十、ライアス(4)
そして、次に出た時間は、真冬の真夜中だった。外は、もうれつに吹雪き、凍りつくほど寒い。宮殿内でさえも、死ぬほど寒かった。クリストンは、エイシア島で一番寒い。
「寒い。おれが飛んでくるのは、ライアスの人生にかかわる重要地点だけど、まあ、シエラが飛ばしてんだろうけども、何もこんな寒い、しかも真夜中に飛ばすことはないだろうに。しかも、こうも真っ暗じゃあな。おれ、宮殿のどこにいるんだろ。」
廊下の向こうに灯りが見えた。ゆれ動いているので燭台を持った人だろう。こっちへとやってくる。明かりに浮かび上がったのは、シゼレだった。
(シゼレだ。まだ、左目があるな。それに、坊主の格好してるし。教会から呼び出されたのかな。こんな真夜中に。ひょっとして、ドーリア公が亡くなったのか。にしては宮殿は静かだな。)
シゼレは、レックスには気がつかなかったようだ。そのまま、行ってしまう。レックスは、あとを追った。シゼレは、ライアスの部屋へと入っていく。すぐに、大声でどなりあう声がきこえてきた。
シゼレは、乱暴に扉を閉めて去った。レックスは、そっと扉をあけた。ケンカ別れしたので、会うのは少し気がひける。が、扉をあけたとたん、ゲとなってしまった。
部屋中、散乱したゴミと割れた酒ビン。ムッとする、こもった臭い。灰がたまりきった暖炉には、チョロチョロと消えそうな火だけが残っていた。いったい、どれくらい掃除してないんだろう。
レックスは、足元に気をつけながら、室内に足をふみいれた。ライアスは、酒ビンが転がっているテーブルで寝ていた。しかも、薄着一枚で。
「おい、ライアス。起きろ、カゼひくぞ。」
ライアスは、うーんとうなったが、すぐにまた寝てしまう。レックスは、しかたなしにライアスをだきあげ、ベッドに寝かせた。ライアスがだきついてきた。だれかの名前を呼んだから、寝ぼけてかんちがいされたようだ。
「バカ、目をさませ! おれだよ、おれ。はなせったら、キスすんな!」
ようやく目をさましたライアスは、顔を手でゴシゴシこすっていた。しばらくフロにも入っていないようで、体臭がひどかった。おまけに、救いようがないくらい、酒臭い。
なんだか、死んだ親父に似ているな、とレックスは思った。親父もフロがきらいで、いつも不潔にしていたっけ。おまけに、しょっちゅう酔っぱらって、酒臭かった。
「なんだ、君か。あの人かと思ったよ。」
「あの人じゃない。それに、なんだはないだろ。せっかく、会いにきたのにさ。」
「もう、こないかと思ってたよ。ひどい別れ方したんだしさ。」
「お前、どれくらいフロに入ってないんだ。おれのカンでは、一ヵ月だろ。やたら臭いし。」
「臭くて悪かったな。ドーリア公が死んだんだよ。それからずっとかな。二ヵ月だよ。」
レックスは、思わずひいた。
「おれは、いったん帰る! フロ入って、この部屋掃除したら、またきてやる。」
レックスは退散した。そして、すぐに現れる。今度は昼のようだ。ライアスは、ちょうどフロがおわったようで、ローブをきて、頭をタオルでゴシゴシやっていた。室内は、きちんと掃除され、空気も換気されている。
「ごめん。おとといは、ひどいとこ見せちゃったね。」
「シゼレがきてたようだが、ケンカしたのか。」
「君がくる少し前に、ドーリア公の幽霊がこの部屋に現れて、ぼくがひどく暴れたからだよ。それで、手がつけられなくなって、夜中にシゼレを教会から呼んだんだ。」
「飲んだくれてのは、それが原因だったのか。」
ライアスは、うなずいた。
「宮殿内をうつろく姿をよく見かけるから、たまらなくて酒でごまかしてた。酔っぱらうと、見えていてもどうでもよくなるからね。けど、死んでから二ヵ月だし、もうそろそろ向こうに逝くころだと思う。」
「おれみたいに、家来にすればよかったじゃないか。魂的には、お前のほうが強いから、いくらドーリア公でも逆らえなくなるからな。向こうに逝かせないで、いままでのウラミをこめて、コキ使えば、すっきりするんじゃないか。」
ライアスは、苦笑した。
「それもよいかもね。着がえしてもいいかな。これから、用事があって出かけなきゃならないから。」
レックスは、どうぞと言った。ライアスは、ローブをぬいだ。白い裸身がさらけだされ、ライアスの背中を見たレックスは、思わず声をあげてしまった。
「そ、その背中の傷はどうした。なんか、古い傷のようだが。」
「ムチのあとだよ。マーレルからもどってきたドーリア公に、サイモンの家にいることがばれてね。叔母と叔父が、命がけで説得して止めてくれたんで、なんとか死なずにすんだんだよ。そのあと、ぼくはサラサから隔離されたんだ。遠くに行かされてね。」
ライアスは、シャツで傷をかくした。
「いやなものを見せたね。うっかりしてた。ぼくはどうして、こうも父にきらわれてしまったんだろう。いくら考えてもわからない。サイモンや叔母にきいても、知らないと言われた。」
「やはり、毒殺したのか。」
ライアスは、小さく笑った。
「毒を使ったのは、あの時だけだよ。普通の人だと死んだけど、頑丈すぎたみたい。君に親殺しと言われて、目がさめたんだ。そして、君に見捨てられたと思った。だから、毒はすべて捨てた。」
「シゼレは、お前が殺したと思ってるんだぞ。」
「結果的に見て、ぼくが殺したようなものだよ。塔で死にかけ、ムチで殺されかけ、ぼくは、ひどい妄想に苦しむようになった。虐待は、それ以来、一度もなかったけど、あの冷たい視線だけは、ずっと続いていた。
ぼくは、父がおそろしかった。何かえたいの知れない魔獣に見えてきて、何度もその魔獣に殺される夢を見続け、しだいに夢と現実の区別がつかなくって、毒を盛ってしまった。ちょうど君が現れたときだよ。」
「毒の研究してたのは、そのためだったのか。」
ライアスは、うなずく。
「殺される前に殺さなければ、こっちが殺される。もう、まともじゃなかった。シエラも、ぼくの異常に気がついて、いろいろと心配してくれてたけど、ぼくは、すべて無視してた。シエラもつらかったんだろうね。ぼくと父に、はさまれてさ。ひどいことをしたと思ってる。」
「シエラは、お前がしたことを知ってたのか。」
「シエラは、純粋な子だよ。人をうたがうよりも信じるタイプだ。父が死んで、一番悲しんだのはシエラだ。あの涙を見たとき、自分のしたことの重みにたえきれなくなった。酒びたりになったのは、幽霊ばかりじゃないんだ。君がきてくれなきゃ、飲みすぎで死んでたかもね。」
「ドーリア公は、なぜ死んだんだ。」
「わからない。毒を盛ったのは、あの時だけだったしね。とりたてて、病気というほどでもなかった。けど、あの事件以来、父は小さくなっていった。何かにおびえるように、小さくなっていったんだ。」
ライアスは、きちんとした服装になった。
「領主としての責任をはたさなきゃね。いつまでも、飲んだくれてはいられない。君はもう帰るか。」
「いや、ここで待ってるよ。お前ともう少し話をしたい。」
ライアスは、出かけてしまった。レックスは何もすることがなくなり、部屋でぼんやりしていた。
ライアスは父親のことで、どれくらい傷ついているんだろう。あの古傷のように、決して消えない心の傷の痛みに、常にさいなまれているのかもしれない。
レックスは、机の上の分厚い本に目をとめた。気になって開くと、ライアスの日記だった。好奇心でパラパラとめくる。内容は、愛人関係のことばかりだった。
(年上ばっかり。人妻とか未亡人とか。しかも、夫婦でまるごと三角関係なんてのもやっている。どういう趣味してんだ、あいつは。)
レックスは、日記をとじた。
(そう言えば、前にエッジが言ってたな。つきあっているやつは、年上で親みたいな人ばかりだったって。ライアスは、愛人に親の愛情をもとめてたって。)
シエラは、自分にひたすら愛情をもとめてくる。もっともっと愛して欲しい、自分だけを愛して欲しい。自分だけを見ていて欲しい。
(小さな子供そのものだ。おれの前では、あいつは子供にもどっているんだ。おれを母親や、やさしかった父親に見立てて、そのとき得られなかった愛情を、ただひたすらもとめていたんだ。なぜ、もっと早く気がついてやれなかったんだ。バカだ、おれは。あいつの親になるって、決めてたのによ。)
ライアスにとり、この日記の内容は、他人から愛してもらった貴重な時間なのだろう。だから、忘れないよう書きとめておいたのだ。レックスは、まだ火が残っている暖炉に、日記をやぶいて捨てた。
(しょせん、偽りの愛情でしかない。ライアス自身も、自分が本当に愛されているなんて、思っていないはずだ。そして、自分が愛していないこともな。)
・・・君の本当の名前を教えてほしいな。レオンなんて偽名だって、すぐにわかったよ。だから、呼ばなくなったじゃないか。
やっぱり、すぐばれるか。名前なんて、もう忘れちまったよ。君でいいよ。
君は、ただの幽霊じゃないね。でも、聖霊でもない。聖霊にしては、はっきり見えすぎるし、人間に近い。どうして、ぼくの前に現れたんだ。
お前に会いにきたんだよ。
君は、いったいだれなんだ。
一つ約束してくれ。どんなことがあっても、おれに会いにきてくれ。シエラとともに、必ずな。おれは、お前達二人を、ずっと待っているから。
言ってる意味がわからない。君は、ここにいるじゃないか。ぼくのすぐそばに。
ああ、ずっといっしょにいるよ。お前のそばにいる。だから、おれの前では、いつも笑っていてほしい。
笑うって、どうやって笑うの。笑っていてほしいと言われても、どう笑っていいのかわからないよ。笑い方、忘れちゃったしさ。
今、笑ってるじゃないか。それでいいんだよ。
顔が、ゆるんでるだけだよ。でも、これでいいんなら、笑ってもいいよ。あのね、いつだったか、ぼくの親になってくれるって言ったことあったよね。おぼえてる?
おぼえているよ。
ね、愛してるって言って。いっぱい、いっぱい言って。いっぱいだよ・・・。
レックスは、目をさました。シエラが剣を持ち、イスにすわったまま、こっちをじっと見ている。レックスは床で寝ていたらしい。起き上がって、頭をポリポリかき、大きなあくびをした。
「もどってきたのか。ずいぶん、長い夢だったな。」
「時間にして、一時間くらいだよ。そのかん、ずっと君の動きをコントロールしてたんだ。さすがにつかれた。どう、感想は。軽蔑した?」
「すんじまったことだしな。前にも言ったろ。忘れろってね。」
シエラは、ホッとしたようにほほえんだ。レックスは、シエラの頭をなでた。
「結婚式、いつにする。マーレル行く前にちゃんと結婚しておこう。子供も産まれることだしな。」
「シゼレが今、ケラータに奥さんむかえにいってるから、帰ってきてすぐがいいな。シゼレがいた教会で、二人きりで小さくね。」
「そうだな。」
レックスは、シエラをだきしめた。
「愛しているよ。いっぱい、いっぱい愛してる。ずっといっしょだ。」