三、ナルセラの襲撃(1)
その日、大雨が降り、一行は町に足止めされてしまった。雨は次の日も降り続き、三日目にやっと小雨になり、太陽が出たのはその翌日だった。この時期、ゼルムは秋の長雨の季節であり、こうして馬車の足がのびるのはめずらしくない。
雨でぬかるん道をしずかに進んで行くと、自分達よりも先に出発した馬車や旅人が、もどってくるのが見える。マーブルが話しかけると、旅人は、
「いやー、まいったよ。三日降った雨で橋が流されたんだ。このあたりには、橋は、あそこしかないだろ。今、この近くにいる軍が大急ぎで修理しているが、復旧はいつになるか分からないそうだ。」
マーブルは、疑問に思った。
「たしかにひどい雨だったが、あそこの川幅はけっこうあるんだぜ。橋が流されるほどの雨じゃあないと思ったがな。」
ミランダは、
「上流のほうが、雨はひどかったんじゃないの。ゆるんだ地盤がくずれて、大木でも流されてきたんじゃない。あの橋、橋脚は石だけど橋自体は木造じゃない。古い橋だったしね。しかたないわ、もどりましょう。」
マーブルは、少し考えた。
「遠回りしよう。橋は一本だけじゃない。シエラの事もあるし、一つの所に長くいるつもりはない。グラセン、それでいいか。」
「それでいいでしょう。お任せします。」
マーブルは、道を引き返した。そして、宿をとった町を通り過ぎたあと、進路を東へと向ける。そして、予定よりもかなりおくれ、やっとナルセラに到着した。
「いやはや、最初の予定では、すでにベルセアに到着しているはずですな。雨と橋のせいで、ずいぶんと時間がとられましたな。」
グラセンは、つかれたようにナルセラの町を見わたしていた。ここナルセラは、ゼルムの首都である。シエラは、はじめて見たナルセラに興奮をかくせないようだった。
「大きな町。クリストンの首都サラサとは、だいぶふんいきが違いますね。サラサより何かこう、いろいろなものが混じっている感じがするわ。活気があると言ったらいいのかしら。」
マーブルは、
「サラサは、そんなにでかい町じゃあないときいている。首都にしては、さびしい感じだと、向こうに仕事で行った事がある運び屋仲間が言ってたな。」
シエラは、
「サラサはどちらかと言えば、エイシアの田舎ですから。クリストン全部が、そんな感じだと兄様は言ってました。あの、兄様、ライアス兄様は、エイシアの国を全部訪問してますから。一番、活気があるのはカイルの首都マデラだと。」
「ライアスが、あちこち訪問したのは、ドーリア公の戦後処理のためだろ。ライアスの代になって、ドーリア公でこじれた関係を修復するために行ったんだろ。まあ、ごくろうなこった。」
シエラは、うつむいてしまう。自分が何を言っても、マーブルはこうだ。マーブルは、
「だが、マデラが一番だという意見には、おれも賛成だな。町もきれいで、住人の顔も明るい。マデラに比べたら、ナルセラなんて、いろんな人間が入り乱れているだけの雑多な町さ。」
「あの、マデラに行った事があるのですか。」
「昔な。少しだけ、いたことがある。そろそろ組合につくぞ。レックス、荷物をおろしたら、次の仕事はお前にまかせる。宿は、組合のとなりを使え。おれは、ちょっと用事がある。」
「おれにまかせるなんて、めずらしい事もあるんだな。ベルセア行きの荷物でいいんだな。なかったらどうする。」
「ベルセア方面に向かう荷物ならなんでもいい。積み込みは明日にしよう。仕事をとったら、お前達は宿に向かってくれ。」
レックスは、マーブルを見つめた。
「あんた、また嫌な事でも思い出したんだろ。遊びでごまかすのも、ほどほどにしろよな。」
マーブルは、レックスをにらんだ。
「ガキが、えらそうに言うな。明日の朝には帰る。」
シエラは、
「あの、私、何か気にさわる事でも言いましたか。もし、そうでしたら謝ります。」
「あんたは、何も言っちゃいないよ。いろんな事を思い出しすぎる、おれが悪いのさ。」
マーブルは、馬にムチをあてた。馬は、少し足をはやめた。
「後悔から、ぬけだせないのです、マーブルは。あなたの母上を見捨てた事を、ずっとくやんでいるのです。彼の時間は止まっているのですよ。十三年前から。」
グラセンは、宿でレックスにそう言った。二人部屋だったので、シエラとミランダはとなりだ。レックスは、
「やっぱり、まだ好きなんだな、おふくろが。おれは、どんな母親だったか覚えてないけど。」
「アレクス様は、まだ五歳かそこらでしたからね。たいそう、美しいお方でしたよ。」
「けど、頭の方は、たいした女じゃない、マーブルはそう言ってたよ。おれ、母親似だとマーブルに言われているから、頭の方も似ちまったんだな。」
「それは、いいわけですぞ。最初から良い頭など、だれも持ってはおりません。神童と呼ばれたクリストンのライアス様の御努力ぶりは、実に有名でしたしな。」
レックスは、少しいやな顔をした。ライアスの幽霊は、ベルンの教会で会ったっきり、まったく現れてない。
「グラセン、ベルセアまでって賭けだったけど、もう一ヵ月になるし、その賭け無しにしてくれないか。だれかに強制されてじゃなくて、ちゃんと考えてみたいんだ。」
「なら、賭けは、やめにしましょう。大事な事ですからね。」
グラセンは、かすかにほほえんだ。レックスは、
「おれ、シエラといっしょに旅してきて、こうしていっしょにいるのが、当たり前のように感じ始めているんだ。気になるのは確かだけど、マーブルからきいている大恋愛という感じでもないし、けど、シエラがいなくなったら、何かこう心の一部がなくなってしまうような、そんな気もしている。
あー、なんだか言ってて分かんなくなってきた。シエラが、おれの事、どう考えているのかも、よく分かんないしさ。ミランダは、もっと優しくしろとそればかりだし。うーん。」
レックスは、頭をかかえた。グラセンは、
「あせって答えを出す事でもありませんよ。自然にまかせればいいんです。私からミランダに言っておきますよ。」
グラセンは、すわっていたベッドから立ち上がった。
「アレクス様、私は少し、このナルセラに留まろうと思います。明日の出発は、私を待たなくてよろしいです。」
と言い、部屋を出て行こうとする。レックスは、
「ナルセラに、なんか用事でもあるのか。」
「はい。ベルンの件で。アレクス様からあずかっている通行証の件でです。ここ数年、ゼルムでは作物の出来が悪く、税収が悪化しているんです。盗賊が横行しているのも、それが原因でしょう。
ですが、軍が盗賊に買収されるのは問題です。軍事費の縮小が給料の極端な削減であれば、この先いくらでも似たような問題がおきます。まして今は、軍事費の削減などやっている時期ではありません。」
「ゼルムの領主に文句言いに行くのかよ。いくらあんたでも、領主がすんなり会ってくれんのかよ。」
「会うのは、軍を引退した知り合いの元将軍です。彼からなら、くわしい事情がきけるでしょう。必要であれば、彼を通して領主に会うつもりでいます。」
レックスは、笑った。
「あいかわらずだな、あんたは。逃げ場のないおれ達を引き取ったのといい、シエラをバテントスから、かっさらったのといい、怖いもの知らずだよ。なあ、グラセン、前々からきこうと思ってたんだけど、なんのために坊主であるあんたが、そこまでするんだ。」
部屋を出て行こうとした、グラセンの足が止まった。
「憂いは、できうる限り、取り除いておこうと考えています。ゼルムに開いた穴は、可能ならば、ふさいでおかなければなりません。そこから、バテントスに入られても困りますので。」
グラセンは、となりのミランダに声をかけた。レックスは、ゴロリとベッドに転がる。少しだけ開いている窓から、ナルセラのどんよりとした空が見えた。
グラセンは何を考えているのだろう。グラセンの勇気と行動力は賞賛にあたいする。けど、本心はどうだろうか。グラセンの行為は正義感とか、善意とか、そういうレベルから出ているだけではないような気がする。これは、マーブルも感じている事だ。
マーブルは、いつだったか、グラセンについてこう語っていた。
「あの、ジーサン。何、考えてんだろうな。なんか、おれ達は、あのジーサンの考えたシナリオにそって生かされているみたいだ。」
そう、自分達は、グラセンという一人の僧侶により生かされている。レックスの母、マルガリーテを即位させたのも、この坊さんだ。
レックスは、寝返りをうった。
(わかんねぇな。おれを王にして、裏で権力をにぎるってんなら理解できるけど、グラセンにはその気がまるでない。あの坊さん、いったいなんの得があって、こんな事ばかりしてんだろ。一歩まちがえば、自分の身もあぶなくなるのにな。)
そうこう考えているうちに、レックスは眠ってしまった。ふだんから考える事が、あまり得意ではないので、すぐにつかれて眠ってしまう。夕食もとらずに寝てしまったので、レックスは夜中に腹がすいて起きてしまった。
(やべ、真っ暗じゃないか。この時間にあいている店なんて、ナルセラにはないしな。ミランダのやつ、シエラといっしょに夕飯食いに行くとき、起こしてくれればよかったのに。)
となりの部屋に何か食べ物があるかもしれない。シエラが、お菓子とかよく宿に持ち込んでいるから。レックスは、廊下に出ようと扉に手をかけたとき、ドサリと音がし、窓から侵入者が現れた。侵入者は片手剣を持っており、有無を言わさずレックスに襲いかかる。
幸い、レックスは、運び屋家業で盗賊相手になんどか戦っており、こういう事態に比較的なれていたので、敵の攻撃をぎりぎりかわし、相手の股間をけりあげ部屋から逃げようとした。
が、廊下から新手があらわれ、また襲われてしまう。これも、瞬間的に、いや脳神経よりも発達した運動神経によって間一髪でのがれ、レックスは廊下へと出た。
侵入者は、隣の部屋にもいたようだ。ミランダが敵といっしょに廊下に飛び出してくる。ミランダは、自分が手にしていた二本の小刀の一本を、レックスになげつけた。ミランダは、二刀流使いだったので、武器はいつも二本身につけていた。
「レックス、私が血路をひらくから、あんた、シエラ様をつれて逃げて。早く!」
ミランダは、一人倒した。レックスは、自分に襲いかかる侵入者の剣を小刀でうけとめた。マーブルに小さいころより、手ほどきを受けていたので、武器のあつかいには自信がある。
ミランダが、レックスの敵をひきうけた。賊は、何人いるか分からない。外にもいるはずだ。レックスがとなりの部屋に入ると、賊が一人、床に倒れており、シエラは部屋のすみでふるえていた。
レックスは、シエラをだきあげ、窓から脱出しようとした。二階だったが、これくらいの高さなら、なんとかなるはずだ。窓から、また新手が入ってきた。
レックスは、シエラをかばいつつなので動きがにぶい。荒い息遣いのミランダが二人を守ろうと、新手に襲いかかった。
ミランダは強い。一人で数人相手にできるほどの実力をもっている。でなければ、グラセンがいつもそばにおいておくはずがない。
ミランダが、窓からまた室内に侵入しようとした敵を、窓の下につきおとした。何かが廊下から室内に転がってくる。火のついたビンである。それも一つではない。五つも六つだ。
「レックス、火炎ビンだ。爆発するぞ!」
シエラのなかのライアスがさけんだ。ライアスは、バテントスとの戦争で、この火炎ビンを見ている。これも、エイシアにはない危ない物だった。
だが、火炎ビンをはじめて見るレックスとミランダには、爆発すると言われても瞬間的に理解できない。火炎ビンは爆発した。それと同時に火が宿の二階をつつむ。賊は、ビンが爆発する同時に、宿に火をつけたようだ。たちまち宿はパニックになり、泊り客は我先にと逃げ出した。