5 決戦
Boy Meats Girl!
4月4日 午前七時半
『本部より各員通達、本部より各員通達。これより作戦進度状態Cに移行します。非戦闘員は退避して下さい。——繰り返します』
都界外北10km地点、怨呪迎撃ラインにてヘルベルトはこれから行う作戦について考えていた。
特級怨呪討伐の最終段階である本作戦はまず放浪の民の切り込みから始まる。最新鋭の装備をした彼らは、都界の兵士よりも怨呪と戦い慣れており、巨大な怨呪相手だとしても有効な誘導の術と技術を持っている。
そして予定ポイントでは地雷と落とし穴による足止めがあり、罠にかかった怨呪は予め準備してある硬化ベークライトにより全体の80%以上を拘束される。
ヘルベルト達二課の本隊は動きの止まった怨呪に一点集中の魔法での飽和攻撃を加え、これを殲滅する予定だ。
「上手くやってくれよ……」
そう独りごちながらヘルベルトは左の腰にさした刀の鞘に手をやった。
クヴァント家家宝のデバイス『 972i E00 天神阿修羅』歴代の当主を護ってきた愛刀が、今はヘルベルトの気持ちを落ち着かしてくれた。
****
ニコラスは焦っていた。
どう考えても、堅すぎる。
今ニコラス達は現在都界北15km地点で怨呪と会敵し、散発的な攻撃を仕掛けながら、指示されたポイントに向かっていた。
あくまで誘導、囮役なのでニコラス達放浪の民に怨呪にダメージを与えることは期待されていない。しかし最新鋭のデバイスと装備をした自分たちならば、怨呪の腕の一本や二本奪うことが出来ると思っていたし、ニコラスは仕留められるとまで思っていた。
それは過信ではあったが、そう思う根拠もあったのだ。
ニコラスのデバイス『アウディR8カブリオラ』は最高に調子が良かった。いつもならば大量のマナを燃やすと明らかにコンバーターがノッキングしたり、ターボチャージャーが嫌な音を出していたのに、今日はそれが無くどこまでもスムーズな機動をしていた。低圧時にも十分なトルクで身体強化が安定しており、高圧高回転時には今にも左手を食い破って恐ろしい猛獣が暴れ出そうなほどのパワーを感じた。
一昨日倒した怨呪など、自分一人で十分に倒せるとニコラスは確信できた。
——それが。
「…………畜生!!」
攻撃を受けた皮膚が部分硬化し、魔術や物理攻撃に極めて高い耐性を持つことがわかった後、誘導部隊は攻撃を関節に集中し、何とか指定ポイントにて落とし穴に怨呪を罠に掛ける事に成功した。
しかしその代償は大きく、放浪の民の戦士23人中、8人が死亡、3人が後遺症の残る負傷、残り12人も何らかの怪我を負った。
二課の救護詰め所の隅で慟哭するリーダーを見ながら、ニコラスも壁にもたれて髪をかき上げる。ニコラスは打撲と左腕の骨折だけで済んでいたが、リーダーは右腕と左手の指数本を失った。もう今後怨呪と戦うことは無理だろう。
ニコラスは泥のように纏わり付く疲労を感じながらも、左掌からデバイスを出す。
床においたアウディR8は未だに熱を持ち、所々が黒く変色している。オーバーヒートした後も無理矢理使い続け、最終的には熱暴走し掌から強制排出された瞬間爆発した。ニコラスの左腕の骨折はその所為だ。
「まぁ、インジェクト時に爆発してたら左腕ごと持ってかれてたから、これで済んで良かったのかもな。 しかしR8はもうダメだな……ゴメン親父」
++++++++++++++++
ニコラス達放浪の民が見事怨呪を罠に誘導した後、作戦は次の段階に入った。二課は三課と六課の協力の下、怨呪を一時的に封印する作業にかかった。
硬化ベークライトによって下半身の大部分と右腕を固められた怨呪だが、直後に暴れ出し右腕の拘束は直ぐ解けてしまっていたため、もう一度硬化ベークライトと炭素アラミドファイバーを用いて四肢と頭部を拘束するのだ。
その作業が進行している間、二課の課長であるヘルベルトとシンクタンクのバダード・ヴォルグ、 外縁防衛三課課長 ヤック・チャーチル、戦略六課長 ガトー・アーゼナル、そして先行部隊の代表としてニコラスが会議のため二課キャンプの特設会議室に集まっていた。
「ニコラス君、疲れているとは思うがよろしく頼む」
そう言ったのはバダードだ。放浪の民の討伐隊リーダーは重傷のため参加できず、代わりにニコラスが呼ばれたのだ。
そしてバダードの司会により会議は始まった。
「それではこれより、怨呪殲滅戦の最終段階についての確認を行います……」
++++++++++++++++
会議が終わり、ニコラスは一人キャンプの墨で木にもたれて空を眺めていた。
折れた左腕は既にギプスを外している。元々必要ない物だったし、邪魔だったのだ。
春の空は高く澄んでいて、空気は少し肌寒い。未だ怨呪の封印作業は続けられ、遠くでその喧噪が聞こえる。
「空、なんで蒼いんだろうか」
そう呟いたニコラスの声は、高い空に吸い込まれる。
さっきまでの非日常からニコラスの周りだけ抜け出した様だった。
「ここにいたのか」不意にニコラスに話しかける声があった。
「ヘルベルトさん。良いんですか?こんな時に責任者が油を売っていて」
「私が指示する段階などとうに終わっている。今はHELの準備が最終段階に入ったところだ」
そう言いながらヘルベルトはタバコに火を点ける。「一本どうかね?」という問にニコラスは断ろうとしたが、何となく一本もらい火を点けようとデバイスを操作した。
「あ」とニコラスが左掌を見る。ニコラスのデバイスはもう既に二課の技術部に引き渡していた。するとヘルベルトはポケットからオイルライターを取り出し、チン、ジュポッ!、っと小気味よい音と共に火を点け、それをニコラスに渡した。
「へぇ……ライターですか。親父もよくやってたっけ……」
「Zippoという。アンティークだよ。メンテナンスも要るし、オイルも直ぐ無くなる。実用性では魔法の足下にも及ばんが……コイツで点けたタバコは100倍美味い」そう言ってヘルベルトは紫煙をはき出す。
二人はしばらく(と言っても五分弱だが)そうしてタバコを吹かし、遠くの喧噪を見ていた。
タバコを吸い終わり、ヘルベルトが司令室に戻ろうとする時、ニコラスがその背中に話しかけた。
「この作戦上手く行きますかね」
「HELはバイエルンが準備できる兵器の中で最高の物だ。通用しなければ我々に明日はない」
++++++++++++++++
4月4日 正午
セリーナは学校を休んで自宅のリビングで本を読んでいた。自宅といってもクヴァント本宅ではなく、セリーナ一人で学校に近いために住んでいるごく一般的な広さの家だ。
学校は自主休校してこうやって家で本を読んでいる事は、いつもであれば心のどこかに罪悪感がありながらも読書を満喫できた。しかし今はセリーナの手元のほんのページは一向に進まない。
「あぁ。集中できないわ」そう言ってセリーナはキッチンに向かいコーヒーを一杯淹れる。
怨呪討伐がどのような状況になっているかセリーナには分からない。当然情報統制された報道機関では何の報道もされておらず、ただ想像することしかセリーナには出来ない。
だが昨日の会議の情報からも、今怨呪討伐は終期に達しているだろうということは判った。
セリーナはコーヒーを飲み干し、もう一度読書に集中しようと本を手にとった。
その時——まるで浮き輪に乗って海の波を越えたような、グワン、と大きな縦揺れが一回セリーナの家を超えていった。
「え?何今の」
そう言ってセリーナが本を取り落とした瞬間——今度はバキバキバキ!!っとけたたましい音が庭から響いた。
これはただ事ではないと思ったセリーナは慌てて庭に飛び出す。するとそこには庭の中心にある白樺の木が真ん中から真っ二つに折れ、セリーナが育てていたチューリップの花壇に大きなクレーターが出来ていた。
余りの惨状に一瞬意識が遠のきそうになるセリーナだったが、気を取り直し念のためデバイスにマナを注ぎながらそのクレーターを覗き込む。
すると。「に、人間……?」そこにはボロ布のような服だった物を着た人間と、傍らに刀身のようなボロボロの棒が落ちていた。
セリーナは慌ててその人間をクレーターから引き上げると、急いで呼吸を確かめた。
「良かった、生きてる」
相当激しい着陸(落下?)をしたにも関わらず、その人間の呼吸はしっかりしており、さらに痛みの所為か表情は苦痛に満ちていた。意識もあるということだ。
それならばとセリーナはデバイスに注いだマナで人間(おそらく男性)に身体強化魔法を掛ける。身体強化魔法には呼吸器系の内臓の強化と自治能力を高める効果もあるからだ。
そして取りあえず男をリビングのソファーに寝かせると、急ぎ執事のミルヒルッテに連絡し直ぐに来るように言う。ここで救急車を呼ぼうとも考えたが、明らかに男が怪しかったことと、身体強化魔法を掛けた後男の表情が和らいだのを確認し保留した。
次にセリーナがクヴァント家本家に連絡を入れようとした時、今度はセリーナの携帯に着信があった。
「もしもし、どうしたのレイ?」
『どうしたの? じゃないわよ!! あんたどうせまた家でごろごろしてるんでしょ!? 今すぐテレビ点けなさい!!』電話相手のレイはそうまくし立てた。
セリーナはテーブルの上のリモコンをとってテレビを付ける。すると画面は臨時ニュースだった。テロップには『緊急報道!!特級怨呪討伐 記者会見LIVE』と書かれていた。
『さっきからこのニュースで持ちきりよ。 昨日の変な地震と光の柱も、さっきの地震も怨呪の所為なんだって!! 特級怨呪のことを秘匿するなんて信じらんない!! でしょ?』
余りのレイのテンションに一瞬返答に困るセリーナ。しかし、その間にレイは敏感に反応した。
『え?もしかしてリーナ……怨呪のこと知ってたの?』
頭の良い友人を持つと、隠し事が出来なくて困ると思ったセリーナだった。その後レイには後日ちゃんと説明する事を約束し電話を切ったセリーナだが、タイミング良くミルヒルッテが到着した。
セリーナは一通りの事情をミルヒルッテに説明した後、ミルヒルッテに男の事を任せ、彼を客間に寝かせるよう指示した後。もう一度コーヒーを淹れた。
どうせ今クヴァントに連絡を入れても忙しくて邪魔だろうと思い、セリーナは一先ずバルコニーの椅子に腰掛けた。
もうそろそろ綺麗な花を咲かせる予定だった自慢の庭の無残な姿を見ながら、しかし面白いことになりそうな予感で顔がほころぶセリーナだった。
あけましておめでとうございます。
…え? 遅い?