七、ゼルムの終焉(1)
紅竜の空を飛ぶスピードは速い。馬車だと半月以上かかる道のりを、たったの一時間かそこらの時間で突破してしまう。ただ単に空を飛ぶスピードが速い、と言うよりも、次元を越えて空間を短縮しているよう、感じられる。
午後もおそくナルセラを飛び立ち、夕日がかたむきかける前にベルンへと到着したのも、そのせいだろう。上空から見るベルンは以前とは変わってはいない。ただ一つ、クリストン軍の襲来にそなえている以外は。
レックスは、杖を使い姿をかくし、警戒態勢にあるベルンの町中目がけて、紅竜を降下させた。道には、人の姿はほとんどなかった。たぶん、ろう城にそなえて、必要のない町民は外部へと避難させたのだろう。
多くの店が閉まっているなか、運び屋組合だけは開いていた。軍の物資の輸送をたのまれているのだろう。レックスは、組合の扉をくぐった。組合で待機していた数人の運び屋達の視線が、いっせいに集まった。
「よぉ、久しぶり。元気でやってたか。」
「レックス、お前。」
組合長が、まさかという顔をする。思いもかけぬ再会に、組合長をはじめ、その場にいた者達は、驚きよりもおびえた。レックスは、事務所の奥の組合長室で、出されたお茶をすすった。組合長は、
「国王陛下が、こんなきたない事務所になんの用だ。」
「なんの用って。ゼルムまできたから、よっただけだ。きたついでに、おれとマーブルの組合員の取り消しをたのむわ。それと、フラムって、おれの婚約者の女の子のもだ。わかってると思うが、フラムは偽名で、ほんとの名前はシエラ。」
「やはり、マーブルは死んだのか。」
「ああ、死んだ。おれをかばってな。シエラを連れて、ここを出てから、さんざんバテントスにねらわれた。ダリウスのクラサで、おれをねらった殺し屋にやられたんだよ。」
組合長は、そうかと肩の力をおとした。そして、ベルンは戦場になるのか、とたずねてくる。レックスは、
「ナルセラの出方次第だよ。すなおに領主解任の命にしたがえばよし、ごねればそれなりの方法しかない。なんせ、おれを牢屋にブチこんで、人質にしようとしたくらいだ。まあ、この町の住民は、あらかた避難しているんで、やりやすいと言えば、そうだろうな。」
組合長は、グッとこぶしに力を入れた。
「私をどうしようとしているのだ。私は、お前達親子を売ったんだぞ。」
「娘を人質にとられてたんだろ。おれも親だから、あんたの気持ちはわかる。こわれた馬車を新調してくれたから、それでじゅうぶんだ。」
「お前、変わったな。昔は、父親の後ろにばかりかくれていたのにな。」
「子供が二人、いやもうすぐ三人になる。おれも、三人の子供の父親になったんだ。変わらなきゃ、家族は守れないよ。」
「なぜ、今になって現れた?」
レックスは、笑った。
「だから、きたついでたって。すぐにここから出るよ。軍に見つかったら、うるさいしな。」
「お前一人か?」
「国王が一人で行動したからって、おかしいか。」
「いや。」
組合長は、何か言いたそうだった。レックスは、
「言いたいことがあるなら、さっさと言えよ。今、言わなきゃ、もう二度と言えないぜ。」
「すまん、ほんとに。あの時は、バタバタしていて、あやまることすらできなかった。それと、ベルンを戦場にしないでくれ。たのむ。」
レックスは、イスから立ち上がった。そして、
「クリストンがゼルムを攻めるさいの定石は、まずはベルンからだ。ここをおとさなきゃ、足元をすくわれるからな。だが、今回の出陣の目的は、あくまでも国王救出だ。そして、戦況はその場その場で臨機応変に変わる。時には、定石にしたがう必要もない。判断はあくまでもシゼレだ。約束はできない。」
「どこへ行く?」
「ナルセラにもどらなきゃ。なつかしくて、ついきちまったが、やっぱり、おれが牢屋にブチこまれて人質にならなきゃ、国王救出の大義名分がたたないからな。」
レックスは、組合長室の扉をあけた。組合長は、
「おい、今からナルセラにもどるって、そう言えばお前、どうやってベルンに入った? 必要以外の立ち入りは、!」
組合長が、事務所内を見回したとき、すでにレックスの姿はなかった。そして、不思議なことに、だれもレックスが出て行った姿を見ていない。
組合長は、白昼夢を見たかのように、ぼうぜんと立ちつくしていた。だが、組合長室には、レックスが飲み残したお茶がたしかにある。
(ウワサは、本当だったんだ。奇跡の王、いや、私が知っているレックスは、姿かたちが美しいという以外は、ごくふつうの青年だった。あのレックスは、私が知っているレックスではない。あんな王に逆らうなど、領主はなんという無謀を。もう、何もかもおしまいだ。)
だいぶ暗くなってきている。夜になる前に、さっさとナルセラにつかなくては。シエラは、
「せっかく逃げたのに、わざわざ牢屋に入りに行くなんてね。もうじゅうぶん、大義名分はたっているんだよ。ぼくが、どっちの軍にも知らせに行ったから、両軍は、明日の日の出とともに行動を開始するはずだ。」
「シゼレは、定石通りベルンをねらうつもりか? お前、なにか戦略でもアドバイスしてきたのか。」
シエラは、
「国王救出の依頼だけだ。アドバイスは、いっさいしてない。ベルンは、攻略に時間ばかりかかるのは、シゼレもわかっていることだ。まあ、お手並み拝見といこう。」
レックスは、そうかと言った。そして、薄暗くなるころナルセラに到着し、宮殿の前におりた。とつぜん、あらわれた逃亡者に、近場にいた兵士達が、わらわらと集まってくる。
レックスは杖を使い、兵士達の動きを止めつつ、自分から宮殿内の地下牢へと入ってしまった。
そして、どこへ行ってたと、さんざん取調べを受けたあと、おそめに出された、つつましい夕食を食べ終わり、かたいベッドで退屈な夜をすごしていた。そして夜中、やっぱり、領主の娘が現れる。娘は、牢屋番をすべて追いはらった。
「これ、何かわかる。」
娘は、カギ束をチャラチャラやっていた。レックスは、興味なさそうに、娘に背をむけて寝返りをうった。娘は、
「なんとか言いなさいよ。たすけてあげるって言ってるのよ。」
「そうかい。おれはてっきり夜這いするために、カギ持ってきたとばかり思ってた。」
娘は、カギ束をレックスに投げつけた。背中にあたって痛かったが、わざと無視する。娘は、
「なんでもどってきたのよ。しかも、自分から牢屋に入るなんて、あんた、バッカじゃない。マジ信じられない。」
「おれもマジ信じられん。領主の娘が、牢屋まで男をおそいにくるなんてな。」
娘は、フンとそっぽをむいた。
「悪い? 男なら、プレイボーイで終るでしょうけどもね。でも、あんたみたいな男が、なんで奥さん一人だけなのよ。ううん、あの金髪女は、いったいだれなの? あんたの随行員にもいなかったはずよ。どこから出てきたのよ。」
「金髪女? なんのことだ。夢でも見たんじゃないのか。」
バカにしないで! 娘は小声でどなった。そして、頭をガリガリする。
「もう、マジ信じられない。あんたと話していると、こっちがおかしくなりそう。あんた、イリアからきた呪術者そっくりね。訳のわかんないところがさ。」
レックスは起き、ベッドにすわり、牢の柵越しに娘を見つめた。
「その話、くわしくきかせろよ。イリアの呪術者って、どんな男なんだ?」
娘は、レックスを見返した。
「ききたい? けど、タダではいやよ。キスくらいしてよ。キスでガマンしてあげるから。」
レックスは、ムカッときたが、こらえた。そして、柵ごしに娘とキスしようと顔をよせるが、キスはせず、娘の右手をつかんだ。フルーツナイフが、にぎられていた。
「おい、おれをやったからって、状況は変わらないぜ。救出が復讐になるだけだ。ナルセラじゅう、火の海にするつもりかよ。」
レックスは、フルーツナイフをもぎとり、娘をつきとばした。
(シエラが教えてくれなかったら、あぶなかった。カギもってきたのも、このためかよ。おれが取りに近づいた時点で、いや、ひろってカギをあけようとした瞬間に、こわ。)
娘は、起き上がり、両手で石の床をたたく。
「もう! あんたって人は、どうしてこう人をコケにするのよ! 誘惑にも乗らない、おとなしく殺されもしない、ほんとマジで腹がたつ!」
「むちゃくちゃな批判するな。どこまでも身勝手な女だな、お前。」
娘は、キッとにらんだ。
「どうせ、死刑でしょ。国王様を呪ったんだもんね。それに、呪詛しようと言い出したのは、私なのよ。」
レックスは、びっくりした。