一、異変(1)
どうも体調が悪い。病気というほどではないが、なにかダルイ、そんな感じだ。
夏バテのせいだろうと、さして気にしなかったが、それが、秋になっても続いていたので、ダルイのは運動不足のせいだと考え、レックスは、昼食後の休憩時間、宮殿中庭で、ティムに体力づくりのためのトレーニングをしてもらうことにした。
今日のメニューは、組み手だ。ティムは、
「動きはそんなに悪くないよ。ただ、キレがおちているけどもね。まあ、素人相手のケンカ程度なら、じゅうぶん通用するよ。」
「素人相手のケンカ程度かよ。おれ、バテントス相手に戦ったんだぜ。もう、そんなに体力が落ちてるのかよ。」
「なんにもしなければね。それに、今年に入ってから、改革やら何やらで忙しかったし、体きたえているヒマなんてなかったろ。体力ってさ、なんにもしなければ、すぐに落ちちゃうんだよね。」
「毎日、コツコツかよ。お前は、いいよな。近衛隊長で、隊員をきたえるついでに、自分もきたえられるしさ。こっちは、気難しい問題と、気難しい顔相手に、しかめっつらしながら、机の上の仕事ばっかりだし。」
ティムは、レックスのくりだした手を、あっさりと片手で止めた。レックスは、反対側の手をだす。ティムは、ヒョイと後ろに飛んだ。
「あのね。近衛隊長って、けっこう机の仕事あるんだよ。他にも、いろんなことしなきゃならないし、儀式とかにも、かりだされるしさ。隊長が、隊員をきたえたくても、自分で時間つくらなきゃ、できないんだよ。」
「この前、この中庭で、何人か相手に、いろんなこと教えてたじゃないか。隊員ばかりじゃなく、使用人達も混じってたような気がしたが。女もいたし。」
レックスは、必死でこぶしをくりだしている。でも、ティムはよゆうだ。
「ああ、あれね。兄貴の役に立つんじゃないかって思ってさ。ほら、マーレルには、クリストンみたいな、かっちりとした諜報組織って、まだないだろ。諜報活動と言っても、個人での情報収集がメインじゃないか。兄貴も、マーレル公直属みたいなものだしさ。
だから、もうそろそろ、そういう組織をつくった方がいいんじゃないかと考えたんだ。でも、本格的につくるとなると、予算やら責任者やらで大変だろ。君もマーレル公も現時点では、そこまでよゆうないみたいだしさ。
でも、いずれはつくらなきゃならないし、組織を立ち上げた時のために、人材くらいは用意しておこうと思ったんだ。さいわい、ぼくは、クリストンでは里にいる時間が長かったからね。後輩の指導もしてたしね。
それで、とりあえず宮殿内で、やれそうな人を見つけて、本人の承諾をとって、訓練をしてるんだ。」
「何人くらい、訓練してんだ。」
レックスは、動きを止め、ハアハアしていた。持っていたタオルで汗をぬぐう。ティムは、水筒の水を飲んだ。秋なのに、今日はけっこう暑い。
「今のところ、三十人くらいかな。宮殿内に、口コミで広がって、最初五人程度だったのが、自分もやりたいって志願者も出てきて、それくらいになった。みんな、やる気ある人達ばかりだし、ある程度、手ほどきすると、あとは自分達で時間見つけて、トレーニングしてるんだ。」
「口コミかよ。それで、三十人も。なんか、諜報員養成というよりも同好会だな。」
ティムは、笑った。
「いいんだよ、最初はそんなもので。とにかく人数あつめて、その中から、本当に使える人を選んで、組織づくりのための土台とすればいい。」
レックスは、タオルを芝の上に捨てた。そして、背伸びをする。
「おれも、そのお仲間に入れてもらいたいな。たまには、エッジみたいな仕事をしてみたい。なんか、このごろ、ストレスばっかりたまってさ。」
「君には、まったく向いてない。諜報って、地道で根気のいる仕事なんだよ。時には、情報つかむために、ものすごいストレスたまることも、ガマンしなきゃならない。
クリストンいる時に、言ったことあったろ。命乞いする人を殺せと命令されたら、君は命令に従うことができるか。一瞬でも迷いがあったら、この仕事にはむかない。ま、君にたずねるまでもないけどもね。」
「お前もできないだろ。そう言ったはずだ。」
ティムは、また笑った。
「だから、人材育成してんだよ。ところで、兄貴、いつ帰ってくるんだ。ずっと留守にしてるし、シエラ様にきいても、どこに行ったのか知らないと言うしさ。ライアス様も兄貴といっしょなんだろ。」
「おれも知らないよ。急用で、しばらく留守にするとだけ。王家の剣を持ってったから、その場でエッジに命令するつもりなんだろう。あいつは、フラッと出かけて、いろんなことしてるからな。何をしてるとも言わないしさ。
でも、今回は、出かけてから一回も帰ってきてない。霊体だから、どこに行ってもすぐに帰ってこれるはずなんだが、こうも帰ってこないとなると、なんかあったんじゃないかって心配なんだよ。」
「でも、ライアス様とうちの兄貴だよ。ある意味、最強コンビなんだし、そんなに心配することはないと思うよ。いざとなれば、双頭の白竜を呼び出せるんだしさ。双頭の白竜、呼び出せるの、君とライアス様だけだしね。」
「けど、こんなに長く留守にしたことはなかった。」
レックスは、イライラしているようだ。ティムは、ため息をついた。
「ストレスの原因は、ライアス様かよ。さみしいんだろ。ライアス様は、君の分身だしね。体の半分がなくなったみたいで落ち着かないんだろ。シエラ様になぐさめてもらえよ。」
今度は、レックスがため息。
「夏に入ったばかりのころ、養育係りに新しく入れた若い女がいるだろ。プリシラって十八の娘だ。そいつとシエラが、えらい気があってな。このところ、ベッタリなんだよ。何かって言うと、二人でおしゃべりばかりしてるしさ。おとといなんか、プリシラのいる独身寮に行ったっきり、朝まで帰ってこなかった。」
「ひょっとして、ヤキモチ? これも、ストレスの原因なんだろ。」
「妬いてない! 女同士なんだぞ。あれ、女同士? シエラって、女なんだよな。男の格好ばかりしてるから、よくわかんなくなってきた。ライアスもシエラの体使ってるし。」
「何、混乱してるんだよ。女でなかったら、エルがいるはずないだろう。」
「男女の違いってさ、体の違いだけじゃないんじゃないかって。シエラのやつ、男装してるせいで、中身がかなり男性化してる気がしてんだ。そのくせ、しっかり母親だしさ。おれの前でも、マーレル公という男の仮面をぬぐと、女じゃなくて母親だしさ。」
「もう、その話はいいよ。ぼくも、混乱してきそうだし。それよりもさ、プリシラってどう思う? 彼女、美人だしさ。」
「どう思うって、子供の面倒見はいいよ。ジョゼは、先生って感じだけど、プリシラは、楽しいお姉さんだよ。子供達は気に入ってるしさ。」
「ねぇ、プリシラに声かけていいかな。彼女、ねらってる男、多いんだよ。けど、君に遠慮して、声かけないでいるんだ。」
「なんで、おれに遠慮するんだよ。ああ、そうか。美人だから、おれが手を出すとかんちがいしてんのか。そのために、彼女を養育係りにしたとでも思ってんだろ。」
「あれ、ちがうの?」
レックスは、頭痛がしてきた。
「プリシラを選んだのは、シエラだよ。ジョゼとダイスが結婚しそうなんで、ジョゼがいなくなる前に、新しい人をやとったんだ。おれは、彼女には、まったく興味がない。第一、プリシラは性格的に軽すぎて、おれと話が合わないんだ。シエラがなんで、夢中になるのかわからない。」
「やっぱり、ヤキモチじゃないか。まあいいや。じゃ、声かけてもいいんだよね。」
「だからなんで、おれに断るんだ。なんとも思ってないって!」
レックスは、急に咳き込んだ。そして、タオルを拾い口にあてる。咳は、少ししたらおさまった。
ティムは、
「ここのところ、よく咳してるね。カゼでもひいたのか。」
「たいしたことはない。それよりも、なんか寒くなってきてないか。急にくもって、霧みたいなのが、ふってきて、あれ?」
空は、さっきと変わらない青空だ。レックスは目をこすった。
「さっき、急に暗くなったように感じたんだがな。気のせい?」
「暗くなってなんかいないよ。ずっと、お天気だった。今日はもう、やめよう。咳で目まいがしたんじゃないの?」
レックスは、ペッと唾を芝生の上に吐いた。ティムは、
「きったないな。唾、吐くなよ。」
「痰が、からんだ。雨ふりゃ、きれいになる。なんだよ、馬が芝生にオシッコしても、だれもなんにも言わないのにさ。」
「マナーの問題。君は人間。しかも、二人の子供の親じゃないか。」
レックスは、へいへいと返事をし宮殿にもどっていった。ティムは、水筒の残りを、さっきの汚れへとかける。
(ったく、変わらないな、ほんと。でもそこが、レックスにいいところか。)
ティムは、青空を見上げた。
(ぼくにも、春がきますように。みーんな結婚してるし、ぼくだけ一人は、もういやだもんね。)
その晩、レックスは、居住区にあるダイスの部屋でぼやいていた。シエラは、今夜もプリシラだ。
「シエラ、なんの話してんだろ。王后が、独身寮に行ってまで、話すことなんてあるのかよ。毎日、あきないことで。」
ダイスは、
「シエラが、お前と結婚したのは、いくつだっけ? ゼルムに逃亡中で十八? そのあと、バテントスと戦って、マーレルもどって、たよりないお前の補佐して仕事して、子供育ててたんだよな。そうしたい気持ちがわかるな。」
「たよりないは、よけい。なんの気持ちがわかんだよ。」
「ふつう、十八と言ったら、友達と遊んだり、異性とつきあったり、いろいろと楽しい年頃なんだよ。おれもそのころは、けっこう遊んでたものな。お前はどうだった? あ、シエラとおんなじか。なら、わかんねぇかもな。」
「だから、何がわかったんだよ。言ってる意味がわからない。」
ダイスは、指をたてた。
「青春ってやつだ。シエラは今、その楽しい青春をとりもどしてんだよ。プリシラっていう、ちょうどいい相手ができたしな。プリシラの歳は、たしか十八だったよな。」
「青春? とりもどす? なんだそれ。」
「シエラは今、十八にもどってるってことだ。ま、あきらめて、様子をみるしかないな。そのうち、あきるから。」
レックスは、ムカッとした。
「子供が二人いて、何が十八だ。くだらない。もういい、話、変えよう。ジョゼとどうなっている。結婚する気なんだろ。」
「ああ、そうだな。そろそろしてもいいころだよな。最初、ジョゼから、自分は再婚で年上だから、いきなり結婚ではなく、きちんとしたお付き合いをしてから、と言われて、ガックリきてたけど、今はそれでよかったと思ってる。おかげで、いろんなことを教えられたしさ。教養とか礼儀作法以外にもな。ジョゼは、すばらしい女性だ。」
「結婚したら、ここから出て行くのか? クラサに帰ってしまう?」
ダイスは、
「それもいいかと考えた。でも、おれはここにいる。いや、いたいんだよ。おれは、このとおりだから、お前の手伝いはできないけど、そばにいて、お前を支えてやりたい。やっと見つけた兄弟なんだしさ。新居は、市内にさがすけどな。」
レックスは、ホッとした。ダイスは、
「なあ、レックス。シエラみたいに、羽をのばすのも悪くはないぞ。たまには、なにもかも忘れて、子供にもどっちまえよ。」
レックスは、少し開いている窓を見つめた。
「子供か。考えてみれば、おれの子供のころの記憶は、父さんと二人きりの旅だけだものな。友達もいなかったしな。ずっと、長い旅行しているとばかり思ってた。」
「マーレルに帰りたかったのか?」
レックスは、首をふった。
「帰りたいなんて言い出せなかった。なんて言うのかな。言ってはいけない言葉だったんだよ。禁忌ってやつだ。父さんの無言の圧力って、言いかえてもいいかな。あのころの父さんは本当に怖かった。毎日、ピリピリしててさ。甘えたくてもできなかったし、おまけに、すぐに怒ったしさ。」
レックスは、軽く咳をした。ダイスは、
「なんか、このところ、よく咳をしているな。カゼでもひいたのか。」
「たいしたことはないよ。子供のころ、こんな咳なんかしょっちゅうだった。逃亡生活は、子供の体には、きつかったしな。カゼが長引いて、入院したこともあったんだ。丈夫になったのは、運び屋はじめてからだ。重労働だったから、自然と体がきたえられたしな。」
「苦労したんだな、お前も。でも、ここんとこ忙しそうだし、体調悪かったら無理をしないほうがいい。」
「ああ、そうだな。」