つぎのお話、魔法をかけられた女の子(1)
ダリウスの国政の中心は、マーレル宮殿ではない。官庁街と呼ばれる行政地区にある、大きな国会議事堂だ。
レックスはふだんは宮殿で仕事をしているが、二、三日に一回は、議事堂のほうへも顔を出している。この日も、秘書のアランとともに、数人の護衛をひきつれ、議事堂へとやってきた。
そして、仕事が終わり、帰ろうとしたとき、国会議事長のルーファスに呼び出されてしまう。レックスは、長くなりそうだから、秘書のアランを先に帰した。
王不在の十三年、国政をしきってきたルーファスのほうが、国王であるレックスよりも強い。レックスは、さっさと宮殿に帰りたかったが、いやとは言えないので、しぶしぶルーファスの執務室に顔をだした。
レックスが顔を見せると同時に、ルーファスは、
「宮殿に、とこぞから拾ってきた娘を置いているようですが、新しく侍女をおやといになられたのですか。それにしては、歳が幼いとききますが。」
ほーらきた、と、うんざりした。ルーファスは、
「陛下も、マーレル公もずいぶん、その娘に御執心らしいですな。家族同然にあつかっているそうではないですか。」
レックスは、
「はっきり言え。このタヌキジジィ。そんな娘を追い出してしまえってな。」
タヌキジジィと言われ、ルーファスはカッとなった。
「言葉がすぎますぞ、陛下。ですから、あなたは運び屋の王などと、陰口をたたかれるのです。品位も教養もないし、愚王だったマルガリーテ御母堂にもおとる王だとね。」
ルーファスは遠慮はない。相手がだれであれ、気に入らないことがあれば、これだ。レックスは、ムカッときたが、
「言わせたいやつには言わせておけ。どうせ、陰口しかたたけない、いくじなしどもだろうが。たしかに、おれは運び屋だよ。けど、国王って、みんな運び屋じゃないか。国民を過去から、もっと豊かな未来へと運んでやるのが、国王の仕事じゃないのか?」
「娼婦の娘なんでしょ。王家にふさわしくない。私にまかせてくだされば、それなりの家に養子に出してさしあげますよ。」
「ったく、なんでも調べるのが早いな。だが、もう決めたことだ。ルナは、おれの娘だ。どこにもやらない。」
レックスは、そう言い、わざとルーファスの机を、こぶしでドンとたたいた。いきおいで、インク壺に立てていたペンが倒れる。ルーファスは、ペンをインク壺に立て、こぼれたインクをそこらにあったナプキンでふき、汚れたナプキンをゴミ箱に捨てた。
「ルナと言うのですか。名前はよいですね。ですが、身分を考えなさい。シエラ様でさえも王妃とは認めてもらえないのに、娼婦の娘など話になりません。」
レックスは、身を乗り出し、ルーファスに顔を近づけた。
「その話なんだがな、シゼレが動いてくれたよ。もう、四年もたってるのに、王妃と認めてもらえないから、妹をふびんに思った兄さんが、ベルセア法王にそのことを直訴したんだよ。
いまのベルセア法王は、シゼレがベルセアで修行していたときの師匠だ。弟子のたのみをきいてくれて、シエラを自分の娘にしてくれるらしい。もうすぐ、こっちにベルセアからの使者がくるはずだ。ザマーミロってんだ。」
ルーファスは、動じなかった。
「それは良いことでしたね。おめでとうございます。法王の娘でしたら、マーレルは大歓迎です。これで、陛下がクリストン寄りの王だと、言われることもなくなるでしょう。いっそのこと、シエラ様を女王に即位させてはいかがですか。ふがいない夫に代わって、立派に国を治めてくれるでしょうからね。」
「いっちいち、つっかかる言い方だな。とにかく、ルナのことには口出しは無しだ。ルナは病気なんだよ。暴力団がらみの施設でひどい目にあったらしくて、心がどこかにいってるんだ。シエラが献身的に看病してるが思わしくない。おれも、さっさと帰って、ルナのそばにいてやりたい。」
「仕事よりも子供ですか。」
レックスは、扉に手をかけ、チラとルーファスを見た。
「どっちも大事だよ。けど、仕事がないときは、そばにいてやりたい。親として、当たり前だ。」
レックスは、バタンと思いっきり扉をしめて、出て行った。力まかせに閉めたので、扉の蝶番が、少しはずれかけた。ルーファスは、やれやれと思った。
そこへ、副議のフライスが、笑いながら入ってきた。
「ずいぶん、楽しそうでしたな。」
「何が楽しいだ。頭痛のタネばかり増やす王だ、あの若造は。」
ルーファスは、はずれかけている扉をみつめた。
「建物を壊す気か。国の建物をなんだと思っているんだ。常識はないのか。」
フライスは、
「まあ、我々の言う常識はないでしょうね。彼にとっての常識は、我々のわからない範囲にあるのですから。この国会議事堂と宮殿に、ライアス公の亡霊がよく出るというウワサは御存知ですか。」
「幽霊話など、無用だ。」
「陛下の言動や顔つきが、突如変わるのは、そのせいだとみんなは話してますよ。陛下は、ライアス公の亡霊を使っているとね。シエラ様の二重人格もそうでしょう。」
ルーファスは、チラとフライスの顔を見つめる。
「何が言いたい。」
「あなたは、あの夫婦に、結果的には勝利していませんね。いつも、ギリギリになると、必ず人格が変わってしまいますから。あなたが今まで、口で負けたのは、一人しかいなかったはずですよ。」
ルーファスは、フンと鼻をならした。
「ライアス公には、むかし、苦渋をなめさせられたわい。今でも忘れん。ったく、思い出しても腹が立つ。死んでまでも、じつに、いまいましい。」
「そうですね、いまいましい。でも、私は助かったと思っています。でなければ、陛下はとっくに、このマーレルに埋もれてましたからね。あの若くて美しい王を、ただの飾り物にはしたくはなかったですから。」
「何を言いたいのだ、フライス。」
「いえ、別に。ただ、そう思っているだけです。」
ルナは、ぼんやりしていた。子供部屋で一日中、窓際のイスにすわり、外ばかりながめている。シエラは、仕事を休み、ずっとルナとともにいた。エルが絵本を持ってきた。
「また、銀色の髪の女の子の本? エルはこの本が好きなのね。」
エルは、ルナを見つめた。
「ルナお姉ちゃん、いつになったら、エルとお話してくれるの。絵本の女の子にあえて、すっごくうれしかったのに。」
「ルナお姉ちゃんはね、悪い魔法使いに魔法をかけられちゃったの。だから、お話しできなくなったのよ。」
シエラは、エルの頭をなでた。
「エルは、ルナのこと好き?」
「うん、大好き。でも早く、お話したり遊んだりしたい。ねぇ、どうやったら、良い魔女を呼べるの。良い魔女だったら、悪い魔法使いやっつけて、お姉ちゃんたすけてくれるよね。」
「そうね。でも、お母さんも良い魔女を、どうやって呼んだらいいのかわからないの。」
エルは、自分の髪をひっぱった。
「銀色じゃないけど、エルの髪、きれいだって、みんな言ってる。良い魔女、ほしがってくれないかな。」
シエラは、エルをだきしめた。
「ありがとう、エル。あなたの優しい気持ちだけでじゅうぶんよ。二人で、ルナが一日でも早く元気になりますようにって、お祈りしましょう。」
「あ、ライアス兄ちゃんだ。」
エルには、ライアスが見える。ライアスは、シエラに廊下にでるよう言った。
「え、妊娠? ミランダが? たしかに今日、カゼで休んでるけど。でも、何も言ってなかったわよ。」
「ルナのこともあるし、言い出しにくいんだよ。それに彼女、つわりはなかったしさ。もう、六ヵ月になるんだ。お腹が、はってたから休んだんだよ。このごろ、様子がおかしかったんで、気になって、さっき宮殿北のある独身寮にいって、様子をみてきたんだ。これ以上、無理はさせたくない。」
シエラは、とまどってしまった。妊娠時の症状やお腹の出方には、個人差があるとは言え、六ヵ月になるまで、まったく、気がつかなかったとは。
「そんな。早く言ってくれればよかったのに。ミランダって、いつもそう。」
「自分の代わりは、いないからなんだよ。シエラ、ミランダみたいに、何もかも理解してくれて、子供達を安心してまかせられる侍女を見つけたほうがいい。ミランダ一人に、たよりきるのは、彼女自身の負担が大きすぎるよ。」
シエラは、こまってしまった。宮殿には、使用人も侍女もたくさんいる。でも、
「難しいわ。私達がふつうの夫婦でないことくらい、みんな、わかってるけど、どれくらい普通でないかを理解させるのは、やはり難しい。第一、話しても信じてくれそうもないしさ。それに・・・。」
使用人が、こっちにむかってやってくる。お茶の時間だ。ライアスは消えた。
「奥方様。お茶の御用意ができました。お部屋へ入ってもよろしいでしょうか。」
宮殿の使用人達は、シエラを奥方様と呼ぶ。レックスを陛下と呼んでも、エルを王子と呼んでも、シエラは奥方様だ。それはこの四年、一度も変わらない。使用人は、子供部屋に入っていった。
シエラは、とても無理だと思った。