四、山の離宮(2)
レックスは、エッジが出て行ったあと、顔半分をフカフカのフトンにうずめた。山は冷える。暖炉に火が赤々と燃えているのに、シンシンと冷えてくる。
(さむいな。もう少し毛布をたしてもらうか。あーあ、シエラに会いたい。エルとルナに会いたい。なんか、たまんなくなってきた。)
フワリとシエラが現れ、そばに寝ていた。実体化しているようで、レックスはそっとだきしめる。シエラが、くすぐったく胸に顔をおしつけてきた。
「ね、あったかい? こうしていると、あったかいでしょ。」
「あったかいより安心する。なあ、シエラ。毎日、こうして、おれをなぐさめてくれたり、結核を治癒させてくれたり、お前も大変なんじゃないのか。お前もみんなに会いたいんだろ。」
シエラは、ほほえんだ。
「ずっといっしょだって言ったでしょ。一人にはさせないって。ダイスさんもジョゼさんもいてくれるけど、こうして、あなたとすごせるのは私しかいないもの。」
「ほんとに、おれの理想のシエラだな。お前が前にやっていたシエラはどうした。ライアスの女版のさ。」
「そっちがよかったら、すぐにでも変化するわ。自由自在だって、わかってるでしょ。」
「ほんとのお前は、どういう存在なんだ。こうして考えてみると、ライアスもお前という存在の、一部分にしかすぎないような気がする。」
「かもね。私は、自分を見た目だけでなく、いろんな性質をもつ存在へと変化させられるもの。今の私は、あなたの中の理想を反映して、自分の中につくった性質なの。現実のシエラとは似ているようで、少し違うのよ。」
「なんか、むずかしい。ようするに、理想のシエラを演じてるってことかよ。」
「演じては、いないんだけもね。これも、私なんだしね。まあ、いろんなモノになれるのが私なんだよね。もう、肉体としてのしばりがないから自由自在にね。それよりも、顔色、よくないよ。エッジと長話して、つかれたんでしょ。」
「じゃ、キスしてくれ。お休みのキス。」
シエラは、キスをした。そして、レックスのくるまり眠ってしまう。レックスもまもなく寝た。レックスが寝ると同時にシエラは消え、かわりにライアスが現れる。そして、離宮の中をゆっくりと歩き回った。
ダイスが、ジョゼと廊下で話をしていた。
「ジョゼ、すまいな。こんな山の中まで、つきあわせてしまって。」
「私がきたくてきたのよ。こういう時こそ、お役にたたなくてはね。」
「もうすぐ、結婚する約束だったな。でも、もうしばらく待ってくれないか。レックスは必ず良くなる。それまで待っていてほしい。」
ジョゼがほほえみ、ダイスにキスをした。
「やさしいのね、あなたは。陛下もあなたも、つい最近まで、おたがいの存在すら知らなかったのに、ずっといっしょに育ってきた兄弟のように思いあっている。不思議よね。」
「そうだな。弟に会いたいと思いつつも、おれ達母子から父親をうばった女の息子だと憎んでもいた。やさしいのは弟の方だ。身分違いもいいとこのおれを大事にしてくれるしな。」
「お父様と、あなたはそっくりなんでしょ。陛下は、お父様をあなたにかさねていらっしゃるんじゃない。あなたの中に、お父様を見ているんだわ。」
ダイスは、自分の顔をさわった。
「父親の肖像画を見て、似てると感じるのは髪の色だけだ。あとは、よくわからん。まあ、あいつがそう思うなら似てるんだろうな。おれを救ってくれたのは弟だし、あいつが望むなら父親でもかまわないよ。」
「だから、やさしいと言ったのよ。ね、ダイス。ずっとずっと、陛下のおそばにいましょう。私、マーレルへきて本当によかったと思ってる。今、すごく幸せなの。あなたもでしょ、ダイス。」
「ああ、そうだな、ジョゼ。」
ライアスは、ほほえみつつ、二人のあいだをそっとすりぬけた。
それから何日かすぎた晩、レックスは真夜中に目がさめた。トイレだ。しかたなしに暖かいベッドからはいでる。月明かりのさす廊下は、シンと冷えていた。
(うう、さむ。もう本格的な冬だな。この離宮のトイレ、おれの寝室からはなれてるんだよな。明日から、寝る前に寝室に携帯トイレでも用意させとこう。)
何かが、廊下のすみで、ボーッと光っている。四つの不気味に光る目が、こっちをにらんでいた。レックスは目をこすった。とたん、腰をぬかす。二つ首がある化け犬が、廊下にいたからだ。
ライアスが飛び出してきて、あっさりと追いはらった。そして、
「病人がいると、ああいうのが、よくよってくるんだ。夜になると、特にひどくなるから離宮に結界を張るんだけど、結界やぶって入ってくるなんて、かなりの化け犬だよ。立てるか。」
ライアスは、レックスを立たせた。
「し、心臓に悪い。ああいうの見たの、マジで久しぶりだから。トイレ、行きたい。びっくりして、今にも、もらしそう。ライアス、怖いからついてきて。あ、足、ふるえてる。」
それで、寝室にもどってきて、ライアスは消えようとした。レックスは、
「目がさめちまって眠れそうにもない。少し話をしよう。あ、そのままでいい。シエラじゃなくて、お前と話したい。お前とも久しぶりだから。」
ライアスは、ベッドに腰をおろした。そして、ほほえみながら、レックスを見つめる。レックスは、
「ほんとにきれいだな、お前。なんて言うのかな。透き通っている。ほんとに透き通った、魂だけがもつ澄んだ美しさだ。」
「それ、口説いているの? ぼくを。」
「かもな。天使に恋をした気分だ。見ているだけでいい、そこにいるだけでいい、そんな感じ。おれがなぜ、シエラ以外の女に興味がないのか、やっとわかった。」
「わかったも何も、シエラにベタ惚れしてるだけじゃないのか。ぼくが知る限りにおいても、シエラ以上の女性はいないよ。ひいき目に見なくてもね。」
レックスは、首をふった。
「お前をずっと見てきたからだ。天使の美しさを知ってるからなんだよ。そして、その天使の美しさを魂に秘めているのは、おれのまわりでは、シエラだけだ。」
ライアスは、笑った。
「純粋な子供だね、君は。そこのとこだけ、まだ大人になりきっていない。だから、呪詛の効果がうすれたんだな。魂としての力もあるけど、君があまりにも純粋すぎたから。」
「いいんだよ。そこだけ、子供のままでもな。ある意味、大人になってはいけない部分も必要なんだよ。それを無くしたら、おれがおれで無くなってしまうかもしれない。」
レックスは、ライアスのほおをなでた。実体化はしていないので、輪郭にそって手を動かしただけだ。
「ずっと、そばにいてほしい。シエラの中でも、おれと中でも、どちらでもかまわない。いてほしい。おれは、お前が消えてしまいそうで、すごく不安なんだ。」
このごろのライアスは、はかない幻のようだ。いつなんどき、消えてしまってもおかしくはない。
「どこにも行かないよ。君のそばにずっといるって約束したしね。それに、ぼくは、エルの母親でもあるから、エルの力にもなりたいんだ。だから、どこにも行かない。」
そして翌日、レックスは、ひどいカゼをひいた。高熱を出し、ウンウン苦しんでいると、朝から行方不明だったライアスがもどってきた。
「今まで、どこに行ってたんだ。どこにも行かないって、約束したじゃないか。お前が消えたかと思って、すんごい不安だったんだぞ。熱を下げてくれよ。」
「除霊してたんだよ。夕べ、離宮にあんなバケモノが侵入してきたから、この近辺一帯を掃除して、大きな結界を張ってきたんだ。さすがにつかれた。」
「早く下げてくれ。ただでさえも結核わずらってるのに、カゼはよけいだ。」
ライアスは、レックスの赤い顔を見つめた。そして、
「ただのカゼじゃないね。冬場に流行する、タチの悪いカゼだ。今、マーレル市内で、そういうカゼが、はやってるみたいなんだ。ここの警備兵が一人、そのカゼひいたらしく、おとといから熱が下がらないでいるからね。警備兵から、うつったんじゃない? その警備兵、数日前に市内に買い物に出てたから。」
「とにかく下げてくれ。苦しくてたまらん。」
ライアスは、少し考えた。
「このままにしておく。むかーしさ、サイモンの叔父さんのおじいさんが、君と同じ結核にかかっている最中、そういうカゼをひいたんだよ。四日も五日も熱が下がらなくて、ウンウンうなってたら、カゼが治ると同時に結核も良くなったって、きいたことある。まさかと思ってたけど、モノはためしだ、下げないでおく。」
「おれを実験台にするつもりか。そのサイモンのおじいさんの話が、ホントかウソか確かめるつもりだろ。逆に悪化したらどうすんだ。」
「サイモンの叔父さんのおじいさん。やばいと思ったら熱を下げるよ。実験台はともかくとして、君は奇跡を呼ぶ王だ。ためしてみてソンはない。」
レックスは頭にきた。フラフラの状態でベッドから立ち上がる。そして、ライアスの前にきてどなった。
「お前が、勝手に奇跡の王にしちまったんだろうが。お前がした、ニキスの戦いでの三文芝居のせいで、どんだけ苦労したと思ってんだよ。」
どなったんで、目まいがした。レックスは、ヘナヘナとその場にくずれてしまう。ライアスが肩をかし、ベッドに寝かした。そして、
「必ず、よくなるよ。さっきの話は、おじいさんだけじゃない。他にも難病が、カゼで治ったって、きいたことがある。治ったのは、全員が全員でないけど、君が今こうして、カゼをひいたことが何かの奇跡ではないかと、ぼくは感じているんだ。」
そして、レックスのひたいにキスをした。
「いい子でね。ぼくは少し休むから。」
ライアスは消えた。レックスは、なんだよと、ふてくされてしまう。
(夕べ、天使だとほめて、ソンした。何が奇跡だよ、ったく。頭が痛いし、体中、ギシギシする。結核にカゼに二重苦だ。いや、実験台にされたから、三重苦かよ。おまけに、ガキあつかいされるし。)
まあ、インフルエンザの高熱の奇跡があったかどうか知らないが、年が明けるころには、咳もおさまり、痰も出なくなった。ずっと、続いていた微熱からも解放され、体調も次第によくなっていく。
それでもって、春まだ浅い日、レックスは家族のもとへと帰ってきた。たった半年で、死病を克服してしまったのである。