第四風、ディナ・マルー(3)
シエラは、執務室の窓から外を見た。今日もよく晴れている。マーレルの夏は、晴れの日が続く。窓から見る景色は、いつもと変わらない。だが、シエラの目には、不気味な雲が、マーレル市の上空をおおっているのが、はっきりと見えていた。
シエラは、
「私、貴賓館に行ってくるわ。人形持ち込んだの、クリス様だと思うの。そして、さらったのもね。それしか考えられない。」
「おれも、クリスしかいないと考えていた。だが、クリスはともかく、マルーが外へ出たのを、見た者はだれもいないんだ。連れ出すにしても、外へ出るには多くの人目がある。どうやって連れ出したのか。そして、なぜクリスが、あの呪詛人形を持っていたのかだ。」
「市内で、ユードスらしき男を見たってきいたわ。貴賓館の近くでね。それで、あちこち捜索してたのよ。まだ、見つけられないけどもね。」
「クリスが、ユードスと接触してたと、お前は考えているのか。」
シエラは、うなずいた。
「術にかかって利用されたかもしれない。それしか結論でないもの。ほら、思い出しても腹立つけどさ、レックスをねらったゼルム領主の娘。彼女も、そんな感じだったんでしょ。それに、クリス様なら、警戒態勢の宮殿にだって、ノーチェックで入れるし、人形も術が発動するまで、ただの人形だったら結界にも引っかかりにくいしさ。」
レックスは、やられたと思った。シエラは、
「とにかく行ってみるね。何もおぼえてないかもしれないけど、マルーがさらわれたことは、兄のクリス様に教えておかなければならないしね。」
「ああ、だが、気をつけろ。ライアスを連れて行け。急いで回復させたから、もう大丈夫だ。」
レックスは、顔色が悪かった。ずっと戦い続けていた上に、ライアスの回復を急いだせいだろう。シエラは、
「少し休んで。おとといの晩から、ほとんど休んでないんでしょ。」
「悪い、少しだけ眠らせてもらう。」
レックスはそのまま、執務室の机につっぷすよう眠ってしまった。シエラの手に、王家の剣がにぎられた。眠っているレックスにキスをして、シエラは白竜で貴賓館に向かい、中庭へとまいおりた。
そして、何事かとよってくる使用人に対し、シエラは、クリスを呼ぶよう言う。すぐさま、クリスが出てきた。シエラは、クリスを白竜に乗せ、マーレル上空へと連れ出した。
「二人きりで、話したいことがあったの。悪いけど、ここで話をしていいかしら。」
クリスは、がっかりしたようだ。シエラは、
「白竜に乗ってるからって、兄様とは限らないわ。兄様を中に入れるだけで乗せてくれるのよ。あなた、自分の気持ちを、兄様ならわかってくれるって、レックスに言ってたよね。なら、ここで言いたいことを言いなさい。兄様は、きいているから。」
「もう、何もない。マルーは、私よりもあなた達を選んだのだから。もっと、時間がかかると思ってた。なのに、こんなに早く。私は、マルーにとって、必要のない人間になってしまった。」
シエラは、
「そんなことはないわ。ただ、マルーには、あなたよりも大切な人ができただけ。結婚すれば、それは当然のことなのよ。ずっといっしょにいた自分の兄よりも、夫となる人を愛する。でなければ、夫婦になれないわ。私も、一度は兄様を捨てたから。」
クリスは、シエラを見つめた。信じられない。シエラは、
「そう、一度捨てたわ。レックスが好きになって、兄様が私の中にいて、とてもじゃまに思えた。あれだけ好きだったのに、恋人ができたとたん、そばにいるのが、うとましく思えたの。たぶん、兄様が生きていたとしても、そう感じたはずよ。今になって考えれば、異性だったからだと思うの。」
「異性だから。私が男だから。」
シエラは、うなずいた。
「私、兄様を恋人だって思ってた。レックスが現れるまで恋人気分でいたのよ。俗な言い方すると、新しい恋人ができたら、古い恋人はいらなくなるでしょ。それなのに、まとわりつかれていたら、すごくいやでしょ。それで捨てちゃうでしょ。そんな感じかな。」
クリスは、うつむいてしまった。シエラは、
「マルーは今、必死で幸せになろうとしている。新しい家族のもとでね。今はわからなくても、あなたにも大切な人ができた時、かならずわかるはず。だから、苦しくても、マルーの幸せを祈ってあげてね。」
クリスは、皮肉っぽく笑った。
「私には、異母の子もふくめて、何人ものきょうだいがいた。でも、みながみな、幸せになったわけではない。私と同じ年の王女が八歳で嫁いだが、つい最近、夫を亡くして王家にもどってきた。子を産むことができなかったから、そうせざるを得なかった。マルーを送り出す彼女の姿が、私の目にこびりついてはなれない。あれが、幸せのあとの姿だと思うと、とても。」
「マルーがそうなるとは限らないわ。そして、あなたもね。その王女様も、今は苦しみのなかにいらっしゃるけど、時間がたてば、またちがった幸せもやってくるはずよ。そういうものなの。
私も、いろいろと苦労したけど、それを何度も乗り越えて、今があるのよ。これからも、きっといろんなことがある。けど、そのつどあきらめないで、ねばりぬけば、必ず幸せになれる。私はそう信じている。兄様と交代してみる? 私がじゃまだったら、話しているあいだ寝てるけど。」
クリスは、目をギュッとつぶった。そして、たのむと言う。シエラは眠り、ライアスが現れた。ライアスは、剣を使い結界を張った。
「ぼくが出てくると、すぐに反応する者がいるからね。じゃまされないよう、こうしておく。」
「もう、大丈夫なのですか。まだ本調子ではないと、陛下がおっしゃってましたが。」
ライアスは、
「レックスが急いで回復させてくれた。単刀直入に言う。宮殿が襲撃された。レックスがねらわれ、そして、マルーがさらわれた。呪詛人形が宮殿にもちこまれ、それに、こめられた呪詛が発動したんだよ。」
クリスは、青くなった。
「マルーが、マルーがさらわれたって? じゃ、それを話すために、こんな場所に私を連れ出したのか。私が大さわぎをして、人に知られないためにか。なぜ、先に話してくれなかったのですか?」
「いきなり話しても、君は王家への不信感をあらわにしただけだ。だから、君に言いたいことを先に言わせたんだよ。」
「あなた方は、マルーを守ると約束したんでしょ。結界も張ってたし、警備もあれだけ厳重にしてたのに、どうして?」
ライアスは、クリスを見つめた。
「ユードスが、君をたずねてきたはずだ。おぼえているか?」
「ユードスって、あの呪術師?」
「そうだ。ユードス・カルディア。この辺りをうろついていたのを見た者がいる。」
クリスは、自分のくちびるに無意識のうちに手をふれた。とたん、何かを思い出したようだ。
「私が、マルーをさらったのか? ユードスの意のままに。そんな。」
「思い出したようだね。くわしくきかせてくれないか。」
話をきき終えたライアスは、ため息をついた。そして、泣きじゃくるクリスの肩を、そっと抱く。
「すまい、本当にすまない。ぼくとユードスとの因縁に、君達姉妹まで巻き込んでしまった。」
クリスは、
「私が客なんかに会ったりしたからだ。マーレルで知り合いのいない私に、しかもこんな時期に訪ねてくる客なんて、いるはずもないのに。私は、妹の信頼を裏切ってしまった。父国王にも顔向けできない。」
「かならず、たすけだす。マルーは、ぼくの家族だ。だから、どんな手段を使ってもたすける。」
「あなたの家族?」
「そう、家族だ。ぼくに幸せを運んでくれた大切な家族だ。だから守りたい。君の大切な妹をね。」
クリスは、目をつぶった。
「私のことを、どう思ってますか。きかせてください、あなたの心を。」
「どうこたえても、君には真実にはきこえないだろう。だから、君を誘惑した理由を話そう。君が、レックスをうばうと考えたからだよ。」
「やはりね。最初会った時、なんだかんだ、わけのわからないことを言っていたからね。でも、はやとちりもいいとこだよ。この前も話したが、私と彼とでは感性が合わない。それに、彼ほどではなくても、見目のよい男は、イリアにも大勢いる。でも、」
クリスは、ライアスを見つめた。
「でも、あなたのような人はいない。軍事工場でのあなたを見て心惹かれた。あなたの才能を見て、すばらしいと思った。かなわぬ思いなのは、わかっている。でもせめて、少しの時間だけでも夢を見させてほしい。私を誘惑したのなら、責任くらいとってくれ。あなたを愛しているんだ。」
ライアスは、クリスの手をにぎりしめた。そして、ささやくよう言う。
「もう一度、目を閉じて。五感を閉じて、心だけで感じとってほしい。」
ライアスは、クリスを抱きしめ、くちづけをした。今までのような、偽りのくちづけではなく、限りない思いをこめたくちづけだった。そして、クリスは、ひとしずくの涙をこぼす。
「ぼくと結婚してほしい、クリス。」
クリスは、顔をおおって泣いた。うれしかった。たとえ、それが慰めだとしても。