な教養を受け
ている優秀な使用人は職場に困らない。もし私の個人の評判が悪く、社会的に孤立しているのなら、この紅茶だって今の
ように楽に飲めないかもしれない。して、私とメイドの間にある、未だになくては物事がすんなり上手くいかない、その
要素が、即ち、他でもなく、信用である。
従って、この信用こそが殆どの人間が生きていく上に、まず、勝ち取らなければならない物である。それからは愛。プ
ラトンやソクラテスが考えるように、愛するに値するモノにひたすら求めても良い。あるいはとある先生の言うように、
他者から愛される方法を模索しつつ、失敗したら孤独そのものを愛しても良い。その先にあるのは理解。未だに理解者の
持って居ない私はまだこれについて語ることはない。
ここで野口守弘の話に戻るが、要するに、彼はこの人間のコミニュケーションに於いての第一レベル、即ち、信用を得
るところまでは、できていた。それぐらいの利口さを、彼は持っていたと思う。できて当たり前なこととはいえ、傲慢が
過ぎるゆえか、この段階でしくじって、孤立してしまう人間は世の中にいくらでも居る。ユラに無謀なプロポーズをして、
あげく道化の肖像画を描かれたあの愚か者はそうであった。彼はこの事実すらも理解していないのだ。我々誰しもが、他
人に信用してもらう程度の必要最低限な慎重さを持たなければならないということを。帝王にしても同じである。この点
に於いて、野口守弘は少なくとも彼よりはマシと言えよう。だから、私がメイドに、メイドが私にそうしたように、ユラ
も私も野口守弘のことをある程度信用した。彼はこのように、孤立はしなかった。
ところで、我々は信用さえしても貰えれば、人間としての最低限の権利が守られるわけだが、そればかりで足りるかど
うかというと、無論そうではない。さもなければ、愛と孤独について考える人間は無くなるわけだ。野口守弘はプラトン
の言うように、ユラという愛の対象を見つけたわけだし、そしてとある先生の言うように、孤独を楽しんでも居た。そも
そも愛されるという素質を持っていない彼は無駄な努力をしなかった。もしかしたら過去に試みて失敗したことはあるか
もしれないが、少なくとも私たちの前に現れた後の彼は、一度も他人に好かれようとする姿勢を示したことがなかった。
この人は小心者にして臆病者ではある。とは言え、彼は彼にできる最善の駒の進め方をしたと言えないだろうか。サッカ
ーで言うと、勝てる実力のないチームが勝つことはまずない。そこで、利口な監督は如何にして失点差を少なくして負け
る方法を考える方が正しい。
というように、私は彼を信用したし、正しい人間であると評価した。ある意味、私自身よりも正しかったかもしれない。
彼の達観ぶりが羨ましく思うときすらあった。私は、ユラに、自分自身の価値を評価してもらいたかった。昔からそうだ
った。これは認めざるを得ない。だからこそ、作家になったし。そして、自分の作品がユラほど売れていないことにずっ
と悩んでいた。彼、野口守弘からは、この私が抱いているようなくだらない悩みを何一つ持っていない風に見えた。だか
ら、魅力的な人間ではない彼は、凡人らしく、全て意味に於いて正しい人間だった。であったはず。なのに、なぜ...
「結論はこうだ。野口守弘という人間については、私がどう考えても、筋の通った人間だった。ユラを殺したこと以外の、
全ての点に於いては。最も、もしユラを殺害したのが彼だという事実を前提にするなら、私はこれらの印象を全て覆さな
ければならないが」
「いいえ、今のところその必要はありませんよ?私が思うところ、彼、野口守弘と名なる人間は、一つの大きな失錯をし
たように思えます」
「というと?」
「彼は、お嬢様、彼は貴女のことを舐めていたようにしか思えませんよ。よろしいですか?あの遺書に書いたころは、普
通の人間からみれば、理屈が荒唐無稽ではあるが、常軌を逸した人間があまりの嫉妬に狂ったら、仕出かさないこともな
いように思えます。つまり、遺書では、彼はキャラクターを演じることにちゃんと成功しました。そして、貴女の前に演
じてキャラクターもまた、貴女にこれだけ評価される程、成功していました。ところが、両者の間に矛盾があることに、
貴女は気付いておられます。その理由は、簡単に推測できるではありませんか?端的に言うと、それは目的が違うからだ
と思います。彼には、貴女と付き合った時とは別の目的が生じたから、このように別のキャラクターを演じたわけだと私
は思います。ところが、そうです、さすがの名男優の彼も一つ誤算をしたわけです。彼が演じたキャラクターが完結しす
ぎています。過去の経歴から、現在の行動に至るまで、何一つ怪しいところがないのです。そのような人間がいきなり犯
罪を仕出かしたら、それこそ理屈が合わず、怪しいのです。つまりね、お嬢様、おそらく彼は俳優だからこそ、我々のよ
うな生身の人間と違って、完璧に演技をする方法しか知らなかったのでしょう。そして、貴女のような、演技を隅々まで
よく見て、彼の用意したキャラクターの性格完全に解読し、記憶したという素晴らしい視聴者に巡り合ったのが運の尽き
でした。いやはや素晴らしいですよ!お嬢様。この野口守弘と名乗る人間は、おそらく私が見てきたあらゆる犯罪者の中
でも、とびっきり狡猾なレベルに入ります。そして、彼は、あの遺書で指名してしまうほど、完全に侮った貴女を誤魔化
すことができませんでした。いや、どうでしょう。あるいは、彼は貴女が勘付くことを分かっていって、他人を説き伏せ
るほど論理的に纏めることができないと、高をくくったかもしれません。ともなく、こうなったからには、もう何もかも
貴女の仰る通りです。そう、怪しいですよ、何もかもが。我々は、真剣にこの事件について再検討しなければなりません」
「待たまえ。私の意見にやっと納得してくれたことは有難いが、これではあまりにも突拍子もないではないか?別々のキ
ャラクターに別々の目的?なんの目的?そんなの見当もつかないよ?」
「落ち着いてください。よろしいですか?お嬢様。貴方のプライドに関わる事実かもしれませんが、これをまず認めて頂
けなければ話は進みますまい。貴方は、騙されておられましたよ?何もかもが、嘘だったのかもしれません。その虚言を
根拠にしていれば、彼の目的にたどり着くことは無論できません。ですが、虚言の中には真実につながる手がかりが必ず
含まれています。それを辛抱強く、慎重に抉り出すことこそが私たちがこれからすべきことなのではありませんか?」
敏光を帰らせたあと、典子はまた抗鬱剤を大量に飲み込んだ。にわかに脳の動きが強制終了され、典子は体を震わせな
がらソファに倒れた。それから何時間がたち、ぼんやりとした視界が段々と回復するのに伴い、甚だしい記憶もが蘇って
来た。そして、抑えられた感情がついに典子の中に迸る。
野口守弘、あなたは何と言う悪魔だろう。ユラを殺した上に、私をずっと騙したのだと?それも、あまつさえ私を侮っ
たのだと?あぁ、今に聞こえるよ。サタンの笑い声が。あなたが本当に嘲笑っているのが、警察でも東京人でもなく、こ
の私のことだな?あなたの本体はもう地獄に逃げ帰った。いや、凱旋したという方が正しいかもしれない。しかし、今に
見ているが良い。あなたが隠したその秘密を、私が必ずや無残に暴いてみせるぞ。ユラの仇をとる。それをユラの手向け
にする。いや、あなたの首などがユラの手向けには値するわけがない。それでも、それでも、この挑発は乗った。
時間を少し前に遡る。典子の部屋から出た敏光はメイドに案内されながら応対室に向かっている。敏光は考える。
典子に緊張感を持って貰うためにやや刺激的に言ったものの、あの不条理な遺書は、救済、あるいは断罪を求めている
ようにも解釈できる。しかしだとしても、2人の関係者が死んでいるのに、あの絶対悪のオーラが未だに現実に漂ってい
るのは確かだ。不吉な予感がしてならない。そして、関係者全員が死に絶えたわけではないから、なお気が抜けない。当
然その中に典子もが含まれるわけである。ミステリーに出る名探偵は、いつも犯人に対象を思い通りに殺させてから謎解
きをする。まるで、犯人をさえ絞首台に出したら探偵の勝ちになるゲームルールが存在するかのように。無論、探偵はボ
ディガードではないから、操作の途中に被害者出ても落ち度はない。しかし現実的に考えれば、決して名誉なことではあ
るまい。下手をすると、理不尽な責任を求められる状況すら考えられる。特に重要人物に何かあったらね。理屈じゃ済ま
ない。そして、今回の場合、典子は彼女のペースでどんどん事件の核心に触れて行くだろう。その先に潜んでいるかもし
れない危険に、怯えもせずに。それが典子お嬢様である。そして、彼女がちゃんと前に進むように仕向けたのが他でもな
く、この私であるからね。この手のかかる依頼人様を守ろうとしたら、彼女の一歩先に歩かなければならないない。言っ
ていることが矛盾に聞こえるかもしれないが、そうではない。この白日の下に堂々と高笑いを放った悪魔・サタンを、決
して逃すわけには行かない。いいえ、もう逃げたとしても、彼の思い通りには決してさせない。何があっても、である。
この挑発の相手は水戸のお嬢様1人ではない。全人類の尊厳に対する、宣戦布告である。この戦に勝つためには、典子お
嬢様が戦力になる。心苦しいのだが、クイーン本陣の残すほどの戦力を持っていないのが現状だ。最も、チェスの意味で
のクイーンではない。敢えて例えるなら、白マスビショップの機能を持ったキングというところだろうか。そして、これ
から会うこの人こそが我が奥の手である。貴方には絶対的エースにふさわしいく、力を思い存分に発揮してもらわなけれ
ばならない。
敏光が入ってくるのを見、斉藤は即座に立ち上がった。その動きが本当に刹那の間に済まされ、一切の隙がなかった。
おそらく彼はソファに気持よく座り込んだのでもなく、かと言って見た目を気にして背筋を伸ばして座ったのでもない。
ただ、立ち上がるのに最も力が入りやすいような姿勢で座ったのに違いと敏光は想像した。立ち上がった斉藤の全長は190
センチを越え、一方で体重は55しかなく、よく「ひょろ長いもやし」と言われるような体型だ。ところが、もやしの頭に
刻み込まれた両目と視線が会ったら、まだそのアダ名を口に出せる人間が、敏光にはあまり想像できない。典子ぐらいだ。
2人は挨拶を一切せず、そのまま客人用の車庫に案内された。そして斉藤が運転席に乗り、敏光は助手席側のドアから入
った。この車はバッハ2009式と言い、やや旧式ではあるが、嘗てはリムジン式のビジネスカーの中では最上級クラスだっ
た。敏光の事務所の収入にしては大きな出費だったが、主に斉藤の趣味である。武蔵野から新宿の事務所に戻るのに、今
の時間だと渋滞も計算に入れてちょうど1時間ぐらいだ。そして、おおよそ五分ぐらい待つ必要がある大きい信号の前に
泊まったタイミングで、敏光は切り出す。
「斉藤、これからは、気を付けるんだ」
「それは、相手がプロだという意味ですか?」
「まだそうと分かったわけはないけどね。ただ、極めて邪悪にして凶暴な意思を、垣間見た。気がした。一筋縄では行か
ないよ」
もとフランス外国人部隊のエースであるこの人がこんな脅かし文句で動じるとは思わなかった、斉藤の反応は敏光の予
想以上に拍子抜けだった。
「それでしたら、お嬢本人の警備は十分に整えられましたか?」
斉藤の感じ方はよくこのように敏光の虚を突くことがある。つまりこれは文人と武人の違いである。典子が危険な位置
に晒されていることなら、もちろん敏光は分かっているが、乱暴な手段を取られるかもしれないという最悪のケースに関
しては、斉藤ほどすぐに思い付かない。しかし、敏光はこう考える。今回の場合はまだその時ではない。それに、典子が
あんな形で誘われた以上、何かしらの理由で、泳がされていることも考えられる。対して、私の存在は完全な招かれざる
客に違いない。それはそれで都合のだが。
「典子嬢はやんごとなき方だ。何かをされた時に報復が約束されている。身分そのものが彼女を守る。しかし、我々の場
合は違う。いわゆる傭兵のようなものだ。我々が居て困る人間が居ても、居なくなって困る人間はいないでね...」
「なんとも世知辛い世の中ですね。我々のような立場の人間にとっては。それにしても、やんごとなき方か...」
「君、まさか、典子嬢を守るヒーローを気取るつもりじゃあるまいな」
「いえいえ、そんなロマンチストじゃありませんよ? ただ、当事務所はじめてのやんごとなき方に依頼された大仕事で
しょう?報酬を想像すると腕がなります」
報酬についての話はまだされていない。無論、典子が悪いようにするわけがないことを敏光は理解している。だから、
この件について切り出すタイミングを典子に任せている。それが気品のある取引に於いての約束である。しかしそれより
も、敏光は成功した暁の報酬について考えられるほど楽観的で居られなかった。一筋縄では行かない。と、敏光は思う。
「そうだ。デビューするつもりやるんだぞー」
最後会った日に、典子は敏光の帰り際に明日も来るようにと伝えなかったのをいいことに、敏光はしばらくの間、典子
に訪ねなかった。無論、典子としては当然くるだろうと想定して何も言わなかったのだが、敏光には彼自身の考えとそれ
に伴う計画があった。それらをひと通り済ませて、再び典子の邸宅に訪問したら、彼女は相変らず自室のソファに横たわ
り、灯ってもいないモニターを見ていたようだ。やつれた典子は敏光を見て、殆ど無表情さのままだが、間から僅かな不
満が読み取れる。
「遅いではないか。私以外の人間からも依頼が入った?」
「貸し切りにされていないものね」
「じゃ今日からそうしたまえ。貸し切りという言葉は大嫌いだけれどね。私はいつも個人客だから、慣れ親しんだカフェ
やバーへ行ったら団体様の貸し切りに合うたびに気分を害される。パーティーは自分の家やれ自分の家で!」
「なるほど、お気持ちはお察ししまう。ところで、先ほどのは恐れ入りますがほんの冗談でして、当分の間はお嬢様の要
件以外の依頼をお受けする予定はありません。そして、ここの何日間、むろん私は休んだわけではありませんでした。私
一人でもできる調査をさせて頂いて、こうしてご報告に参りました次第です」
「貴方、それはもしや、この私が居れば足手纏いになるとでも言っているのではあるまいな?」
「そのようには申しておりませんが、お嬢様がいらっしゃらない方がむしろ都合が良い状況も考えられるでしょう?それ
に、電話は3人で話す物ではございますまい。まずは、こちらからご報告しましょうか」
典子は考える。上城敏光という人間は身勝手だが、ここのところが自分の性に合っている。明らかに好みで選ぶべきで
はないところにも、「どうしますか?」と聞いている専門家を名乗る連中よりはマシである。判断の責任を持ちたくない
気持ちは分かっていても、「何のために貴方の知識がある?」と聞き返したい時がある。
敏光は野口守弘のサンフランシスコにある実家に電話をし、彼の姉と話した経緯をまず典子に話した。野口家がアメリ
カ大陸に渡ったのは大正時代で、宝石の商売を取り扱ってそれなりに繁盛したそうだ。そして、4世代を経た今も子供に
は日本語の教育を行っている。実際に敏光と話したのが長女の美津子だが、日本語の発音にラテン語系の訛りを感じるが、
意思疎通に障りはなかった。美津子の話によれば、守弘は内気な子供で、いつも家にこもってテレビに向かってゲームを
していたそうだ。そのゲームの影響か、中学校に上がってからにわかに日本の文化に興味を示した。そして大学卒業後、
日本に戻って翻訳家になったが、その後は殆ど家族と連絡を取らなかったそうだ。とはいえ、音信不通になったわけでは
ない。彼の性格上、必要以上の連絡をしないことは家族たちも理解しているから、別段ふしんに思うこともなかった。こ
こまでの情報は典子が本人から聞いたのと、警察が調査した結果と殆ど一致していた。ところが、無論、敏光が関心を持
ったポイントが他にあった。即ち、美津子の守弘に対する印象だった。美津子の話によれば、守弘は確かに子供の頃から
集取をする癖があった。戦艦や戦車の模型を大量に買い集めたこともあった。なので、芸術品のコレクターになったこと
は不思議に思わなかった。けれども、彼が大金を手に入れたことに本当に家族の誰もが驚いた。彼が人形の売買で大儲け
したことはいままで、家族の誰にも教えなかったそうだ。そしてさらに、美津子はこうも言い加えた。幸運に恵まれて資
金が手に入ったことがまだしも、コレクターのコミニティで上手く立ち回れるとはとても思えなかった。人間は変われば
変わる物だと嘆いた。
「つまり、姉の美津子氏の話を信用すれば、彼は、まさにお嬢様あなたが仰るように、孤独に生きたがために、そのまま
社会的に孤立しそうな人間でした。家族に心配されていたほどです。ところが、貴方の知っている彼は、そうではありま
せんでした」
「それはそうだろう。8年間も連絡しなかったし、人間として少しは成長したというところではあるまいか?」
「成長、でしょうか?私には、むしろ本質的な変化だと感じますが。それはそうとして、何とも驚いたことに、彼の性格
が変わることのきっかけも、偶然、もう一つの調査で分かりました。中原綾子氏に会って参りました」
「ほほー、それは驚いたね。彼女は、その、質問に積極的に答えてくれたの?」
「はい。おかげさまで、期待していた以上の成果を得ました」
敏光の行動力もとうぜん評価に値するが、それよりも、中原綾子がすんなり協力してくれたことがやはり出し抜けだっ
た。典子は芸術家という物を知っている。ユラの他にも何人かを。物事を言葉で表現することがそもそも不得意か、ある
いは自らの神秘性を守るために話したがらないか、ともかく、論理的に話ができる相手は珍しい。しかし、ことが重大な
故に、そうも言っていられなかったのかもしれない。
中原綾子の話によれば、確かに野口守弘は彼女の人形がまだあまり高値が着かなかった頃の買い手だった。そしてここ
で面白いのは、7,8年前の買い手は殆ど覚えていないのにも関わらず、この野口守弘だけは、とある理由で未だに記憶
に残っていると言う。当時、まだ名が売れていない中原はSNSをしていて、野口守弘は常連の買い手として、人数の少な
いフレンドリストに登録されていたそうだ。そしてこの野口守弘は中原をよく買っていたにも関わらず、興味の無い作品
に対しては、公開発言で手厳しく批評していた。彼に悪意はないことは分かっていたが、それでも苦労して造った作品が
難癖を付けられるのが精神的な負担になっていたそうだ。従って、中原はやむを得ず彼をフレンドリストから削除した。
彼女は、批評されること自体にとやかく言うつもりはないが、それを強制的見せられることが理不尽だと思ったから、見
ないようにしたと説明した。ところが、フレンドリストから削除されることは野口とっては予想外なことだったらしく、
彼は中原が批評を気にするような人間だとは思わなかったようだ。そのあと野口が中原のところに謝りに来たが、中原は
「過ぎたことです」と言い、彼を帰らせた。それから野口は中原の視界から完全に消え、他の作家の作品が彼に買われる
ようなことも聞かなかったそうだ。そして何年後、彼が中原の作品が値上がりしたのを見、初期作品を転売して大儲けし
たことはもちろん中原本人の耳にも届いた。ただでさえトラブルで別れた相手が、自分の努力の結晶で儲かることが、中
原の気を非常に悪くしたそうだ。今回の事件の結末については、「不思議に思いません。由良姫氏が気の毒に思います」
とコメントした。
「なるほど、つまり、野口美津子氏と中原綾子氏、両者の話を繋いだところ、貴方は野口守弘の性格が変わり、より慎重
に世渡りするようになった原因が、中原綾子と付き合った時に失敗したからだと解釈したわけね?」
「その通りです。筋妻があっているようにも思いますが、いやはや、実に予想外で拍子抜けな結果ですね」
「というと?」
「参りました。完璧です。彼はこれだけの大事を仕出かしたにも関わらず、あらゆる意味で、ただの詰まらない人間でし
た。これ以上、野口守弘という人物に何かあると思う要素はもうありませんよ?」
典子に敏光の言いたいことがにわかに伝わった。どうやら自分たちのチェス番がまた振り出しに戻ったようである。
「さて、お嬢様、あなたはまだ不満がおありですか?」
「当然だ」
典子は考える。狡賢い悪魔め、私を相手にしたのはあなたの運の尽きだ。何せ、私は暇だからな。
「でしたら、そうですね。いささか非常識な容疑者に順序を狂わされたが、改めて、正攻法と参りましょうか。かのクリ
スティー女史がいつも語るように、殺人事件の核心を秘めているのは常に死者の性格である。つまり、被害者の方ですね。
我々は、由良姫に語らせなければなりません




