第四話
『昨夜侵入した物の怪の話、聞いたかしら?』
『ええ、近頃山に住み着いた妖ですって』
『恐ろしい事。一体何をしに来たんだか』
『大丈夫かしら。瑞葵様』
ひそひそと皆が話す声が聞こえます。姉上は昨夜から部屋に入ったきり出てきません。
「あのような恐ろしい目にあって、瑞葵様は大丈夫かしら」
不安げに松音が呟くので、勇気づけるように私は頷きました。
「きっと大丈夫よ。だから姉上はわざわざ私をお呼びになったのだわ」
「そうでしょうか・・・?」
姉上の部屋へ向かう廊下を渡っていると、東門の傍に牛車が一つ。あの様相は、確か父上の物のはず。
「父上が来ていらっしゃってるのかしら」
ここは都から離れているため、普段はすぐに出所できるように小さめの屋敷を都に置いて夫婦二人で暮らしているのです。継母上は毎日私達のもとへ通っていますが、父上はたまにしか顔を見せません。
「・・・姫様、本当に大丈夫なのでしょうか?お父上様がいらしているということは、穏やかではありませんよ」
その言葉を、私は否定できませんでした。
そして、彼女の予感は見事に的中したのです。
「この屋敷を出て行く!?」
「そんな。急ではありませんか?確かに昨夜は妖が現れ大騒ぎとなりましたが、すぐに消え去ったのですよ?」
父上の突然の言葉に、継母上が反論します。
姉上の部屋の中。姉上はまだ布団に横になったままで。兄上は困ったように俯き、父上は青ざめた顔を皆に向けています。私は不安そうにしている姉上の手を握り、彼女の傍にいました。
「月夜の君の事を、考えていらっしゃるのですか!?母親との思い出深いこの屋敷を捨てるなど」
「彼女のことを考えてのことだ!まさか本当に奴が来るとは・・・」
「昨夜の妖について、何か心当たりでもおありなのですか?」
継母上の発言に、父上は黙りました。皆の視線が、彼のもとへと集まります。
「「・・・・・・・・・・・・・・」」
父上は悔しそうに顔を歪めましたが、結局、何も言いませんでした。
重苦しい沈黙を破ったのは、兄上でした。
「一晩、待ちましょう」
はじかれたように、私達は兄上を見つめました。皆の視線を一斉に浴びながら、兄上は堂々と発言を続けます。
「このままでは話が進みません。今夜もあの妖が来る様ならば、危険と判断してこの屋敷を去る。来なければこのままで。それでも不安に思う者は、父上の屋敷へ移る・・・・・これでは、いけませんか?」
兄上は私を見て、優しく笑いました。
母上との思い出のある家。そんなこの場所を、私は離れたくありません。そんな私に気を使っての、彼の発言でした。
まだ思うところがあるようでしたが、父上はそれで納得し話はまとまりました。
良かったわね。と嬉しそうに継母上も微笑み、話が終了後。姉上の意向によって人払いがなされました。
弱々しい様子で、彼女は起き上がります。
「姉上・・・・起き上がっても大丈夫なのですか?苦しいのなら、すぐに人を」
「いいから。放っておいて頂戴」
そして、姉上はしっかりと私を抱きしめました。その手は、震えています。
「姉上?」
「月夜の君。気を付けて下さいね・・・・出来れば、あなたにはこの屋敷を出て行って欲しいのだけれど」
「姉上・・・・昨夜、何があったのですか?」
私がそう聞いた途端に彼女の体は強張り、真っ青な顔で私の瞳を見つめました。その表情はまるで大人びた美貌に、ひびが入っているかのようでした。
「ごめん・・・・・なさい。ごめんなさい。ごめんなさい・・・・月夜の君」
そう言って、姉上は泣き出しました。
その時の私には、なぜ彼女が泣いているのかも、なぜこんなに謝っているのかも分かりませんでした。
「姉上。泣かないでください。そんなに不安ならば、もう何も聞きませんから。だから・・・・・・・・泣かないでください」