九、首都奪還(2)
シエラは、地下牢をあとにした。次は、バテントス皇子に会わなくては。兵士に命じて、宮殿の客室に監禁しておいたはずだ。そして、会ってギョッとした。昨日、会った男だ。
「おやおや、本物のシエラ姫がくると言うので、どんな女かと、たいして期待もせず待っていたんだがね。まさか、昨日の美少年がそうだったなんてな。ドラゴンはどうした。置いてきたのか。母のいた国では、ドラゴンはたいそう大切にされているときく。」
シエラは、けわしい表情で男を見つめた。
「お前が、そうだったのか。まさか、唯物論国家のバテントスの皇子が、霊能者だったとはね。」
男は、酒臭い息をはいた。どうやら、酔っているようだ。
「ユードス・カルディア。ユードスが名前。カルディアは、母の出身部族名。カルディア族は、大陸の北東部に住む部族。母は、部族の神官の娘で巫女をしていた女。カルディア族は霊能者が多い。今は亡き母も、そうだった。私に、お前が見えても不思議ではない。これでどうだ?」
「帝国では、霊能者であるお前は異端だ。皇帝一家から、異端をだすわけにはいかない。だから、こんな島に追いやられた。いい筋書きだな。」
「ああ、いい筋書きだ。だが、私は皇帝一家の末席にも加えてもらえない、低い身分の皇子だ。皇帝を父に持っていても、カルディアと言う、部族名しか名乗らせてもらえないからな。
皇帝一家とみなされるのは、同じバテントス人の名門の血を引く者達だけに限られている。皇帝の三十四人の子のうち、五人だけが一家とみなされ、次期皇帝の継承権を持つ。東出身の母を持つ者は、皇帝の血を引いていたとしても、皇帝一家の日陰者でしかない。だから、このように使い捨てられる。」
シエラは、目の前の男に少し興味を持った。
「バテントス人は、占領国の人間をモノあつかいするが、自国でもそうなのか。身分が低いとはいえ、仮にも自分の子であるお前まで使い捨てにするとはな。」
「三十四人もいればな。おまけに私は、カルディア族の血を強く受けつぎすぎた。見えない世界の真実を否定する皇帝にとり、見えない物を見ることができる私は、あってはならない存在なのだよ。」
ユードスは、いきなりシエラにだきつき、強引にキスをした。シエラはカッとして、男の股間をけりとばす。男は、床で丸まり痛みをこらえつつ、笑った。
「お前には、偽物にはない、よい香りがする。魂の高貴なる香りだ。お前の夫は、さぞ、お前を愛しているのだろう。その魂の香りにひかれて。」
「口をつつしめ。お前は自分の立場が、わかっていないようだな。」
シエラは、ユードスをにらんだ。ユードスは、
「立場など、どうでもよいことだ。どうせ、私は捨てられた。このような異国へと追いはらわれ、死ぬよう運命付けられた男だ。好きにしろ。」
「たしかにそうだな。お前の運命は今、ぼくの手の内にある。死にたかったら、その望みをかなえてやってもいい。利用価値のないお前など、帝国との取引には使えぬのだからな。」
ユードスは、なんとか立ち上がり、そばにあるイスを引きよせた。
「さっきの直撃で酔いがさめたようだ。ききたいことがあるのだろう。私が知る限りにおいては、好きなだけきかせてもよい。ただし、もう一度、口づけを許してくれるのならな。」
シエラは、少しだけ考え、かるくキスをした。
「さあ、話せ。夫ある身の女の口を許したのだから、それ相応の支払いはしてもらう。」
ミランダは、小刀をぬき、イスのユードスの背後に立った。ユードスは、クックッと全身をふるわせ、笑った。
「実によい香りだ。最高の美酒にも匹敵する。私もお前に酔いしれてみたい。いや、すでに酔っているのかもしれぬな。」
「酔いがさめたんじゃなかったのか。もう一度、けりとばしてやろうか。夫からは、身の危険を感じたら、そうしろと言われているのだしな。」
ミランダは、ユードスののど元に、かるく刃をあてた。ユードスは、かんねんしたように話はじめた。
本国からの増援は、短い期間のうちに数回やってきた。そのつど、サラサにいる正規軍との入れかえが行われ、今、ニキスで戦っているのは、軍幹部もふくめて正規軍はおらず、バテントス本国の周辺から集められた、よせ集めにしかすぎないと言う。
クリストンに駐留しているバテントス軍の入れかえは、これまでに何度も行われていたので、シエラ達は、軍を構成する人種までは、さして注意をはらっていなかった。第一、あまりお目にかからない異国人同士の区別は、エッジ達諜報員でも見分けが難しい。
ユードスは、
「本国は、エイシアを領土とするよりも、東を優先することにした。正規軍は、そのためにエイシアから引き上げさせられた。ゼルム侵攻のために中州の城においた正規軍も引き上げ、あそこは今ではカラッポになってる。だが、それは表向きの話だ。」
ここへ送られてきた増援は、もともとは正規軍を補佐するために、不平等条約を結んだ周辺諸部族から、ユードスの母同様、人質として強制徴兵した兵士達だけで編成された軍だと、ユードスは語った。
だが、東側が、その人質を捨てたかたちで活発化し始めた今、人質としての利用価値もなくなり、内部から、いつ反乱されるかわからない厄介な存在になっていた。
バテントスは、彼らを消滅させるために、エイシアへと送りこんだのである。東の動きは、エイシアの陰謀だとわかっていたので、エイシア人自らの手により、厄介者と戦わせ壊滅させ、東とエイシアとの関係にヒビを入れようと画策したのだ。
ユードスは、
「ニキスでは、すぐに勝敗はつくだろう。諸部族の兵士達は、正規軍がいなければ、よせ集めの烏合の衆にしかすぎないのだからな。お前達が苦労し、東と結んだ同盟もムダになったようだな。」
シエラは、フッと笑った。
「だから、どうしたと言うのだ。たとえ、烏合の衆とはいえ、彼らには、勝つしか生きるすべはない。それこそ、死に物狂いになるだろうな。昨日、ここへ侵入したとき、そのよせ集めの兵士達は、なんとしても勝って国に帰るとしか口にしてなかったしな。ならば、こっちも全力で戦うしかない。」
「本国は、この島をまだあきらめてはいない。いずれ、おりをみて、またこの島にくるぞ。しょせん、お前達は、ほんのわずかな平和を手に入れたにすぎない。いずれくる、恐怖の時代のためにな。」
「お前は、ただ運命にながされるだけか。帝国の皇子のくせに、おもしろい男だと多少興味をもったが、しょせん、あきらめているだけの男だったな。夫の足元にもおよばない。」
シエラは、客室を出ようとした。ユードスは、
「お前の夫に会ってみたい。お前の口をうばったことを謝罪しよう。」
「御自由に。それと、皇帝の御子息には不自由をかけるが、この部屋でがまんしてくれないか。お前達夫婦がつかっていた宮殿南部は、もともとは領主家族が住まいとして使っていた場所なんでね。地下牢の妻に会いたいなら、一度くらいなら、会わせてやってもいいが。」
「強制されて、結婚式をあげただけだ。もう、うんざりだ。あまりの香水臭さに吐き気がする。」
「だろうね。」
シエラは、ミランダに、少し休むから一人にしてくれと言い、宮殿南部へと向かった。
シエラは、自分の部屋(偽物シエラが、ゆうべまでいた部屋)の扉をひらいた。使用人達により、きちんと片付けられてはいたが、強い香水の匂いが充満している。シエラは、窓をあけ換気した。
(いったい、どれくらい、香水をふりまいてんだ。あの女、鼻がおかしいんじゃないのか。これじゃあ、夫のユードスもたまらなかったろうな。あの女の性格以前に。)
シエラは、化粧台を見た。化粧品の数だけでも、おそろしい。それは、棚には、限りない宝石。部屋にいくつもあるクローゼットをあけると、値段のはるドレスがびっちり入っていた。
(これも、バテントスの作戦の一つか。与えるだけ与えて感覚をマヒさせて、自分達につごうのいいよう、したて上げる。だまって言うことをきいていれば、いくらでも贅沢できるし、領主だ姫だともちあげられる。国を売ったことにすら気がつかない。)
シエラは、部屋のあちこちを調べた。あった。ダリウス・カラーの金髪のかつら。栗色の頭なら、ダリウス・カラーのかつらくらい、持っていても当たり前だ。
シエラは、ドレスの山から、古代衣装がモチーフになっているドレスを見つけた。教会の壁画で、よく見る衣装に似ている。山歩きで汚れた服をぬぎ、その衣装に着がえ、金髪のかつらをかぶり、化粧をした。
そして、鏡にうつった茶色の瞳を見る。シエラは、剣を手に持ち、瞳の色を透き通った空の色に変化させる。
バルコニーに白竜が現れた。シエラは、大空へと舞い上がった。
ニキスの戦いは始まっていた。レックス達本隊が、バテントスよりも先に到着していたらしい。そして、少しおくれてやってきたであろうバテントス軍と、すぐさま戦闘になったようだ。
ニキスの戦いは、ぶつかり合う波のような様相を呈していた。どっちの軍も必死で、戦場は、おしあいへしあいの状態が続いている。
シエラは、上空から戦場をながめていた。レックスはどこかとさがすと、あんのじょう、紅竜にまたがり、一般兵と同じように戦っている。動きからさっすると、怪我の心配はなさそうだ。
(紅竜が、レックスを守ってくれてるんだ。けど、レックスらしいな。後方で待機することを良しとせず、か。むぼうと言えば、むぼうだけどもね。)
敵も味方も、ごちゃごちゃの乱戦になり、だいぶ被害が出ていた。これからのことを考えると、すぐにでも終わりにしたほうがよい。
シエラは、双頭の白竜を呼び出した。とうぜんのごとく、紅竜が消え、レックスは地面へとたたきおとされてしまう。レックスから絶対はなれないティムが、すぐさまガードに入り、レックスを自分の騎馬へと引き上げた。
それと同時に、空に巨大な二つの首を持つ白いドラゴンが出現した。戦場にいた兵士達は、急に現れたドラゴンにおどろき、戦闘をやめて逃げ出した。
レックスは、
(双頭の白竜? 紅竜がまた白竜を呼び出したのか?)
双頭の白竜は、エネルギー弾を、平原のはるか向こうの山へとうちこんだ。山は巨大な爆発とともに半分ほど蒸発する。そのおそろしい光景を見た兵士達全員が、凍りついてしまった。
双頭の白竜は、レックスの前に地響きとともに舞いおりた。シエラは静かに、金色の髪をたなびかせ、ドラゴンの片方の頭上にたたずんでいた。
ティムは、
(レックス、あれってひょっとして、教会で見たミユティカ様? まさか、そんなことないよね。)
レックスは、ティムの馬からおりた。そして、ドラゴンの前へと進む。戦場はシンとなり、みんな、ドラゴンとレックスを見つめていた。
シエラは、王家の剣を、輝く黄金の剣へとかえた。シエラは、よく響く美しい声で、レックスに呼びかける。
「我が主にして、もっとも偉大なる王よ。そなたは、エイシアを救いし者、英雄王。」
ドラゴンは、二つの頭を下げた。シエラは、ドラゴンの頭からおり、レックスの前へと進みひざまづき、輝く黄金の神剣をさしだす。レックスは、いい加減にしろと小声でどなった。
シエラは、
(早く受け取って。長々してると、奇跡の意味がなくなっちゃうよ。この剣をわたしたら、ぼくは消えるから。君はぼくが消えたあとに、ドラゴンにのって。それで全部おしまいになる。)
レックスは、意味がわからなかったが、神剣は受け取った。そのとたん、大歓声があがる。
常識では理解不能のできごとだったが、とにかく奇跡はおきた。伝説の女王が、双頭の白竜とともにかけつけ、ヒジン川に引き続き、二度目の奇跡を目の前に王に起こしたのである。
シエラは、
「奇跡は起きた。異国の兵よ。もはや、そなた達には勝ち目はない。我が名のもとに早々に降参せよ。我が名は、女神ミユティカ。ダリウスの娘、天かける乙女なり。」
シエラは、ドラゴンに飛び乗り、双頭の白竜はあっというまに姿を消した。そして、ややあってから、ドラゴンはまた姿を現す。シエラは乗っていなかった。レックスは、ドラゴンに乗った。
バテントス軍の中から、三十半ばくらい男が現れ、ドラゴンの前に頭をさげた。
「私は、東側部族の一つ、カルディア族の者です。サラサにおります、ユードス皇子の母君と同じ部族です。このような偉大なドラゴンをしたがえる王だと存じ上げず、戦いをいどみ、まことに申し訳なく考えております。我がカルディア族には、もはや、あなた様と戦う意思はございません。どうか、御慈悲を。偉大なる王。」
ようは、部族の命乞いである。レックスは、やっとシエラのパフォーマンスの意味を理解した。カルディア族に続き、つぎつぎと降参してくる。まともに考えたって、目の前にしっかりと見える、巨大なドラゴンにはかなわない。
勝敗は、あっさり決まった。自軍から、ミユティカとレックスを称える声があがった。それは、さっきまで戦っていた敵方にも伝染し、レックスはまたたくまに、英雄に祭り上げられてしまった。
そして、すぐさま、その場で各部族の代表を集めた会議がひらかれ、全面降伏することが決定され、レックスは、それを受け入れた。双頭の白竜は、そのかん、戦場を威嚇するよう、その場に待機し続けていた。
レックスは、副官のフライスと相談し、バテントス軍を自軍の監視のもとに、このままニキスで待機させ、各部族の代表だけをひきつれ、サラサに向かうことにした。ユードス皇子との話し合いで、今後どうするか決めることにしたのである。
そして、サラサに到着したレックスは、大歓声とともに町へと入場をし、宮殿の前で待っていたシエラと久方ぶりに抱き合った。
レックスは、バテントス軍の安全を王の名で保障し、大陸東へと帰還するために、船の用意をすると約束した。ユードス皇子も、カルディア族とともに母親の故郷に帰ることになった。
副官のフライスは、諸部族達の帰還を待って、ダリウス軍とともにマーレルへの帰途についた。
そして、偽物シエラは、牢の中で人知れず、その生涯を終えたのである。