五、ルパート(1)
ケラータの町に鐘が鳴り響く。昼を知らせる鐘だ。いそがしく働いていた人々が仕事の手をとめ、弁当を広げたり食堂に入ったり、家に帰ったりして休憩をとる時間だ。
町のあちこちから笑い声がきこえ、食事のあとの昼寝のいびきがきこえ、または、子供達の走り回る姿がありと、町の情景はいつもと変わらない。ただ一つ、町にバテントス軍がいるという以外は。
ケラータの町外れの教会に、一人の薄汚い男がやってきた。レックスを追いかけ回していた男である。年老いた神父は、周囲を警戒しつつ男を教会へ入れ、いそいで扉をしめた。ちょうど昼時だったので、教会には参拝客はいなかった。
「お帰りなさいませ、バテントスに見つかりませんでしたか。」
「この顔だ。まずはわからないだろう。姿もこうだしな。」
二人は、教会二階へといった。二階は、ここの神父の住まいとなっている。男は、着がえをすますと、ごくふつうの僧侶になった。そして、顔から薄汚い布をとる。そして、鏡をみて苦笑した。
顔半分が、左目を中心になくなっている。かたちも一部変形しており、常人では、まともに見ることはできないだろう。男は苦笑したあと、きれいな布で、そこの部分を見えないようおおった。
年老いた神父は、
「それで、彼、は見つかりましたか。」
「ダリウス王御自身でまちがいないだろう。王家の守護神である、双頭の白竜が現れて、彼を守ったのをたしかに見たんだ。」
「双頭の白竜ですか、ウワサはすでにケラータにもとどいております。ああいうのは早いですからね。王が現れたというのは事実でしたか。」
布の男は、うなずいた。神父は、
「で、シエラ様にはお会いしましたか、シゼレ様。」
シゼレと呼ばれた男は、会ってないとこたえた。
「ダリウス王の御子を流産したという話をきいた。妹は私がこうして生きていることを知らない。このような姿を見られて、これ以上、ショックは与えたくはない。」
神父は、そうですか、と言った。シゼレは、
「妻のサラはどうしてる。お前の娘は。いつもは出むかえに出てくれるではないか。」
神父は、言いにくそうだった。
「サラは、体調が悪くて寝室でふせっております。」
シゼレは、びっくりした。
「なぜ、それを早く知らせない。サラは、私のこの姿を見ても、妻となってくれた女だ。医者には見せたのか。」
「それがその、あの、娘にきいてください。妹様のことをきいては、私の口からは申し上げにくいので。」
シゼレは、妻がいる寝室へと向かった。帰ってきた夫を見て、サラは安心したようにほほえんでくれた。そして、はっきりとふくらみがわかる、お腹をなでた。
「すみません、出むかえに出られなくて。今日は少し、お腹が、はっていましたので安静にしてたのです。あなたが、ここを出発してまもなくわかりました。秋には、産まれるでしょう。」
シゼレは、喜んでいいのか悪いのかわからなかった。妹のシエラが、流産したとなれば、なおさらだ。が、サラには、夫のとまどいがわからない。シゼレは、
「いや、すまない。あまりにびっくりしたものでな。体をいたわるようにしなさい。決して無理はしないこと。私のことはいいから休んでいなさい。」
サラは、夫のいたわりにほほえんでくれた。シゼレは、妻に口づけをしたあと、妻の父親と別室で昼食をとった。
神父は、
「戦場で大怪我をなさったあなたを、バテントスに見つかる前に運び出して、サラサの教会でかくまい、このケラータへとお連れしましたが、こうして娘の夫となるなど、当時は考えもしませんでした。」
「お前達には感謝している。遺体の山から、もはや生きているとは思えない私を見つけて、こうして生きながらえるまで、かくまいつつ、看病してくれたことは言葉ではつくせない。そのうえ、サラまで妻として許してくれたこともな。」
サラサを目前にした最後の決戦が終ったとき、バテントス軍はクリストン兵士の埋葬のために、サラサから僧侶を大勢つれてきた。僧侶達は、遺体をあつめての火葬もさせられ、その中にまだ息のあったシゼレを見つけ、こっそりとサラサへ運んだのである。
そして、歩けるまでに回復したシゼレは、ここにいる神父の父娘とともに、サラサを脱出し、父ドーリア公の友人でもあったケラータ市長をたより、使われていない町外れの教会に、かくまってもらっていた。
シゼレは、
「あの、生死のさかいに私は夢を見ていたのだ。あれはたしかに女神ベルセアの声だったと、いまでも信じている。ベルセアは私に、彼、をさがし、たすけとなれと言っていた。
赤い馬にのり黄金の髪をもつ、彼、の姿もその時、見ることができた。私は、彼、をさがすことにした。私はそのために、死から生かされたはずだからだ。
そして、クリストン中をさがして、ようやく、それらしき若い男にめぐりあうことができた。道をまちがえて、雪山を凍えそうになりながら、寒い夜をなんとかすごした朝だった。
夢の中と同じ、赤い馬と黄金の髪をもった青年がそこにいた。神々しいまでに美しく、そして若く精力に満ちたその姿を見つけたとき、私は奇跡を信じた。やっと見つけたと。
だが、その青年は、すぐに姿を消してしまった。山の中をほうぼうさがしても見つからず、私はそのまま冷えきった体とともに、山をおりるしかなかった。それからずっと、私は物乞いをしながら、あの辺りをさがし続けていた。
ニーハに臨時政府がたちあがり、シエラが新領主になったときき、私はニーハへとむかい、しばらくそこで身をかくしていた。彼、が、元運び屋で妹の夫だと知ったときは、さすがに驚いたが、もっと驚いたのは、妹が夫としたのは、ダリウス王だったという事実だ。
たぶん、シエラは、だれかの手引きによりゼルムへとのがれ、引き合わされたのだと私は考えている。彼、がダリウス王だったということで、すべては合点がいった。
私はこれから、ケラータ市長に会いに行く。市長は、バテントスと友好的な態度をとっているが、内心では彼らをこの町から追い出したがっている。王が現れた今が、そのチャンスだ。」
神父は驚いた。
「危険すぎますよ。市長はたしかに協力してくれるでしょうが、そのためには、あなたが表に出なければなれません。せっかく、バテントスの目をあざむいているのに、わざわざ危険に飛びこむおつもりですか。娘のことをお考えください。」
「ヒジン川での敗戦は、ひどいものだったよ。遠くから見ていたので、戦渦に巻きこまれることはなかったが、両軍が引き上げたあとの惨状を見て、あぜんとするしかなかった。遺体すらない、巨大な穴があいているだけで川は干上がっていた。
ドラゴンのしわざだよ。二つの口から、大きな火の玉をはきだしたのだ。川どころか周囲の森も灰になっていた。あの惨状をみれば、人の手によるものではないことくらい、すぐにわかる。」
「あなたの口からきいたのでなければ、とても信じられない事実でしょうね。歴史では、英雄ミユティカが危機におちいったとき、天から二つの首をもつ、赤い目と白き翼の竜が現れ、彼女を救ったと記されています。
ですが、それ以来、双頭の白竜が出現したという記述はありません。現ダリウス王と同じ名をもつ、ミユティカ女王以来の英雄、アレクシウス大王のときでさえも現れなかったのです。
なのに、今となり、なぜ現れたのでしょうね。たしかに現状は、ミユティカ女王の時代のときのように危機をむかえていますが。」
シゼレは、立ち上がった。
「双頭の白竜といい、女神ベルセアの啓示といい、たぶん、彼、は特別な意味をもつ王なのだろう。私は、これから使命をはたさなければならない。行ってくる。」
「わかりました。あなたが、そこまで御覚悟をなさっているでしたら、私はもう、何ももうしません。けど、旅からもどられたばかりでしょう。少しお休みになられたらいかがです。市長にお会いするのは、明日でもよろしいかと思いますが。」
シゼレは、笑った。
「妹のシエラは、すでに行動をおこしている。兄の私が、いつまでもかくれているわけにはいかないだろう。」
ケラータでシゼレが行動をおこしてからまもなく、ニーハのシエラのもとに一通の手紙がとどいた。ケラータ市長からの極秘の手紙だった。シエラは書斎にレックスを呼び、手紙を見せた。
「ケラータ市長には、サイモンが何度か接触して、それなりの協力はしてもらうことになってはいたが、市長はケラータの安全を考えて、いままで行動をおこすことはなかった。こんな手紙も、はじめてもらった。」
レックスは、
「うーん、なんだかむずかしく書いてるけど、ようはケラータのバテントス軍をおいだしてくれるのなら、なんでも言うことをきく、って内容なのか。」
「まあ、ありていに言えば、そんなところだ。現時点では、人材は出せないが、資金なら出すとも書いている。とりあえず、ニーハにあるケラータの商工組合の、金庫にある資金を自由に使えってさ。」
レックスは、手紙を返した。
「いいんじゃないか、くれるってんなら。なんでそんな変な顔してんだよ。」
「どうしてなんだろ。ヒジン川の敗戦は知っているはずだ。戦力に差がありすぎることもだ。」
「ドラゴンのウワサをきいたからじゃないか。たしかに、あのときは助かったけど、あれ以来、みーんなして、おれを変な目でみるんだ。おかげで最近、尻がむずむずしっぱなしでこまってんだ。」
「君のお尻の話はいいよ。けど、それだけで、あの現実的な市長が動いたのが、どうも合点がいかないんだよ。バテントスのワナとは考えにくいし、だれかが市長に働きかけたとしか思えない。でも、いったいだれなんだ。ケラータ市長を動かせるほどの人物は。」
「お前でも、わからないことがあるのかよ。まあ、だれだっていいんじゃない。金くれるってんなら、もらっとけばいいんだしさ。」
レックスは、シエラの姿をまじまじ見つめた。流産してからのシエラは、ずっとドレス姿だ。町民の娘と同じ服装で、領主という身分では質素すぎるほどだが、男装姿になれたレックスの目には新鮮にうつる。
シエラは、
「これ、ミランダがきろって。ズボンだと、お腹が冷えやすいからってさ。下着を三枚もはかされてるんだ。流産してから、なんだかんだうるさくて。」
「いや、みじかい髪にドレスもいいなかって。そういや、町で髪をばっさりやってる女の子がいたな。お前の影響か?」
シエラは、赤くなった。
「そんなん知るか! みじかい方が、手入れがめんどくさくなくて楽なんだよ。」
「お前、意外とめんどくさがり屋なんだな。女のくせに化粧もしないしさ。ほっとくと、適当な服ばかりきてるし。おれの女房なんだぞ。少しはきれいにしろ。」
「そんなヒマなんてない。エリオットが、まだ回復してないんだよ。ひどい怪我だったしな。仕事がいっぱいあるんだよ。それに、ぼくもまだ本調子じゃないし。」
「だからって、無理すんなよ。また、たおれちまうぞ。」
シエラは、手紙をレックスにわたした。
「じゃ、ぼくのお手伝い。これを持って、ケラータの商工組合に行ってよ。場所は知ってるだろ。いま、ヒマなのは君だけなんだよ。善は急げだ。はい、いってらっしゃい。」
書斎をおいだされたレックスは、しぶしぶ商工組合へむかった。なんで王である自分が、こんな下っ端仕事のお使いしなきゃならないんだと思いつつである。おまけに、真っ赤な馬にのってると、やっぱりみんなふりむく。じろじろされ、レックスは気分が悪くなった。
杖をついた年寄りが、声をかけてきた。手をにぎると年寄りは、長生きするもんじゃとレックスに手をあわす。もう、いやだと思って、馬の足をはやめた。
そして、手紙を組合に見せ、資金をとどけてもらう約束をとりつけ、館にすっとんでもどった。館にもどってくると訪問者がいた。
「ルパートと呼んでください。ダリウス軍で騎兵隊を指揮しております。五十騎兵をひきいて、はせさんじました。軍は、このニーハの郊外で待機しています。いつでも出撃できます、陛下。」