七、ゼルムの終焉(2)
レックスは、
「呪詛を言い出したのは、お前だって? お前、それまでして、おれと結婚したかったのかよ。」
「結婚は、大臣がお父様と相談して勝手に決めたことよ。呪詛が成功して離婚したら、あなたフリーでしょ。どうせ、すぐに結婚させられるはずだから、先手をうっておこうとしたの。私は、する気はなかったわよ。」
「結婚が目的じゃなかったら、なんのために、おれにしつこくした。いや、それよりも、なんで呪詛なんか依頼したんだ。」
「あんた達夫婦を、ボロボロにして、ギッタギッタにしてやりたかったの。不幸のどん底につきおとしてやりたかったの。ねらった効果がでなかったけど、その代わり、結核にかかったってきいて、ざまあみろって思ってたのに!」
さすがに、レックスも頭にきた。
「なんで、そんなことを考える。おれとお前は、なんの関係もないじゃないか。」
娘は、歯ぎしりをした。そして、くやしそうに涙をこすった。
「だって、だって、私があなたと結婚するはずだったもの。私は、おさないころよりずっと、お父様にかわいがられ、そして将来は、王子様のお嫁にしてあげると言われて育ってきたんだもの。
現実には、あなたは行方不明でも、お父様はそう言って、母のいない私のさみしさを、まぎらわせてくれた。なのに、やっと姿を見せたと思ったら、もうすでに結婚してるって言うじゃない。しかも、ドーリア公の娘なんかとさ。」
レックスは、あっけにとられた。娘は、
「くやしかったの。ものすごくくやしかった。おまけに美貌で、奇跡の王とまで言われてるじゃない。しかも、ずっとゼルムにいたって言うし。
憎いクリストン女が、あんたを横取りして、あんたの子を産んで、そして愛されて幸せでいて、これで、私がまともでいられるわけないじゃない。マーレルに乗り込んで、あんた達の幸せな家庭をこわしてやろうと、何度も考えたわよ。」
「それで、呪詛をしくんだのか。そんな理由で。最低の女だな。勝手に恋して、妄想をいだいたあげく、しかも他人の家庭をぶっこわすだと。」
「ええ、そうよ。今だってそうしてやりたい。あんたが憎いもの。私を選ばず、クリストン女を選んだあんたが、すごく憎たらしいもの。ほんとは、あんたなんか誘惑したくなかったのよ。
でも、大臣がそうしろって。私の誘惑であんたの考えが変われば、もうけものだって。私も、それでなんとかなるならと考えた。でも、ムダだった。だから、ナイフもってきたのよ。どうせ、ゼルムはおしまいだしね。」
娘は、つめたい床にしゃがみ、顔をひざに乗せた。レックスは、
「呪術者とは、どんな男だ。」
「顔は、フードとマスクでかくしていた。全身マントですっぽりおおわれていたしね。なんで、イリアの使者がそんな男を紹介するのかわからなかった。ただ、こっちの弱みにつけこんで、うまいように話をもっていき、私達を信頼させたわ。
そして、呪術者は、私が一人になったときを見計らい、近づいてきたの。あの日は、朝から頭がクラクラしていて、私もふつうじゃなかったのをおぼえている。そして、少しばかりの時間を私とすごして、あの男は帰っていった。
そのかん、何を話していたのかおぼえていない。ただ、あんた達の夫婦への強い憎悪だけが残った。だから、大臣とお父様を説得して、呪詛を行うことにしたのよ。
けど、その男は、自分からは呪詛は行わない、どこか適当な魔術集団を紹介してくれと言った。それで大臣が、ベルセアにいる自分の親戚にたのんだの。その親戚も、法王になれなくてくやしい思いしてたから、呪詛なら成功しても失敗しても、表立った証拠が残りにくいという理由で、協力してくれたの。
あれだけ周到に用意したのよ。一ヵ所で行うとなると、ばれる可能性があるから、フェイクとなる場所を何ヵ所も用意してね。でも今、考えれば失敗だった。何もかも裏目にでるし。とうぜんよね、奇跡の王だものね。」
娘は、ウッウッと泣き出した。レックスは、この娘も呪詛のえじきになっていたんじゃないかと考えてしまう。レックスは、ナイフとカギ束を柵のむこう側の床においた。
「おれの知り合いに、ヤバイこと専門の女がいた。よく切れる二本の小刀を自在にあつかえる女だ。でもある時、その女は仕事をやめたんだ。結婚して母親となり、今、その手には小刀ではなくて、よく切れるフルーツナイフがにぎられている。そして、自分の子供のために、フルーツを切ってるんだ。」
娘は、柵の前においてあるナイフを見た。レックスは、
「そのナイフは、フルーツを切るためにつくられたナイフだ。お前もこれで、だれかのためにフルーツを切ればいい。希望はすてるな。」
「希望をすてるなって? ほんと、わかんない。もう、おしまいなのにさ。」
「身勝手すぎる理由で、国王をおとしめようとした罪は、決して許されるものではない。おれが許しても、他は許さないだろう。希望はすてるなと言ったのは、その時まで、誠心誠意、生きろという意味だ。たとえ、残り少なくてもな。」
「どうやって、生きればいいのよ。ほんのわずかな時間しかないじゃない。」
「フルーツを切ればいい。このナイフでな。そして、みんなに食べさせろ。それだけでいいんだよ。」
娘は、ナイフを受け取った。そして、立ち上がり、
「また、刺しにくるわよ。このナイフを返したことを後悔させてやるわ。」
行ってしまった。柵の前には、カギ束だけが残った。シエラは、
「君は甘いよ、ほんと。」
「カギをおいてったのは、逃げろってことだよな。忘れてったんじゃないよな。」
「勝手に想像しろよ。どうせ、ぼくの意見なんてきかないじゃないか。」
「きげんが悪いな。さっきの話きいて、いらついてんだろ。」
シエラは、ムッとした顔をしたまま消えてしまった。レックスは、やれやれと思う。
(さて、明日は、どうしたらいいモンかな。ずっとここにいるってのも退屈だしな。とりあえず、牢屋に入ったことだし。)
レックスは、寝ることにした。そして、早朝、忍び込んできたエッジとともに、牢屋から姿を消した。
シゼレは、軍を二つにわけた。歩兵を中心とする部隊はベルンに、そして足の速い騎兵部隊は、ベルンを迂回し、ナルセラへと向かわせた。
そして、ベルン軍の注意を歩兵へとひきつけ、にらみあいをさせているうちに、騎兵部隊は、十日かそこらでナルセラまで行き、同じころに到着したダリウス軍とともに、首都を陥落させた。
被害は、ほとんど出なかった。それは、ベルン側も同じだった。制圧された宮殿からは、領主親子が引き立てられてくる。大臣は見つからなかった。すぐさま、捜索隊がくまれ、そして、半日もせずに遺体となってもどった。
市内にかくれひそんでいたレックスが、エッジとともに宮殿へとやってきた。レックスは、拘束されている領主親子の縄を解くよう、兵士に指示した。
親子の縄はとかれ、娘はかくし持っていたフルーツナイフで、自分の父親を刺し、ナイフを取り上げられる前に、自分の命も絶ってしまう。
(フルーツを切ろと言ったじゃないか。)
レックスは、親子の遺体を埋葬するよう指示を出し、その場から去った。その後、娘の部屋から、大量のくさったフルーツの切り分けが見つかったとの報告があった。レックスは、少しだけ力をおとす。そして、祈る。
主を失ったゼルム軍は、武器をすて投降した。そして、事の進展を見守っていたナルセラの貴族達も同様の意をあらわす。制圧はすみやかに終わり、クリストン軍は、すぐさま首都とベルンから撤退し、ダリウス軍はそのまま首都に残った。
レックスは、領主親子と大臣が死したのち、他の者達は、いっさい処罰しなかった。すべて、主要三人の罪で終わらせてしまったのである。このことについて、のちに、マーレルでもクリストンでも、手ぬるいと批判があがったが、レックスはいっさい無視した。
そして、以後のゼルムの統治について、ナルセラの要人達と数日にわたり協議した結果、最初の予定通り、シエラが妊娠中の子を新たな領主とし、成人するまでマーレルで養育し、そのかんは、マーレルからの領主代理として知事を派遣することで合意した。
レックスは、ダリウス軍とともにマーレルへと帰ることにした。領主と大臣を失ったゼルムはすでに、逆らう意志など無くなっていたからだ。
海上を行く船で、レックスは海風に、ほおをなでられていた。いつのまにか、真夏は終わろうとしている。マーレルに到着するころには、マーレルで留守番しているシエラのお腹もだいぶ出ているはずだ。
レックスは、ライアスを呼んだ。だが、いない。
(そっか、一足先にもどったんだな。シエラに別れを話すって。おれが、帰るまでいると約束したけど、なんか、そのままいなくなりそうな気がする。別れか。あんがい、あっけないものなんだな。)
レックスは、海上の船から、ベルセア方面にむかって深々と頭をさげた。グラセンに別れの礼を告げたのである。