八、リオナス(2)
シエラは、腕の中で静かに眠っている赤子の顔を見つめた。
「リオナス、リオナスにしよう。この子の名前。」
最初から最後まで、つきそっていたレックスの顔に、やっと笑顔がもどった。
「リオナスか。いい名だな。エルシオンは、グラセンに名付け親たのんだんだよな。いい意味らしいが、なんか、古くさいと感じていたけど、リオナスはいい。お前のことだから意味があるんだろ。」
シエラは、首をふった。
「なんにも、ただ響きがよかっただけ。すごくかわいい。この子がさっきまで、ぼくのお腹、けってたんだ。怪獣かと思ってたけど、こうして眠っているところを見ると、天使みたい。」
シエラは、子供のくちびるに、そっとキスをした。
「ね、レックス。このまま、いていいかな。生まれ変わりは、もうしたくない。この子やエルやルナのお母さんでいたい。親として、君達といっしょに成長したい。ね、ぼくは、まちがいなく生きているんだよね。」
「ああ、おれは最初から、そう思ってる。命の輝きに、肉体のあるなしは根本的に関係ないと、おれは考えてるんだ。お前が必要だ、いろんな意味でな。」
シエラは、うなずいた。レックスは、そっとシエラをだきしめる。
「よく、がんばったな。えらいぞ。それでこそ、おれの自慢のシエラだ。」
「この子もだいてよ。」
レックスは、とまどった。なんか、こわしてしまいそう。
「どうやってだくんだ。エルの時は、こわくて、一ヵ月すぎるまでだけなかった。」
「だいじょうぶ。そう簡単にこわれたりしないよ。さ。」
おそるおそる手にとる。ちっさい。赤ん坊が、ぐにゃぐにゃ動いた。だき方が、だめだったらしい。小さな足が腕をける。母親に返す。
「なんだよ。もう反抗期かよ。けられたのは、二度目だな。リオン。」
レックスは、子供の鼻を指でチョンとした。リオンは、クシュンとかわいいくしゃみをした。シエラは、ほほえむ。幸せで涙が出そう。そして、そのまま医療室で休んだあと、明け方、二人は寝室へともどった。朝の光に照らされた我が子を見たレックスは、思わず、うなってしまう。
「髪の色、茶色、ていうよりも赤じゃないか。そ、それに似てる。こら、リオン。眉間にしわなんかよせるな。ますます、父さんに似てくるじゃないか!」
シエラは、思わず笑った。
「いいんじゃない。おじいちゃん似でさ。白状するけど、リオナスって名前考えたの、父さんなんだ。いい名前、思いつかなくて、つい相談してさ。昔、家で飼っていた犬につけた名前だってさ。」
レックスは、がっくりきた。
「犬の名前、ハハ、父さんらしいな。って、おれの子は犬かよ。お前もお前だ。そんな名前、なんでつけるんだよ。」
「いい名前だって言ったの、君だよ。ぼくは、気に入りさえすれば、由来には、こだわらない。」
「ダメ、変更。まだ、公表してないから、別の名前を、」
ルナとエルが寝室に飛び込んできた。目がさめたとたん、弟が産まれたときいたらしい。エルは、
「赤ちゃん、早く見せて。うわ、かわいい。お母さん、この子、なんて名前? だっこしていい。」
「リオナス、リオンって呼んであげてね。だっこしてもいいわよ。床にすわってね。ルナ、エルをたすけてちょうだい。そうそう、そんな感じで。」
シエラは、子供達の前では、理想のシエラに個性を変える。中身はライアスだと、二人ともわかっているが、もとからシエラの中にいるのだから、さして気にしている様子はない。
エルは、リオンをルナにわたし、ルナはリオンをシエラに返した。そして、
「ねぇ、お母さん。もう一人のお母さんは、いつになったら帰ってくるの。会いたいよ。」
シエラは、ルナの頭をなでた。
「ごめんね。まだ、わからないの。でも、必ず帰ってくるわ。それまで、リオンをいっぱいいっぱい愛してあげようね。」
ルナは、うなずいた。もう半年近くにもなる。レックスは、
「ルナ、今日は父ちゃん、仕事休むから、みんなして、リオンとお母さんのそばにいような。シエラがいなくなって、一番、さみしいのは、お母さんなんだからな。」
エルは、シエラの手をとった。
「エルは、どっちのお母さんも大好きだよ。どっちも、やさしいもの。ね、お母さん。もう一人のお母さんが帰ってきたら、エルもいっしょにあやまってあげるよ。ケンカしたんでしょ。それで、怒ってどっか行っちゃったんでしょ。」
シエラは、リオンをレックスにあずけ、エルをだきしめた。
「ありがと、エル。すごくうれしい。ね、エル。もう一人のお母さんが帰ってきたら、ライアス兄ちゃんと、どこか遊びにいこうか。白竜に乗ってさ。」
エルは、パッと顔を輝かせた。
「白竜に乗せてくれるの? ほんと。一回乗ってみたかったんだ。いつ遊びにいくの。あした?」
「もう一人のお母さんが帰ってきたら。でないと、お母さんはこの体から、はなれられなくて、ライアス兄ちゃんには、なれないから。」
ルナは、
「ずるーい。私も白竜乗りたいよ。ドラゴンなんでしょ。空も飛べるんでしょ。」
「じゃ、いっしょに行こう。お弁当もってね。」
エルは、
「約束だよ。ぼく、早く、もう一人のお母さん帰ってくるように、毎日お祈りするから。」
「うん、約束。エル、ルナ、お部屋にもどって着がえをしなさい。朝ごはん、ここでみんなで食べよう。」
二人は、バタバタとさわがしく子供部屋にもどっていく。レックスは、リオンをシエラに返した。
「これで、リオナス決定かよ。父さんにやられたな。でも、お前が残ると決心してくれたのはうれしい。第一、あんなに子供達に好かれてるんだぜ。それに、生まれ変わるとなると、ライアスはいなくなるから、実質、お別れしなきゃならなくなる。あの子達を悲しませてまで、生まれ変わることはないだろう。」
シエラは、レックスを見つめた。
「この子が、ぼくを引き止めてくれたんだ。そして、エルとルナが決意をかためてくれた。リオン、いっぱいいっぱい、愛しているよ。いっぱい、愛している。いくらでも言いたい。愛してるって。たくさん。」
シエラのほおを、ひとしずくの涙がつたわる。シエラが、ライアスとして生きていたころから持ち続けてきた心の空白部分が、すべてうまった瞬間だった。
ゆっくりと幸福な時間だけがすぎていく。自分の胸に、ひたすら吸いつく力強い命。少しずつ成長していく小さな体。きびしい冬の寒さがゆるみ、春がすぎさり、暑い夏を越え、秋にシエラが二十六となり、そして、冬をむかえた。
シエラは、降りしきる今年はじめての雪を、リオンをだき、宮殿の窓からながめていた。そう、たしかこんな日だった。ライアスが最後をむかえた日の朝は。
シエラは、リオンのむじゃきな顔を見て、クスリと笑う。あれから、もう十年。ここから先はたぶん、いろんなことの経験や勉強の積み重ねだろう。
「いっしょに大きくなろう、リオン。君が産まれて、もうすぐ一年になるね。そろそろ、ほんとのお母さんに会いたくなったんじゃないか。」
リオンは、シエラのみじかい髪をひっぱった。今の発言に抗議をしているみたいだな、とシエラは考えてしまう。そっとキスをする。
「ごめんね。ぼくだって君のお母さんなんだよね。そう、お母さん。ぼくは、こうして親になれたんだ。ありがとう、リオン。お母さんにしてくれて。」
シエラは、背後にだれかの気配を感じた。ふりむくと、記憶の底から、すべて追放したはずの存在がそこにいた。
「は、母上。どうして、いまごろ。こんな場所に。」
かつて、自分の存在をうたがい、不幸のどん底につきおとした張本人が、そこに立っていた。母親は、何も言わず、深々と頭を下げ謝罪の意をあらわし、そのまま消えた。
(母上は、死んでからのちも、自分のあやまちを決して認めなかったはずなのに。)
たぶん、シゼレが、ここへよこしたのだろう。母親の本心はわからない。けど、こうして頭を下げたのだ。もういい。
そして、正月がすぎさり、リオンの一歳の誕生パーティが、ゼルムの要人達もまねいて、盛大にマーレル宮殿でもよおされていた。
一歳ともなると、ますます死んだ父親に似てくる。赤い髪。気の強そうな口元。顔立ちは、エル同様きれいな子供だが、レックスは、あーあ、とため息しか出ない。
リオンは今、御婦人方の群れの中にいる。エルは、猛獣の群れにかこまれれば、不安そうな顔をよくするがリオンはひるまない。えじきにもならず、しっかりとかわがられている。
(必ず、女問題おこすな。酒グセも悪そうだし。しっかり教育しないとダメだわ。)
レックスは、先行き不安になった。シエラが、会場のすみから手まねきをしている。社交辞令にもつかれたレックスは、リオンをほっといて、シエラのもとへとむかった。
「おつかれさま。もう、一年以上もたっちゃったんだ。目がさめたら、誕生パーティだって言うんだもん。びっくりしちゃった。」
「一年以上じゃない、もっとだ。ったく、どれだけ寝てれば気がすむんだよ。」
シエラは、御婦人方にかこまれているリオンを見つめた。
「寝ていても、すべてはわかっていたんだよ。夢を見るみたいにね。あの子(ライアス)の気持ちもね。いいお母さんになれたじゃない。」
「また、母親面かよ。お前、だれでもかれでも、そんな顔するんだな。ま、いまさら、文句言っても、そういう性格なら、どうしようもないしな。」
シエラは、レックスに視線をうつした。
「言うことあるんじゃない。ずっと、留守もどうぜんだったしね。」
「ああ、そうだな。お帰り、シエラ。でも、なーんか感激ないんだよな。三度も引きこもってればな。子供達には、ちゃんとあやまっておけよ。会いたがっているから。」
「もう一人、子供つくろうか。今度こそ、女の子ね。」
レックスは、チラとシエラを見返した。
「子供はもう、じゅうぶんだよ。三人もいるしな。まあ、四人目もいいかもな。」
そして、今年度最初の国会がはじまった。国王レックスのそばには、国王補佐となったライアスがいた。
最初は、違和感や驚きをかくせなかった貴族達だが、もともといた存在でもあったので、まもなくそれが当たり前になってしまい、しだいに人々は、ライアスをマーレル公と呼び、シエラの王后と区別するようになった。
レックスは、自分の名前を、アレクシウスからレックスへと正式に改めた。書類のサインを始め、公式にもレックスで通していたので、レックスの方が国王の名として定着していたからである。
そして、その年の夏、マーレルは最大の危機をむかえる。
第六章に続く。
物語は半分まできました。次の六章は、この作品全体のターニングポイントとなる話です。第一章で、神話として伝えられていたエイシアの始まりの真相が明らかになり、それにからむ重要な人物が登場します。ご期待いただければ幸いです。