五、再びゼルムへ(1)
レックスは、山の離宮から帰りしだい仕事に復帰した。まだ、本調子ではなくつかれも出やすかったが、結核が完治したと証明するためにも、仕事の再開は必要だった。
最初は、たった半年かそこらで結核が治るのかと疑心暗鬼だった周囲も、国王が何事もなく仕事をこなし、妻や子供達とふれあう姿を見て、じょじょに完治した事実を受け入れていく。
そして、夏がくるころには、国王が結核をわずらっていた事実を、みんな忘れてしまうほど、レックスは健康体をとりもどしていた。
レックスは、宮殿の中庭でティム相手にトレーニングにはげんでいた。健康を維持するための体力こそ、第一と考えたからだ。
レックスは、プリシラとの進展具合をティムにたずねた。
ティムは、
「秋になったら、式をあげる予定なんだよ。プリシラの両親にも会ってきたしさ。今、結婚後に住む場所をさがしてんだ。」
「お前もここを出て行くのか。なーんか、さみしくなるな。ダイスもジョゼと結婚して、出て行ったしさ。」
「君には、あたらしい家族が増えるじゃないか。三ヵ月になるんだろ。」
レックスは、手をとめた。そして、ニンマリしてしまう。シエラは妊娠中だ。待望の三人目の子供だ。ティムは、レックスをつっついた。
「山の離宮から帰って、すぐにできるなんてね。ぼくも早く結婚して、子供ほしいな。」
レックスは、
「お前にもすぐにできるよ。秋まで、もうすぐだしな。おれ、毎朝、シエラのお腹にキスしてんだ。産まれてくる子供に、愛してるよーって。」
「エルは、金髪で君そっくりだろ。次は、シエラ様に似るんじゃない。」
「だったら、栗色のかわいい女の子だ。きっと美人になるぞ。」
「また、金髪だったら。」
「だったら、ライアスに似るよう期待する。おれのコピーは、エル一人でじゅうぶんだしな。ライアスに似るんだったら、男でも女でも、必ず神童だ。」
「神童ね。なんでそこまでこだわるんだ。かわいければ、それでいいじゃないか。よっぽど劣等感強いんだね。」
「うっさい。これ以上、頭の悪さが似てたまっか! 前の女王がバカだったから、おれも頭悪いし、子供にまで受けつがせたくないんだよ。」
「わかったよ、そんなにムキにならなくてもいいよ。でも、どっちがいいんだい。男の子、女の子。ぼくだったら、女の子がいいな。ルナちゃん、かわいいしさ。」
レックスは、ニヤッと笑った。
「とうぜん、女。将来、ルナともう一人の娘で両手に華なんてやってみたい。女の子って、あれだけかわいいなんて思いもしなかったよ。シエラが、父親にかわいがられてた理由が、よーくわかった。
ところで、話、変わるけど、お前が訓練している連中、どうなった? シエラが、そろそろ組織の立ち上げを考えてるんだ。何人くらい訓練している。」
ティムは、七十人くらいとこたえた。レックスは、びっくりした。ティムは、
「君が結核したろ。それから宮殿は、変な健康ブームになっちゃってさ。体、きたえるのにちょうどいいってことで、今じゃあ、多人数参加型の健康クラブになっちゃってるんだ。訓練というよりも体操に近くて、なんだか最初の目的から、ずいぶんずれちゃったんだよ。」
「なんだよ、それ。じゃまるで、役に立たないじゃないか。」
「だいじょうぶ。ほんとに使える人は、すでにクラブやめてもらってるから。その人達には、宮殿の通常業務が終わり次第、ぼくが特別プログラムを組んで指導してる。人数でいえば、十人程度だけど、どれもそれなりに使えるはずだ。この前、兄貴がその中から、二人ばかり、ためしに連れてったんだ。それで、OKもらった。」
レックスは、ちょっと考えた。
「ティム、近衛隊長、クビだ。その話、シエラにもってけ。きっと、新しいポストが待ってるぞ。」
「ほんと? ひょっとして、そこの責任者ってこと。サイモン様みたいに? やった。こういうのって、片手間にできないんだよね。組織を立ち上げるのなら、そっちうつって、本格的にやろうと考えてたんだよ。」
それでもって夜中、シエラは居住区のトイレで、なかなか止まらない、つわりに苦しんでいた。心配したレックスが起きだしてきて、シエラの背中をなでる。
「前より、ひどいんじゃないか。エルの時は、もう少し軽かったと思う。」
「つわりって、個人差があるんだよね。しかも、妊娠するたびにちがったりするしさ。エルの時は、つわりのほとんどは、兄様が引き受けてくれてたし、流産した時のひどいつわりも経験してない、うう、気持ちわる。また、吐きそう。」
「腹の中の子、ひょっとして、かなりの暴れん坊なんじゃないのか。エルは、おとなしい子だしな。どんな子か、わかるか?」
「よく、わかんない。男の子だってことくらいしか。」
レックスは、ガッカリした。両手に華の夢が消え去った。
「まだ、吐きそうか。あんまりひどいんだったら、仕事休めよ。おれ一人でも、なんとかなるからさ。」
「妊娠は病気じゃないのよ。これくらい、がんばれる。ゼルムの動きがあやしい以上、休んでなんかいられないわ。」
シエラが流した呪詛のウワサは、すでにエイシア中に充満していた。国王が復帰した今となっては、過去のウワサでしかなくなっているが、ゼルムの領主には、それなりの効果があったようで、ゼルムとの関係が、ぎくしゃくし始めていた。
「邪教集団つぶすとき、シゼレ兄様から応援かりたでしょ。ライアス兄様は、ほんとは、かりたくなかったようだけど、あの時はまだ、エッジみたいな仕事ができる人って、マーレルには、ほとんどいなかったしね。
そのことで、ゼルム側は、壊滅させた邪教集団の関係者みたいな人あつめて証言とって、クリストンの陰謀とか侵略行為とか、シゼレ兄様にごちゃごちゃ言ってきてんのよ。
マーレルが主導したのは、わかっているはずだけど、相手が国王だから、こっちには面とむかって言ってこないのよね。シゼレ兄様、今のところは、知らぬ存ぜぬを決め込んでるけど、クリストン国内からも、ゼルムからの非難に対して、声があがり始めてんの。
もともと、仲が悪い隣国同士だし、これ以上の関係悪化は、二国間の戦争に発展しかねないしね。その前に、こっちとしても、なんらかの手をうなければならないしさ。」
「軍備は進めてんだろ。秘密裏に。」
シエラは、うなずいた。
「私、ナルセラに行くわ。妊娠中だけど、ムリしなければなんとかなる。直接乗り込んで、領主に事の真偽をたしかめてみる。」
レックスは、びっくりした。
「ダメ、流産したらどうすんだ。第一、ナルセラは遠すぎるし、追いつめられた領主によって、人質にとられたらどうすんだ。」
「戦争の大義名分にはなるでしょ。どのみち、ゼルム領主の追放は決まってることだし、それに、この問題に、これ以上時間をかけられないしね。うっぷ。」
シエラは、少し吐いた。レックスは、
「ゼルムまでの道中、吐き続けるつもりかよ。随行員が、まいっちまう。とにかくダメだ。そう言えば、ライアスはどうした。ここんところ、姿が見えないがな。」
「剣をもたせて、エッジとともにゼルムにいるわ。例の呪術、イリア王国に伝わる古い呪術だってわかったの。」
「イリア王国? なんでそんなとこから。イリアと直接接点があるのは、現時点では、ダリウスだけだ。」
シエラは、持ってきた水筒でうがいをした。そして、タオルで口をふく。
「ふーっ。少しは楽になったみたい。寝室もどろう。トイレでこんな話もなんだしさ。」
二人は、寝室にもどった。シエラは、
「呪術は、たしかにイリアのものよ。この前きた、イリアの使節の中に学者さんがいてね。例の呪詛の話をきいて、呪術具を見たいと言ったから、見てもらったんだ。それで、わかったの。でも、この呪術は二百年くらい前に、イリアからなくなったとも言ってたわ。
その呪術は、ある一族だけが使ってたものらしいのよ。あまりにも強力な呪術だったんで、その一族以外には門外不出の秘術だったそうよ。それで、その呪術を危険視した当時の国王によって、その一族はイリアから追い出されてしまったらしいの。
そのあと、一族は、どこに行ったのかも、現時点で子孫が残っているのかどうかも、わからないみたい。イリアにも、その一族が使った呪術具の一部が残っているだけで、歴史の記録からは、その存在自体が消されているそうよ。
学者さん、なんでエイシアなんかに、そんな呪術が流れてきたのか不思議がってたわ。呪術を使った邪教集団は、首謀者もふくめて、みんなエイシア人だったしね。」
レックスは、首をかしげた。
「ライアスは、そのことを調査してんのか。いつごろ帰ってくる?」
「一日に一度、時間はランダムだけど、帰ってきてるわ。報告をしたあと、すぐにもどっちゃうけどもね。」
「なんで、おれにしない?」
「また、ナンクセつけられると思ってんじゃない。この前同様、ずっとゼルムにいるしね。もう寝よ。つわりって、体力けずっちゃうんだよね。お休み。」
シエラは、あくびをしたあと眠ってしまった。レックスは、頭をゴシゴシかく。
(呪術で、おかしくなってたとは言え、ずいぶんひどいことを言ったし、したな。結核になって、あいつにもシエラにも、あやまらずじまいになっちまった。)
レックスは、寝てしまった。それで翌日、二人がいっしょに国王の執務室で昼食をとっている最中、ライアスはもどってきた。
「呪詛が行われる数ヵ月前、イリアの使者と名乗る者が、ゼルムに極秘裏に接触してきたらしい。その使者が、どうやら領主をそそのかし、呪詛を使う者をナルセラ宮殿に送り込んだようだ。たぶん、イリアから追放された一族の末裔だと思う。」
二人は、食事の手をとめた。レックスは、
「そいつが、もとからあった黒魔術の集団を使って、大がかりな呪詛を行ったのか。」
「たぶん、そうだと思う。」
レックスは、シエラの顔を見た。
「呪詛の目的は、おれとシエラを仲たがいさせて、そのあと、自分の娘をおれの嫁に送り込む、だったろ。今の法王の失脚もねらってたはずだから、おれ達への呪詛が成功したら、今度は法王をねらうつもりだったんじゃないか。ライアス、どう思う。」
「シエラが燃えるような恋をしたいと思って、君以外の男性と関係もって離婚ざたになれば、養子にした法王の立場がなくなる。おまけに、クリストンとマーレルの関係も悪くなるし、あとは適当にゆさぶりでもかけて退位させればいい。
現法王が法王になれたのは、シゼレの師匠で、しかも、君がシエラと結婚してバテントスに勝ったからなんだよ。政治的必須というやつだ。宗教組織とは言え、エイシアの国教となり歴史をかさねていく過程で、法王選出も政治的要素からは免れなくなってくる。
君は、クリストンと姻戚関係にあるし、カイルとは、ルナとロイドだ。現時点で、ゼルムだけが、君とのつながりから抜け落ちている。君が、ゼルムと深い関係があるにもかかわらず、ね。」
「だからって、呪詛なんて姑息な手段を使うなんて反則だぞ。」
「ああ、たしかに許せない。だが、呪詛は武力とちがって証拠が出にくい。失敗しても成功しても、知らぬ存ぜぬで終りだ。現に証拠がなくて、どんづまりだしさ。」
シエラは、
「ねぇ、兄様。今の法王様が選ばれる前に、たしか、対立候補として法王の地位をねらってた人がいたわよね。」
「ああ、いた。ゼルムの大臣の親戚筋だったと思う。現法王が失脚すれば、その男が次の法王だろうね。シエラ、君はその男が呪詛にかかわっていると考えているのか。」
シエラは、うなずいた。
「だって、負けたんなら、うらんでいるはずでしょ。うらまなくても、くやしい思いしてるだろうしさ。」
「ぼくもそう考えて、ベルセアにも行ってきたけど、はっきりしない。だが、その男が例の邪教集団の前身、黒魔術同好会を調査していたのはたしかだ。ぼくの推測では、領主は、イリアの使者から紹介された一族の末裔を、その男から教えてもらった邪教集団に接触させ、そこで呪詛を邪教集団に伝授し、呪詛が実行された、と考えている。」
レックスは、
「邪教集団は、領主から、たんまり金をもらったのか。もらったんだろうな。」
「お金をもらったのは事実だろう。でなければ、あれだけ大がかりにはできない。」
シエラは、
「イリアの使者って人、最初から私達をねらうつもりで、ゼルムの領主をそそのかしたと、兄様は考えているの?」
「その可能性は高い。でも、ゼルムにきたのはイリアじゃなくて、たぶん、バテントスだ。だますために、イリア人のふりをしてたんだよ。鎖国状態のエイシア人にとって、異国人の見分けがつきにくいのを利用されたんだ。」
レックスとシエラは、顔を見合わせた。