第六夜、決着(2)
エッジの話を、きき終えたあと、レックスは、ベッドに横になった。防寒用マントのおかげで、それほど寒さは感じない。そして、意識を集中し、母親の亡霊だけを思った。
「アレクス、アレクス、いとしいアレクス。やっぱり、わらわのもとへ、もどってきてくれたのか。母はうれしいぞ。」
自分を息子だと認識しているようだ。チャンスだ。
「母さん、おれ、ずっと母さんに会いたかったんだよ。会って、いろんな話がしたかったんだ。」
母親は、目の前の息子をながめた。
「こんなに大きく美しい若者になって、母は幸せ者じゃ。」
母親は、レックスをだきしめた。この時もやはり冷たい感触が走ったが、レックスはひるまなかった。
「アレクス、母とともにこの国の王になろう。母が女王で、そなたが王じゃ。ともに、エイシアの主として君臨いたそう。」
「そうだね。けど、その前にバテントスをなんとかしなきゃ。おれ、これからクリストンへ行くつもりだ。バテントスがきて、クリストンを占領したんだよ。これから、とりかえしに行く。」
クリストン、その言葉をきいたとたん、マルガリーテの顔がこわばった。
「あの鬼の国か。行ってはならん。あの鬼に殺されてしまう。」
「ドーリア公は死んだんだよ。ずっと前にさ。おれが戦うのは、バテントスという海の向こうからきた敵なんだよ。そいつが、クリストンを占領してんだ。」
「バテントスという者が、鬼を始末してくれたんだな。その者に褒美をとらそう。」
まったく理解してない。自分をわかってくれたのはいいが、これでは、この前と同じだ。レックスは、母親の顔を見つめた。
「母さん、よくきいて。母さんは死んだんだよ。十三年前、この宮殿に火をつけて、玉座の間で自殺したんだよ。」
キョトンとしたようだった。
「おかしなことを言う子じゃのう。母が死んだとはな。わらわは生きておる。手も足もあるし、こうしてそなたと話もできるしの。」
「父さんに会わなかったか。父さんは、ついこの前死んだんだ。あの世に逝く前に、母さんに会いにきたはずだよ。」
マルガリーテは、苦笑したようだった。
「おお、たしかに変な男がきたのう。うすぎたない姿をしておった。臭うておったので、すぐに追い払った。」
自分の夫が、わからなかったのか。
(マーブルのやつ、昔の姿で会いにくればいいものを。死んだときの作業着姿できたのかよ。何日もフロに入らなかった、きたないかっこうでか。)
マルガリーテは、ほほえんだ。レックスのほおを、つめたい手でなでる。
「ほんに、立派になった。夫はいやしい身分だったが、このような美しい子をさずかって、母は鼻が高い。そなたの姿を見れば、だれも母を悪く言う者はおるまい。」
「いやしい身分って、母さんは父さんを愛してたんだろ。それは、ひどいんじゃないか。」
マルガリーテは、フッとさげずむよう笑う。
「いっときの気の迷いで、あのような男をえらんだのは母の失敗じゃ。いなくなってくれて、せいせいしてるわ。そうじゃ、アレクス。お前もそろそろ年頃じゃのう。母が、よい女をえらんでやろう。」
「気の迷いだって、失敗だって。ウソだろ、母さん。」
「母は、そなたさえいればよい。アレクス、もうどこにも行かないでおくれ。」
レックスは、目の前の女をつきとばした。
「父さんのことを、そんなふうに言うな! ずっとずっと母さんを愛してたんだぞ。そして、おれを守るために命をすてたんだ。おれは、父さんにずっと守られて、大人になれたんだよ。そのことがわからないのか。」
「義務を、はたしてもらっただけじゃ。けど、その義務も終わりじゃ。そなたはこうして、帰ってきてくれたのだからのう。」
女は、手をさしのべた。レックスは、
「父さんからきいた母さんは、そんな女じゃなかった。おれと父さんを守りたい一心で、逃がしてくれたはずだ。でなきゃ、父さんが、あそこまで後悔するもんか。目をさましてくれ、母さん。母さんは、父さんを愛してるんだろ。ずっと、ずっとここで、おれ達の帰りを待っていてくれたんだろ。」
マルガリーテの目には、なんの変化もなかった。
「何を言うたのじゃ。母にはきこえぬ。口をパクパクさせて、何をしておる。」
きこえてない。自分にとり、つごうの悪いことは、自動的にきこえなくなるらしい。
「母さん。おれは、母さんを愛している。父さんと同じように。」
これだけは、きこえたらしい。マルガリーテの顔が、パッとかがいた。
「うれしいぞ。わらわは、うれしいぞ。そなたは、これで母のものとなった。もう、永遠にそなたをはなさぬ。どこまでもいっしょじゃ。」
マルガリーテは、レックスにだきついた。さっきよりもずっと強い力で。
「はなして、母さん。そんなにきつくだかれちゃ、いたい。」
マルガリーテの目が、黒く光った。たちまち姿がかわる。邪悪な巨大なヘビだ。レックスは、とぐろにしめ上げられていた。
「アレクス。アレクス。いとしいアレクス。」
ヘビの二枚舌が、レックスの顔をなめた。恐怖で声もでない。しめあげられ、息もできない。
(こ、これがおれの母親? こんな姿に。なぜ、どうして。)
骨が、きしみはじめた。すさまじい激痛がおそう。マルガリーテのゆがんだ愛情が、巨大なヘビとなり、レックスをしめ殺そうとしているかのようだ。
(まちがいない。おれを殺して、自分の世界に引きずりこむつもりだ。肉体の方は、どうなってんだ。ベッドの上のおれは。)
レックスは、自分の姿をさがした。見えた、かすかに。ベッドの上で、もがき苦しんでいる。のどをかきむしり、今にも息絶えそうだ。
(このままだと死ぬ。でも、どうやって逃げる、こんなバケモノから。息が、息ができない。もう、だめ・・・。)
レックスの意識は、今にも消えそうだった。シエラの顔がうかんだ。
(死ねない。おれは、クリストンへ行く。おれを待っていてくれるシエラのもとへ行く。)
レックスは、強い意志で意識をとりもどした。
(おれが、おれだと確信した存在なら、こんなヘビなんかに負けない。おれは自分を信じる。このヘビに打ち勝てる自分を信じる。)
レックスの手に、一本の杖があらわれた。ヤリほどの長さのある光りかがやく黄金の杖だ。
ヘビが、光にひるんだ。レックスはいまだと思い、いましめをほどく。ヘビは、悲鳴をあげ、もとのマルガリーテにもどり、その杖の光に小さくふるえていた。
「その杖をすててくれ。その光は、母には強すぎる。たのむ、杖を。」
「だめだ。この杖をすてたとたん、あんたはおれを地獄へ引きずりこむはずだ。母さんだから話が通じると考えてた。父さんが、あれだけ愛した女だから助けてあげたかった。けど、ベルセアの言うとおりでしかなかった。母さん、どうしてそこまで、堕ちてしまったんだ。」
「そなたにはわからぬ。母のくやしさが無念が。身分の低い女を母にした、わらわの苦しみが。兄だった前王も、そしてクリストンの鬼も、わらわを嫌っておった。バカにしておった。父も、わらわをそばには置かなかった。宮殿の中で使用人どもにも、さげずまれて育ったわらわの気持ちなど、しょせん、だれにもわかろうはずもない。ウォーレンでさえ、そうであったしな。」
レックスは、きいていて腹がたってきた。
「あんた、バカだ。ほんとのバカだ。あんたほど、人の思いがわからない女なんて、おれは知らない。父さんは、あんたのことがわかってたよ。わかってたから、おれを十三年守りぬいたんだ。父さんは、笑って死んでいったよ。堂々と母さんに会えると信じてな。なのに、あんたは、あんたは・・・!」
レックスは、ゴシゴシ目をふいた。
「おれは、クリストンへ行くよ。最後にあんたにしてあげられるのは、これだけだ。」
マルガリーテの顔が、恐怖にゆがんだ。
「さようなら、母さん。ほんとにさようなら。おれを産んでくれて、ありがとう。」
マルガリーテの体の下に、真っ黒な穴があいた。マルガリーテは悲鳴をあげ、まっすぐにその穴に堕ちていく。レックスは、杖をつかい穴を閉じた。
涙がとまらない。その場にうずくまり、泣いた。
「その杖は、知恵を意味しているそうだ。なんの知恵か、よくわからんがな。ベルセアからたのまれて、おれが運んできたんだよ。」
「父さん。」
マーブルは、レックスの頭をなでた。
「ったく、やっと父さんと呼んでくれたか。ずっと待ってたのによ。生きているうちに呼んでほしかったぜ。」
そして、いつだったかと同じように髪をなでてくれる。
「よくやったな。はらはらして見てたが、よくやった。」
「よくないよ。自分の手で、母親を地獄送りするなんて。」
「あれはもう、おれが愛したマールじゃない。そして、お前を愛してくれた母親でもない。ただの執着だ。あのヘビが、今のマールの本当の姿なんだよ。十三年、こりにこり固まった執着のなれのはてだ。これで、いいんだ。これで、よかったんだよ。」
「でも。」
マーブルは、レックスをだきしめた。
「好きなだけ泣け。ずっとこうしているから。アレクス。」
「父さん、父さん。」
レックスは、マーブルにだきつき、ワンワン泣いた。小さな子供のように、ただひたすら。
レックスとエッジは、乗せてもらった荷馬車の荷台でノンビリしていた。天気がよく、風も暖かい。
エッジは、
「ほんと、びっくりしたぜ。医者呼ぼうかと考えたくらいだ。夜中にとつぜん、苦しみ出して息も絶え絶えになるんだもんな。」
「悪かったよ、心配かけて。でももう、なんともないだろ。」
「やっと落ち着いたかと思ったら、次は泣き始めるんだもんな。しょうがないから、ずって頭をなでてたよ。いったい、なんの夢を見てたんだ。」
レックスは、赤くなった。父親にだきしめられ、子供みたいにキスしてもらったなんて、口がさけても言えない。
エッジは、
「ま、なんの夢を見てようが、お前が無事だったら、それでいい。けど、無茶だけはするな。マジで、お姫様泣かしちまうぞ。」
レックスは荷台に身をまかせた。風が、髪をやさしくなでている。もう、すっかり春のようだ。エッジは、あくびをした。
「あったかいな。小春日和ってやつだ。明日には、また寒くなるかもな。」
エッジは、そのまま寝てしまった。この男は、ヒマだったら寝てしまう性質のようだ。まあ、こういう仕事では、しかたないだろう。
レックスは、右耳をさわった。黄金のピアスが、右耳にはめられている。ピアスに形をかえた、黄金の杖だ。
(父さんがとどけたくれた杖だ。だいじにするよ。)
結局、父親の忘れ物がなんだったのか、わからずじまいだった。だが、わからなくても、よいようなものだったのだろう。レックスは、防寒用マントにくるまり、エッジ同様寝てしまった。
さようなら、マーレル・レイ。次は、もっと堂々と帰ってくる、だから、待っていてくれ。
第三章に続く。
かなり、霊的な色彩の濃い作品となりました。マルガリーテの最後は、反省なき者の末路といってもよいでしょう。彼女は、自分が何をしているのかすら、最後の最後までわかっていません。女王という地位に固執し、それ以外、何もないのです。たとえ、どんなに言葉をつくしても、マルガリーテの耳にはとどきません。そして、現時点でのレックスでは、彼女を救うなどできないのです。三章は、いよいよクリストンの奪還がはじまります。三章もたのしんでいただければ、作者としてうれしい限りです。二章をお読みいただき、ありがとうございます。