第一風、シオン・ダリウス(1)
時代はさかのぼり、約三千年前、イリア王国の前身である古代王国では、祭政一致の統治が行われていた。神示を受けた神官が、その神示にもとづき、国王に助言し政治を執り行っていたのである。
神官の力は、この古代王国においては絶大だった。その役割上、国王に次ぐ権限を有していたといっても過言ではない。それゆえ、神官には、確実に神示を受けるためのすぐれた霊能力を持つ者が常に選ばれていた。
だが、霊能力を持つ者がいつもいるとは限らない。いつしか、神官職はその体面をたもつために、国王と同じ世襲制になり、その神示を受けるという仕事も、儀式的なものへと変化していかざるをえなかった。
だが、国王への助言者という立場に変更はない。その強い権限も変わらなかったので、歴代の国王は神官一族の勢力をおさえるために、たがいの家の子供達を結婚させたりして、融和政策を取り続けてきたのである。
そして、約千八百年前、千年以上続いた古代王国は崩壊した。きっかけは、儀式しかできなかった神官一族に、本物の神示を受けることができる神官が誕生したからであった。
神官の名は、シオン・ダリウス。母親は前国王の娘、そして妻は現国王の妹という、まさに国王と神官の融和政策の申し子のような男だった。
シオン・ダリウスには、現国王の妹である正妻イリアのほかに、もう一人妻がいた。正妻イリアと結婚する以前から妻としていた女性、ベルセアである。
ベルセアは、神官一族の娘ではあったが、一族の中では分家あつかいの低い身分の出で、正式な妻とは認められていなかった。それゆえ、シオンは、一族の強いすすめもあり、慣例にしたがい、イリアを正妻にむかい入れたのである。
イリアは、シオンが自分より、ベルセアを愛していることを知っていた。そして、自分が夫をどんなに愛しても、その愛は夫へとどかないこともである。
ふつうならば、嫉妬もし、憎悪もするだろう。だが、イリアは、そのような思いを持つことを、自分に禁じ続けていた。もし、そんな思いを抱いた瞬間、夫のすべてを失うであろうことが、わかっていたのである。
イリアは、夫の前では笑顔でいた。どんなにさみしくても、うらみごとの一つも言わなかった。シオンは、そんなイリアをしだいに愛しはじめ、イリアは男の子を出産したのである。
シオンはよろこんだ。ベルセアとのあいだには、すでに子がいたが、その子は女の子だったからだ。待望の跡継ぎができたのである。シオンは、産まれてまもない我が子を、出産がおわったばかりの妻イリアのそばで、だきしめていた。
「イリア、よくやった。これで、一族の連中も安心するだろう。お前の名前は、シグルド。シグルド・ダリウスだ。今日から、お前は、おれの息子のシグルドだ。そして、おれは今日から、お前の父ちゃんだ。」
シオンは、高位の身分にあるにもかかわらず、気取らない性格だった。そして、シオンは、出産を終え、つかれきった妻にいたわりのくちづけをする。
「愛しているよ、イリア。結婚した当初は、お前がどういう女かわからず、愛することができなかった。でも、今は違う。お前は、かしこく、そして強い女だ。おれは、お前という正妻を得たことを誇りに思う。」
イリアは、ほほえんだ。そして、たえて待ったかいがあったと思った。子供がいる以上、夫の愛は変わらないだろう。たとえ、二番目に愛されているとはいえ、自分は夫の跡継ぎを産むことができたのだから。
そして、同じ日の晩、シオンは、ベルセアが住む別宅をたずねた。ベルセアは、この別宅で自分の両親と同居している。シオンが顔を出すと、二歳になった娘が飛びついてきた。
「ミユティカ、こら、歩けないじゃないか。だっこか。しょうがないな。」
ミユティカは、父親とそっくりな金色の頭を、父親のほおにこすりつけてきた。
「父ちゃん。弟、会いたい。」
イリアの出産の知らせはすでに、この別宅にもとどいていた。
「そうか、会いたいか。じゃ、いつか会わせてあげるよ。ミユティカが、もう少し大きくなったらな。」
シオンがきたときいて、着がえをすましたベルセアが出てきた。
「おかえりなさい、シオン。今日は、こないとばかり思ってたのに。」
シオンは、笑った。
「イリアに子供が産まれても、おれが帰る家は、お前達がいるこの別宅だ。おれは、たしかにイリアを愛している。そして、子供もさずかった。けど、おれが帰る家は、ここだけだ。」
「それじゃあ、イリア様とお子様が、おかわいそうよ。あなたの血をつぐ、大切な跡継ぎでしょ?」
シオンは、娘をおろし、ベルセアをだきしめた。
「おれが結婚したと信じているのは、お前だけだ。たとえ、式をあげられなくても、世間で認められなくてもな。ベル、少しくらい、嫉妬してくれてもいいじゃないか。なぜ、笑う。お前はいつも、あきらめたように笑う。おれが、イリアを正妻としなければ、ならなくなった時もそうだった。」
「私は、あなたにこうして愛されているだけでじゅうぶん。ね、シオン、こんな低い身分の、しかも平民とかわらない私を愛したのはなぜ?」
「なぜって。お前を始めてみたとき、恋におちたんだよ。つまり、一目惚れ。こんな、かわいい女の子をほっといたら、他の男に取られちまう。だから、だれかに取られる前に取っちまった。そして、女房にして正解だったというわけだ。こーんな、かわいい娘も産まれたことだしな。」
「ほんとは、男の子のほうがよかったんでしょ?」
シオンは、娘をだきあげ、キスをした。
「女でいいんだよ。どのみち、おれは、正妻をもらわなきゃなんなかったから、お前が産んだ男の子がいれば、下手すれば、いずれ殺されてしまう可能性があった。だから、女でいい。どうした、ベル。涙なんか。」
ベルセアは、シオンの前から走り去った。シオンは、ベルセアの両親に娘をあずけ、寝室へとむかう。ベルセアは、ベッドで涙をふいていた。シオンは、そばにすわる。
「すまん。お前一人と決めていたのにな。本当ならば、お前を正式な妻としたかった。本宅にもおけず、こんな別宅なんかに住まわせてさ。ミユティカにもさみしい思いをさせて、お前達二人には、すまないといつも思っている。」
「あやまるのはこっちよ。急に泣いたりなんかして。」
シオンは、ぎゅっとこぶしをにぎった。
「ベル、前々から考えてたことなんだけど、イリアに息子も産まれたことだし、おりをみて、おれは神官をやめようと思う。国王は、神示なんてきかないしな。それに、おれをうとましく思っているんだ。おれが、自分の地位をうばう男だと考えている。」
「まさか、そんなことを。だって、あなたのお母様は、国王様の姉にあたる方で、イリア様は、国王様の妹様でしょ。あ、」
シオンは、ベルセアの顔を見た。
「おれだって、王位をつげるんだよ。神官一族の長でなかったらな。」
「まさか、シオン。あなた、国王になるつもりじゃ。」
シオンは、フッと笑った。
「そんなつもりはない。息子に職をゆずろうと思ってるだけだ。どうせ、神示なんて無用の時代だからな。それに、国王自身の妹の子供が神官になったら、おれみたいにうとまれることもないだろう。あとは、イリアにまかすさ。おれは、お前とミユティカだけを連れて、この国をはなれて、別の土地にうつろうと考えている。」
ベルセアは、驚いた。
「私と? 一族をすてて、私と? あなた、正気なの?」
「ああ、正気だ。おれは、権力なんて興味がない。ただ、お前とミユティカ、三人で静かに暮らしたいだけだ。その話をするためにも、今日、きたんだよ。ちなみに、イリアには何も話していない。おれとお前だけの秘密だ。
もう、何もかもつかれたんだよ。一族をまとめるって気苦労ばかり多くてさ。一族の長老達は長老達でうるさいし、若手は若手で、これも長老達に反発してうるさいし、おまけに国王まで、おれをうとましく思い始めるしさ。」
「でも、あなたは歴代きっての神官と言われている人でしょ。霊能力も持ってるし、神示も受けることができるんだし。」
シオンは、ため息をついた。
「神示と言っても、この国をつくった歴代国王達とか、この国の守護神とかと話ができるだけだ。その話をした内容を神示として国王につたえているだけなんだよ。でも、耳をかしてくれないからな。
宮廷内でも、そんな国王の思いに反応して、おれたち一族に距離をとる連中も出始めているようだし、おれがこのまま神官続けていると、なんかヤバくなりそうな予感ばかりしてるんだ。」
「だから、引退して、この国をはなれるというわけね。」
シオンは、うなずいた。
「嫉妬だよ。国王は、おれに嫉妬してるんだ。自分に持ってないものすべてを、おれが持っているとかんちがいしてやがる。いったい、何を持っていると言うんだよ。おれが、ゼータクしているのは、自分の恋愛だけだ。欲しいと思った女を妻として、こうして、そばに置いているだけだ。なのに、なぜ。」
ベルセアには、それがわかるような気がした。シオンは容姿端麗だ。流れるような美しい金色の髪と、ヒスイの輝きにも似た瞳を持っており、肌は男なのに、ぬけるように白い。おまけに頭脳明晰で、しかも母親と妻は王族の出とくれば、国王でなくとも嫉妬する男は多い。
まさに、名門中の名門で、生粋のサラブレッドなのである。だからこそ、ベルセアはどうして、こんな男が自分を愛したのか理由がわからなかった。
シオンは、また、ため息をついた。
「な、ベル。お前、おれについてきてくれるだろ。どんなことがあっても、どんな場所にでも。おれは、すべてをすてても、お前達だけは、すてたくないんだ。おれのたった一つのゼータクだしさ。」
ベルは、ほほえんだ。
「とうぜんじゃない。私、あなたの女房なのよ。ミユティカといっしょに、どこにだってついてくわ。ね、もしそうなったら、私、今度こそ、あなたの正妻ね。まちがいなく、あなたの正妻ね。」
「まちがいなくな。おれもそうしたい。お前、なんだかんだ言いつつも、イリアにヤキモチ妬いてんな。でもうれしいよ。お前が、おれのこと好きだって証拠だもんな。」
それからまもなく、シオンの予感は当たった。国王が、神官一族が、シオンを国王にしようとクーデターをたくらんでいるとして、一族の追放を決定したのである。だれが見ても、でっちあげだとわかっていた。
だが、国王は、命令にしたがわなければ、反逆の罪で一族の抹殺もいとわない様子だったので、シオンは、一族を説得し、命令にしたがうことにした。だが、イリアは、シオンについていくことをこばんだ。あてどない流浪の旅など、王女として育ったイリアでは、たえられるものではない。
シオンは、イリアと幼い息子に別れをつげた。イリアは王家へともどり、息子は、現国王の養子となり、神官一族の籍からぬかれた。これにより、長年にわたり、王国につかえてきた神官一族は、この国からいなくなったのである。
そして、シオンは一族を引きつれ、エイシア島へとやってきた。