第三風、ユードス・カルディア(1)
ライアスは、喉をしめつけられるような息苦しさを感じ目をさました。そして、寝ているレックスの体から分離するよう、起き上がる。今晩は、シエラは宮殿の女達との酒盛りで寝室にはいないので、レックスの体に入り休んでいた。
ライアスは、夏の暑さで開けっ放しの窓から、バルコニーに出た。何か、サラサラとした霧のようなものが降っている。なんだろうと手をさしのばしてみると、霧のようなものが手にふれた瞬間、しびれるような痛みを感じてしまう。
ライアスは、まさかと思い剣を光らせ、霧をよく見てみた。黒い霧が、あたり一面降りそそいでいる。ライアスは、この霧を知っていた。あわてて、寝室に飛び込み、ぐっすり寝ているレックスをたたきおこす。
「レックス、起きろ。黒い霧が降っているんだよ! 呪詛の霧が降ってんだ。はあ、ノコギリ? ジュソのキリだよ。寝ぼけるな、霧だよ、き、り。」
レックスは、結界を張り、ライアスとともに紅竜に飛び乗り、マーレル上空へと舞い上がった。そして、驚いた。黒い霧は、宮殿ばかりではなく、マーレル中に降りそそいでいる。
上空を見上げてみると、見えない霊的な雲が空いっぱいに広がり、そこから、霧が降ってきていた。レックスは、雲の上に出ようと紅竜を上昇させた。が、どんなに上昇したと思っても、雲の上に出るどころか、とどくことすらできなかった。
レックスは、上がダメなら横と考え、山方面へと紅竜を飛ばす。が、これも同じで、山へはどうしても行けない。
ライアスは、
「レックス、ムダだ。マーレル市全体が、巨大な結界に閉じ込められている。ぼく達、いや、市内の人間すべてを逃がさないようにしてるんだ。」
レックスは、紅竜を空中で停止させた。自分達を守る結界をやぶって霧が侵入してきた。ライアスが、はげしく咳きこみ、レックスは、結界をもう一段強くした。
「だいじょうぶか、ライアス。苦しかったら、おれの体に入れ。」
ライアスは、自分の手をみてギョッとした。いや、手だけではない。黒い霧が当たった霊体部分は、ヤケドのようになっている。ライアスは、
「憎悪、憎しみの呪詛の霧だ。この前の欲望とは違う。」
ライアスは、悲鳴をあげた。そして、頭をおさえ苦しみ出す。
「痛い、全身に針がささってるようだ。痛い、痛い、やめて。やめ。あーっ!」
ライアス目がけて、巨大なヤリのような物が飛んできた。レックスは、杖をとりだし、見えない盾を出現させ、ヤリをくだいた。そして、ライアスを自分の中へと取り込む。ヤリは、一本だけでなく、次から次へとレックス目がけて飛んできた。
(邪教集団は壊滅させたはずだ。いったい、だれがこんなことを? クソ、切りがない。)
レックスは、双頭の白竜を出現させた。そして、ヤリがとんできたであろう空間に対して、二つの口からエネルギー弾をたたきこむ。エネルギー弾は、空中に吸い込まれるようにして消え、まもなく雲が消え去り、霧がやんだ。
そして、翌朝。二日酔い状態のシエラが、フラフラと寝室へもどってきた。レックスは、ギロリとシエラをにらんだ。
シエラは、
「なによ、怒ることないじゃない。たしかに、エルの結婚式にかこつけての飲み会だったけどもさ。しかたないじゃない。女性の従業員には、こうしてサービスするしかないしね。日ごろ、ご苦労様ってさ。」
「ベッドをよく見てみろ。夕べのことは、お前、まるっきり気がつかなかったろ。」
ベッドには、衰弱しきっているライアスが眠っていた。レックスは、
「だれかが、呪詛をおこなったんだ。マーレル中に、あの黒い霧をふらせやがっんだよ。その霧にあたって、こうさ。全身ヤケドみたいになってたんだぜ。なんとか、治療したんだけどもな。」
「そんな。兄様は霊体のはずよ。霊体にヤケドさせるなんて。」
レックスは、夕べのできごとを話した。きいていたシエラは、真っ青になってしまう。
レックスは、
「ライアスの霊力も極端におちているんだ。自力で、自分の体を修復できないほどにな。さっきから、弱ったライアスをねらって、いろんなモノがきてるんだよ。おれは今日は仕事を休む。ずっと見張ってなきゃ、たぶん、その変なモノにライアスをさらわれちまう。」
「私が仕事を休むわ。兄様、守るくらいならできるから。」
レックスは、だめだと言った。
「お前、そんな二日酔いで、守りきれるわけないだろ。一瞬のすきもつくれないんだぜ。今、おれが三重に張っている結界をこじあけてでも、侵入しようとしている連中もいるんだ。お前は、このまま、だまって仕事に行け。二人とも休むことはできない。」
シエラは、ヘナヘナとその場にすわった。そして、目をこする。
「どうして、だれがいったいこんなことを。ひどい、ひどいよ。」
「シエラ、この寝室には、だれも入れないようにしてくれ。特にエルはな。三人の子供の中で、エルだけが見えてるんだ。こんな姿は見せたくない。
それと、エッジに命じて、マーレル市内の周辺を捜索させろ。呪詛はたぶん、市内ではなく、周辺で行われたはずだ。平地か山か、どこかに、夕べの呪詛の痕跡が残っているはずだ。前回の事件を捜査したエッジなら、何かしら見つけられるかもしれない。広くて大変だが、大ざっぱな捜索でもいいから、やってくれ。」
「わかった。兄様をたのむわね。」
シエラは、着がえをすませ、行ってしまった。レックスは、ため息をつく。そして、しずかに眠っているライアスを見つめた。
(少しの霧をあびただけでも、こうなってしまうとは、どれだけ凶悪な呪いなんだ。今のライアスは、自分の意識すらたもてないでいる。おれの中に入れて守ってやりたいが、ここまで弱っていれば、下手すればライアス自身、おれに吸収されてしまう可能性がある。
だれが、こんなことをしたんだ。シエラが二日酔いでなかったら、すぐにでも犯人見つけに飛び出していくのに。今は、ライアスの回復を待つしかないのか。)
レックスは、杖と剣を同時に二本持った。そして、自分の力を少しずつライアスに注入する。一気にそそぐとライアスに負担がかかるので、少しずつ慎重に。
(早くても、二日は、かかるだろうな。夜間は特にあぶないし、今晩は寝ずの番だ。ライアスは、おれが結核やったとき、一日中休むまもなく、おれを守り回復させ続けてくれた。なんとしても、もとにもどしてやる。)
シエラの執務室に、クリスが朝が早いにもかかわらず顔を出した。
「居住区に行ったら、陛下には会えないって言われた。マーレル公もだめだって。子供達も、寝室に行くのを禁じられていますし、また、結核じゃあないかって不安がっているんです。」
シエラは、ほほえんだ。
「驚かせてごめんね。レックス、ちょっと夏カゼひいちゃってさ、熱があるから休んでいるの。兄様が看病しているのよ。マルーもいることだし、カゼうつしたらかわいそうでしょ。だから、今日は入るなって言ったのよ。」
「陛下はご無理でも、マーレル公には少しだけでも会えませんか。ぜひ、たしかめておきたいことがあるのです。」
「たしかめておきたいこと? 昨日の軍のお話かしら。質問でもあるの?」
「夕べ、真夜中ですが、上空で白い閃光があったってききました。二本の閃光が夜空を走り、東側の空へと向けて消えていったそうです。双頭の白竜を、陛下かマーレル公が呼び出したのではないかと、貴賓館の使用人達が話してるのをききました。
それに、夕べは変に寝苦しかったし、何か不気味なものが空をおおっていたような気がしていました。双頭の白竜のこともありますし、まさか、陛下の御病気は、それに関係あるのではないでしょうか。」
シエラは、できるだけ表情を出さないようにした。
「ごめん。夕べは、宮殿の女性陣あつめて、結婚のお祝いパーティやってたの。日ごろの苦労をねぎらおうと思ってさ。でも、その光は双頭の白竜ではないわ。レックスは、夕べから熱を出していたし、兄様は私に代わって看病してたものね。」
「ドラゴンが勝手に飛び出したとか。」
「それはありえない。あの二頭は、兄様とレックス以外、乗せないし、命令もきかないの。どちらかの命令がなければ、勝手に双頭の白竜になることもない。雷でも空を走ったんじゃないかな。」
クリスは、納得してないようだった。シエラは、
「マルーが待ってるわよ。夕べ、悪い夢でも見たみたい。なぐさめてあげて。」
クリスは、引っ込んだ。エッジが、窓からヒョイと顔を出す。シエラは、
「まだいたの。さっさと捜索に行きなさいよ。」
「部下はすでに向かってるよ。けど、広範囲なわりには情報が少なすぎる。あてずっぽうに捜索しても、何も見つけられないぜ。レックスに会えないか。もう少し、くわしくききたい。」
「無理よ。かなり、ピリピリしてる。部屋に侵入しようものなら、半殺しにされるわよ。あなたのほうが強いなんて言わないでね。杖を持ったレックスはね、ふつうの人間が、どうこうできるレベルじゃなくなってきているのよ。」
「そんなにひどいのか、ライアスは。」
シエラは、うなずいた。
「もう、ボロボロ。ほんとは、私もそばにいたいんだけど、レックスに休むなって言われたから、こうして仕事してるだけ。」
シエラは、机にうずくまってしまった。エッジは、
「さっきの王子サマの話だが、閃光は東に向かって消えたって言ってたな。」
「東、そんなこと言ってたっけ?」
「おいおい、妹姫様も重症だな。たしかにそうきいた。捜索は、東を中心にやったほうがいいんじゃないか。東といえば山があるしな。」
シエラは、顔をあげた。
「レックスにきいてみようか。私が直接きいてみるわ。どのあたりから攻撃したか。」
エッジは、ムダだと手をふった。
「レックスはたぶん、頭に血がのぼってたはずだ。どこで大砲撃ったかなんておぼえてないよ。見たやつにきいたほうが早い。」
「そうね、おねがい。でも、クリス様に変にかんぐられないよう、気をつけてね。」
「わかってるって。結婚式がおわったばかりなのに、こんな変な事件なんて、縁起が悪いからな。夕方までには、何かしらのアガリは持ってくる。」
エッジは、窓から出て行った。この執務室は二階にある。いつになったら、扉を使ってくれるのだろうか。
シエラは、ため息をついた。
(おめでたい結婚式が終わったばかりなのに、どうしてこんな事件起きちゃうのかな。ほんと、やんなっちゃう。)
そして、何かに思い当たる。
(そう言えば、バテントスからきた呪術師って、見つかってなかったんだっけ。たしか、ゼルムとの戦いがあったときも、まだエイシアにいたってきいた。まさか、その呪術師が今になって? でも、どうして、なぜ?
ひょっとして機会をうかがっていただけかもしれない。結婚式が終わって、みんなして気がぬけてるところを、わざとねらったんじゃないかしら。お祝い気分で、すきだらけだったしね。
でも、マーレル市内をまるごと呪うなんて正気のさたじゃない。夕べは、双頭の白竜の一撃でおさまったみたいだけど、以前の呪詛は数回にわけて実行されたし、術者をなんとかしない限り、きっと今回も何回でも実行される可能性がある。
さしあたって、霊体で霊的影響をもろに受ける兄様をねらったってことかしら。レックスの話をきいた限りでは、ねらわれた兄様を体に入れたとたん、レックス自身がねらわれたと言ってたしさ。)
呪術師は、若い男だときいている。若い男。いったい、どんな男なんだろう。そして、夕べの呪詛が一晩中続いていたら、マーレルはどうなっていただろう。シエラは、ゾッとした。
(動揺してはダメ。しっかりしなきゃ。とにかく、情報が少なすぎるわ。エッジの報告を待とう。)
シエラは、たまっている書類に目を通し始めた。レックスの仕事もあるから、こうしてなやんでいるヒマなんてない。