カエサルと日本人
また、部屋に入る。
見慣れたというより見飽きた八畳洋間。出口である様子は無い。
「いらっしゃい」 老人が声を掛けてくる。
「どうも」 わたしは適当に声を掛ける。
またゲームが始まる。
扉を閉めると同時に、がちゃりっと鍵が掛かる音がする。そろそろ眠くなってきたな。
「それでは問題を提示します」
老人はリモコンを持って操作した。壁に掛かったモニターが作動する。
モニターに問題が表示される。
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ガイウス・ユリウス・カエサルと自分との共通点を答えよ
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「ブルータス、お前もか」
問題を見た反応に困ったので、カエサルの言葉を引用してみた。
「それでは始めます。考慮時間は一時間です。私より“面白い答え”を提示してください」
老人が砂時計をひっくり返す。考慮時間の始まりだ。
ガイウス・ユリウス・カエサル。
紀元前百年頃の人。今から二千年以上前の人。共和政ローマの軍人であり文筆家。内戦での勝利を経て事実上の単独支配を確立し、帝政の礎を築いた。
日本ではあまり馴染みの無い人ではあるけれど、ヨーロッパでは英雄の中の英雄とも言える人物である。
有名な著書は「ガリア戦記」。「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」などの言葉も有名。
「自分との共通点って問題だけれど、この自分ってわたしでいいのよね?」
「そうです。プレイヤーを指します」
「おじいさんはわたしと違って男っていう共通点が多いから不平等じゃない?」
「不平等となるような解答はしませんので、ご安心ください」
ということは自分というのが、わたしでなくても良い。現代の人間と二千年前の人間の共通点を挙げろということか。そういった点ではカエサルじゃなくても良いのかな。昔の人であればクレオパトラでも秦の始皇帝でも卑弥呼でも良いのかもしれない。
わたしは丸テーブルに置いてある紙とペンを手に取る。全速力で計算を始める。一時間あれば出来る計算量ではあるけれど、正確を期すために三回くらいは計算しておきたい。電卓があれば自身を持って計算を進めることが出来たけど、今は手計算で頑張るしかない。
眠気がかった頭に今一度喝を入れる。ここで間違えたくない。老人の解答がどのようなものになるか、想像も付かないけれどこちらが万全の計算を持って望めば勝てるはず。
砂時計の砂が落ちきった。一時間の考慮時間が終わった。
「それでは解答を提示します」
老人が解答を書いたホワイトボードをこちらに見せる。
「 風呂好き 」
老人はホワイトボードを見せると同時に口に出して読んだ。わたしはその字面を見た瞬間、絶望を感じた。このままでは負ける。
「古代ローマといえば風呂ですから」
老人は細かい説明を二言三言していたけれど、わたしの耳には入ってこなかった。わたしの頭には焦りの熱音がぐるぐると鳴っていた。
昔の人であればクレオパトラでも秦の始皇帝でも卑弥呼でも良いわけではなかった。古代ローマ人と日本人でなくてはいけなかったのだ。
まずいまずいまずい。昔の人なら誰でも良いなんて考えていたから、こちらの解答では共通点が小さい。
「解答を提示してください」
「はい」
わたしは老人にホワイトボードを見せた。
「 同じ空気を吸っている 」
わたしは堂々と宣言した。内心は苦虫を味わっているけれど、表情ではそれを隠してみせた。
「同じ空気を吸っていることは人間では当たり前ではないのですか?」
「これを見て」
わたしは計算結果の紙を老人に見せ付ける。
1気圧、摂氏0度の理想気体1モルの体積は22.4 リットル
1リットルの空気に含まれる分子の数は、
1 ÷ 22.4 ≒ 0.044 (モル)
0.044 × (6.02 × 10^23) ≒ 2.6 × 10^22 (個)
地球大気の体積 5.1 × 10^21 リットルで割る。
(2.6 × 10^22 個) ÷ (5.1 × 10^21 リットル)
≒ 5.09 (個/リットル)
つまり地球のどこにいようと、1リットル呼吸するたびに、昔、誰かがどこかで一回呼吸したときに吐いた空気の分子を5個くらい吸い込んでいる計算になる。
一生懸命計算した。持てる科学の知識を十二分に発揮して頑張ったけれども、解答の方向性の時点で老人に負けている。もっと考えるべきだった。問題文がカエサルである意味を捉えていなかった。完全にわたしの思い違いだった。
そうね。わたし達は日本人だものね。わたしや老人が個人的に好きか嫌いかは置いておいて。日本人が一般的に風呂好きという時流は間違いない。
「ん?」 わたしはそこで気が付いた。
「どうかされました?」
「おじいさんって日本人?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「おじいさんってお風呂好き?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
「それじゃあ、風呂好きって解答が成り立たないじゃない」
この老人は個人的な性質を一切答えられない。ゲームにおけるノンプレイヤーキャラクターのようなもの。
だから、老人が日本人であることを前提とした答えなど成り立たない。
老人は大きく頷いた。
「よろしい。進みなさい」
「どうも」
わたしは席を立ち、前へ進む。部屋の奥の扉を開ける。
「ねぇ、おじいさん」
わたしは背中越しに老人に尋ねる。
「わたしはあと何回勝てば、この迷宮から抜け出せるの?」
「ゲームの運営に関わる質問には答えられません」
相変わらずそっけない対応だった。




