三、ドーリア公の娘(2)
医者がただちによばれた。そして、宮殿は閉鎖され、従業員すべてが、その日のうちに検査された。
現時点では、結核患者は国王一人だけだった。心配されていたシエラも、結核の症状は皆無で、子供達も平気だった。が、居住区は完全に閉鎖され、シエラも子供達も、客室へと移らざるをえなかった。
プリシラが、シエラにずっとつきそっていた。シエラは、
「ごめん。私がレックスの体調に、もっと気をつかっていればよかった。私も今は症状が出てないけど、感染している可能性は高いって、お医者様が言ってたわ。プリシラ、たのみがあるの。子供達をしばらくおねがい。」
「弱気なことを言わないで、あなたは大丈夫よ。感染なんかしてない。でも、心配なら、エルちゃんとルナちゃんは、まかせてちょうだい。絶対、さみしい思いや、不安な思いにはさせないから。ティムも協力するって言ってるしね。」
シエラは、となりの客室からきこえてくる、子供達の声に耳をかたむけた。ミランダには、もう宮殿にくるなとつたえておいたので、ティムが相手をしてくれている。
シエラは、
「レックスは今、ダイスさんが付きっ切りで看病してるけど、やっぱり負担はかけられない。私がレックスの世話をするしかない。レックスが必要としているのは、私だもの。」
シエラの脳裏に、結核だと診断された時の夫の顔がうかんだ。はじめて見る、不安と絶望にみちた表情。結核は死病だ。良くなるにしても、数年かかってしまう。そのかん、いつなんどき、病状が悪化するか予断は許さない。
ライアスが、客室に現れた。
「たぶん、呪詛で病状が一気に悪化したのかもしれない。咳が続いていたので、おかしいとは感じていたけどもね。でも、レックスは、カゼもひかないほど丈夫だし、体力もありあまっていたから、結核なんて考えられなかった。」
「いつ、気がついたの?」
「君がくる少し前。急に咳き込んで、血痰を吐いたんだよ。体には微熱もあったしね。このところ、体調悪かったんじゃないのかな。たぶん、いつもよりもダルイと感じていたはずだよ。」
シエラは、そんなと絶句した。ライアスは、
「さっき、死んだ父さんに会ってきた。それで、いろいろときいてきたんだ。レックスは、子供のころは体が弱くて、しょっちゅう、熱を出していたらしい。十一歳か二歳だったころ、結核のうたがいがあって、ゼルムのナルセラにある小児病院に隔離入院してたそうだ。
その時は、一ヵ月ほどで咳が止まり体調が回復したんで、そのまま退院したようだけどもね。でも、それがうたがいではなくて、ほんとの結核だったんなら、今、再発してもおかしくはない。
マーレルきてから忙しかったし、それにいろんな気苦労が多かった。ストレスと疲れで、こっちが考えている以上に体が弱っていたかもしれない。レックスの体調は、ふだんの行動と見た目だけでは、判断がつきにくいから。」
シエラは、うつむいてしまう。ライアスは、
「君に会いたがっている。行くか?」
「行くわ。行くに決まってるじゃない。プリシラ、子供達をおねがい。お父さんが病気だからって、あわてたり不安がったりしてはダメだとつたえてちょうだい。」
プリシラは、うなずいた。
レックスは、生気のない顔をしていた。無理もない。ダイスは、シエラが顔を出すと寝室から出て行った。シエラは、夫のベッドによりそった。
「気分はどう。何か食べたいものがある?」
「気休めはいい。なんか、このごろダルイと思ってたんだ。でもそれは、運動不足のせいだとばかり考えてた。まさか、結核だったなんてな。お前は、今のところ大丈夫なんだろ。」
シエラは、うなずいた。
「お前にうつしてしまったかと心配してんだ。お前が、プリシラと、くっついていて正解だったよ。少しでも、おれからはなれていられたしな。」
「もう、そんなことは言わないで。夫の体調管理もできなかった愚妻だものね。私、あなたの看病をするわ。何年かかっても、あなたを治してみせる。」
「そのことなんだが、さっき、ライアスと話をしてたんだ。おれは、マーレルの西の山にある離宮にうつろうと思う。夏場のクソあつい時の避暑用の離宮だが、結核のおれの療養場所にはもってこいだ。少しでも、お前達への感染はふせぎたい。今のおれにできるのは、それだけだ。」
「なら、私も行くわ。あなたとなら、どこにでもいく。」
レックスは、だめだと言った。
「お前は、マーレル公だ。そして今から、お前がおれの代理だ。二人ともいなくなってどうする? ダリウスをたかが結核ごときで、機能不全にしてしまうつもりかよ。それに、ルナとエルを二人きりにさせてしまうのか。」
「でも、あなたの望みは、私がそばにいることじゃなかったの?」
レックスは、笑った。
「くだらない願望だ。現実には、おれ達ではムリだ。今のおれの望みは、守るべきものを、しっかりと守ってくれる、おれの分身だ。いや、おれ自身と言ってもいい。今から、お前がそうなるんだ。お前しかいない。」
シエラは、息をのんだ。
「私に国王になれと。あなたの代わりをしろと。やっと王后と認められたばかりよ。みんなが、納得するはずないじゃない。」
「させろ。特権ふり回しても、銃つきつけてでも、おどしでもすかしでもなんでもいい。どんな手段を使っても納得させろ。まだ変革途中にあるダリウスの政治体制だけは、命がけで守り抜いてくれ。でなければ、またルーファスの時代、いやそれ以前の旧態にもどってしまう。それだけはさけたい。」
シエラは、とまどってしまった。こんな夫もはじめてだ。レックスは、
「それができるのは、お前しかいないんだよ。お前、自分がだれか、わかっているのか。反逆者と汚名をきせられてまでも、エイシアを守ろうとしたドーリア公の娘なんだぞ。そして、勝てないとわかっていても、勇敢にバテントスと戦った、クリストンのライアスの妹なんだぞ。
そんな不安な顔なんかするな。昼前、命がけで帰ってきたお前は、どこに行ったんだ。おれが、お前があんな勇気と度胸を持っていたなんて、今まで知らなかった。あれで、おれはお前に惚れ直したんだよ。
行け、行って戦え、シエラ。お前なら必ず勝てる。おれは信じている。」
シエラは、ギュッと目をつぶった。そして、立ち上がる。
「わかったわ。私、あなたの期待に必ずこたえてみせる。だから、安心して病気を治して帰ってきて。私、待ってるから。」
「ああ。」
シエラは、行ってしまった。レックスは、シエラが去ったあと大粒の涙をこぼす。離宮に行ってしまったら、もう、会えないかもしれない。
ライアスは、
「遺言のつもりだったのかい。君はバカだよ、あいかわらず。たしかに死病だが、全員が全員、死ぬわけじゃない。治してみせるよ。ピアスをかりるよ。」
ライアスが、耳からピアスをぬきとり、杖へともどした。それをレックスの胸へとあてる。杖が光り始めた。
「治癒の光だ。体力が落ちているから、すぐには良くならないが、来年の春までには、必ず宮殿に帰してあげる。ぼくも君といっしょに離宮に行くよ。シエラは一人でも大丈夫だから。」
「ずっと、いっしょにいてくれるのか。もう、どこにもいかずに、ずっと。でも、シエラには補佐が必要なんじゃ。」
「シエラは大丈夫と言ったろ。彼女は、自力でつとめをはたすつもりでいる。ぼくの手助けは、もう必要ない。それに、こんなに不安がっている君を、一人にさせるつもりはない。」
ライアスは、ほほえみ、シエラになった。
「あなたのそばにいる限り、この姿のままでいる。ずっと、ずっと、あなたのそばにいる、ううん、いたい。」
レックスは、シエラの優しいほほえみを見つめた。これは、自分が望んでいたシエラそのものだ。シエラは、
「私は、あなたの心の映し鏡よ。あなた自身の心の投影と言ってもいい。」
「どういうことだ。意味がよくわからない。」
「私は、あなたの一部。あなたが真実の愛を知ったから、私は、こうしてあなたの望む姿になれる。ただ、それだけ。」
シエラは、レックスの体へとその身をうつした。耳にピアスがもどる。それと同時に、不安と孤独におびえていた心に光がよみがえった。
ありがとう、シエラ。おれの二人のシエラ。どちらもかけがえのない、魂の分身。
レックスが、ダイスとジョゼとともに山の離宮にうつってから、しばらくしたころ、ゼルムに行っていたエッジがやっと帰ってきた。そして、マーレル公の執務室に顔をだすなり、汚いバッグの中身をシエラの机の上にバラまいた。
「何、これ。きったない。どこでこんなオモチャひろってきたのよ。それに、見た目、気持ち悪い。」
なんだかよくわからない、不気味なオモチャの数々だ。
「なんだよ、おれのお姫様はいないのかよ。妹姫様だけじゃあ、わかんねぇのもムリねぇな。」
シエラは、うさんくさそうにエッジを見つめた。
「もう、話は知ってると思うけど、兄様は山の離宮よ。たぶん、春先になるまでもどってこないわよ。ところで、どうしてこんなにおそくなったの。エリオットが、呪詛の件で話をききたがっているのよ。」
「その件なんだけどもな。ライアスといっしょにつぶしたのが、フェイクだって、やつが帰ったあと、すぐに気がついてな。それで、ホンモノはどこだーって、あのあとずっと、さがしてたんだよ。
それで、なんとか見つけて、今度こそマジでつぶしてきたんだ。首謀者も、まちがいなく、とどめをさしといたよ。でもって、これが戦利品。呪詛に使った道具だ。」
シエラは、机の上のバラマキをながめた。その中の一つの人形みたいな物を手にとり、すぐに床に投げすててしまう。
「痛い。肉体よりも、霊体に響くわね。あなた、よくこんなモノ持ってこられたわね。なんともない?」
エッジは、人形をひろった。
「おれはなんともないがな。お姫様にひろってこいとたのまれてたんだよ。お姫様の話じゃあ、どうもこの呪術は、エイシアのものじゃあなくて、大陸方面からつたわってきた呪術なんじゃないかってさ。」
「大陸から? 東側諸部族につたわる呪術なのかな。あそこは、古い信仰を持っている部族が多いからね。まあ、大陸との交流は、バテントス以前から少しながらもあったもの。そういうものが、つたわってきたとしてもおかしくないわ。
でも、これは証拠品になるわね。すんごく波動悪くて、宮殿には置きたくないけど。そうだ、ロイド君にあずけてよ。軍の倉庫にでも保管してもらおうかしら。とりあえず片付けて。見ているだけでも気持ち悪い。」
エッジは、へいへいとバッグにしまった。シエラは、
「それと、くわしい報告書の作成おねがい。今日はもう帰っていいわ。ミランダとシュウ君、さみしがっているから。しばらく留守にしてたから、明日は休んで家族サービスしてあげなさい。あさってから、エリオットに協力してね。」
「なあ、妹姫様。首謀者は、ライアスの命令で見つけしだい即やっちまい、組織も徹底的に壊滅させたが、ほんとにそれで良かったのか。一人くらい生け捕りにして吐かせたほうが、今後のためにも良かったと、おれは考えてるんだが。」
シエラは、
「それで良かったのよ。相手は黒魔術を使う危険な集団よ。捕まえて牢屋なんかに入れておいたら、そこからまた何かされる可能性があるじゃない。ただでさえ、結核をわずらっているレックスに、これ以上何かされたら、たまったものじゃないわ。」
「ゼルムの領主がからんでるのは、ほぼ確定だ。何せ、奇跡を呼ぶ王を相手に呪詛かけるくらいだからな。やつらは、レックスの神がかり的な力をおそれて、何ヵ所もフェイクとなる、呪詛のための祭壇場所を設置してたんだ。
まあ、そのフェイクでも、首謀者の弟子どもが実際呪詛を行ってたから、さすがのライアスも、どこがホンモノかつかむのに、かなり苦労してたがな。実際、引っかかっちまった。」
「よく、ホンモノを見つけたわね。」
エッジは、ニヤリと笑った。
「やつら、シロウトだよ。こっちがおそいに行けば、必ず一人、他に知らせるために逃げ出す。そいつをわざと逃がして尾行したんだよ。そうすれば、いずれホンモノにたどりつく。それで、組織はなんとか壊滅させられたというわけ。
まあ、ライアスのやつは呪詛をおそれて、ホンモノだけにこだわっちまったから、フェイクに引っかかっちまったけどもな。やつらしくない失態と言えば、失態だな。それに、奴さん、めちゃくちゃあせってたし。」
シエラは、ひょっとして、ライアスにも呪詛の力がおよんでいたのでは、と考えてしまう。自分と一つの体を共有しているライアスは、自分の影響を受けやすい。だから、本人も気がつかないうちに、呪詛にかかってしまっていたのではないか。
(だから、あせったんだ。私達夫婦の関係がこわれてしまうことを。)
ライアスにとっての欲望はたぶん、欲望と呼んでいいのかわからないが、シエラとレックスが、いつまでも仲のよい夫婦でいることなのだろう。
エッジは、帰っていった。シエラは、ロイドが提出した軍の要望書を見つめる。この前、レックスとエリオットが見ていた要望書だ。あれから時間がたっているので、ロイドが中身をさらに書きかえており、申請予算もふくらんでいた。
(この要望書は、なんとしても通さなければならない。いざとなれば、ゼルムとの戦争も視野に入れなくてはならないし、軍備は今すぐにでも増強しておいたほうがいい。シゼレ兄様にも、協力をたのんでおかなければ。)
もう一人子供がほしいと、シエラはこの時本気で思った。ゼルムの新領主となる子供が、どうしても必要だ。
(レックスの回復を待つしかない。レックスは治るわ。春には必ず、ここに帰ってくる。レックスは奇跡の王よ。結核なんかで終ったりしない。)
それまで、この国を守り抜こう。夫が産まれ、そして愛している国を。そして、自分がいるべき場所を。シエラは、手元に置いている王家の剣を見つめた。
(私は、ドーリア公の娘。そして、王位継承者。たとえ、女王にならなくても、私には、まちがいなく王家の血が流れている。ここは、私の統べる国でもあるんだ。)