二、ベルンの事件(1)
バテントス帝国に護送される途中、救出されたシエラは、グラセン、ミランダとともに、レックスとマーブルが運びの仕事に使っている幌付きの荷馬車で、ベルンという要塞の町へとやってきた。
ベルンは、要塞の名のとおり、ゼルム軍が駐留している。が、ベルンは、交通の便がよいことから、ゼルム北部の商取引の中継地としての役割も果たしていた。
「ここはもともと、クリストンの襲撃にそなえてつくられた場所だ。お姫様の国から、悪い軍隊がゼルムへやってきた時、迎え撃つためさ。今は、クリストンのバテントス軍をにらんでいる最中だ。」
馬車をかりながら、マーブルは意地悪く言う。マーブルのシエラへの態度は変わらない。冷たくよそよそしい。シエラがたすけてくれたお礼を言っても、銃の威力をためしたかっただけ、である。
レックスはマーブルのとなりの御者席で、長い金髪を風にゆらしたまま、だまっていた。おとといのリクセンでのあいさつ以来、レックスが言葉を口にしたのを、シエラはきいていない。
ベルンが近づくにつれ、マーブルはベルンの様子がいつもと違う事に気がついた。
ベルンは戦争のためにつくられているから、町の周囲を頑丈な壁でおおっている。何百年ものあいだ、壁の補強には念には念を入れ続けたせいで、今では鉄壁の防御を誇るまでになっていた。
出入り口の門も、街道のそっての南北二つだけで、その門には門番がいつもいる。その門が、いつもより監視がきびしい事に、マーブルは気がついたのである。
馬車に緊張が走った。シエラの逃亡が知られたのか?
門番の兵士は、
「顔見知りのあんたの身分証なんて、ほんとは必要ないんだけど、以前から、この近辺を荒らしていた盗賊を、やっと昨日になって軍が取り締まったんだ。なかなか、つかまらない盗賊だったんだよ。
盗賊の親玉は、なんとか生け捕りにして、軍の牢屋にブチこんでおいたけど、手下の何人かは逃がしちまってね。明日の見せしめの公開処刑までに、逃げた手下が親玉を取り返しにベルンに侵入しないか監視してるんだ。」
兵士は、マーブルに身分証を返すついでに、荷台のシエラを見てニヤニヤした。
「かわいい娘さんをのせてるね。レックスの嫁さんかい。で、そっちの黒髪の美人は、あんたのアレかい。いいねぇ、両方そろっておめでたいことで。」
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ。娘は、たしかにレックスの嫁だが、黒い方は、この馬車を足代わりにコキつかってる、荷台の坊さんの使用人なんだよ。この坊さん、あんたも見覚えがあるだろ。娘は、黒い方の遠縁なんだ。リクセンからもらってきたんだよ。このままナルセラまで行って、結婚式って寸法さ。」
「ナルセラで結婚式ね。ゼルムの首都で式って、運び屋家業のあんたでなきゃできないことだ。うらやましいね。さ、行った行った。次!」
マーブルは、馬車と進めた。盗賊の親玉の公開処刑とはおだやかではないが、とりあえずホッとする。ミランダが、
「あいかわらず、口がうまいのね。シエラ様の事をきかれたら、どうしようかと思ってたけど。」
「軍がうるさいベルンなんざ、ほんとは通りたくもなかったんだが、シエラを安全にベルセアに連れて行くには、身分を偽装する必要がある。ここの運び屋組合で、シエラを組合員に登録してもらう。
ここの組合長は、おれのなじみで融通がきくんだ。他の町の組合で登録するよりも、あれこれ、きかれなくてすむ。シエラ、組合はもうすぐだ。適当な名前でも考えておけ。お前は書類に偽名を書くだけでいい。いっさい、口をきくな。あとは、おれがやる。」
あいかわらず怖い口調のマーブルに、シエラは冷や汗をかいてしまう。シエラは、御者席のレックスを見た。レックスは、無言のまま座っていた。
グラセンが、やさしくシエラの肩をたたく。その目は、マーブルは気にするなと言っている。だが、シエラは、やるせない気持ちになった。自分は、マーブル同様、レックスにきらわれているのではないかと思ってしまう。
ベルンは、壁の中の町らしく、道はどこもせまくせせこましい。ごちゃごちゃとした建物や人が、ひしめきあって生活している感じだ。
「シエラ、組合で登録が終わったら、ミランダと、この町を見ておけ。まだ夕方までには時間がある。あんた、今まで雲の上での生活だったろ。庶民の暮らしがどういうものか知らなきゃならない。
この町は東と西にわかれている。ここは東だが、西は軍の町だ。一般人も出入りしているが、この町の住民でないお前は近づくな。ミランダ、宿はいつもの場所だ。夕飯は、すませてくるんだ。」
「うっさいわね。そんなに命令口調でなくてもいいでしょ。私は、あんたの家来になったおぼえはないんだからね。レックス、案内は、あんたがしてあげなさい。私は、あんた達を見失わないようについていくから。」
「なんでおれが。おれは組合で仕事があるんだよ。ナルラセまでの荷物を形だけでも積んどかなきゃ、あやしまれるだろ。」
レックスは、露骨にいやな顔をした。シエラは、泣きたくなってしまった。ミランダは、
「そんなの、マーブル一人で間に合います。あんた、組合にいたって、めんどうな事務手続きはしないでしょ。」
「悪かったな。けど、案内はいやだからな。」
「バカ、偽装のためよ。シエラ様は、あんたの花嫁よ。カップル演じなきゃ、あやしまれちゃうわ。」
レックスは、ムッとした。が、これ以上、下手に逆らっても、口ではミランダに勝てない。
「わかったよ。カップルでもなんでも演じてやる。けど、その分、割り増し請求してもいいんだよな。そのお姫様のベルセアまでの運び賃に足してな。」
シエラは、しゅんとなってしまった。ミランタは、困った子、とつぶやく。
馬車は入り組んだ道を進み、組合に到着し、シエラはそのまま組合長に紹介され、マーブルの指示通り登録をすませたあと、レックスとともに組合から外へと追い払われてしまった。
そのあと、マーブルは、ナルセラ行きの荷物を多少積み、荷馬車と馬を組合にあずけ、グラセンとともに宿へと徒歩で向かった。
道すがら、グラセンは、
「あなたのお気持ちはわかります。けど、それは父親の罪であって、娘は関係ありません。ウォーレン。」
「ウォーレンは、やめてくれ。とっくの昔に捨てた名前だ。ああ、頭じゃ分かってるよ。けど、おれと息子を宮殿から脱出させた時のマール(マルガリーテ)の顔が忘れられねぇんだ。おれは、女王なんてやめておけと言ったんだよ。親子三人で静かに暮らそうってな。なあ、グラセン、なんでマールなんか女王にしたんだ。バカだと分かっていてな。」
「なんども申し上げたでしょう。私は、時間の流れのなかで物事を決めています。今の最善ではなく、結果としてどの選択が最善であるか、さまざまな角度から見極めているんです。
マルガリーテ様は、たしかにお気の毒でしたけども、それも時間の流れのなかで起きた事。あなたには、まだ御理解できないでしょうけども、いずれ、この選択が正しかったとわかる時が必ずくるはずです。」
マーブルは、うーんと背伸びをし首をコキコキさせた。
「あいもかわらず、むずかしいお言葉でして。おれにとっては今がすべてなんだよ。あの、たよりないレックスをどうやって一人前にするか。嫁をもらえば、大人になるんじゃないかと言ったのは、あんただぜ、グラセン。」
「シエラ様は、やはり気に入りませぬか。」
「おれの意見なんか、どうでもいいんだよ。あのバカが気に入ってくれて、シャンとしてくれれば、それで上出来。あんた、わたしんだろ。あの剣を。」
グラセンは、うなずいた。
「シエラ様は、ミランダにあずけてしまいましたけどもね。」
「気がつくのかね。にぶい小娘にしか見えないが。」
「決意は固いようですよ。まあ、気がつかなくても、アレクス様のお気持ちが固まれば、それでうまくいきます。だから、ミランダも、アレクス様に案内するよう言ったのです。」
マーブルは、ため息をついた。
「マールと初めて会ったのは、ダチの誕生パーティだったな。お忍びで女友達ときてたんだよな。身分違いの大恋愛が始まったんだよな。おれもいったい、あの女のどこに惚れたんだが今になってもさっぱりだが、気がついたらもう後戻りできなくなっていた。
マールの父親に、おれ達の関係がばれてしまい、しかも妊娠というオマケつきだったから、大慌てで結婚させられたっけ。バカ王女が自由奔放したあげく妊娠して、身分の低い男と結婚したって、マーレル・レイ中の笑いものになったのが昨日の事のようだ。
でも、やっぱり王女様は王女様だったな。つつましい、マーレル・レイのおれの家じゃあ、しょせん収まりきれなかった。女王になって宮殿に帰って、大喜びしてたんだよな。ほんと、バカな女だ。」
それきり、マーブルは何も言わなくなった。二人は、無言のまま宿へと向かった。
一方、レックスはシエラとともに適当に町をブラついていた。町は、どこに行っても似たような景色で、あいかわらずゴミゴミとしている。
「あ、あの、レックスさん、どこに向かっているんですか。さっきから、同じ場所ばかり歩いているような気がします。」
「この町の景色は、どこもおんなじなんだよ。行きたい所があるのか。」
「教会は、ここから遠いですか? 休憩をかねて、少しお祈りしたいです。」
ついてこい、それだけ言うと、レックスはさっさと行ってしまう。シエラは、ゴミゴミとした町中を、レックスを見失わないよう必死でついていった。
そこは、小さなベルセア教会だった。十人も入れば、満員になってしまう小さな教会である。今はだれもいない。
「おれの知っている教会は、ここだけだ。ここは、いつもの宿が近いからな。おれは宿に向かう。夕飯は、ミランダと食えばいい。ミランダは、おれが消えれば、すぐに出てくるはずだ。」
シエラは、教会のイスにペタリとすわった。すごくつかれた。レックスは宿に向かうと言ったが、そのまま教会の壁に背をもたれ、ムッとしたように目をつぶる。シエラは、レックスを見つめた。
(よく見ると、この人すごい。背が高いだけじゃない。肩や胸の筋肉がすごい。運び屋さんは重労働だし、それでこんなにきたえられたのかな。力もそうとうあるはずだわ。ライアス兄様も、見た目はほっそりしてたけど、すごく強かった。
けど、とてもきれいな顔をしてる。ライアス兄様ほどじゃないけど、目鼻立ちがきれい。髪の色も濃い金色だわ。兄様も金髪だったけど、色なら、この人のほうがあざやかだわ。やだ、私、恋したのかな。ずっと気になってるし。)
レックスがいつのまにか目をあけ、こちらをにらんでいる。シエラは、あわてて祭壇にむかい祈り始めた。レックスは、ふたたび目を閉じた。
(何やってんだ、おれ。なんで、祈りなんかにつきあってんだ。一人で飯食って宿に向かうつもりだったのによ。)
「じゃあ、ぼくとおしゃべりしようよ。シエラ、少し眠らせたからさ。」
レックスは、ぎょっとして目を開けた。 シエラが子犬みたいな顔をして、自分を見上げている。
「お前、また幽霊か。なんでシンセイな教会なんかに出てくるんだ。ここは、神様のリョーイキだろうに!」
「べつにいいじゃん。どこでだってさ。でも君、リクセンとちがって、今日は怖がらないね。」
「怖いにきまってるだろ。幽霊だしな。」
「なんか、ヤケクソみたい。なんでそんなにイライラしているの?」
「なんでって、お前、幽霊のクセにわからないのか。」
ライアスは、ため息をついた。
「君の本音なんて、バカでも分かるよ。シエラが気になってしょうがない。けど、グラセンやマーブルのおもわくにはまるのもいやだ。君は、十三年前の事なんて、たいして気にしてないだろ?」
「おれが、なんでシエラが気になるんだ? たしかに、おれは十三年前なんて、どうでもいい。おぼえてないんだからな。いらいらしてんのはな、おれは教会のふんいきがきらいなだけだ。」
「なら、さっさと出て行けばいい。ほんと、困った坊やだね。壁によりかかってないで、そこにイスにすわろう。立ち話じゃあ、おちついて話なんかできないからね。」
レックスは、うごかなかった。ライアスをにらんでいる。
「おれ達の話は、ミランダがどこかできいてるぞ。お前が幽霊だと知られたら、グラセンにつつぬけになって、イクソシズムだ。」
ライアスは、笑った。
「ざんねん、彼女には、ぼく達の話は聞こえない。ここで何が起きてるのか、外部からは察知できない。ぼくが、結界を張ってるからね。」
ライアスに手に、一本の剣があらわれた。これはたしか、ミランダにあずけている王家の剣だ。
「おどろいた? この剣はね、本物の神剣なんだよ。ぼくは君をさがすと同時に、この剣の行方もずっとさがしてたんだ。グラセンの方から持ってきてくれてありがたかったね。」
「お前、魔法つかったのか。いきなり、お前の手にあらわれたぞ。それに、神剣だって? ミユティカの神剣だって伝えられているだけで、ミユティカが使った本物かどうかもはっきりしないんだぞ。」
ライアスは、教会の天井画をながめた。翼のある白馬に騎乗した女神がそこにいた。ライアスは、天井画を見上げながら、静かに口を開いた。
「天かける乙女、女神ミユティカ、または建国の英雄。千年前、大陸に支配されていたエイシアを、奇跡の剣と現王家の紋章となっている二つの首を持つ巨大なドラゴン、双頭の白竜を使役し、大陸の支配を断ち切った英雄と伝えられている。
現ダリウス王国は、彼女から始まったとされ、彼女の子孫であるダリウス王家に、代々、この剣はうけつがれてきた。この剣は、エイシアの宗主である証だ。
だから、グラセンは、この剣をシエラにわたしたんだよ。クリストンが君からうばったものを、君へと返すためにね。」
「おれは、王様にならないと言ったはずだ。」
「ミユティカは、今では伝説となっていて、その実在すらはっきりと分かっていない。歴史にも教会の教義にも、そういう英雄がいたというだけで、それ以上の記録は無い。
けど、ミユティカは実在した人物だ。それに、この島は、千年前に大陸の支配から独立したんじゃない。もっと古い時代だ。千六百年、いや千五百年前だろうね。ぼくの記憶が正しければ、それくらいたっているはずだ。
五百年単位で歴史が縮められてしまったのは、当時の記録があいまいだったせいかも知れない。それとも、削除せざるをえない理由があったかだ。今となっては調べるすべもないがね。」
「お前、何言ってんだ? 歴史のお勉強なんて、おれはやだぜ。」
レックスは、うんざりしたように口をとがらせた。