第四風、ディナ・マルー(2)
「素焼きのお人形だわ。クリス兄様、これをどこで?」
客室で兄から、おみやげを受け取ったマルーは、はじめて見た素朴な人形を興味深そうにながめていた。クリスは、手を三回たたく。その合図とともに、マルーと人形の姿が入れかわってしまった。
クリスは、マルーがすわっていたイスから人形をとり、チョコンとつったっているマルーをイスにすわらせる。そして、宮殿から出て裏門へと向かった。
若い女が、裏門のすぐそばの路地で待っていた。クリスは、柵越しに人形をわたす。女はすぐに、その場から去った。そして、クリスは、そのまま貴賓館に帰った。
マルーが使用人に連れられて、レックスの執務室に顔を出した。
「どうした、マルー。何か用か。」
「父ちゃんの顔が見たくなったの。」
レックスは、ほほえんだ。
「そうか。クリスはどうした。」
「もう、帰ったわ。エルはお昼寝してるし、ちょっとたいくつしてるから、ここにいていい。お仕事のじゃまはしないから。」
「かまわないが、見ててもつまらんぞ。本でも持ってきたらどうだ?」
「ライアス兄様はどうしているの? 御気分は、いかがかしら。」
「ああ、寝ているよ。だいぶよくなったが、霊力が完全には、もどってないから、まだ表には出せないんだ。話がしたいのか。まあ、明日まで待て。そうしたら、いくらでも話をさせてあげるから。」
マルーは、サッと手で呪印のようなものをむすんだ。とたん、執務室が樹木の根のようなモノにおおわれてしまう。窓も扉も封鎖された。
レックスは、
「お前、マルーじゃないな! どうやって結界を破った!」
樹木の根から、いっせいに黒い霧が室内に噴射された。たちまち、室内は真っ黒な闇におおわれてしまう。それが、あっというまに密集し砂のようになり、レックスは杖を使うよゆうもなく、黒い砂にうもれてしまった。
マルー?は、
「このまま、圧死してしまえ。お前ごと闇に葬れば、弱っているマーレル公も闇に沈む。そのあと、このエイシアを破壊しつくしてやるわ。それで、我が復讐は終わる。」
マルーの姿が、おぞましい魔物へと変化した。かつてミユティカに敗北し、地の底の憎悪の世界へと沈んだ者の成れの果ての姿だ。レックスは、どんどん自分をおしつけてくる砂の重みで、いまにも体がつぶれそうだ。
まさか、こんな手で襲ってくるとは。
レックスは、クソと思った。だが、重い砂の中では手も足も動かない。呼吸すらできず、窒素寸前の苦しみになかで意識が遠のき始めた。もうダメだと思ったとき、急に体が軽くなっていくのを感じた。
重苦しい砂が、ザザーッと波が引くかのように消え去っていく。なんとか、砂から、はいでる事ができた。魔物が苦しんでいた。強い光のようなものが魔物を攻撃している。
チャンスだと思った。杖を出現させ、魔物の足元に落とし穴をつくり、魔物を落とし、すぐさま穴を閉じる。
レックスは、床にへたりこんだ。激しい呼吸と心臓をなんとかおちつけ、自分の中のライアスの無事をたしかめ、ホッとした。そして、室内を見回す。樹木の根は、すでに消えていた。
(さっきのバケモノ、復讐とか言ってたな。あれが、ライアスをねらっている魔物か? ゆだんした。まさか、マルーに化けてくるとはな。)
レックスは、宮殿に張った結界を調べた。バケモノが入ってきたなら、どこかしらに穴が開いているはずだ。が、ない。レックスは、不思議に思いつつも、とりあえず結界を強めた。
執務室の床にコロンと転がっている素焼きの人形を見つけた。どこかで見たことがあるな、と拾い上げようとして、思わず手をひっこめた。
人形にさわった指が、軽いヤケドをしている。レックスは、まさかと思った。
(よく見ると、夕べ、エッジが切った人形とそっくりだ。この人形が、さっきの魔物の正体だったんだ。結界を敗れなかったんで、この人形をつかって、さっきのバケモノを出現させたのか。
けど、どうやって、こんな人形が宮殿内に入りこんだんだ。今は非常事態だから、出入りの人間はすべて、仕事に必要以外の物は持ち込まないよう、チェックされている。搬入される荷物も倉庫に入れる前に、徹底検査されてるはずだ。)
レックスは、ハッとした。バケモノはマルーに化けてた。バケモノのマルーは、使用人とともに居住区から、ここへとやってきたはず。レックスは、居住区へと走った。
めちゃくちゃちらかった子供部屋で、ミランダはおもちゃを片付けつつ、自分の息子のシュウとリオンの相手をしていた。リオンは、ミランダが片付けたおもちゃを、一生懸命、投げちらかしている最中だった。
ミランダは、
「マルー様が、クリス様が帰られてたいくつだから、あんたのとこに行くとおっしゃったので、使用人を呼んだのよ。まだ、ここには、もどられていないわ。」
「マルーは、様子がおかしくなかったか?」
「シュウとリオン様のケンカが始まって、大さわぎになってたから、そんなとこまで見ているよゆうなんてなかったわよ。」
「ルナとエルは?」
「ルナ様は、別室でジョゼと勉強中よ。エル様は、さきほど目をさまされて、今、トイレよ。」
エルが、あくびをしながら子供部屋に入ってきた。ミランダは、手を洗ったかときく。エルがめんどくさそうに、レックスの上着で手をふいた。
レックスは、
「わかった。もういい。おれは、もどる。」
「マルー様、どうなさったの? あんたんとこに行ってなかったの。」
「いや、きたよ。さっきのことは忘れてくれ。いいか、忘れるんだ。」
レックスは、行ってしまった。エルは、
「ね、マルーはどこ? 目がさめたら遊ぼうって約束してたんだ。」
「ちょっとクリス様と、お出かけしていらっしゃるの。もうすぐ、お兄様とお別れですものね。」
エルは、フーンと言い、リオンと遊び始めた。ミランダは、何事もなかったかのよう、三人の子供達の面倒をみていた。
マルーが誘拐された、まちがいない。レックスは執務室にもどった。執務室には見知らぬ若い女がいる。レックスはすぐにその正体に気がついた。
女は、
「御主人様からの伝言よ。本当は、マルー様をお連れしたあと、私の伝言だけで、この人形は役目を終えるはずだったの。けど、あの魔物が絶好のチャンスだと考え、勝手にあんなことをしたのよ。さっきの襲撃は、御主人様のお考えではないわ。」
「マルーはどこにいる? お前は、ユードス・カルディアの仲間か?」
「私は、ゴーレムよ。土からでき、土へと帰る。私をつくった御主人様の意思のもとに動いているだけ。」
「それにしては、ずいぶん色っぽいな。お前の御主人様は、そんな趣味してたのか。マルーはどこだ。おとなしく返さないと、かなり痛い目にあうぜ。」
「山の離宮へいらっしゃい。そう、あなたが病気を癒していた場所よ。マーレル公の魂といっしょにね。」
女は、ボロリとくずれ、ただの土の塊になった。レックスは、使用人を呼び、土の塊を片付けさせた。そして、机にすわり、何事もなかったかのよう仕事を続ける。そして、まもなく、シエラが帰ってきた。
マルーがさらわれたときいても、シエラは意外とおちついていた。
「警察署にいたら、マルーの悲鳴みたいなものがきこえてきたの。何かあったんじゃないかと思って、窓から宮殿方面を見たら、黒いモヤみたいなものが見えたのよ。それで、お部屋かりて、お祈りしたの。私には祈るくらいしかできないから。とにかく、祈れるだけ祈って、黒いモヤみたいなのが消えてから、いそいで帰ってきたのよ。」
魔物に攻撃していた光の正体がわかった。レックスは、
「お前がたすけてくれたのか。あの光は祈りだったのか。すごいな。」
「マルーのこと、まだ公表してないんでしょ。それに、捜索命令も出してないしさ。」
「イリアとの関係にヒビが入る。できることなら、おれ達だけで処理したいんだ。」
「山の離宮に行くの? むこうは、兄様と引きかえにマルーを返すと言ったんでしょ。どうするつもりなの。」
「取引には乗らない。ライアスもわたさない。だが、マルーは必ずたすける。」
「けど、どうやって。こうしているあいだにも、マルーがどうなっているかわからないじゃない。」
シエラは、少しだけ声を荒げた。レックスは、
「ユードスが、バテントスのために動いているのなら、マルーに手をださないはずだ。バテントスは、今はイリアと休戦状態にある。東側とは、小競り合い程度のあらそいは続いているが、だがこれは以前からもあったことだ。
エイシアに軍隊ではなく、呪術師を送り込んだ点からも考え、現時点でのバテントスには、大がかりな戦争を起こす体力が無いと判断していい。マルーは大丈夫だ。」
シエラは、ホッとした。レックスは、
「バテントスの目的は、エイシアとイリアの同盟強化の回避だ。だから、誘拐なんて姑息な手段を使ったんだよ。結婚したてで、しかもクリスがいる時点で、この失態なら、無事救出できたとしても、イリアとのお祝い気分の仲に水をさす。
しかも、呪術師が呪術を使って誘拐したのなら、ゼルム戦争の時と同じように、バテントスがやったとの証拠も出にくいし、バテントス側も、自国は唯物論だから呪術師なんて知らないと、シラを切れるしな。
呪術師を放置したのが失敗だったよ。ゼルム戦争のあと、すぐにでも捜索すればよかった。危険な呪術だってのはわかってたのにな。」
「捜索したって、相手は呪術師よ。たぶん、捜査には引っかからないわ。レックスが昔、グラセン様の霊能力でドーリア公から逃げ切った時みたいにさ。」
「・・・なぐさめはよせ。ミスはミスだ。」
シエラは、ため息をついた。
「けど、レックスの性格、よく見抜いているわね。証拠が出にくいのなら、誘拐も殺害も同じなのに、誘拐だけで終わらそうとするんだものね。殺害していたのなら、証拠も何もなく、すぐにでも戦争しかけたでしょ。頭に血がのぼって、この前みたいに、双頭の白竜でさ。」
レックスは、ギュッと手をにぎりしめた。
「ああ、おれの性格をよく見抜いているよ。腹がたつくらいにな。やつら、何もかも調べつくしてから、いろんな手段で攻撃をしかけてくるしな。シエラ、いつだったか、ライアスがバテトンスについて、唯物論は真実をかくす隠れ蓑だって、言ってたことあったよな。」
「うん、おぼえている。バテントスの先祖が、二百年前、イリアから追放された、あぶない呪術を使う一族だったかもしれないって。レックス、その呪術が皇帝一家に代々引き継がれていて、ユードスはそれを継承したと考えているの?」
「そう、結論を出すしかないだろう。ユードスが使っている呪術人形が、イリアから追放された一族がイリアに残した呪術具の人形と一致してるしな。」
シエラは、
「ユードスが以前、ゼルムにあった邪教集団と接触したのは、エイシアに巣食う魔物と接触するためだったかもね。呪術を教えるのと引きかえにさ。いくら呪術があるからと言っても、双頭の白竜が相手なんだし、それに対抗できる強い味方が欲しかったはずよ。」
先のゼルム戦争は、領主親子と大臣が暴走した結果、起きた戦争だった。だが、それは表面的なものにしか過ぎなかったことに、レックスはこの時、やっと気がついた。
「ユードスの目的は、ライアスの魂とイリアとの同盟破壊だが、魔物の目的は、ライアスへの復讐とエイシアの破壊だ。マーレル市全体をおそうと同時に、マルーを誘拐したのも、同時に目的をはたすためだ。今夜が勝負だろうな。おれが、取引に乗らないとなると、やつらはマーレル市をまたねらってくる。どのみち、避けられない事態だ。戦うしかない。」