二、二人のシエラ(1)
シエラは、シゼレの執務室の片すみでうずくまっていた。夕べ、ここに来た時から、ずっとその場にうずくまっていたのである。
心配したシゼレは、シエラが使っていた部屋はそのままにしてあるから、そこへ移ったらどうかときく。シエラは、一人になりたくないからと、その場から動こうとはしなかった。
「どうしてこんなことになったの。わからない。」
シエラは、涙をふいた。そして、
「腕から血をしたたらせながら、私にサラサへ逃げろと言ったライアス兄様が、頭にこびりついている。霊体の兄様の腕を切り落とすなんて、だれにでもできることじゃないわ。たとえ、自分で切ったとしても、あの兄様をそこまでおいつめるなんて。」
シエラは、ワッと泣き出した。夕べからこんな調子である。シゼレは、どうしたらよいものかと、ずっと悩んでいた。シエラは、
「ライアス兄様が、話はシゼレ兄様からきけと言っていたけど、兄様、何か知ってるの?」
「話してよいものかどうか、今のお前では混乱するかもしれない。もう少し、おちついてからがよいと思うが。」
「混乱も何も、頭の中めちゃくちゃなのよ。レックスが、ライアス兄様をおいつめたのは確かよ。それしか考えられないもの。私がバカだったのもさ。けど、それだけで、こんなことになるなんて、どう考えても異常だわ。レックスはジュソにかけられたと言ってたけど、ジュソって何?」
シゼレは、何もこたえなかった。シエラは、
「ライアス兄様が、ここしばらくエッジとともに、どこか行ってたのも、ひょっとして、そのジュソってのに関係あるのかしら。霊体である兄様が、まったく帰ってこないなんて、よほどのことのはずよ。ね、教えて、おねがい。」
シゼレは、床にすわりっぱなしの妹を見つめた。そして、ため息をつく。
「ジュソとは呪いのことだ。つまり、陛下は呪われてしまったんだ。」
「呪い? ジュソって呪いのことだったの。レックスは、呪われちゃったの? どうして。」
シエラは、ピンとこなかった。呪われたと言われても、レックスのふだんのイメージからは想像がつかない。
シゼレは、
「呪詛をかけた者は、ゼルムに巣食う黒魔術を使う邪教教団だ。あれは、エッジの他に、サイモンの部下を数人をつれ、その教団の本拠地を壊滅させるために、ゼルムにむかった。だが、こうしてお前がここにいると言う事は、壊滅は失敗したのだろう。」
シゼレは、ライアスのことを、あれ、と呼んでいる。シゼレのライアスに対する、こだわりは、今をもってしても完全に抜けきれてはいない。だが、以前のように、あからさまに拒絶する事はなくなった。
シエラは、
「なぜ、その黒魔術の教団が、レックスをねらったの。レックス、その人達にうらまれるようなことをしたのかしら。そう言えば、ゼルムで運び屋してたし、そのとき、何か関わりがあったのかな。」
「まあ、運び屋の仕事として、荷物運びくらいはしたかもしれないがな。
その邪教集団についてだが、私がベルセアでの修行時代に、ゼルムに黒魔術を研究している秘密の結社があるという話をきいたことがある。だが当時は、規模も小さく、たいした活動もしていなかったので、調査した国教会のほうでも、変わり者の同好会程度にしか考えていなかったようだ。
陛下をねらった理由は、はっきりとはしていない。ただ、あれが今年の夏に入ったあたりから、ゼルムの方面から、いやな雲がマーレルに流れてきていると私に言いにきて、こちらで調査をして、その原因が邪教集団にある事を突き止めていたのだよ。」
「いやな雲って、どんな雲なの。マーレルの空は、いつもと変わらなかったわ。雲だって、ふつうの雲だしさ。」
「目に見えない雲だ。邪悪な波動が、雲みたいに流れてきていると言いかえてもよい。お前は、まったく気がつかなかったのか?」
シエラは、ずっとにぎりしめていた王家の剣を見つめた。そして、気がつかなかったと言う。
「そのころ、子供達のめんどう見るために、新しく入れた人がいて、私と友達になったの。その人、アデレードに似ていてさ。私も昔にもどったみたいな気がして、つい、おしゃべりとか夢中になっちゃって。けど、いきすぎて、母親の仕事も妻のつとめも放り出しちゃったの。それが原因で、ごめんなさい。」
シゼレは、ため息をついた。サラサにいたころのシエラは、毎日のごとく、友達とたのしそうに、おしゃべりばかりしてすごしていた。
「ね、兄様。どうして、ライアス兄様は、私達に何も教えてくれなかったの。教えてさえくれれば、こうならなかったのかもしれない。」
シゼレは、シエラから目をそらした。そして、
「教える前に壊滅させられたらと、私も、あれも考えたんだ。お前達夫婦は、やっとマーレルで王族らしい、あつかいを受けたばかりだ。子供もいることだし、よけいな気苦労は、かけさせたくなかった。
私も、あれも、敵を軽視しすぎていたかもしれない。たかが、邪教集団とあまく見ていた。ともかく、情報が少なすぎる。対策を練るには、サイモンの部下が帰ってくるのを待たねばならない。」
「でも、レックスは、すでに呪詛にかかっているのよ。兄様の腕が切り落とされ、そして、今のレックスは危険だと私を逃がしたほどなのよ。いったい、どれだけ凶悪な呪いなの。ライアス兄様やミランダ、エルやルナや、他のみんなは無事なのかしら。私を逃がすほどだから、今ごろ宮殿は・・・。私、マーレルへ帰るわ!」
シゼレは、シエラから王家の剣をうばった。シエラは、
「返して、それがないと帰れないわ。夕べから、肉体にもどろうとしても、壁のようなものがあって、どうしても帰れないのよ。剣は、ライアス兄様が体に入ってないと、うまく使えないけど、それしか方法はないの。やれるだけやってみるわ。たとえ、壁を割るのに、私の霊体がボロボロになろうともかまわない。」
「だめだ。あれが、危険だと言うからには、本当に危険なはずだ。だが、サイモンの部下を待っていては手遅れになるだろう。シエラ、どうしても行くと言うのなら、ベルセアのグラセン殿のもとへ行きなさい。」
「グラセン様?」
「あの御方は、魔術系統にもそうとうくわしい。きっと、良い方法を思いついてくださる。」
シゼレは、シエラに剣を返した。
「わかった。行ってみる。ありがとう、兄様。」
シエラは、消えた。シゼレは、シエラが消えたあと、シエラがうずくまっていた床を見つめた。
(呪詛は、何度かにわけて実行されたかもしれない。雲が流れ始めた時期と、シエラが友達に夢中になった時期は一致している。シエラを夫からひきはなし、夫婦間にみぞをつくり、陛下に心のすきをつくらせ、少しずつ呪詛をかけつつ、そして夕べ、最後にとどめをさしたということか。
だが、邪教集団が、陛下をねらった理由がわからない。へたをすれば、逆につぶされてしまうのは、わかっていたはずだ。呪う相手は、双頭の白竜を呼び出せるほどの力を持つ存在だ。
だれかが、裏で糸を引いているのは、まちがいないだろう。あれも、邪教集団をつぶすばかりではなく、それがだれであるかを直接調べるために、自らゼルムへと出向いたのだからな。)
たぶん、このままでは終らないだろう。
そのころ、マーレルでは、レックスはエリオット相手に、来年度の予算案について、ごちゃごちゃと話をしていた。
エリオットは、
「ロイド氏が提出した、軍の再編のための要望書なのですが、予算的に見て、来月開催される国会での承認が、やや難しいと思います。ここは、要望のすべてを提出させるのではなくて、いくつか内容をけずって提出させたほうがよいでしょう。」
レックスは、要望書を上から下まで、ざっと目を通した。
「おれが、けずれと言ってもロイドはきかないよ。あいつ、おれの言う事なんか、まったく、きく気がないからな。」
「ですが、これでは。」
レックスは、笑った。
「このまま、国会に出しちまえよ。当日は、ロイドも出席するはずだから、答弁はまかしちまえばいいさ。それよりも、マーレル公の特権についてだが、あれをしばらく、おれにあずけてくれないか。
シエラのやつ、仕事仕事で子育てを、ずっと棚上げしてたから、しばらく休暇をとって、子供を大事にしたいと今朝方言ってきたんだよ。おれも、働きすぎだと思ってたしな。それで、休暇をとらせようと考えてるんだ。
国王は、マーレル公と兼任できないが、特権だけは代理として、おれがあずかったとしても問題はないだろう。以前、警察の特権を、ロイドにあずけてたことがあったしな。」
「それは、よいことだと思います。やはり、女性は家庭を大事にするべきでしょう。彼女の仕事は、私がいるから大丈夫です。それよりも、ライアス様はお帰りになられましたか。ここしばらく、お留守のようでしたから。」
レックスは、ロイドの書類を机の片すみに置いた。
「ああ、夕べ帰ってきたよ。なんか、おれに呪詛をかけた連中がいるらしい。ずっと留守だったのは、そいつらを掃除してきたせいだ。おれに、そのことを教えなかったのは、呪詛ごときで、おれをわずらわせたくなかったらしい。」
エリオットは、びっくりした。
「呪詛。いったいだれか、そのようなおそろしいことを? ライアス様のことですから、犯人はすでにおわかりでしょう?」
「ああ、わかっている。だが、ライアスは、証拠までつかめなかったと言っていた。それを、お前に調べてほしいんだ。」
「して、犯人は?」
レックスは、エリオットを見つめた。
「ゼルムの領主だ。おれが、ゼルムを軽視していると考えたらしい。邪教集団に資金を提供して、おれ達夫婦に呪詛をかけ、シエラと仲たがいをさせたあと、クリストン寄りの現法王をその座から引きずり下ろし、ゼルム寄りの法王を選出させ、自分の一人娘を法王の養子にし、おれと結婚させる腹づもりだったようだ。
まあ、おれがゼルムにいたのは、だれでも知ってることだし、そのかん、領主はおれの存在にまったく気がつかなかったうえ、王を守り復位させた功績を、クリストンに横取りされたと思ったようだ。それでだ。」
「だとしたら、それなりの処置を実行しなければなりません。これは、あきらかに反逆ですからね。わかりました、すぐに調べます。ライアス様からも、くわしい話をおききしたいのですが、できますか?」
レックスは、できないと言った。
「ライアスのやつ、邪教集団を始末するさい、かなりの霊力を使ったようで、今、シエラの中で眠っているんだ。あいつも休みなく動いていることだし、シエラ同様、しばらく休ませてやりたい。質問があったら、おれが後できいてくるよ。メモにでも、まとめておいてくれないか。」
「お手数をおかけします。では、私は仕事にもどります。ゼルムの件は、おまかせください。必ず、よい結果を持って御報告にあがります。」
エリオットは、執務室を出て行った。レックスは、ピアスをいじった。そして、フッと笑う。
(シエラのやつ、こっちへもどるのを、どうやらあきらめたようだな。あの壁は、そう簡単には破れないはずだ。)
レックスは、立ち上がった。そして、居住区へとむかう。
シエラは、ベッドで静かに眠っていた。