一、クリストンの姫君(2)
シエラは、
「私には、王子様が亡くなられたとは、とても思えません。きっと、どこかで生きていらっしゃると信じております。亡き兄ライアスも信じておりました。」
グラセンは、
「シエラ様、あなた様も王家につらなる人間でございます。バテントスは何も考えずに、あなた様を本国へ護送しようとしたのではありません。バテントスは、理論的に物事を考えます。もう、お分かりでしょう。」
シエラは首をふった。首の動きにあわせ、シエラの豊かな栗色の髪がゆれる。
「私は王になる気はございません。王家との縁は、父が反乱を起こした時点でなくなりました。私は罪人の娘です。グラセン様、私をベルセアに連れて行ってください。そこで、どうすればいいのか、いっしょに考えてくださいませんか。私にできることは何でもします。」
トントン、ミランダがお茶と茶菓子を運んできた。シエラは、さっきの青年が気になった。
ミランダは、
「ああ、あのバカですか。マーブルをさがしてくると言ってましたよ。リクセンはせまい町ですから、すぐにもどってきますよ。」
「あの、レックスさんでしたっけ。マーブルさんと、どういうご関係でなのですか。瞳の色が同じですし、親子なのですか。」
シエラは、お茶を受け取った。ミランダは、グラセンにもわたしたあと、茶菓子を小皿にとりわける。
「親子に見えますか。まあ、見えるでしょうね。レックスの両親は亡くなっているんです。それを独り者だった叔父が引き取って育てたんです。まあ、叔父と甥ですからね、瞳の色が同じでも当然ですよ。よく、まちがわれますしね。」
「あの、皆様、どういう方達なんですか。グラセン様はお坊様ですけど、あなたは? ふつうの人では救出なんてとても。」
グラセンは、
「ミランダは、それなりの訓練をつんだ女です。政治の世界は、いろいろとむずかしい事ばかりでしてね、ただの坊主では、やっていけないのですよ。私は他に数人、ミランダのような者を使っています。ですから、シエラ様をこうして救出できたのですよ。」
「レックスさんもそうなんですか? とてもそうは見えませんでしたけど。」
グラセンとミランダは意味ありげにほほえんだ。ミランダが答えた。
「レックスとマーブルは民間人です。ここらの地理が詳しいので案内をたのんだんです。彼らは運び屋です。荷物運びのね。マーブルは、グラセン様のたくさんいらっしゃる知り合いの一人、ですかね。」
「じゃあ、素人さんですね。バテントス相手に、おそろしくはなかったのでしょうか。」
「ああ見えても、けっこう腕がたつんですよ。運び屋は、時と場合によっては盗賊の出る危険な場所を通らなければなりません。高価な荷物も運びます。グラセン様はゼルムにくると、いつも彼等の馬車に同乗させてもらっているんです。」
グラセンは、ずずっと熱いお茶をすすった。
「私は旅には、お金はかけませんよ。運び屋さんに荷物として、安く乗せてもらってるだけです。」
シエラは小さく笑い、ミランダから茶菓子をもらった。そっと口にふくむ。ほんのりと甘い素朴な味がした。シエラの目から急に涙がこぼれた。
「ごめんなさい。悲しくないのにどうして。」
グラセンが、ハンカチをとりだした。
「お泣きなさい。無理をしなくてもよいのですよ。ずっとがんばってこられたのでしょう。今は泣いてよいのですよ。」
「私、だめですね。涙なんか、兄様達が亡くなられた時、なくなってしまったと思ってたのに。ライアス兄様が生きてさえいたなら、私なんかよりも、ずっとたよりになったはずなのに。」
「亡くなられた人を考えても、どうしようもありませんよ。あなた様でよいのですよ。ありのままのあなた様で。ですから今はお泣きなさい。」
グラセンは、骨ばった手でシエラの涙をハンカチでやさしくなでた。シエラは、まだ十七でしかない。少し泣いたあと、シエラはおちついた。
「グラセン様、私、王子様をさがしてみようと思います。今、必要なのは、この島をまとめあげる王です。
ライアス兄様の話では、父は生前、王子様をさがしていたそうです。もちろん、悪い意味でです。父の跡をついだライアス兄様もさがしていましたけど、見つける事ができなかったのです。
私なんかではとても無理だと思いますが、ベルセアにつくまでの間、このゼルムをさがしてみようと思います。ライアス兄様は、王子様は、ゼルムにいるのではないかと考えてたようですから。」
グラセンは、うなずいた。
「何もしないよりは、何か行動をおこしたほうがよいでしょう。ミランダ、あれを。」
ミランダは、はいと返事をし、グラセンの荷物から何かをとりだした。布につつまれているが、どうやら小さな片手剣のようだ。グラセンは布をほどき、むき身のままの、銀色の剣をシエラにさしだした。
「これは宝剣です。ですが、武器としては小さく、まったく切れません。儀式用と考えてくださればけっこうです。」
シエラは、剣を、おそるおそる手にとった。銀でできていると思ったが、色合いが銀よりもずっと明るい。白金だった。そっと刃に指をあてる。
「切れない。すごく切れそうなのに。宝剣とおっしゃいましたよね。これを私に?」
「それは、ダリウス王家の物です。伝説の女王ミユティカが、エイシア解放のために、女神からたくされた神剣だとされています。数年前に、私がゼルムの古物商で見つけました。
どういう経緯で、ゼルムまで流れてきたのかはわかりません。ですが、これはまちがいなく本物です。いろいろと調べた結果、本物だと断定しました。
私もあなた同様、王子は生きていると信じております。王家の剣が焼け落ちず、こうして無事だったのならば、持ち主である王子もかならす生きているはずです。さがしてください、あなた御自身の目で。その目で見つけてください。」
シエラは、刀身をながめた。持つ手がほんのりと暖かいのは気のせいだろう。
やってみようと思った。可能性があるのなら、ぎりぎりまで賭けてみよう。グラセンは、シエラの手をとった。
「もう、お休みください。となりにお部屋を御用意しています。今夜は、ぐっすりとお休みください。ここ、ゼルム北部のリクセンからベルセアまでは、一ヵ月の長旅となりますからね。」
シエラは、剣を返そうとした。グラセンは、それをおしとどめる。
「あなた様が持っていてください。そして、王子を見つけたあとは、あなた様の手からそれを返してください。ドーリア公のまいた種は、そうしてでしか刈り取れませんから。」
シエラは、静かにうなずいた。
夜遅く宿へもどってきた金髪の青年レックスは、まんじりともしない夜を、ベッドですごしていた。
居酒屋にいるはずのマーブルは、町の居酒屋という居酒屋をさがしても見つからなかった。たぶん、居酒屋で仲良くなった女の家で朝まで過ごすつもりだろう。めずらしくない事だった。
レックスの本名は、アレクシウス・ダリウス・レイと言った。レイは、王都マーレル・レイにもあるように王家の称号だ。光とか栄光とかいう意味もあり、由緒ある王家への敬称にもなっている。
レックスは、十三年前に行方不明になった、マルガリーテ女王の息子だったのである。
グラセンは、ダリウスから逃げてきた親子を、ずっとかくまっていた。マルガリーテ王女とドーリア公との王位争いのとき、時のベルセア法王を動かし横槍を入れさせ、マルガリーテ王女を即位させたのは、このグラセンでもあった。
なぜ、マルガリーテ王女だったか。グラセンは、学問や神秘術、占星術、その他諸々に通じており、いろいろ試した結果、ドーリア公よりもマルガリーテ王女と判断したからである。
(大きな災いが、海を越えてこの島へとやってくる。その災いをしりぞけ、時代を変える英雄が、マルガリーテ王女の子だ。この子を王にしよう。それに、マルガリーテ女王は短命と出ている。この子が王となられる日は、そう遠くはない。)
グラセンが、マルガリーテ王女を女王にしたのは、レックスを王にするためだった。だから、問題のある王女でもかまわなかった。真のねらいは、王女の息子にあったのだから。
そして、グラセンの予言は当たった。ドーリア公の反乱による女王の死と、バテントス帝国の襲来である。
レックスは、起き上がり宿の外へと出た。そして、宿の裏口から、せまい路地へと出て、ゴミゴミとした街角から天にかかる月を見上げる。そして、ため息をついた。
逃亡生活が長かったせいか、レックスには王都マーレル・レイで過ごした記憶がない。自分が王族だという自覚もない。勉強もきらいで、読み書きはほとんどできず、生活一般も父親にたよりきっていたので、世間の事は年齢のわりには分かってはいなかった。
レックスは、こんな自分では、王都へ帰っても、なんにもできないと考えていた。そんなレックスにグラセンは、賭けを持ち出したのである。
「アレクス様、一つ、このジジィと賭けをなさいませんか。シエラ様がベルセアにつくまでに、アレクス様を行方不明の王子だとお分かりになられたら、すなおにシエラ様と御結婚し、マーレル・レイへとおもどりになられて下さい。
だが、お分かりになられなかったら、シエラ様と御結婚するもマーレル・レイへもどられるのも、アレクス様の御判断におまかせします。」
ムカつく言い草だったが、シエラが自分がそうだと見抜ける可能性は低い。なにせ今の自分は、下町の一般庶民と変わらないのだから。
(グラセンのやつ。ダリウスとクリストンの関係修復には、シエラと結婚するのが一番だと言ってたっけ。ほんと、身分の高いやつの結婚てやだな。何もかも政治がらみだもんな。)
結婚については抵抗はない。年齢的に当たり前の事だから。だが、いくら関係修復の為とは言え、さすがにいい気はしない。そして、父親のマーブルもである。だが、グラセンがこうと決めて、まちがいだった事は、今まで一度もなかった。
(けど、実際見たシエラは、かなりかわいいな。いや、かなりなんてものじゃない。上品でフンワリしていて、何かこう、守ってやりたいって気になってしまう。あんな女の子、はじめてだ。やられた。)
グラセンのしたたり顔が目にうかび、レックスは思わず、近くのゴミ箱を乱暴にけりとばした。くさった魚の臭いがツンと鼻をつく。
ふと気がつくと、そばにシエラがいた。レックスは、びっくりして後ずさりをした。
「な、なんでここに。夜中だぞ。」
「君も夜中なのに、ここにいるじゃないか。」
レックスは、シエラが王家の剣を持っているのに気がついた。シエラは、
「これ? グラセンからあずかったんだよ。あとで君にわたせってさ。なんなら、今わたしてもいいけど。」
レックスの頭から血がひいた。まさかもう?
シエラは、にやにやしている。
「くさいね。ゴミ箱にあたるもんじゃないね。うわ、魚の内臓すててんのか。これ、塩きかせて発酵させれば、いい酒の珍味になるんだけどもね。このあたりじゃ、ただのゴミか。もったいないね。」
レックスは、違和感がした。グラセンの部屋で見たシエラとは、あきらかに様子がちがう。シエラは、
「気がついたみたいだね。ぼくは、シエラじゃないよ。まあ、シエラって呼んでもいいけどね。ね、ぼくがだれか当ててみてよ。ぼくが君を一瞬で見抜いたようにさ。」
「一瞬、一瞬で見抜いたって言うのかよ。おれがだれか。」
「うん、わかった。だって、ぼくはずっと君をさがしてたんだもの。ごめんね、ぼくのバカな父親のせいで、君にこんな苦労をさせちゃってさ。でも、安心して。ぼくが、君を立派な王様にして、マーレル・レイに帰してあげるから。」
「お前、だれだ?」
「わからないか。無理ないね。ぼくは生前、君と面識がなかったから。」
生前? こいつ、憑き物か! レックスは、ゾッとした。
「フフ、ぼくはライアス。シエラの兄さんだよ。バテントスに負けて死んじゃったね。ほら、あの大砲に当たっちゃってさ。あっさり即死。苦しむ間もなくてさ。でも、すなおにあの世に逝けなかったんだよ。
なんで逝けなかったって? 君が気にかかってたんだよ。どうしても君を見つけて、王様にしてあげたくてさ。別に父親の罪がどうこうじゃないよ。ぼくが、そうしたいと思っただけ。それで悪いと思ったけど、シエラに憑いたんだ。シエラはもちろん、ぼくの事は知らないよ。
内緒にしててくれるかな、みんなにさ。それに、グラセンは坊さんなんだから、ぼくがいるって知ったら、イクソシズムしちゃうよ。ね、たのむよ。ぼくは君の力になりたいんだ。」
いくらなんでも、これは怖い。レックスは、話の半分も耳に入らない。ライアスは、困ったように首をかしげた。
「まあ、今晩はこれくらいで勘弁してあげるよ。初対面だしね。でも、なんで君が十三年も行方不明か理由がわかって安心した。ドーリア公が死んで、ぼくの代になっても姿を見せなかったのは、君がとてもマーレル・レイへ帰せる、いや王族にもどせるだけの王子様ではなかったから。」
レックスは、カッとした。
「幽霊だからって、言っていい事と悪い事くらいあるはずだ。全部、お前らのせいじゃないか。おれがこうなったのも。どうせおれは、読み書きもできない、世間知らずの甘ったれたガキだ。
おれは、シエラと結婚なんかしない。マーレル・レイにも帰らない。このゼルムでただの男として生きていく。だから、さっさと成仏しろ。お前の御執心の王子なんて、どこにもいないんだからな。」
ライアスは、ため息をついた。
「とりあえず、この剣はあずかっておくよ。シエラは、君に一目惚れしたみたいだよ。あまり、冷たくしないでほしいな。妹が傷つくのは、これ以上見たくないからね。」
ライアスが持つ剣が、路地の影にもかかわらず、キラリと光ったような気がした。ライアスは、その場にレックスを残し、静かに宿へと入っていった。