富士山を動かす
また、部屋に入る。
見慣れたというより見飽きた八畳洋間。出口である様子は無い。
「いらっしゃい」 老人が声を掛けてくる。
「どうも」 わたしは適当に声を掛ける。
またゲームが始まる。
扉を閉めると同時に、がちゃりっと鍵が掛かる音がする。
中央にある椅子に腰掛ける。老人と丸テーブルを挟んで向かい合う。さっきまでいた部屋にいた老人と同じ顔をした老人だ。わたしはさっきの部屋を出ると同時にこの部屋に入っている。だからこの部屋の老人がさっきの部屋の老人と同じ人物のはずがない。絶対に違う人物だ。同じ顔をした別の老人に違いない。
「それでは問題を提示します」
老人はリモコンを持って操作した。壁に掛かったモニターが作動する。
モニターに問題が表示される。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
富士山を動かすには、何日かかるか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「どこかの面接試験で似たような問題がなかった?」
わたしの意見に老人は相槌すら打ってくれなかった。相変わらず仕事熱心な人だ。
「それでは始めます。考慮時間は一時間です。私より“面白い答え”を提示してください」
老人が砂時計をひっくり返す。考慮時間の始まりだ。
おそらくこの問題の正当な考え方は、ショベルカーで土砂を運んでいって富士山を少しずつ動かしていく。その土砂の移動にかかる時間を推定せよ、という問題なのだろう。気の遠くなるような時間がかかるに違いない。
が、しかし。当然のごとく富士山の体積なんて知らない。高さが3776mとういことぐらいしか知識が無い。この老人は体積も知っているのかな。知らないなら知らないなりに推定していくしかない。富士山の体積から、採掘状況までどれだけ精密に推定出来るかが勝負になる。………この考え方であれば。
「予算に制限は無し?」
「予算の金額に制限はありません。実現可能であるならば、いくら使っても構いません」
「実現可能っていうのは現代の範囲で、だよね?」
「未来の技術は使わないでください」
わたしは少しだけ落ち込んだ。未来に四次元移動の技術でも開発されるのだったら、あっという間に解決してしまう。
「おじいさんは富士山に登ったことはある?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
老人は解答を拒否した。個人情報の詮索は出来ないことになっているのだろう。この老人はゲーム中の敵キャラクターで、それ以上の要素はわたしに教えられないようになっている。
「おじいさん、お名前は?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
息抜きに問題とは関係の無い質問をしてみた。
「おじいさん、歳はいくつですか?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「おじいさん、趣味は何ですか?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
老人は顔色一つ変えずに答えてくれない。釣れないのである。ここでぺらぺらと個人情報をしゃべってくれるようなら、どんな問題の答えを用意しているか想像しやすい。ゲームの内容に関わる質問には答えられても、ゲームの運営に関わる質問には答えられないという。まったく、もう。わたし自身、なんでこんなゲームに参加させられているのかも分かっていないのに、上からの良いご身分である。
わたしは丸テーブルに置いてある紙とペンを手に取る。今までに集めた情報を整理して考える。と同時に計算をする。富士山の体積を推測して、ダンプカーで運ぶ時間を計算して。
「あれ?」
そこで、思考が妙なところに落ちた。
「どれだけの距離を動かせばよいの?」
老人は、そんなわたしを気にも掛けずに自分の計算に集中していた。
砂時計の砂が落ちきった。一時間の考慮時間が終わった。
「それでは解答を提示します」
老人が解答を書いたホワイトボードをこちらに見せる。
「0日」
老人はホワイトボードを見せると同時に口に出して読んだ。
「あら、どうして?」
「地球は常に動いている。富士山は動かすまでも無く動いている」
話のスケールが大きかった。まさか地球規模で考えていたとは思わなかった。さっきまで紙にひたすら計算式を並べていたのに、そんな答えが飛んでくるとは思わなかった。
「解答を提示してください」
「はい」
わたしは老人にホワイトボードを見せた。
「5秒」
わたしは堂々と宣言した。
「説明してください」
わたしは、こほんと咳払いをする。
「富士山の東にある石を西に投げる。これで富士山の重心が動いたわ」
重心。その物体の重力の作用点。富士山にある石は富士山全体から見ればほんのわずかな質量しかない。しかしほんのわずかな質量でも、位置が変われば重心が変わる。
石を拾って投げるまで5秒。
ほんのわずかな距離ではあるけれど、富士山は動いた。問題文にはどのくらいの距離を動かせばいいか明記されていないので、わずかに動かすだけで問題の条件は満たされる。
問題を否定した老人と問題の穴を突いたわたし。どちらが“面白い答え”であるか。
老人は大きく頷いた。
「よろしい。進みなさい」
「どうも」
わたしは席を立ち、前へ進む。部屋の奥の扉を開ける。
「ねぇ、おじいさん」
わたしは背中越しに老人に尋ねる。
「わたしはあと何回勝てば、この迷宮から抜け出せるの?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
相変わらずそっけない対応だった。