第二話
それから数日後。
私は、幼かったからなのかすぐに新しい家に慣れました。兄上は優しく、彼と年の離れ、もうすぐ十になる一番上の姉上。瑞葵の君も、私を本当の妹のように可愛がってくれました。
「月夜の君。こちらへいらっしゃい」
大分大人っぽい落ち着いた雰囲気の姉上が私を呼びます。
「母上からお菓子を頂いたの。夕月も、一緒に食べましょう」
私と一緒に遊んでいた兄上は私の手を掴み、縁側へ座らせてくれました。姉上も継母上に似たのか、大分所作が大人びています。
甘い菓子を食べながらくつろぐ私達はらから(兄弟の意)は、他者が羨むほどの仲の良さでした。
「そういえば、最近南の方の山で妖が出なくなったそうよ」
ちょっとした世間話として、姉上は語りだしました。
「ほら、半月程前に百鬼夜行が出たって噂が出たのは知ってるでしょう?」
兄上は知っていたのか、うんうんと頷きます。しかし、私にはわかりませんでした。
「あれから、どこかの大妖怪でも移ってきたんでしょうね。すっかり悪戯やら、からかいをしによく里に降りてきた小妖怪達も、すっかり大人しくなっちゃったらしくてね」
少しだけ寂しそうに、姉上はそう言って笑いました。
思えば、これが始まりだったのです。私と、彼が出会う―――――
「婀子夜殿。何を書いていらっしゃるんで?」
「あら、野菊」
私が書いている日記を覗き見して、子狸の妖怪である野菊が首をかしげました。彼は言葉が読めません。
「私がここに来ることになった経緯を書いておこうかと思って」
「左様で」
興味深そうに私が書いた文字を眺めている横で、畳の上に寝転びながら野菊の双子の片割れ。野々菊は筆に墨をつけて楽しそうに絵を描いていました。
広めに作られたお部屋は私達三人がいてもまだまだ広く、少し殺風景な気がします。
「婀子夜―――――何を書いている?」
少し不満そうな声が私の背後で聞こえてきました。
振り返ると、誰もが目を見張るような整った顔があります。少しだけ黒みがかった白く美しい長髪を軽く紫の紐で結わえ、頭の上には人外を表す二つの異形の耳。微かに灰色がかった黒い狼の耳が立っています。
金色の瞳で私を睨み、彼はどっかりと隣に座り込みました。
「なんだ。ただの日記か。てっきり下界に戻りたくて、どこかの男に文でも書いているかとおもった」
「私がそんな下種な女だと?」
彼と結ばれ新居に移ってからひと月が経つというのに、この妖はまだ私と打ち解けようとしません。
彼の世話をしてくれている野菊と野々菊など、もう随分親しくなったというのに。
溜息をついて、急いで日記を木箱に仕舞います。彼は文字が読めるので、中身を読まれてしまうからです。
「婀子夜」
「?・・・・何ですか?」
「何度も言うがな、俺はお前を愛していない」
ひどく冷静な顔で、まっすぐに私を見つめたまま彼は言いました。
それは、私達が結婚してから互いにずっと言ってきたことです。それを確かめるように、私も頷きました。
「私も、あなたを愛してはいませんよ」
互いの利害を考えた結果の結婚。
愛もなく、形だけ結んだ絆。
それなのに、もう少し彼と親しくしたいと思うのは私の我が儘なのでしょうか。
時が流れ、あれから五年。
瑞葵の君は、十五。夕月の君は十二。私は八になりました。
姉上は裳着の式(現代で言う成人式のようなもの)を済ませ、美しい一人の女へと姿を変えていました。
「・・・姉上」
そっと御簾から部屋を覗き込んだ私に、十二単をまとった彼女は優しく微笑みかけました。
「月夜の君。どうしたの?」
「やっぱり、すごくお綺麗ね」
「有難う。でも、こうして歳をとっていくと、いつかは夕月が元服して私と会うことが出来なくなってしまう・・・・そのことが、少しだけ寂しく感じるのよ」
いつまでも子供でいられたら良いのに。
寂しそうに、そう言って姉上は笑いました。
その夜。
継母上と父上は、姉上の婚約相手を決めていたそうです。
裳着の式も終われば、姉上はなるべく早めにお嫁に行かなければなりません。誰が一番姉上にふさわしいかをじっくりと吟味した後、父上が決めた相手と結ばれるのです。そうなれば、兄上とは御簾ごしでしか会うことはできません。
姉上には、そのことが分かっていたのでした。
私がそのことを松音から教えてもらった日から四日ほど経った頃――――――
姉上の結婚相手が決定したのでした。