狼と正直者
また、部屋に入る。
見慣れたというより見飽きた八畳洋間。出口である様子は無い。
「いらっしゃい」 老人が声を掛けてくる。
「どうも」 わたしは適当に声を掛ける。
またゲームが始まる。
扉を閉めると同時に、がちゃりっと鍵が掛かる音がする。
中央にある椅子に腰掛ける。老人と丸テーブルを挟んで向かい合う。一連の動作に慣れすぎて無意識にここまで動けるようになってしまった。
「それでは問題を提示します」
老人はリモコンを持って操作した。壁に掛かったモニターが作動する。
モニターに問題が表示される。
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あなたは羊飼い。退屈しのぎに「狼が出た」と嘘をついて騒ぎを起こし
大人たちの信用はない。本当に狼が来たとき、あなたは羊を守るために
大人たちに何と言うか?
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「まず、わたしだったらそんなくだらない嘘をついて信用をなくすことはしないわよ」
見も蓋もないことを言ってみる。
老人はわたしの言葉にコメントしてくれなかった。この老人も退屈しのぎに嘘をつくような性格ではないだろう。
「それでは始めます。考慮時間は一時間です。私より“面白い答え”を提示してください」
老人が砂時計をひっくり返す。考慮時間の始まりだ。
「羊を守ればいいのよね?」
「そうです」
「自分で狼は倒せないけど、大人たちは倒せるのよね?」
「仮に大人を五人呼べば狼から羊を守れることにしましょう」
珍しく老人から提案があった。
「分かったわ。使用して良い道具に制限はある?」
「羊飼いが現実的に持っていてもおかしくないものとしましょう」
羊飼いって何を持っているのかしら。杖は持っているイメージはある。羊飼いは傾斜のある斜面などを歩くことが想定されるため、杖を持って歩くらしい。あと牧羊犬を連れていることもあるわね。
「おじいさん。羊飼いに会ったことがある?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
わたしは丸テーブルに置いてある紙とペンを手に取る。紙と言えば昔は羊皮紙というものがあって、動物の皮に文字を書いていたらしい。今でもあるのかな。
気になることが一つ。イソップ寓話の狼少年の話は、普段から嘘をついていると、いざいうときに信じてもらえなくなるという説法話だ。本によって様々だけれど、信じてもらえなかった少年は羊を食い殺されたり、少年自身が食い殺されたりしてしまう。自業自得という教訓を伝えたいことは分かる。しかし少年を信じなかった大人たちの心情はいかなるものだろうか。少年の言葉を嘘と信じ、少年が無残にも食い殺されたとして、それを自業自得だと突っぱねることができるだろうか。さすがに無いよね。大人達にも良心はあるはずだ。
砂時計の砂が落ちきった。一時間の考慮時間が終わった。
「それでは解答を提示します」
老人が解答を書いたホワイトボードをこちらに見せる。
「 火事だ。助けてくれ 」
老人はホワイトボードを見せると同時に口に出して読んだ。
「狼による被害なら羊飼いだけの被害になります。しかし火事なら燃え広がる可能性があります。万が一にも山火事など起こすわけにもいかないので、大人たちは半信半疑でも様子を見に行かなくてはいけません」
「オオカジだと思って見に行ったらオオカミに会うわけだ」
老人はわたしの言葉に反応しなかった。ここでいつもの「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」とか言ってくれたら笑ってやったのに。
「解答を提示してください」
「はい」
わたしは老人にホワイトボードを見せた。
「 羊を連れて行く 」
わたしは堂々と宣言した。
「台詞は“狼が来た”で良い。言葉だけだといつもの嘘だと思われるから、羊を一匹でいいから連れて行く。大人も羊の現物を見れば、本気だと信じるはずよ。それに連れてきた一匹は確実に狼から守れるからお徳よ」
わたしは老人のホワイトボードを指さしていった。
「嘘を重ねるより、真実を信じてもらう方が利口だと思うわよ」
老人は大きく頷いた。
「よろしい。進みなさい」
「どうも」
わたしは席を立ち、前へ進む。部屋の奥の扉を開ける。
「ねぇ、おじいさん」
わたしは背中越しに老人に尋ねる。
「わたしはあと何回勝てば、この迷宮から抜け出せるの?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
相変わらずそっけない対応だった。