二、二人のシエラ(2)
シエラは、レックスが寝室に、入ってくると目をさました。だが、体はまったく動かない。レックスは、シエラがサラサに行ったあと、ライアスに呪縛をかけ自由をうばい、シエラの肉体に閉じ込めていたのだ。
レックスは、動けないシエラを見下ろした。
「どうだ、動きたいか。動きたかったら、言うことをきけ。お前は、シエラになる。おれの理想のシエラだ。でなければ、ずっとこのままだぞ。」
レックスは、ベッドにすわった。
「お前、以前、シエラになりたいって言ってたじゃないか。夢がかなったんだぞ。なんとか言ったらどうだ。あ、しゃべれないのか。口だけ、少し自由にしてやっか。けど、大声を出したとたん、しゃべれなくなるからな。」
シエラの口だけ呪縛がとけた。
「ああ、確かにシエラになりたいって言ったよ。そして、現になることができた。今のぼくは、シエラとしての面と、ライアスとしての二つの面を持っているんだ。君がのぞむなら、いつでもシエラになるし、ライアスにもなる。
でも、こんなことをして、いったい、なんになるというんだ。ぼくを君の理想のシエラにして、なんの意味がある。君のは理想ではなくて、呪詛によって引き出されてしまった欲望にしかすぎないんだよ。」
「その話は、もう聞きあきたよ。でも、あの呪詛って、お前の説明によれば、おれが心の底に持っている願望とか欲望を引っ張り出すんだろ。けど、なんともないぞ。仕事だっていつもどおりだしさ。おれは国王だし、呪詛がきいてれば、もうめちゃくちゃなことをやってるはずだ。効果なかったんだろ、おれにはさ。」
シエラは、レックスをにらんだ。
「しっかりきいてるよ。でも、君は、かなり強力な魂の持ち主だ。ぼくの予想より、効き目は弱まったけど、それなりの効果は出ているんだよ。シエラを追い出したのが、その証拠だ。呪詛の目的は、君達夫婦を仲たがいさせて、離婚させるのがねらいだったからね!」
「おれは、離婚なんてする気はない。それに、おれは呪詛なんかにかかっていない。呪詛にかかったのは、シエラの方だろう。何が燃えるような恋だ。子供二人をほったらかして、くだらない事を考えるなってんだ。」
「なら、追い出すことなんてなかったじゃないか。シエラのことだ。もう目がさめてるはずだよ。きっと後悔している。だから、君も目をさませ。君達は夫婦なんだよ。呪詛なんかで壊れる程度の絆じゃなかったはずだ。」
「しつっこいな。おれは、お前がいいんだよ。お前は、どっちにでもなれるから、おれの理想のシエラにだってなれるはずだしな。」
「だから、シエラは一人だけだって。理想ってのはね、夫婦で協力してつくりあげるものだ。勝手な願望をおしつけるだけじゃあ、理想になんてなれるわけない。」
「じゃあ、お前とそうする。クリストンいたとき、お前、いい女房だったしな。お前となら、理想の家庭をつくれそうだ。」
シエラは、レックスから目をそらした。そして、
「君は、ぼくにとり、王子様だよ。昔も今も。あの孤独な苦しみから、ぼくを救ってくれた太陽そのものだ。ずっと、ずっと、愛していた。あのころも、そして今も。だから。」
シエラは、全身に力をこめた、ゆっくりとベッドから身をおこす。そして、レックスの手をつかんだ。
「だから、目をさましてくれ。こんな君をもう見たくはないんだ。たのむから。」
シエラの目から涙がこぼれる。レックスは手をはじいた。そして、ピアスを使い、また動けなくしてしまう。
「さすがだな。剣無しで、自力で呪縛をとくなんてな。この呪縛はな、むかーし、サラサで、ライアスにやられたのとおんなじものだ。どうだ、あんときのおれの気持ちが、少しはわかったろ。」
レックスは、シエラをきちんと寝かせた。そして、シエラに顔を近づけ、
「呪詛のことだがな。エリオットに調べさせることにした。ゼルムの領主のしわざだとわかり次第、やつから領主の地位をとりあげる。だが、向こうが、それを拒否するなら、こっちもそれなりの対処をするつもりだ。新領主には、そうだな、シゼレんとこから、去年産まれた双子の男の子の一人を、おれがもらって養子にして、その子に継がせるってのはどうだ。」
シエラの目は、ふざけるなと言っていた。レックスは、
「おれは、お前が考えるだろうと思うことを言ったまでだ。お前だって、こうするつもりじゃなかったのか。あ、お前が気に入らないのは、シゼレのとこから養子をもらうことか。だったら、お前が産めばいいじゃないか。お前の親父も、王家からクリストンの領主になったんだろ。」
レックスは、背筋をのばした。
「と言うことだ。夕方までには、もう少しすなおになってろよ。もし、おれが呪詛にかかっているとしたら、おれは、その呪詛に感謝しなくちゃな。おれの理想のシエラを見つけられたんだから。」
寝室を出ようとしたレックスは、咳き込んでしまった。ここのところ、よく咳がでる。ハンカチをとりだし、痰を吐く。血がまじっているところを見ると、咳き込みのせいで、のどが切れたようだ。
(本格的にカゼでもひいたのかな。熱っぽいし体がだるいし。体調くずしているかもしれない。)
気がつくと、ベッドからシエラが心配そうに、こっちを見ている。レックスは、ハンカチをゴミ箱にすてた。
寝室の前で、ミランダとバッタリ会った。ミランダは、
「咳がきこえたけど、シエラ様なの? 今朝から、調子が悪いって寝てるじゃない。」
「あいかわらず、地獄耳だな。たいしたことじゃない。ただのカゼだ。寝てれば治るよ。うつるかもしれないから、子供達は、こっちにこさせるな。それと、もうじき昼時だろ。おれは、シエラと昼をいっしょにするから、おれがもどってきたら、寝室のほうへ食事を運ばせてくれ。」
レックスは、行ってしまった。ミランダは、レックスが完全に行ってしまったのを確認してから、寝室の扉に手をふれる。が、開かない。
(なにこれ。ドアノブ自体が動かないじゃない。カギが、かかっているのかしら。レックスが、カギをかけたようには見えなかったけども。)
ミランダは、ノックをしようとした。が、やめた。
(眠っているのかもしれない。でも、お医者様を呼ばなくても大丈夫なのかしら。せめて、薬湯でも。)
気がつくと、背後にレックスがいた。ミランダはドキリとする。レックスは、
「ただのカゼだと言ったろ。お前にうつったらどうするんだ。お前から子供にうつってしまうんだぞ。薬湯なんて必要ない。さっさと子供部屋にもどれ。今日は、ジョゼは用事でいないし、プリシラも定休日だし、お前一人しかいないんだからな。」
ミランダは、ヒヤリとした。目の前のレックスは、いつものレックスではない。どこか冷たく、よそよそしい。それよりも、自分に気配を感じさせず背後を取るなんて。
「さっさと行け。お前の持ち場は子供部屋だろう。シエラの面倒は、おれが見るから心配ない。現にこうして、時間みつけてもどってきたじゃないか。」
「わかったわよ。でもいくら、自分達のことは自分達でやると言っても、もう少しくらい、人を身のまわりにおいてもいいんじゃない。あんたは、いつまでたっても運び屋時代の感覚がぬけないのね。」
「よけいな使用人なんて、うるさいだけだ。ここの居住区に入るのは最低限でいいんだよ。おれは、家に帰ってきたら国王じゃない。ただの家庭人だ。早く持ち場にもどれ、ミランダ。おれも仕事にもどるから。」
ミランダは、子供部屋にひきあげた。レックスは、フンと鼻をならし、今度こそ仕事にもどった。
グラセンは、王家の剣を机へと置いた。ここは、ベルセアのグラセンの自宅の書斎である。シエラは、心配そうにグラセンを見つめていた。
「グラセン様、何かわかりましたか。」
「ゼルムの邪教集団は、私も知っています。邪神を崇拝し、黒魔術を専門とする恐ろしい集団です。こういう手合いを相手にするのでしたら、行動を起こす前に、せめてこの私に相談していただきたかったですよ。」
「それでその、レックスの様子はどうなんですか。どんな呪いをかけられてるか、わかりましたか。」
シエラは、いまにも泣き出しそうである。グラセンは、
「欲望ですよ。人の心に眠る欲望を引き出す呪いです。かなり、強力ですよ。この呪いにかかると、人は自制がきかなくなります。」
シエラは、息をのんだ。
「自制がきかなくなる。レックスは国王よ。だとしたら、大変に事になるわ。」
「おちついてください。まあ、シエラ様からお話をきいたときは、心臓が止まりかけましたが、陛下には、それほど効果はなかったようです。この剣を使い、陛下の御様子を拝見しましたが、ふだんどおりの生活をなさっています。」
シエラは、ホッとした。が、グラセンは、
「シエラ様、私は、それほどと言っただけで、無いとは言っていません。それなりの欲望は出ているのです。シエラ様を追い出したあと、からっぽとなった肉体を、いま、だれが使っているか、シエラ様もおわかりのはずですよ。
陛下は、ライアス様をシエラ様の肉体に幽閉するよう閉じ込めて、シエラ様の代わりをさせようとしているのです。ですから、肉体にもどろうとしても、もどれないのです。陛下が、もどってこないよう、結界を張っているのですからね。」
シエラは、へなへなとその場にうずくまってしまった。グラセンは、
「霊体であるライアス様は、陛下にとり、つごうの良い存在なのでしょう。政治的補佐が必要な時はライアス様として、理想の伴侶が欲しい時は、あなた様の代わりとなれる便利な存在なのですからね。
私は、こうなることを恐れて、ライアス様を置くことに反対したのです。死者は死者ですし、一つの肉体を共有してまで、この世にとどめておく事は、どう考えても自然の理に反します。」
シエラは、すわりこんだ床に置いた手を、ぎゅっとにぎった。
「兄様をこの世にとどめたのは、私が必要としていたからです。あの当時は、私だけで、バテントスに対処するのは不可能だったからです。だってそうでしょう。大陸事情まで利用するなんて、サイモン叔父様でさえも考えつかなかったんですから。
それに、マーレルにきた時も、あの子がいなければ、私達夫婦だけではやってこられなかった。下手すれば、私はレックスと引きはなされ、マーレルから追い出されていたかもしれません。」
シエラの声は、ふるえていた。グラセンは、ため息。
「ですが、結果的に見て、ライアス様は、あなた様から肉体をうばったのです。たとえ、ライアス様の御意思でなかったとしてもです。あなた様が肉体にもどれない以上、そういう結論になるでしょう。」
「私がどうして、レックスをひと目で本物だと見抜いたか、グラセン様に理由を御説明します。知っていたからです。サラサにいた時、ライアス兄様が生きてた時、レックス自身に会っていたからなんです。
私が、さがし物をしに、ライアス兄様の部屋をおとずれた時、レックスがそこにいたんです。ほんの一瞬だけでしたが、確かにレックスを見ました。忘れられるはずもありません。あざやかな金髪と、透き通るような緑の瞳でしたから。その時は、夢だと思ってたんですが、リクセンで会って、すぐに本人だとわかりました。
あとになり、レックスが過去のサラサに現れたのは、兄様がレックスに自分の真実の姿を教えるために、剣を使い過去に飛ばしていたからだと知りました。
だから、兄様は、あれだけレックスを思い続けていたんです。死して、私に取りついてまで、レックスに会いにきたのは、そのためだったんです。レックス自身が、私をつれて会いに来てくれと、兄様に言っていたのですから。
私は、クリストンでバテントスの捕虜となったとき、なんども死のうと考えていました。何もかも失い、生きていたくなかったんです。けど、死に切れなかった。自殺しようとするたびに、心の中でおしとどめるものがあったからです。
いまになって思うに、ライアス兄様が守ってくれてたからだと思うんです。もし、兄様がいなかったとしたら、たぶん、私は、すでにこの世にはいなかったはずです。」
「ですが、現に。」
「すべて、私がいたらなかったせいです。私が、呪詛に負けてしまったから。つまらない思いをいだいて、レックスを傷つけてしまったから。」
シエラは、涙をふいた。そして、立ち上がった。
「私、マーレルに帰ります。なんとしても帰ります。帰って、レックスにあやまります。」
「呪詛によって、一度引き出された欲望は、呪詛の呪いが無くなったとしても、そう簡単には消えませんよ。もともと、心の奥底に持っていた願望みたいなものですからね。」
「言葉をつくして、レックスにあやまります。呪詛が原因とは言え、傷つけてしまったことは事実ですから、私には謝罪するしか方法はありません。誠意をつくして、許してくれるまであやまり続けます。許してくれなかったら、許してくれるまで、何日でも何ヵ月でもねばり続けます。」
グラセンは、シエラを見つめた。シエラは、泣いていなかった。涙のあとはあったが、もう泣いてはいない。グラセンは、ほほえんだ。
「強くなられましたな。泣いてばかりいた昔が、なつかしく思われます。ライアス様は今、かなり過酷な状況に置かれています。早く行って、解放してあげてください。」
グラセンは、剣を手にとった。
「このジジィ、最後の御役目ですな。あなたを拒絶する壁に、全力でもって穴を開けてみせましょう。合図とともに、穴に飛び込んでください。御期待してますぞ、シエラ様。」
グラセンは、剣に意識を集中させた。そして、書斎の空間にむけて、剣を投げつける。剣が空間に吸い込まれていくと同時に穴があき、グラセンはシエラに穴に飛び込むよう言う。
シエラは、行ってしまった。グラセンは、すわっていたイスから床へと倒れた。息が荒らく、汗が全身から吹き出ている。
(本当に、最後の御役目になりかけましたな。まあ、これでいいでしょう。どのみち、私に残された時間は、あとわずかですからね。お役に立てて良かったです。幸せになってください。それだけが、このジジィの望みなのですから。)