1 黒い森
プロローグ1
4月3日 深夜
ここはシュヴァルツヴァルト。古の言葉で「黒い森」を表す。
日が暮れれば森に明かりはない。深々と吸い込まれそうなくらい深い闇が辺りを支配している。月や星の明かりすら届かない黒い森は、しかし今日はその様相が少し違った。
「来る!!」
近くの男が張り詰めた声を出す。周りを見渡せば、屈強な男達が手に汗を握り、その声に呼応するように息をのむのが分かった。
バリバリとすぐ近くから生木が砕かれる音が響く。
「ニコラス、頼むぞッ……!!」
隣で槍を握っている男が、そう言って頭一つ分低いニコラスの肩を叩く。男はいつも囮役を任され、ニコラスよりも多くの場数を踏んできているが、そんな男ですら怨呪と対面する瞬間は緊張に震えている。
ドッ、ドッという自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。
それなりに場数を踏んできたが、緊張はするもんだな。
ニコラスは男に対して一瞬目配せし、コクリと頷いて森の暗い奥に視線を戻す。
もう破砕音は間近まで迫り、いつ目の前の木々の間から怨呪が出てきてもおかしくない。
……そして不意に場が一瞬の静寂を帯びた後、それは現れる。
——ズドン!!
目の前にある大木が一瞬で粉砕する。
落ちくぼんだ奈落のような両眼に、頭部から全身に伸びる朱い血のような線模様。頭と四肢があるのは人と同じだが、その体躯は優に人の五倍はある。腕は地に着くほど長く、人と言うよりは猿や猿人に近い見てくれである。
初めて怨呪と相対したとき、ニコラスはまるで自分の心を覗かれている様な目だと思った。
怨呪は巨大な体からは想像もできない様な早さで動く。個体差が大きい事も怨呪の特徴だが、ほとんどの個体が発達した筋肉から一瞬で人を肉塊にする力を持っている。
男達が一斉に動き出す。一歩遅れてニコラスもそれに続いた。
ニコラスは右手に持つ強度しか取り柄のない刀を握り直し、左掌にある幾何学模様の刻印を薬指で撫でる。ピリピリとしたまるで電気のような感覚が掌から全身に広がる。
刀身強化と身体強化の魔法だ。
額と口のバンダナを締め直し、ニコラスは銀の双眸でその時を待つ。
+++
怨呪狩りにおいてニコラスは”止め”の役割を任されている。組織化された狩りでは囮が怨呪の誘導を担当し、本隊が怨呪と相対する。そして本隊が創った隙を狙って怨呪に止めを刺すのがニコラス達の役割だ。
止めはその役割から瞬発の威力を最も発揮できる少数精鋭が選ばれる。そして、マナの扱いが傑出しているニコラスは、止めの中でも非凡な実力を誇っていた。
怨呪は真っ直ぐニコラス達の町に進むため、討伐は移動しながらの戦いになる。ニコラスは打ち合わせ通り戦闘域のすぐ後ろを追従する。
囮が怨呪の正面にまわり散発的な攻撃をしながらゆっくり移動する。怨呪の攻撃を先鋒が受け止める。炎や雷が飛び交う。
しばらくして怨呪が森の開けた場所に誘導される。本隊の出番だ。
十数人から成る男達がそれぞれの武器を手に怨呪に襲いかかる。爆薬や銃器の類は無い。中級の怨呪一体如きに、そのような高価な物は使えない。それでも爆炎や雷が見えるのは各が魔法を使えるから。デバイスの補助を受けた魔法は、時に兵器を凌駕する。
しかし距離が離れれば魔法の威力はそれだけ減衰する。戦いは怨呪に有利な接近戦にならざるを得ないのだ。
そして怨呪が一際素早い動きで右腕をなぎ払う。
「アア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!」
悲鳴と共に男が一人吹き飛ばされる。下半身が原型を留められないほどの衝撃を受け、内蔵が飛び出しているのがニコラスに見て取れた。
直ぐに手当が必要なことは誰もが分かっていたが、そんな余裕すら今はない。
ニコラスは戦闘の様子を怨呪の死角から見て確実に一撃で仕留める事ができるチャンスを待つ。まだ出番ではない。
そして本隊が出てから十数分、怨呪の動きが少し鈍くなった。怨呪のエネルギー源はマナだ。マナの動きが分かるニコラスには怨呪の周りのマナが淀んできたように見える。
ニコラスは刀をもう一度握り直し、後ろに控える仲間三人とタイミングを合わせるよう合図を出す。三人ともニコラスよりずっと年上の強者だ。
ニコラスは左腕を挙げその時を待つ。
(……3、2、1……今!!)
腕を下げた瞬間、ニコラスの後ろから男達が飛び出す。
止め部隊の攻撃は三段階で行われる。
一人目の切り込みは怨呪の死角から接近し怨呪の目を狙う。
——成功。
”GYAAAAAAA!!”
右目を切り裂かれた怨呪はその痛みで咆哮をあげる。
二人目と三人目はそれに続き、広がった死角から怨呪の両足の腱を狙う。
——成功。右足の腱を切断。
右目と右足の自由を失って怨呪が一瞬ふらつく。
ニコラスはその瞬間を逃さない。切れ味と強度を増した刀を両腕に構え、デバイスで身体能力を引き上げる。
ニコラスと怨呪が交錯する。
そして——
”GYYYYYAAAAAaaa……a”
鮮血を喉元から吹き上げ、怨呪が倒れる。ニコラスの刀が怨呪の喉を抉ったのだ。ニコラスは即座に残心し喉にもう一撃、止めを刺す。
噴水、と言うより蛇口を逆さにして水を垂れ流すかのように夥しい血が地面を汚す。
怨呪の頭部はニコラスの刀により切断され、辺り一面にはむせ返るような濃い血の臭いが充満した。
ニコラスは再び残心し十数秒怨呪の死を注意深く確かめた後緊張を解く。それに続くように周りの男も肩の力を抜いていく。
長く続いた張り詰めた空気ら解放されたニコラスの耳に、再び心臓の鼓動が聞こえてきた。それに今まで聞こえなかった森の木の葉がざわめく音が聞こえる。極限の緊張が解けたせいか、一気に疲れが襲いかかってくる。
いつの間にか曇りが晴れ月が出ていたようだ。どうりで明るいわけだ。月光に照らされた戦いの痕は生々しいが、黒い森のどこかから吹く風が、熱された空気を冷ます。
++++++
一人の朱い布を腕に巻いた壮年の男が男達の中から抜け出し、怨呪の頭部に今一度剣を刺す。朱い布は討伐隊のリーダーの印だ。
刈られたばかりの頭部からは未だ血が絶えない。剣はすぐに血で紅く染まる。
ニコラスも周りの男達は黙ってそれを見る。
そして朱い布の男は続いて一本の木の根元に横たわる男の下に向かった。
その男は先ほど怨呪に致命傷を負わされた男だ。まだ息はあるが、もう長くない。男の顔には既に苦痛の色はなく、ただ剣を持った男を見ている。
——朱い布の男が剣を振り上げる。
「……・・!!」
「ぁ・・・ぇ……」
——介錯。怨呪を斬った剣で弔う。放浪の民に伝わる風習だ。
苦しみから解き放つ役割のそれは、討伐隊のリーダーが受け持つ事になってい
怨呪討伐に犠牲は当然なのだ。
そして、これをもって討伐は終了した。
++
介錯を見取った後ニコラスは空を見上げる。そこには黒い木々に切り取られた様な星空があった。
ニコラスは汗で濡れたバンダナをはずす。汚れたバンダナからくすみのない銀髪がこぼれ落ちた。腰まで届くくらいの長髪。それが月光に照らされ、風に揺れた。
項を通り抜ける風が心地よい。
今日の怨呪討伐も無事に終わった。ニコラスはそう思い、刀に着いた血糊を拭き取るのだった。
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本小説に対する助言忠言は真摯にに受け止めますが、趣味で書く自慰小説ですのでご容赦ください。
よろしくお願いします。