第二風、クリス・オルタニア(1)
エルシオンは、六歳だ。そして、結婚相手の、ディナ・マルー王女殿下は九歳である。この年齢の三歳差は大きい。少女へと成長したディナ・マルーとくらべると、エルシオンはいかにも子供だ。
イリア側から是非にと要望があり、イリアとの関係強化をのぞんでいたマーレル側にとっては、ねがったりかなったりの話であったが、さすがに六歳の新郎と九歳の花嫁では、オママゴトである。
ベルセアから法王をまねいての盛大な結婚式のわりには、いまいち感動がなかったレックスは、その晩おそく、シエラにそのことをぼやいていた。
「ま、そんなもんじゃない。私はかわいくて、たまらなかったけどもさ。ディナ・マルー様は、かわゆいもんね。あ、そうか、もう娘なんだよね。マルーって呼べばいいのかな。」
「マルーでも、ディナでもどっちでもいい。しっかし、六歳と九歳ね。いくらイリア王の希望でも、早すぎること早すぎること。マルーのやつ、きっと里心おこして泣くぜ。」
「あら、そのためにお兄様のクリス様が、とうぶんのあいだ御一緒するんじゃない。マルーが、ここの暮らしにある程度なれるまではね。」
「クリスって歳いくつだっけ。十五? どうりで、女みたいなやつだと思ったよ。」
「私は素敵だと思うけどさ。マルーと同じ黒髪で黒い瞳だしね。なんか、昔の初恋の人に似てるしさ。あ、でも、クリス様のほうが、お美しいかしら。すごい教養があるしさ。しばらく、楽しくなりそう。」
シエラは、うきうきしていた。レックスは、
「なんか、獲物を見つけた猛獣のような目つきだな。おい、おそいかかったりするなよ。」
「なによそれ。なんでおそいかからなきゃなんないのよ。アイドルよ、アイドル。ほら、舞台の役者さんにあこがれる感じ。ああいうタイプって、ライアス兄様に近いのよね。初恋の人も、ライアス兄様とおなじタイプだったしさ。」
レックスは、あきれた。けど、クリスに夢中になっているのは、シエラばかりじゃない。さきほどまで催されていた結婚パーティじゃあ、主役の二人よりも、クリスに御婦人方の視線が集まっていたほどだ。
レックスは、
「クリスは、オトコ女には興味はないと思うぜ。けど、こんな話をしてるなんて、おれ達もだいぶ、年季が入ってるってことだ。結婚して、まだ十年もたってないのに、気分はすでに、オジサン、オバサンだな。おれ、二十七になったばかりだぜ。」
「現実に、オジサン、オバサンじゃない。レックスを国王だと知らない子供なら、レックスのこと、必ずオジサンって呼ぶわ。陛下じゃなくてね。子供が結婚したのよ。いつまでも、オニーサン、オネーサンじゃあ、おかしいじゃない。いいのよ、オジサン、オバサンでさ。」
「開き直りかよ。お前はいいよ、気楽でな。クソ、オジサンかよ。ったく。」
で、そのころ、エルとディナ・マルーのために用意された、新婚用?の部屋では、ルナとリオンが、大はしゃぎをしていた。
エルは、つかれて眠いので、さっさと寝てしまった。ディナ・マルーもつかれて寝たかったが、ルナとリオンは帰りそうにもない。
ミランダが助けに入ってくれたので、二人は自分達の寝室へやっと引き上げてくれ、ディナ・マルーはホッとしていた。ミランダは、
「マルー様とお呼びしてよろしいでしょうか。私は、ミランダです。あなたのお世話をおおせつかりました。宮殿には、使用人が大勢いますが、この居住区には、ほぼ入ってきませんので、御用がおありでしたら、私かプリシラ、又はジョゼという女に声をかけてください。三人のうち、だれかしらは、必ず、ここの居住区にいますので、きがねなく御用を申し付けてください。」
「ミランダさん、どうして、この居住区には、人がいないのでしょうか。イリアでは、私達のお世話をする使用人がたくさんいました。陛下をはじめとして、御不自由ではございませんか?」
ミランダは、クスリと笑う。
「陛下の御希望なのですよ。陛下の経歴は、マルー様も御存知のはずです。昔の感覚がぬけないんですよ。だから、不自由はしていないんです。」
「私、とても信じられませんでした。陛下が、いえ、お義父様が、運び屋さんだったなんて。あんなにご立派で美しくって、私、びっくりしていますから。」
「見た目はね、でもすぐに正体がわかりますよ。子供達には、自分のことは絶対、父上なんて言い方はさせないですからね。お義父様なんて呼ばれたら、きっとお尻がかゆくなってしまうでしょうね。他の御子様方と同じように、父ちゃんて呼んであげてください。その方が喜びますから。」
「父ちゃんですか、はあ。」
「なれなかったら、お父さんでいいんですよ。マルー様は、お優しい方ですね。エル様は人見知りする子ですのに、初対面のあなたがそばにいても、こんなにぐっすり眠っていますから。」
「初対面ではないですよ。マーレルへきてすぐに会ってますから。」
「ああ、そうですね。うっかりしてました。マルー様、エル様のことをたのみましたよ。では、お休みなさい。明日、起こしにまいります。」
「あの、クリス兄様は、今はどこに?」
「貴賓館へお帰りになられました。明日の昼過ぎに、こちらへいらっしゃるはずです。」
「そうですか。ありがとう、ミランダさん。お休みなさい。」
ミランダは、扉を閉じた。マルーは、ホッとしたように、エルの寝顔を見つめる。そして、ドキドキしてしまう。
(ほんとうに、かわいらしいわ。三つも年下だから、どうかなって考えていたけど、あの陛下にして、この王子様だものね。やだ、私。いまからこんなにドキドキして、どうすると言うの。まだ、六歳だし、夫婦どころか、恋人にもなれるはずないのに。)
とりあえず、マルーは結婚にあたり、イリアでだいぶ教えを受けてきていた。それなりの心構えはできていたのに、やはり、実物の六歳をみると、六歳でしかないことがわかってしまう。
でも、早く大きくなってほしいと、心をときめかせる自分もいる。マルーは、眠っているエルにそっとキスをした。
「お休みなさい。私のだんな様。」
翌日、約束どおりクリスは、やってきた。マルーは、うれしそうに抱きつく。クリスは、
「マルー、あなたは結婚したんだよ。あまり、だんな様以外の男性に、気安く抱きついてはいけません。エルシオン君はどうしたんです?」
「いま、陛下とごいっしょなの。市内の要人達のあいさつを受けているのよ。ほんとは、私もいかなけばならなかったけど、お腹が痛くなっちゃって。お医者様は緊張してたせいだって、おっしゃってたわ。それで、陛下が休んでいろって。」
「無理もないね。イリアから長旅して、すぐに結婚式だものね。でも、陛下がお優しい方でよかった。王后陛下は、かわっていらっしゃるけど、陛下同様優しい方のようだし、あんな御両親なら私も安心だよ、マルー。」
「お兄様、帰っちゃうの?」
クリスは、ほほえんだ。
「あなたがおちつくまで、マーレルにいるって約束じゃないか。そろそろ夏になるし、マーレルの夏は、イリアより暑いってきいている。あなたが、暑さで夏バテしないよう、しっかり見届けてから帰るつもりだよ。」
少なくても秋までは、ここにいる。マルーは、ホッとした。クリスは、室内を見回した。マルーは、
「どうしたの、お兄様。」
「いや、だれか人の気配がしたと思ってね。ここには、私とマルー以外、だれもいないはずだが。扉が開いた様子もないし。」
「それはたぶん、マーレル公だわ。ほら、陛下が使役してるってウワサの霊人よ。昨日の結婚式でお姿を拝見したわ。すぐに消えてしまわれたけどもね。」
「だとしたら、監視されてるみたいだな。マーレル公とやら、いるんなら出てきてほしいな。私はまだ、あなたにあいさつは、していないんだからね。」
ライアスは、姿を現した。そして、笑う。
「気配は、できるだけ消したんだけどもね。ぼくがいるとわかるのは、ミランダくらいのものだと今まで誤解していたようだ。君と少し話をしたい。悪いけど、マルーには、子供部屋に行くよう、たのんでくれないか。」
マルーは、とまどった。もう少しクリスといっしょにいたい。ライアスは、
「マルー、すぐに兄さんを返すよ。」
クリスは、マルーを子供部屋に連れて行き、そしてすぐにもどってきた。クリスは、
「ほんと、人がいないね、ここは。イリアでは、用があれば、すぐに現れてくれるんだけどもね。現れたのは、まあ、あなたくらいのものか。」
「ここは、マーレルだ。マルーにも、なれてもらわなきゃね。うちの嫁なんだしさ。」
「なぜ、向こうに逝かない?」
「ここが、ぼくの居場所だからね。ぼくは、レックスの分身なんだよ。だから、向こうに逝く時は、レックスもいっしょの時だけだ。」
「レックス。王を呼び捨てにするとはね。ずいぶん、不遜な霊もいたものだ。」
クリスは、不快感をあらわした。ライアスは、また笑った。
「君の名は、クリス・オルタニア・ヴァレリア・イリアス。そして、我が花嫁の名は、ディナ・マルー・オルタニア・ヴァレリア・イリアス。二人とも、ずいぶん、長い名前だね。それだけ由緒あると言うことだろうな。」
「ああ、由緒あるさ。イリア王国は、すでに千七百年という歳月を重ねている。現時点で、これほど長く栄えた国は周囲には無い。このエイシア島だって、一時は大陸支配を受けて、王国がとだえたというではないか。それに、現ダリウス王朝も千年くらいの記述しかない。」
「よく知ってるね。ここへくる前に、きちんと勉強してきたということか。まあいい。君はイリア王国以前の歴史を知っているか。」
「とうぜんだ。イリア王国は、前古代王国から引き継いだものだ。イリア女王が最後の王として、古代王国を革新したと記述されている。イリア王国の名は、女王の死後百年してから、時の王が女王の功績をたたえ、国名としたんだよ。」
「イリア女王は、だれと結婚して、どんな子がいたか記述にはあるのか。」
「そのような者は存在しない。生涯、独身だったとある。」
たぶん、歴史記述から女王に不都合な部分は削除されたのだろう。ライアスは、
「話はかわるが、イリア国王は、何人も妻をむかえているときいている。ヴァレリアは、現イリアの第三王朝の名だ。オルタニアは、君の母の家を名だろう。失礼だが、どれくらいの家柄なんだ。」
クリスは、
「古い歴史話から、いきなり現実とはね。まあ、当然の質問だろう。それによって、我が国が、この国をどう考えているかわかるからな。オルタニア家は、イリアでは五指に入る名門だ。オルタニア家の血を引く国王も数名出している。これで満足か?」
ライアスは、うなずいた。
「ありがとう。イリアにとって、こんなちっぽけな島国なんか、たいした存在ではないと、こっちでは考えていたからね。そのような王女をいただいて感謝しているよ。」
「父国王が、どれほどエイシアを重視しているか、これでわかったはずだ。我々が対応に苦慮しているバテントスを、単独で撃退したということは、それだけ意義が大きい。ディナ・マルーとの婚礼が、さらなる二国間の発展を意味するものとなることを、私個人としても切に願っている。」
ライアスは、クリスを見つめていた。心をのぞかれているような視線である。実に、いやな視線だ。クリスは、ライアスから目をそらした。ライアスは、
「なぜ、そんな姿をしている。そんな姿をするのは、シエラくらいのものだと思ってたんだがな。君は、女性なんだろう?」