三、ドーリア公の娘(1)
シエラは、動けないもう一人の自分にむかい、ごめんなさいとつぶやいた。なぜ、あやまると、もう一人の自分がきいてきた。
「私が、呪詛に負けたばかりに、あなたにこんな苦しみを与えてしまったから。さ、もう大丈夫よ。今すぐ、動けるようにしてあげる。」
シエラは、王家の剣を、もう一人の自分ににぎらせた。そして、ライアスはシエラの体から出、シエラが体にもどった。
ライアスは、
「もうすぐ昼だ。レックスが帰ってくるよ。逃げたほうがいい。」
シエラは、ベッドから立ち上がった。そして、着がえをすべく、クローゼットをあける。
「逃げる必要はないわ。私は、レックスの妻で、エルとルナの母親なのよ。許してくれるまであやまるつもり。そのために、帰ってきたのだから。」
「何を言ってもムダだよ。夕べから、なんども説得をしてるんだ。まったく、聞く耳もたなかった。さっきの状況見たろ。言う事をきかないと、すぐに呪縛されてしまう。」
シエラは、ぬいだ夜着をハンガーにかけ、クローゼットにしまった。きちんとベッドをととのえる。そして、
「兄様は、レックスを甘やかしすぎよ。なんでも言う事をきくしさ。だから、つけあがったのよ。心配なのはわかるけど、もう少し私を信用して。ところで、夕べ、腕を切ったのはレックスなの?」
「自分で切った。レックスが、はなしてくれなかったから。霊体の腕なんて、いくら切り落としても、すぐに再生するから。」
シエラは、ほほえんだ。
「そうだと信じてた。レックスは、何があっても、絶対兄様を傷つけないからね。ましてや、腕を切り落とすなんてね。」
「ぼくに、仕事をやめて、家にいろと言っていた。家で子供達の面倒をみて、自分の帰りを待っていてほしいってね。」
「それが、レックスの理想だったんだ。考えてみれば、レックスは帰る家なんかもたなかったしね。ずっと旅してたものね。運び屋だったときも、町から町への移動だけの毎日だったしさ。家庭にあこがれてたんだ。家で、自分の帰りを待っていてくれる人、か。」
バタンと荒っぽく扉が開き、そして、すぐさま閉められた。レックスは、寝室全体をつつみこむよう、結界を張る。声がもれないようにするためと、だれも寝室に入ることも、そして逃げることもできなくするためだ。
レックスは、シエラのえり首をつかんだ。ライアスは、やめろと言う。シエラは、ライアスに手を出すなと合図した。
レックスは、
「よくも、ノコノコトと帰ってこられたものだな。だれが手をかした。あの結界の壁は、お前では破れないはずだ。そうか、グラセンのジジィが手をかしたのか。」
レックスは、シエラを床にたたきつけた。シエラは、
「ここは、私の家よ。エルとルナがいる限り帰ってくる。私を、あの子達が待っていてくれる限り、どんなことがあっても帰ってくる。あなたにどれだけきらわれていようともね。」
「母親はもういる。ライアス、なぜ、その体から出た。勝手なことをして、ただですむと思っているのか。」
レックスは、ピアスをいじった。ライアスは、すぐさまシエラの中へと入る。シエラの手に剣がにぎられた。レックスは、
「おれと戦うつもりか、シエラ。たとえ、ライアスの援護があったとしても、お前では、おれには勝てない。」
シエラは、剣をすてた。
「そうね。力では勝てない。腕力でも霊力でもね。私には、そんな力はないものね。そのピアス、いえ杖で、私をしばるなりなんなり好きにしなさい。でも、この体から追い出すことは絶対できない。どんな嵐がきても、私はここから出るつもりはない。」
「追い出さないさ。魂を封印して、また心神喪失させてやるだけだ。その方が、追い出すより確実だしな。」
シエラは、キッとにらんだ。
「なら、やってごらんなさい。けど、そうなったら、兄様もいっしょに喪失するわ。兄様は、私と運命をともにするつもりで、今、ここにいるのよ。
私があなたと戦うなら、たとえ勝てなくても、兄様は、私といっしょにあなたと戦う。そして、魂を封印されるのなら、いっしょに封印される。たがいの強い意志で、私と兄様は今、完全に一つとなっている。
やれるものなら、やってごらんなさい。その瞬間、あなたは欲しいと望んでいたものすべてを、一瞬にして失うから。」
レックスは、チと言い、ピアスから手をはなした。シエラは、
「意志の力では、私のほうが上よ。強い意志は、強い力でもあるしね。ましてや、自分の欲望にふりまわされ、兄様に無理強いばかりをしている今のあなたには、以前のあなたのように、自分を律する強い意志は感じられない。」
「だったら、どうしたと言うんだ。もう、お前の顔もあきあきしている。チャラチャラとした、くだらないおしゃべりに夢中になって、育児も妻としての役割も、全部投げ出してしまうんだものな。」
「そのことにかんしては、言い訳はいっさいしない。つまらない、妄想に負けてしまった私に責任があるんですものね。そして、そのことで、あなたを傷つけたことも謝罪するわ。エルとルナを放っておいたこともね。」
「だったら、すぐに出て行け。お前はもう、妻としても母としても失格だ。」
「出て行くつもりはないわ。許してくれるまで、あなたにあやまり続けるしか、私には方法は無いから。ここは、私がいるべき場所だから。あなたを傷つかせた償いをしたいから。今のあなたは、苦しんでいる小さな子供だから。」
レックスは、カッとした。
「出て行け、さっさと出て行け! おれは、お前のそういうところが、一番きらいなんだ。何が苦しんでいる小さな子供だ。いい加減にしろってんだ。おれは、子供じゃなく大人の男だ。おれが欲しいのは女なんだよ。母親じゃない。」
「だから、あの子なの。あの子は、あなたの望むように自分を自在に変えられるから。でも、私は私。私は、あの子のように自分を変えることはできない。母親だと、あなたが判断したなら、それも私自身。」
「お前に女ができるのか。母親ではなく女だ。ああ、おれもしっかり呪詛にかかってるよ。けど、おれは、離婚するつもりはない。その体は、おれが気に入ってるしな。だから、中身の入れかえをしようとしたんだよ。おれの理想のシエラをつくるためにな。」
「わかってる。やはり、ミランダの言うとおり、倦怠期なのかもしれない。以前にはなかった、不満や願望をおたがいに感じているしね。
グラセン様は、呪詛は心にひそんでいた願望を引き出すって、おっしゃってたわ。それが、今回のことがきっかけで表に出てきただけかもしれない。呪詛がなくても、いずれ噴出していた、おたがいへの不満が出てきたのかもしれない。」
レックスは、フンと鼻をならし、ベッドにすわった。
「不満ね。おれもまさか、お前にこんなに不満もってるなんて考えもしなかったよ。やることが山のようにあったし、それに埋没していたしな。倦怠期でもなんでもかまわんさ。とにかく、おれは、お前という女に嫌気がさしたんだ。」
シエラは、レックスの右手をにぎった。レックスがふりほどこうとしても、シエラは手をはなさなかった。
「あなたを愛しているの。こうなってしまって、やっとわかったのよ。あなたが必要なの。あなたのそばにいたいの。どんなにきらわれても、いやがられても、あなたのそばにいたいの。」
「はなせ。でないと、こっちの手で顔をひっぱたくぜ。」
「じゃあ、たたいて。でも、どんなにたたかれても、この手だけははなさない。今、はなしたら、もう二度とにぎれなくなるもの。」
レックスは、左手を大きくふりあげた。シエラは、ギュッと目をつぶる。手は、ふりおろされなかった。
「体を傷つけるだけだ。その体は、おれの理想に必要なものだ。」
「なら、私があなたの理想になるわ。あなたが必要としているシエラになる。あなたを愛しているんだもの。どんなことでもしてみせる。」
「もうおそいよ。」
「おそくない!」
シエラは、だきついた。
「愛しているの、とても。いま、ようやく気がついた。私、あなたに恋をしているの。私が望んでいた燃えるような恋よ。あなたにきらわれて、ようやく、私が心から愛したいのはだれか、やっとわかったの。だから、あなたのそばにいたい。あなた理想となりたい。おねがい。」
「・・・うざいからはなれろ、と言っても、はなれるつもりはないんだろうな、お前。」
「ないわ。なぐられてもね。」
「だろうな。さっき、なぐろうとしてもはなれなかったもんな。つきとばしても、お前、またおれにしがみつくつもりだろ。体がボロボロになったとしても、はなれるつもりはないんだろ。」
シエラは、うなずいた。レックスは、
「どうして、そうまでする? 暴力をふるわれても、おれからはなれないのはなぜだ。ただ、愛しているだけでは、そこまでできないはずだ。」
「ただ、愛しているわ。それだけではダメなの?」
レックスは、苦笑した。シエラは、
「あなたは、人に暴力をふるう人じゃない。兄様が体に入っていたときだって、金縛りにしただけで、体を傷つけるようなことは、いっさいしてなかった。暴力をふるう人だったら、言う事をきくまで、相手の事なんていっさい考えないでなぐり続けるはずだしね。」
「だから、その体は、おれの理想のために必要だって。傷つけられないのは、そのためだ。」
「私にとっては、レックスが理想そのものなのよ。少女のころ、あこがれていた結婚生活そのものなの。やさしいだんな様と、かわいい子供達。男の子と女の子。すべて、レックスが、私にくれたものなのよ。ごめんなさい。理想通りになったのに、私、何を考えていたのかしら。ほんとに、ごめんなさい。」
もういい、レックスは、ため息まじりに吐き出した。
「もういい。カッとなった、おれもどうかしていた。不満なんか口に出したって、どうなるものでもないし、事態を悪化させたって、なんの意味もない。だからもう、おれからはなれろ。そろそろ、使用人が昼食を運んでくるぞ。」
シエラは、だきついたままだ。レックスは、
「追い出したりしないから。お前の気持ちは、じゅうぶんわかったから。」
「このままでいたいの。すごく好きだから。ほんとにごめん。こんなに好きだったのに、私、バカだったわ。」
「だから、もういいって。最初から、やりなおすつもりで、二人でかんばろう。呪詛は、おたがいを見つめなおすいい機会だったと言う事にでもしとけ。おれもそう考える事にす・・・、」
レックスは、いきなり口をおさえた。そして、口に手をあて、苦しそうに咳をし始める。シエラは、レックスの背中をさすった。
「このところ、咳ばかりしているわね。お医者様に、」
とつぜん、血を吐いた。口元をおさえていた手から、真っ赤な血がボタボタと床に落ちる。
「血、痰に血がまじってたけど、ただのカゼじゃ・・・。お、おれが吐いたのか。」
ライアスが、シエラから飛び出した。
「シエラ、侍医を呼べ。そして、エルとルナをすぐに居住区から避難させろ。ぼくの見立てに狂いがなければ、これは結核だ。君も感染してるかもしれない。」