二、ベルンの事件(2)
ライアスは天井画から、祭壇にある二つの神像に視線をうつした。男女の神像だ。
「天空の神ダリウスと、大地の女神ベルセア。世界の創世神だ。神話では、二人の神は世界を創世するにあたり、それぞれ役割を分担したという。
ダリウスは空を創造し太陽と風を創り、天空の神となり、ベルセアは大地を創造したあと、大地の女神となって、地に人を満たし人の母となった。世界は、この二人の神から始まったとされ、人の母である女神の名をもらいベルセア教会がつくられ、そこに天空の神ダリウスを奉ったとある。」
ライアスは、目をつぶり、両手でしっかりと剣をにぎりしめた。かすかに剣が光っている。
「だんだん思い出してきた。なぜ、ぼくが君に執着していたのかもね。この剣をにぎりしめていると、記憶の底にしずめられた古い記憶がよみがえってくる。
建国の英雄ミユティカは、この二人の神から産まれた娘とされ、国教会では、ダリウス、ベルセアにつぐ地位を持つ女神であるが、現実には、ごくふつうの両親から、ふつうの娘として産まれたんだよ。
そして、女神ベルセアから、ミユティカ・ダリウス・レイ、つまり、栄光あるダリウス神の娘としての意味を持つ名をもらい、歴史の表舞台に出てきたんだ。
ぼくが、ライアスとして生きる以前の記憶。彼女は、ミユティカには、人間の親と魂の親の双方がいた。この世的な家族の絆を持つ両親、そして、魂の親である存在。それが天空の神と大地の女神、ダリウスとベルセアだったんだ。」
だまって聞いていたレックスは、聞きつかれたように頭をかいた。
「何が魂の親だよ。人間だったら、みんなそうじゃないか。世界と人間をつくったんだからな。国教会でも、この世の人間はみんな、この世界を創造したダリウスとベルセアの子だって教えてるんだしな。」
ライアスは、目をひらいた。
「ダリウスとベルセアも人として実在したんだよ。ミユティカよりも、もっと古い時代にね。ダリウスとベルセアは夫婦だった。二人して、数百人の一族をひきつれ、この島へとやってきた。そこから、この島の歴史が始まり、一時的に大陸の支配を受け、ミユティカが解放し今に至った、と言うのが真相だよ。」
「しょせん神話だ。実在も真相も何もないさ。お前がそう信じたかったら信じればいい。おれは坊主じゃないし、教会もきらいだしな。とりあえず信者になっているけど、産まれた時に自動的に洗礼を受けさせられただけだ。もういいよ、話がずらされた。なんの話をしてたんだっけ。」
「この剣の真偽についてだよ。この剣は本物だよ。ミユティカが実際使った、本物の神剣なんだよ。この剣の本来の持ち主である、ミユティカの事を話すついでに、君の歴史認識を調べただけ。グラセンは、最低限の知識は教えてたんだね。」
「おれの事、バカだと思ってんだろ。」
「事実、バカじゃないか。こうして話していても、知性のカケラも感じられないし。」
レックスは、ムカッときたがこらえた。ライアスは、
「この剣はね、魔法の剣なんだ。何せ、女神ベルセアがミユティカを守るために与えた神剣なんだしね。ちょっと持ってごらん。ふつう、剣は持つと冷たいよね。」
レックスは、さしだされた剣をしぶしぶにぎった。大柄なレックスが持つと、小さな剣はまるでオモチャだ。
「ほんのり、あったかいな。お前がさっきから持ってたせいじゃないのか。」
「そう判断されても反論できないね。にぎりしめてたもんね。じゃあ、こうしよう。剣よ、熱くなれ。火のように熱くなれ。」
ライアスがそう言ったとたん、レックスの持っている剣が、熱湯のように熱くなり、思わず放り投げてしまう。
「あっちぃ、ヤケドする。急に熱くなったぞ。」
手をフーフーするレックスの前で、ライアスは床に転がった剣を手にとった。そして、レックスにさしだす。
「もう、熱くないよ。」
剣は、ヒンヤリしていた。ライアスは、
「なんども言っている通り、本物の神剣だからだよ。まあ、知らなくても無理ないよ。この剣が王家の剣となってから、千年以上もたってるしね。けど、グラセンは、この剣の正体にすぐに気がついたようだ。
こうして、シエラを救出できたのも、この剣でバテントスの動きを知る事ができたから。そして、君達がドーリア公から逃げ続けられたのも、この剣のおかげ。どうりで、あれだけさがしても、だれも君達親子を見つけられなかったわけだよ。」
レックスは、剣を少しながめたあと、ライアスにわたした。
「グラセンが、その剣をよくいじくってたのは知ってたが、そんな剣だったなんて知らなかったよ。本物かどうかはともかくとして、不思議な剣だってのは分かった。なあ、それ、おれでも使えるのか。」
「興味が出てきたの? 今は使えないね。霊能力の持ち主でなければ使えないんだよ。グラセンが使えたのは、彼が強い法力を持っていたからだ。」
「じゃあ、なんでお前は使えるんだ。幽霊だからか。」
「幽霊だからじゃないよ。並の幽霊じゃあ、この剣はビクともしない。クリストンのライアスはね、霊能力を持ってたんだよ。びっくりさせるといけないから、本人はかくしてたけどもね。」
「もういいよ。なんかつかれてきた。グラセンがなんでバテントスの動きを知ったのか、疑問に思ってたけど、そういうカラクリなら納得できる。前々から、不思議ジイサンだと感じていたけど、相手が坊さんだから、そういうモンだろうと思ってた。」
ライアスは、ニコニコとしている。レックスは、成仏できないほど不幸な死に方をした幽霊のくせに、なんでこんなにニコニコできるんだろうと不思議に思った。
ライアスは、
「ね、女の子だきしめたことある? シエラ、かわいいだろう。きゅーっとだきしめるとさ、かわいくてたまんなくなるんだよ。ぼくが許可するから、今だいてごらん。」
「なんで、許可なんだよ。おれには、そんな気はない。それに、いくら女の子とはいえ、なんで中身がお前をだかなきゃなんないんだ。」
「練習だよ、練習。シエラ相手じゃ、君はムスッとしたままじゃないか。あーあ、シエラ、かわいそう。マーブル同様、君にきらわれてると思いはじめてるし。」
レックスは、ライアスから顔をそらした。レックスは、女の子とつきあった経験はない。どうやって、女の子と接したらいいのか分からないし、第一、グラセンもおもわくもある。
ライアスは、
「とりあえず、だきしめてみて。一度、思いっきり近づいたら、少しは君のシエラへの気持ちもほぐれると思うよ。グラセンのおもわくなんて気にするなよ。結婚相手を紹介されただけだと考えればいい。世間一般の結婚もそんなもんだしさ。紹介されて、自分の意思でシエラを妻にすると決めれば、それでいいんだよ。」
「なんでそんなにうるさいんだ。お前も結局は、グラセンとおんなじだろう。」
「かもね。おんなじこと考えてるしね。けど、ぼくは、君の意思を尊重する。いやなら強制はしない。けど、正しい方向へは導きたい。それが、ぼくがここに残った理由の一つだ。」
そっぽを向いているレックスの前髪に、やさしい手がふれた。
「そんなに警戒しないで。ぼくは生きている人間ではない。君の前ではウソは言わないし、だましたりもしない。第一、幽霊がいくら君を応援したって、この世の人間は、ぼくを見ることができないから、だれからも感謝されたりしない。クリストンのライアスが生きていたら、君をたすけるメリットを考えたろうが、今のぼくはただの幽霊だ。」
レックスは、ライアスの手をはじいた。ライアスは、やさしく笑う。
「今日はこれでおしまいにするよ。剣をもどして結界をとくよ。レックス、この剣はね、もともと、ぼくが持っていたんだ。生前、ずっとさがしていたと言ったろう。これは、ぼくの分身みたいな剣なんだ。手放したくないけど、今はしかたないね。ミランダのもとへおかえり。」
ライアスの手から、剣がすーっと消えた。
「呼べば、剣はすぐにでも、ぼくのもとへもどってくるのを、どうして生前、気がつかなかったのかな。これがあれば、もっと早く君を見つけられたかもしれない。ううん、バテントスなんかに負けなかったかもしれない。ぼくはね、死にたくなかったんだよ。生きて、君の力になりたかった。」
ライアスは、祭壇にむかい目を閉じた。シエラが、ハッとしたように目を開ける。
「やだ、私、いつのまに眠っていたの。ごめんなさい。ずいぶん、時間がたったんじゃないかしら。」
「たいして時間がたってないよ。眠かったら、宿へ行こう。少し休んでから、夕食をとればいいさ。この町の店は、夜遅くまで営業しているからな。」
「う、ううん、平気。ちょっとウトウトしただけだから。ミランダさんといっしょに夕食にしましょう。レックスさん、お腹すいてるでしょう。」
「いや、おれは宿に帰るよ。マーブルから、明日の仕事の話をきかなきゃならない。グラセンといっしょだから、まっすぐ宿にむかったはずだ。」
シエラは、ちょっとがっかりした。ミランダは、教会の前で待っていた。
「ずいぶん、熱心にお祈りなさってたようですね。何をお祈りしてたんですか。」
「さがしている人が見つかりますように。でも、祈ってる最中、眠っちゃったみたい。」
レックスは、ミランダが持っている大きめの荷袋が気になった。ミランダは、グラセンの荷物と自分の荷物をまとめて、一つの大きな袋に入れてある。この中に、例の剣が入ってるはずだ。
「ミランダ、荷物ん中、ちゃんとたしかめてんだろうな。ジーサンの大事なモン、あずかってるんだろ。」
「あれの事? 荷物あけるたびに確認してるわよ。それに、どうやって私の荷物を他人がさわれるの?」
ミランダは、何もするにしても隙のない女だ。貴重品をミランダにあずけておいて、盗まれたり無くしたりする事は無い。
シエラは、
「あれって、あの剣の事ですか。私、グラセン様からあずかったんですけど、あのような大切な物をずっと持ってる自信がなくて、ミランダさんに持ってもらう事にしたんです。レックスさん、あの剣の事は知ってますよね。」
「なんか、ごたいそうな物なんだろ。おれは、ただの運び屋だ。客であるジーサンの荷物なんか興味ないね。」
「そうですか。あの、私もレックスさんにとって、お客、なんですよね。」
ミランダが、レックスを見た。レックスは、そんなミランダをジロリし、
「まあ、大切な客だな。マーブルが、好奇心でたすけに行くくらいだからな。ちゃんとベルセアまで送ってってやるから安心しろ。」
シエラが、がっかりしたのは書くまでもない。ミランダが、もう少しやさしくしろと、レックスをつっつく。レックスは、あとはミランダにまかせると言い、その場から退散するよう、宿へと直行してしまった。
マーブルが、宿にいた事はいたが、酒を持ちこんでおり酔っぱらっていた。レックスは、あきれた。
「ったく、仕事がおわったとたん、酒か女かよ。他にする事は無いのかよ。」
「あー、他に何するってんだよ。大人の男はな、仕事がキチッとおわったらな、酒と女以外に興味もたなくていいんだよ。」
「あんたみたいな大人になるつもりはない。それより、あんた、マジでシエラって考えてるのかよ。ずっと、うらんでたんだろ。」
マーブルは、酒ビンごとグイとやった。プハーッと酒臭い息をはく。
「お前の事は、グラセンにまかせてある。お前ももう十八だ。おれの出る幕はない。」
「あいっかわらず、いい加減だな。その場その場で、適当な言い訳つくって。この十三年、おれ達は、ジーサンがいなきゃ、まともに生きてこられなかった。ジーサンにいやと言えないのは、頭があがんないからだろ。
けどな、いやなら、いやだとはっきり言えよ。こんな娘なんか、息子の嫁にする気はないってさ。それが言えないから、ねちねちシエラにあたってんだろ。大人の男のする事じゃないさ。」
マーブルが、カラの酒ビンをなげつけてきた。レックスは、あっさり受け止める。
「青二才が、一人前の口をきくな。ほんとにいやだったら、たすけになんか行かないさ。憎たらしいバテントスに、銃の威力を見せつけてやりたかったのは確かだが、それ以前に、お前の国を荒らしたやつらに腹がたったんだよ。」
「おれは、ただの運び屋だ。」
「お前は、マールの息子だ。ガキは、親の仕事をつがなきゃなんないんだよ。」
「なら、運び屋でいい。」
二人は、フンとそっぽをむいた。マーブルは、
「なあ、レックス。どうするにしても、お前がしっかりしなきゃならんのは確かだ。おれも、もう四十五だ。いつまでも、親のスネかじってんじゃない。」
「わかってるよ。けど、今のおれにどうしろってんだよ。運び屋はダメだと言うし、マーレル・レイもどったって、王様なんてできやしない。バテントスなんて、とても無理だ。」
マーブルは、頭をかいた。
「だよな。今のお前に王様なんてできっこない。宮殿で暮らしていた事すら覚えてないもんな。最初のころは、ドーリア公の追跡がしつこかったし、身分を捨てての逃亡生活だけで精一杯だったしな。
ドーリア公が運よく死んでくれたと安心しても、お前の反抗期がひどかったし、とてもじゃないが、マーレル・レイへもどせる状態じゃなかった。
運び屋も、グラセンの援助にたよるのにも嫌気がさして、逃げ回るついでに始めた仕事だったが、お前はそれにすっかりなじんじまったし、今じゃあ下町の男でしかない。」
「だから、身分の高い女と結婚させようとたくらんだのか。少しでも、もとにもどすために。」
レックスは、あきれたように言い放つ。マーブルは、
「まあ、王様の嫁は、ベルセアの僧侶階級からもらうのがふつうだよな。王様だけじゃあない、三国の領主もみーんなそうだ。シエラの母親もそうだしな。グラセンがシエラをすすめたのは、クリストンとの関係修復だけが目的じゃあないはずだ。シエラが王位継承できるから、お前の嫁にしちまえと考えたかもしれんし、他にもあるかもしれん。」
レックスは、ライアスの幽霊を思った。
「もし、もしもだよ。もし、クリストンのライアスが生きていてさ。バテントスに護送されるのが、シエラじゃなくライアスだったら、グラセンはたすけたのかな。」
マーブルは、酔っぱらった頭で少し考えた。
「お前の嫁にはできないな。けど、たすけたはずだ。ライアスもシエラとおんなじだしな。」
「ここへきたのが、シエラじゃなくライアスだったら?」
マーブルは、なんでそんなことをきく、と目線をする。そして、
「シエラよりは、たよりになるな。やつは、神童とまでウワサされた貴公子だ。お前の教育係りでも任命してやるかな。びしびしきたえてくれって注文つけてな。」
マーブルは、あくびをする。あと、二、三口飲んだら眠ってしまうだろう。そこへ、組合からの使いという男が部屋へ飛びこんできた。大変な事が起きたから、すぐに組合へきてくれと、半分眠りかけたマーブルを無理やり引っ張ってった。