盾と矛
また、部屋に入る。
見慣れたというより見飽きた八畳洋間。出口である様子は無い。
「いらっしゃい」 老人が声を掛けてくる。
「どうも」 わたしは適当に声を掛ける。
またゲームが始まる。
扉を閉めると同時に、がちゃりっと鍵が掛かる音がする。
中央にある椅子に腰掛ける。老人と丸テーブルを挟んで向かい合う。もう何十回も同じ部屋を見てきたけれども、部屋の調度品もすべて一緒。このゲーム会場を作るためにどれだけの費用がかかったのかしら。
「それでは問題を提示します」
老人はリモコンを持って操作した。壁に掛かったモニターが作動する。
モニターに問題が表示される。
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どんな盾でも貫き通す矛で、どんな矛も通さない盾を突いたらどうなるのか。
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「矛盾かぁ」
国語の教科書にも定番の故事成語だった。
「それでは始めます。考慮時間は一時間です。私より“面白い答え”を提示してください」
老人が砂時計をひっくり返す。考慮時間の始まりだ。
今更、老人に問題を確認するまでもないだろう。
どんな盾でも貫き通す矛と、どんな矛も通さない盾を売っている商人がいました。ある日お客が「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と聞くと商人は答えられなくなってしまった。というお話。
つまり「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」という問いの答えは「商人の嘘がばれる」という結論で故事は出来ている。
自家撞着とかパラドックスとか似たような意味の言葉はいっぱいある。昔から人間はつじつまの合わないことと戦ってきたのだろう。
「おじいさん。あなたは嘘つき?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「わたしは嘘つき?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「わたしは嘘つきで、あなたは正直者?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「嘘つきは嘘しかつけない?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
矛盾ぽい言葉を並べてみたけど、矛盾とはあまり関係なかった。
「都合が悪くなったら、すぐそうやって逃げるんだから」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
わたしは丸テーブルに置いてある紙とペンを手に取る。ペンをくるくる回して考える。矛盾なんて故事が生まれたのが2000年以上前だ。この2000年間で様々な議論がされてきた。今更“面白い答え”を出すのは難しい。
矛盾といえば、老人のテンプレートな言葉で「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」というのがあるけれど、あれは矛盾していると思う。老人の個人的なことや、このゲームがどういった意図で行われて、ゴールはどこなのか知られたくないから、老人はいつもこの台詞を言ってくれる。でも、わたしが問題についての確認をしたり、食事の注文をしたりすることには答えてくれる。これらも言ってみれば「ゲームの運営に関わる質問」である。何か矛盾していないだろうか。
いやいやいやいや。こんな思考はあとでしよう。今は矛盾をがどうなるかを考えよう。
砂時計の砂が落ちきった。一時間の考慮時間が終わってしまった。
「それでは解答を提示します」
老人が解答を書いたホワイトボードをこちらに見せる。
「 矛と盾が消える 」
老人はホワイトボードを見せると同時に口に出して読んだ。
「そうね。それも思ったわよ」
「矛盾したものは存在出来ませんから。どちらか一方の主張が勝つというわけでなく、いわば両方負けになるのです」
「矛も盾も自分の主張は通すのね」
老人はわたしの言葉には反応してくれなかった。結構うまいこと言ったつもりだったのに。さみしい。
「解答を提示してください」
「はい」
わたしは老人にホワイトボードを見せた。
「 二つの可能性が存在した世界が生まれる 」
わたしは堂々と宣言した。
「説明してください」
「説明も何もほとんどそのまんまなんだけどね。矛が盾を貫いた世界と貫けなかった世界が同時に内包された世界になるのよ。シュレディンガーの猫ちゃんよ」
今回はSFというか量子力学で攻めてみた。
「シュレディンガーの猫は実際には、観測するまで結果が決まっていないなんてことはありえない、という皮肉ですが」
「そうなの? よく知らないんだけど。まぁ猫ちゃんがどういう話だかはおいといて。
矛が盾を貫いた世界と貫けなかった世界が同時に内包された世界が出来るのよ。観測するまで結果は生まれていない。観測しても両方が同時に観測出来るような世界よ。三次元しか把握できない現代の地球人では何が起きているのか分からないような世界になるでしょうね」
「勝手に世界を創造しないでください」
「そっちだって矛で盾をついたぐらいでお互いの存在が消滅するような勝手な世界を創造しているじゃない」
こんな難しい話にするつもりは無かったのに。問題が難しいから仕方が無いのか。世の中“どんな”とか“絶対”とか付けると手に負えなくなる。
「それにね。
両方負けより両方勝ちのほうが、気分がいいじゃない」
わたしは笑顔で言った。
老人は大きく頷いた。
「よろしい。進みなさい」
「どうも」
わたしは席を立ち、前へ進む。部屋の奥の扉を開ける。
「ねぇ、おじいさん」
わたしは背中越しに老人に尋ねる。
「わたしはあと何回勝てば、この迷宮から抜け出せるの?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
相変わらずそっけない対応だった。