六、領主とその娘、大臣(1)
真夏の海は気持ちがいい。真っ青な空とそれよりも濃い潮の色。白い波。ざざーっと波の音が心地よく耳をなでる。レックスは、ゼルムへはカイルを経由する陸路ではなく海路をとった。
甲板で気持ちよく風にふかれていると、ライアスが現れた。
「ロイドを将軍としたダリウス軍が、港に集結した。軍は、このあと港を出発し、カイルの軍港で、いつでもゼルムに入れるよう待機させておく。」
「シゼレの方は、どうなっている。」
「ゼルムの国境沿いにある、中洲の城ですでに待機中だ。いつでも、OKだってさ。」
レックスは、笑った。
「世話になった土地にあいさつに行く程度の訪問だと、ゼルム側にはつたえておいたけどもな。でも、ダリウス軍とクリストン軍が、北と南から、にらみをきかせてる訪問だし、ゼルムは、いったいどんな歓迎を用意してくれるんだろうな。」
「この船が到着予定の港には、ゼルム軍が集結しているよ。ナルセラまでの護衛のためにね。街道では、まだ盗賊被害が多いらしいよ。」
「盗賊か、あいからわず出てんのかよ。ほんと、なつかしいな。父さんといっしょに、盗賊をさけつつ、ゼルム中を旅してたころを思い出すよ。主だった街道は、あらかた踏破したもんな。
なあ、ライアス。おれ、ほんとに運び屋だったんだよな。まだ、十年もたってないのに、もう何十年も時間が流れたような気がしている。ずいぶん、遠くまできたんだな。」
「そうだね。けど、ぼくには、あっという間だったよ。ゼルムのリクセンで、君に会ったときが、まるで昨日のように思える。」
レックスは、ライアスを見つめた。
「お前、二十六のままだよな。あの時からずっと。おれも来年、お前と同じ歳になるんだよ。お前と同じように、おれもこの歳で死んだら、きっと後悔だけが残ってしまうだろうな。あの時のお前の気持ち、わかってやれなくてすまなかった。」
「どうしてあやまるの? ワガママ言って、強引についてきたのは、ぼくなのに。」
「お前とこうしていることができて、うれしいからだよ。あの時はわからなかったけど、国王って、根本的には一人なんだよ。シエラがいてくれるけど、一人だ。でも、おれには、お前がいる。だから、一人じゃない。」
「何が言いたいんだ。」
「変なこと、考えるなってことだ。」
そして、レックスは、ゼルムへと到着した。国王陛下の歓迎兼護衛、と言うよりは、ゼルム軍の行軍と表現してもかまわない大行列に守られ?つつ、レックスは、最初の予定よりもかなりおくれて、ナルセラに到着した。
ゼルム領主は、人のよさそうな五十過ぎの男だった。そして、その娘は一見、しとやかそうで上品に見える。二人に後ろにひかえて陰険な表情をしているのは、たぶん例の大臣だろう。
そして、国王が到着次第、宮殿で催された歓迎パーティが終わり、レックスはつかれた体を引きずりつつ、用意された寝室へとむかう。やっと、一人になれたとベッドに腰をおろしたとたん、レックスは、目玉が飛び出るほど驚いてしまった。
ベッドに女が寝ていた。領主の娘だ。そのまま、レックスにだきつき、口紅たっぷりの口をおしつけてくる。レックスは、冗談じゃないと娘をつきとばし、寝室から逃げた。
そして、領主の私室にかけこみ、娘をなんとかしろとどなる。領主は青くなった。
「も、申し訳ございません。娘には、くれぐれも不らちな行為はするなと申し付けていましたが、まさか、御到着してすぐに寝室に忍び込んでいるとは。すぐに別の寝室を御用意いたします。ここで、今しばらくのお待ちを。」
領主は、すっとんでいった。レックスは、適当にあったイスに腰をおろす。ライアスは、
「すぐに逃げてよかったよ。少しでもタイミングがずれてたら、既成事実をでっちあげられるところだった。こういうのって、男の方が不利だから。」
レックスは、ライアスをにらんだ。
「お前、知ってたんだろ。なぜ、最初から教えてくれない。」
ライアスは、
「シエラに知られたら、絶対くることができなかったじゃないか。彼女、かなりの遊び人だよ。とにかく、寝室に入る時は警戒すること。寝る前には、扉のカギをたしかめること。それしかない。」
レックスは、頭が痛くなる。
「おれがゼルムにいたころ、領主の娘は、深層の令嬢でおしとやかな、お姫様だってきいてたんだ。なのに、なにをまちがえば、寝室で男を待つような女に育つんだ。」
「さあね。女って、けっこう変わるからさ。シエラ、見てたらわかるだろ。昔は、戦争ってきいただけでも、おびえていたのに、今じゃあ、自分から軍備をととのえてんだよ。」
「お前の影響じゃないのか。」
「ぼくの影響だけじゃあないよ。守るものがあるからだよ。それを守るために強くなったんだよ。」
「守るものね。子供産んでから強くなったもんな。まあいい。国王の女房は、強い分には文句はないからな。」
ライアスは、笑った。
「君もずいぶん変わったよ。そういう言葉が出るだけ、君は変わった。君はもうすぐ年齢的にも、ぼくを追い越してしまう。そして、どんどん大きくなっていく。ぼくは、二十六のまま、時間がとまってるから。」
「また、そんなことを言う。おれ達のそばにいるのが、いやになったのか。それとも、むこうに帰りたくなったのか。」
「ゼルムの件が片付いたら、お別れだよ。これが君との最後の旅。ごめんね、ずっといっしょにいるって約束だったけど、君達には、ぼくはもう必要ないから。」
レックスは、ライアスの手をとった。レックスはまた、ライアスの手だけ実体化させたようだ。
「お前が好きだと言う理由だけでは、お前が逝くのを止められないのか?」
「もう、君達に教えることは何もないよ。ここから先は、君達夫婦の力で乗り越えていかなきゃならない。ぼくは、二十六から先のことは何もわからない。」
レックスは、ライアスをだきしめる。
「ただ、そばにいてほしい。それだけじゃあ、だめなのか。いてくれるだけでいいんだよ。そばで見守っていてほしい。」
「シエラがいるじゃないか。そのための夫婦なんだろ。」
「お前の仕事は、おれの補佐だったんだろ。」
ライアスは、レックスの流れる金色の髪をなでた。
「それは、肉体を持って生きていればの話。君達の好意に甘えて、ここまでズルズルきたけど、けじめはつけなきゃね。むこうに帰っても、会えないわけじゃない。必要があったら出てくるから。これまでのように、君かシエラの体に、ずっといることは、やめようとしているだけだ。」
「必要があったらか。いつもいっしょじゃないんだな。やっぱりいやだ。」
ライアスは、レックスからはなれた。
「君には仲間がいるだろう。新しい絆がたくさんできた。そして、これからもできてくる。ぼくは過去なんだよ。君の未来にいては、いけないんだ。君は、ほんとに立派になった。ぼくの大切な王子様から、尊敬する主へと成長したんだよ。ぼくは、うれしいんだ。」
「愛してるって言ってもだめか。愛してるから、そばにいてほしいとたのんでも。」
「愛はしばりじゃない。ぼくは、君達を愛しているから、はなれようとしている。ぼくを愛しているなら逝かせてほしい。ここにいても、ぼくにはもう、なすべきことはないし、ぼく自身の魂としての成長もない。わかってほしい。」
レックスは力をおとした。どうたのんでも、ライアスの決意はかたいようだ。レックスは、
「まだ、いっしょなんだよな。この旅が終るまで、いっしょなんだよな。お前ののぞみを言ってくれないか。お前が、おれにしてほしいと思うことを言ってくれ。お前ののぞみなら、なんだってかなえてやる。お前は、おれ達のために、なんでもしてくれた。だから、このまま何もしないで、お別れなんてしたくない。」
「のぞみなんて、もうじゅうぶんのぞみは、かなったよ。でもどうしても言うのならば、シエラでいていいかな。シエラとして生きたいって前にねがったから。それを最後の思い出としよう。」
「そんなことでいいんならな。お前ののぞむシエラになればいい。」
「じゃあ、クリストンにいた時の、夫婦をしていたシエラでいいね。今のぼくとたいして変わらない。一番、思い出深いシエラだから、そのシエラがいい。」
ライアスの姿が、クリストンにいた当時のシエラに変わった。まだ少女の域を出たばかりの、十九歳のあどけなさの残るシエラだ。
レックスは、
「お、いいね。その姿。初々しくて、いかにも若妻ってふんいきが。なんだか、こっちが、おじさんになった気分だ。」
「まだ、二十五だよ。おじさんは、三十過ぎてからでいいんだよ。あ、そうだ。明日あたりエッジがくるはずだから、窓のカギだけは、はずしておいたほうがいいよ。でなきゃ、こじあけるから。」
「窓かよ。いつになったら、扉からやってくるんだ、あいつは。」
「さあね。長い付き合いだけど、いまだに、よくわからないとこがあるんだ。ああ見えても繊細なとこもあるしさ。」
「繊細ね。まあ、ミランダと子供に頭があがらないとこを見ると、そうだろうな。ティムのことも、ずいぶん気にかけているしな。ひょっとしてあいつ、性格によらず、さびしがり屋なんじゃないのか。」
「かもしれない。実質、親に捨てられているしね。ティムだけが、心の支えだった時期もあったしね。だから、ぼくと気があったんだよ。おたがい、似た者同士だものね。」
レックスは、ため息をついた。
「おれの親父、あれだけひどい親もいないと、生きているあいだはそう思い込んでいた。女つくるわ、酒ぐせ悪いわ、ケンカはするわ、金遣いも荒いし、おまけにしょっちゅう、ぶんなぐられてた。
けど、死んで、どれだけ愛され、大切にされてたかわかったんだ。自分の子ができてからは、なおさら、父さんの気持ちがわかるようになった。もっと、大事にしてやればよかったよ。おれを、どんなことがあっても捨てなかったしさ。」
シエラは、
「この前、サラサに行った時、ドーリア公と話をしてきたんだ。シゼレが、どうしてもと言うから、少しだけね。ほんのちょっぴりだけど、気持ちが楽になった。」
「そうか。」
「次の産まれてくる子、ぼくに名前をつけさせてよ。この旅が終るまでに考えておくから。」
「じゃ、たのむよ。お前の子でもあるんだしな。お前のこと、その子にもちゃんと話すからな。」
「うん、ありがと。」
扉が開き、領主が娘とともに顔を出した。寝室の用意ができたようだ。娘は、レックスを値踏みするよう、じろじろと見ている。そして、
「ねぇ、お父様、どうして、陛下がゼルムにいるって、わからなかったの? これだけの美形だったら、当然目立つでしょうに。」
レックスは、
「おい、おれがいると知ったら、どうするつもりだったんだよ。宿におそいにくるつもりだったのか?」
「礼儀のほうもウワサ通りね。歓迎パーティじゃ見せなかった、裏の顔ってとこかしら。まあいいわ。でも、さっきはよくも恥をかかせてくれたわね。女が、わざわざ待っていたのに、逃げるなんて卑怯よ。」
「なにが卑怯だ。しっかし、お前もズケズケよく言う女だな。相手がだれであれ、男である以上、関係ないってことか。」
女は、フンと高慢そうに鼻をならした。そして、レックスを指さし、
「関係あるわよ。私を側室にしてちょうだい。側室でガマンしてあげるから。あんなチンケなクリストン女よりも、ずっといいはずよ。いい男には、いい女と相場が決まってるじゃない。」
レックスは、あきれた。
「くだらない。おれは、シエラ一人で満足してるんだよ。だから、言っておく。二度と、おれは手を出すな。おれに変なマネしようとしたら、その顔を遠慮なくなぐってやる。顔面骨折したって責任は持たないからな。これは忠告だ。」
領主は青くなった。娘にむかい、謝罪するよう言う。娘は、
「お父様はだまっていて。これは、私と陛下の問題なんだから。何よ、ちょっとばかり英雄になったからって、つけ上がりすぎよ。なぐれるものなら、なぐってごらんなさい。ほんとになぐったら、一生、軽蔑してやるから。」
レックスは、マジなぐりたくなった。
「お前に軽蔑されたって、どうってことないんだよ。何せ、おれは国王サマだからな。おれはつかれているから、もう寝る。寝室はどこだ。さっきの部屋のとなり? シーツに口紅はついてないんだろうな。カギもこわれてないよな。案内はいい。おれ一人で行く。そのメス犬は首輪でもつけて、そこらの柱にでもつないでおけ。うるさくてかなわん。」
「地獄の犬にでも食われてしまえ! ○×▼□!」
きくにたえない、罵詈雑言が背後から響いてくる。さすがに、ゲンナリしてしまう。ほんとに、どこをどうまちがえば、ああなるんだろう。
シエラは、
「救いようがないだろ。領主は領主で、娘の顔色ばかりうかがっているしね。大臣に対してもおんなじだ。あれじゃあ、いいようにあつかわれてしまうよ。バテントスに目をつけられても当然だ。」
「明日の午後、大臣が面会にくると予定だったな。大臣の思考を読んでくれ。」
「わかった。」